山本文郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動: 案内検索
やまもと ふみお
山本 文郎
プロフィール
愛称 文さん
出身地 日本の旗 日本 東京都文京区
生年月日 1934年12月23日
没年月日 2014年2月26日(満79歳没)
血液型 O
最終学歴 早稲田大学第一文学部国文学科
所属事務所 オフィスぶん
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1957年 - 2014年
ジャンル 演芸・歌謡・情報報道
配偶者 前妻(1997年死去)
由美子(2008年 - 2014年)
出演番組・活動
過去 テレポートTBS6
モーニングEye
輝く!日本レコード大賞』 など
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

山本 文郎やまもと ふみお1934年12月23日 - 2014年2月26日)は、日本アナウンサーTBS[注釈 1]アナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)。

東京市小石川区(現:東京都文京区小石川)出身。一人っ子[1]1994年9月にTBSを退職[2][3]してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。

来歴[編集]

1944年、母方の実家がある島根県に一人で疎開する[4]

父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍召集広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日被爆して全身に大火傷を負った末、15日後に他界した。[4]

東京都立九段高等学校を経て、早稲田大学第一文学部国文学科を卒業。オリンピックの実況を夢見てスポーツ担当アナウンサーを志し[5]1957年4月、アナウンサー(5期生)としてラジオ東京に入社。同期入社のアナウンサーには青柳純一・岡部達・金坂光春・仁村秀雄・麻生雅子・石川知子・大場ゆかり・草間範子・佐藤美智子・鈴木美江・須藤孝子・前田和子・町田教子[注釈 2]・三好和子がいる[8][9]。大学の友人から「東京生まれの東京育ちだから、言葉のなまりが何もないのでアナウンサーのテストを受けたら」と言われて、ラジオ東京の他に、NHK等にも内定していたが、結局ラジオ東京に入社した[10]

主に歌謡[2][3]・演芸[2][3]・情報番組[2][3]を担当、念願だったスポーツアナウンサーとして活動していた[11]後述)。この間、1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いチーフ・アナウンサー[12]、報道局ニュース部専門職部長、報道局編集部専門職部長兼ラジオ局アナウンス室専門職部長(1982年8月10日)[13]、報道総局社会情報局専門職局長(1988年7月26日)[14]、社会情報局理事(1992年1月1日)[15]等を歴任。また、1976年10月から1987年9月25日までは、テレビの関東ローカルワイドニュース番組『テレポートTBS6』で2代目メインキャスターを担当。関東地方では11年にわたって、「TBS夕方の顔」として人気を博した。

『テレポートTBS6』の終了を機に、1987年10月5日からはTBS系列全国ネットのワイドショー『モーニングEye』の司会を担当。1994年9月にTBSを定年3ヶ月前で退職してからも、フリーアナウンサーとして1996年9月27日の番組終了まで9年間にわたって出演した。TBSテレビでは、同番組終了後も、平日午後の全国ネット生放送番組(『素敵なあなた』→『わいわいティータイム』)で引き続き司会を務めていた。

フリーアナウンサーへ転身してからは、土日の2日間にゴルフコンペを主催したり[16]2006年に旭川夏まつり(北海道旭川市)関連のイベント「大雪さんろくまつり」実行委員会の顧問に就任した。[要出典]昭和九年会」(昭和9年=1934年生まれの男性芸能人による親睦会)のメンバーとしても活動していた。

私生活では、34年間連れ添った先妻を1997年の元日に脳梗塞で亡くしたが、73歳になった2008年1月に31歳年下の由美子と再婚。2008年3月、再婚を機に千葉県鎌ヶ谷市へ移住[17][18]。この再婚が大きな話題になったこと(後述)から、2008年の新語・流行語大賞授賞式で司会を務めたほか、バラエティ番組やトーク番組にゲストで出演する機会が増えた。ちなみに、由美子は山本との結婚を機に、「オフィスぶん」で山本のマネージャーを兼務するようになった[19]

