ねこぢる

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ねこぢる
本名 橋口 千代美
生誕 (1967-01-19) 1967年1月19日
日本の旗 埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市
死没 (1998-05-10) 1998年5月10日(満31歳没)
日本の旗 東京都町田市中町三丁目
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
活動期間 1990年-1998年
ジャンル ガロ系
電波系
エッセイ
代表作 ねこぢるうどん
公式サイト ねこぢるライス
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ねこぢる(本名:橋口 千代美:旧姓は中山、1967年1月19日 - 1998年5月10日)は、日本の女性漫画家。夫は同じく漫画家の山野一

1990年月刊漫画ガロ』誌6月号掲載の『ねこぢるうどん』でデビュー。1998年5月10日東京都町田市の自宅にて首吊り