2014年2月26日午前2時6分、肺胞出血のため千葉県内の病院で逝去[20]。満79歳没(享年81)。前週の19日まで由美子と共にパーティーの司会をこなしてから、21日の深夜に背中や胸の痛みを訴えて入院した末の急逝であった[21][22]

人物[編集]

親しみやすいキャラクター[23]、軽妙なしゃべり口[23]、柔らかな語り口と人柄から[24]『テレポートTBS6』『モーニングEye』の司会等を務め[21]、人気を博す[22]

73歳での再婚は、浅利慶太の70歳を上回る「芸能界最高齢での再婚」として話題になった[25]。後妻である由美子との馴れ初めは、TBS時代に司会を務めていたラジオ番組『こども音楽コンクール』に、彼女の兄が出演していたことによる[19]。やがて山本は、由美子の1回目の結婚披露宴でも司会を担当[26]2007年に前妻を亡くした直後に由美子の離婚を年賀状で知ったことから、久々の再会で相談を受けているうちに愛が芽生えたという。なお、山本は先妻との間に1男を授かっていたが、再婚によって由美子の連れ子である中学生と小学生の父親にもなった。再婚後は、2009年に『新婚さんいらっしゃい!』(ABCテレビ)の新春特集「芸婚さんいらっしゃい!」などの番組に夫婦揃って出演したほか、雑誌のインタビューなどで私生活を告白することもあった。

2009年11月19日から木曜日のレギュラーコメンテーターを務めていた最後のレギュラー番組『ひるおび!』(TBSテレビ)では、2014年2月27日第1部の冒頭で、下記のエピソードやTBS時代の映像を交えながら山本の訃報を伝えた。

2014年2月28日には千葉県鎌ヶ谷市で密葬[27]5月8日には、葬式が大嫌いで[28]、「生涯現役」を貫いた山本の姿勢を尊重すべく、由美子の意向で「『さよならはいわないよ』文さん“引退式”」という名のお別れ会を東京・赤坂BLITZで開催。TBSアナウンサー同期の岡部達木元教子(旧姓:町田)、TBSアナウンサー後輩の久米宏生島ヒロシ渡辺真理、TBSの後輩にあたる石井ふく子堂本暁子、フリーアナウンサー仲間の徳光和夫小倉智昭、芸能・スポーツ界から関口宏毒蝮三太夫市村正親仲本工事小室等ボニージャックス渡嘉敷勝男千代の富士貢九重親方)、千代の国憲輝桂由美が参列[29][30]。由美子は「引退式」の後に、山本の仕事を引き継ぐ格好で、タレントとして本格的に活動する意向を表明[31]。山本の遺骨を前妻の眠る墓に納めたことや[32]、自身の息子でもある2人の連れ子に対して、「(山本や自分と同じく)テレビ業界の仕事をして欲しい」と望んでいることも明かした[31]

エピソード[編集]

アナウンサーとしてのモットーは、「担当番組のスタッフを大事にすること」。口癖は、「生涯現役」[10]「スタッフが作ったものを、その通りに伝えることが僕の仕事」。

ラジオ東京への入社後に、スポーツアナウンサーとして卓球バレーボールラグビー相撲野球アイスホッケー競馬を担当する[33]。野球中継の時、スポンサーの企業名をずっと間違えて言い続けて、スポンサーが「CMの料金を払わない」とカンカンになったり、[34]プロ野球公式戦の中継でサイクルヒット達成の瞬間を実況したことがある(球場名および対戦カード不詳)。達成した選手(氏名不詳)は、第3打席までに単打・二塁打三塁打を記録した後に、第4打席でレフトスタンドに本塁打を放った。しかし山本は、第4打席で打球が上がった直後に遊撃手が後退したことから、誤って「ショートフライ」と実況。その直後に左翼手が後退する姿が見えたため、慌てて「レフトフライでした……レフト! レフト! ホームラン! サイクルヒット達成です!」と訂正したものの、この試合を最後にスポーツ実況の担当を外されたという[35]

早稲田大学第一文学部およびアナウンサーとしての後輩に、逸見政孝がいた。逸見はフジテレビアナウンサー時代の1978年10月2日から、関東ローカルワイドのニュース番組『FNNニュースレポート6:30』で初代キャスターに抜擢。抜擢を前に、放送時間は異なるもののライバル番組であった『テレポートTBS6』キャスターの山本に電話でアドバイスを仰いだ。これに対して山本は、できるだけニュースの現場に出ることを逸見に推奨。逸見は『ニュースレポート6:30』で山本のアドバイスを実践すると、後継の全国ネットニュース番組(『FNNニュースレポート6:00』→『スーパータイム』)でも長きにわたってメインキャスターを担当した。

40代までは、1日に40本以上のたばこを吸うほどのヘビースモーカーであったという。しかし、40歳頃に糖尿病を患い[36]、糖尿病から派生した心臓病肺気腫間質性肺炎も抱えていたが[37]、体質改善の一環でタモギダケ茶を愛飲。フリーアナウンサーへの転身後に、タモギタケ茶と緑茶のブレンドによる「文さんの健康抹茶」シリーズの開発に携わった[38]。ちなみに、同シリーズの商品は、現在に至るまで通信販売で人気を博している。

出演番組[編集]

ラジオ東京→TBS[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

  • 歌謡クイズ(1958年)[3]
  • こども音楽コンクール1959年 - 1977年)TBS版司会[2][3]
  • TBS歌謡プレゼント(1961年)[3]
  • 暮らしのダイアル(1963年)[3]
  • 人気歌手の歌(1963年)[3]
  • 今週のベストテン(1963年)[3]
  • ファン対抗歌謡曲ナイター(1963年)[3]
  • 歌謡曲でぶっとばせ(1967年)[3]
  • レッツゴー・ドライバー(1969年)[3]
  • それ行け!歌謡曲(1970年)[2][3]
  • ミッチと歌おう(1970年)[3]
  • 朝のファンファーレ〜一口ゼミナール〜(1974年)[3]
  • 郷愁の歌(1975年)[3]
  • ウィークエンドインタビュー(1985年)[3]
  • 昭和探検隊(1988年)[2][3]
  • つりと私(1990年)[3]
  • スポーツ中継(プロ野球実況など)

フリー[編集]

映画[編集]

CM[編集]

ビブリオグラフィ[編集]

著書[編集]

  • ハートをまるごと盗む人間攻略の秘密 : この一言がすべての人を惹きつける!(1984年、ロングセラーズ〈ムックの本〉)
  • だれでも話せる冠婚葬祭・短いスピーチ集 : いざというとき恥をかかないために(1984年、大泉書店)
  • つきあい上手 : 本当にいい人だと思われる初対面の秘訣(1986年、ロングセラーズ〈ムックの本〉)
  • 友人代表のスピーチ : 好感をもたれるwedding speech 「何を、どう話せばよいか」コツがすぐわかる 披露宴・二次会(1995年、大泉書店)
  • そのまま使えるスピーチ百科 : 立場別・ケース別の「構成のポイント」がわかる(1996年、大泉書店)
  • スピーチ出だしの言葉と実例集 : 聞く人の心をつかむ(1998年、大泉書店)
  • いつまでも心に残る3分スピーチ実例集 : あらゆるスピーチに対応できる : ケース別マニュアルbook(2003年、日本文芸社)
  • 文さんのわかりやすいわが家の相続 : 相続税はなくても争続は起こる(2005年、ビジネス情報企画〈文さんシリーズ ; 1)〉)
  • 文さんのわかりやすいわが家の医療&介護(2005年、ビジネス情報企画〈文さんシリーズ ; 2)〉)

雑誌連載[編集]

  • 日刊ゲンダイ「文さんのTVワールド」(2006年4月 - 7月、日刊現代)

雑誌記事[編集]

  • 山本文郎「特集 別れは誰にも訪れる これから女房孝行をと思っていたのに…」、『婦人公論』第84巻第16号、中央公論新社、1999年8月7日、 41-43頁。
  • 山本文郎「特集 大人の恋の理想と現実 30歳差を飛び越えて、熟年再婚しました 「後は死ぬだけ」と思っていた僕を目覚めさせた春の鼓動」、『婦人公論』第93巻第10号、中央公論新社、2008年5月7日、 44-47頁。
  • 山本文郎、内海桂子、成田常也「山本文郎夫妻(31歳年下婚)×内海桂子夫妻(24歳年下婚) 惚れる気持ちに年なんて関係ない--70歳からの「愛とセックス」 老いてますますアゲアゲ対談」、『週刊朝日』第116巻第3号、朝日新聞出版、2011年1月28日、 34-37頁。

監修書籍[編集]

  • 式辞とあいさつ : ビジネス・PTA・お祝い・弔事にすぐ使える(1991年、主婦の友社)
  • ポイントを押さえた乾杯・献杯のスピーチ実例集(2001年、日本文芸社)
  • さすが!と言われる乾杯・献杯・締めのスピーチ(2007年、日本文芸社)
  • 恥をかかない大人の敬語力(2008年、泉書房)
  • 乾杯・献杯のスピーチ : さすが!といわれる(2012年、日本文芸社)

学会誌[編集]

  • 山本文郎「放送と話しことば」、『研究所年報』第9巻、駒澤大学マス・コミュニケーション研究所、1991年3月、 63-86頁、 NCID AA11800387

注釈[編集]

  1. ^ 会社法人としては、現在の東京放送ホールディングス、放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ。TBSは、2009年3月までは、東京放送の略称であったが、同年4月以降はTBSテレビの略称となっている。
  2. ^ 町田教子は1956年5月にTBSに嘱託採用され編成局嘱託の後に社員採用され5期生アナウンサー。『TBS50年史』では1957年5月に社員採用となっている。[6][7]

出典[編集]

  1. ^ “山本文郎・父【山本文郎交遊録「文さんのTVワールド」】”. 日刊ゲンダイ (日刊現代). (2006年6月30日). オリジナル2006年7月13日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20060713115028/http://gendai.net/?m=view&g=geino&c=070&no=20289 2015年8月24日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g h i j 「III. 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』 東京放送、東京放送、2002年1月、236頁。「山本文郎[1994.9退社]『演芸、歌謡、情報番組』 R「こども音楽コンクール(1962)」「それ行け!歌謡曲」「昭和探検隊(1988)」 TV「テレポートTBS6(1976)」「モーニングEye(1987)」「スペースJ(1994)」」
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、10頁。「山本文郎…[66.1R局放送部兼TV編成局アナウンス部][67.11 アナウンサー研修室][80.11 兼TV本部報道局ニュース部][84.2 報道局編集部兼R局アナウンス部][85.6 報道局兼R局][87.10 社会情報局兼R局][88.7 報道総局社会情報局][94.9退社]  『演芸、歌謡、情報番組』 R「歌謡クイズ(58)」「TBS歌謡プレゼント(61)」「こども音楽コンクール(62)」「暮らしのダイアル(63)」「人気歌手の歌(63)」「今週のベストテン(63)」「ファン対抗歌謡曲ナイター(63)」「歌謡曲でぶっとばせ(67)」「レッツゴー・ドライバー(69)」「それ行け!歌謡曲(70)」「ミッチと歌おう(70)」「朝のファンファーレ〜一口ゼミナール〜(74)」「郷愁の歌(75)」「ウィークエンドインタビュー(85)」「昭和探検隊(88)」「つりと私(90)」 TV「楽しいジェスチュア(57)」「野球クイズ(58)」「歌謡アラベスク(61)」「私のえらんだ人(61)」「ビクター・オンパレード(63)」「四時です、さあ皆さん(64)」「スターロータリー(66)」「東西お笑い大作戦(67)〜東西爆笑トンチくらべ」「スターの窓(67)」「土曜デポルテ(71.4〜)」「ミッドナイトリサイタル(72)」「演芸特選会(75)〜落語特選会」「テレポートTBS6<二代目キャスター>(76)」「モーニングEye(87)」「ふるさと讃讃(90)」「スペースJ(94)」」
  4. ^ a b 第5回 山本文郎さん(フリーアナウンサー)”. 著名人が語るおばあちゃんの知恵袋. NPOおばあちゃんの知恵袋の会. 2015年5月28日閲覧。
  5. ^ “山本文郎 新情報番組は自然体でいきたい(ズームアップ)”. 朝日新聞夕刊: p. 9. (1997年3月21日) 
  6. ^ 「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』 東京放送、東京放送、2002年1月、236頁。「1956.5<嘱託採用> 3名編成局嘱託(女3) 町田教子 〜(1957.5社員採用)」
  7. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、9頁。「56.5 <嘱託採用>3人 編成局嘱託 町田 教子… 〜(57.5 社員採用)」
  8. ^ 「III 放送関係 7.アナウンサーの活動記録」『TBS50年史 資料編』 東京放送、東京放送、2002年1月、236頁。「1957.4<5期生> 15人入社(男5・女10) 青柳純一 岡部 達 金坂光春 仁村秀雄 山本文郎 麻生雅子 石川知子 大場ゆかり 草間範子 佐藤美智子 鈴木美江 須藤孝子 前田和子 町田教子 三好和子」
  9. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、9-11頁。「57.4 <5期生>15人入社(男5・女10) 応募2600人 青柳 純一 岡部 達 金坂 光春 仁村 秀雄 山本 文郎 麻生 雅子 石川 知子 大場ゆかり 草間 範子 佐藤美智子 鈴木 美江 須藤 孝子 前田 和子 町田 教子 三好 和子」
  10. ^ a b “元TBS山本文郎アナ死去!最後まで「6」づくし見事「平成26年2月26日午前2時6分」”. J-CASTニュース. ジェイ・キャスト (ジェイ・キャスト). (2014年2月27日). http://www.j-cast.com/tv/2014/02/27197832.html?p=all 2015年8月24日閲覧。 
  11. ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達」、『TBS社報』、TBS、1997年。“出席者:小坂秀二 渡辺謙太郎 鈴木治彦 山本文郎 岡部達 池田孝一郎 藤田和弘 山田二郎 石川顯 司会:初田啓介”
  12. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、22頁。「1967年11月15日 『アナウンサー研修室』設置 チーフ・アナウンサー 鈴木治彦、山本文郎」
  13. ^ “東京放送人事・機構改革(7月28日、8月10日)コメント付き。”. 日経産業新聞: p. 15. (1982年8月12日) 
  14. ^ “東京放送(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1988年7月28日) 
  15. ^ “TBS(会社人事)”. 日経産業新聞: p. 27. (1992年1月9日) 
  16. ^ “「ほとけの文さん」… 愛され亡くなった山本文郎さんの思い出”. 夕刊フジ. (2014年3月1日). http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20140301/enn1403011452010-n1.htm 2014年10月10日閲覧。 
  17. ^ 「メレンゲの気持ち」2009年11月28日(土)放送内容”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2015年8月24日閲覧。
  18. ^ “73歳山本文郎アナ30歳年下と再婚”. 日刊スポーツ. (2008年1月9日). http://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20080109-304832.html 2015年8月24日閲覧。 
  19. ^ a b 「山本文郎アナ『時間無駄使いできないから夫婦喧嘩しない』」、『女性自身』第2557号、2012年10月http://jisin.jp/news/2557/4883/2014年2月27日閲覧 
  20. ^ “本紙で連載も 元TBSアナウンサー山本文郎さんが死去”. 日刊ゲンダイ. オリジナル2014年2月28日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20140228210921/http://gendai.net/articles/view/geino/148294 2015年4月25日閲覧。 
  21. ^ a b “元TBSアナ山本文郎さん急死 79歳”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140227-1263126.html 2014年2月27日閲覧。 
  22. ^ a b “山本文郎さん突然の死 由美子夫人明かす”. 日刊スポーツ. (2014年2月28日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140228-1263533.html 2014年10月10日閲覧。 
  23. ^ a b “山本文郎さん“引退式”久米、徳光、小倉らシモネタで送る”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年5月8日). http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/264293/ 2015年5月28日閲覧。 
  24. ^ 『現代物故者事典 2012〜2014』 日外アソシエーツ、日外アソシエーツ、2015年3月25日、627頁。ISBN 978-4-8169-2527-6。
  25. ^ “73歳山本文郎アナが30歳差再婚”. 日刊スポーツ. http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20080108-304716.html 2014年2月27日閲覧。 
  26. ^ メレンゲの気持ち. 日本テレビ放送網. 2009年11月29日放送. "ゲスト出演時に告白"
  27. ^ “山本文郎さん葬儀 由美子夫人涙こらえる”. 日刊スポーツ. (2014年3月1日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20140301-1264276.html 2014年10月10日閲覧。 
  28. ^ “お蔵入りした2ショットの宣材写真…山本文郎夫人の思い出”. 日刊ゲンダイ. (2015年2月15日). http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/157208/4 2015年5月28日閲覧。 
  29. ^ “山本文郎さんお別れ会に久米宏ら500人”. 日刊スポーツ. (2014年5月8日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20140508-1297906.html 2014年12月1日閲覧。 
  30. ^ “徳光和夫「ブンさんは下半身も生涯現役」山本文郎さん“引退式””. サンケイスポーツ. 産経デジタル. (2014年5月9日). http://sonae.sankei.co.jp/news/article/140509/n_sosai0002-n1.html 2015年5月28日閲覧。 
  31. ^ a b “山本文郎アナの妻がタレント転身へ”. デイリースポーツ. (2014年5月9日). http://www.daily.co.jp/gossip/2014/05/09/0006943855.shtml 2014年5月9日閲覧。 
  32. ^ “山本文郎さん 遺骨は前妻眠る墓に…妻・由美子さん「バトンタッチ」”. スポーツニッポン. (2014年5月12日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/05/12/kiji/K20140512008148150.html 2015年5月14日閲覧。 
  33. ^ 「座談会 炎の声〜スポーツとともに生きたアナウンサー達〜」、『TBS社報』1997年1月号、 23頁。
  34. ^ “フリーを拒否し続けた山本文郎さんの“TBS愛””. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2014年2月28日). http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/239725/ 2015年5月28日閲覧。 
  35. ^ ダウンタウンDX. 日本テレビ放送網. 読売テレビ. 2008年3月10日放送. "ゲストで出演時に告白"
  36. ^ “山本文郎さん、肺胞出血で死去 87年から9年間TBS朝の顔”. サンケイスポーツ. http://www.sanspo.com/geino/news/20140227/oth14022704040017-n2.html 2014年2月27日閲覧。 
  37. ^ “【甘口辛口】元TBSアナウンサー山本文郎さん、内助の功を天国で感謝しているに違いない”. サンケイスポーツ. (2014年3月2日). http://www.sanspo.com/etc/print/20140302/amk14030202560000-c.html 2015年8月24日閲覧。 
  38. ^ 山本文郎氏プロフィール”. ガイアワークス. 2014年10月10日閲覧。
  39. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、24頁。「1972年4月10日 *テレビ新番組、スポーツ・レジャー情報「土曜デボルテ」登場」
  40. ^ 「TBSアナウンサーの動き」『TBS50年史 付属資料・ハイブリッド検索編』(DVD-ROM & PDF) 東京放送、東京放送、2002年1月、30頁。「1987年9月28日 *テレビ「モーニングEye」スタート(山本文郎、長峰由紀)」
  41. ^ お問い合わせ セレコーポレーション

参考文献[編集]

  • 『TBS50年史』 東京放送、東京放送、2002年1月
  • 『現代物故者事典 2012〜2014』 日外アソシエーツ、日外アソシエーツ、2015年3月25日。ISBN 978-4-8169-2527-6。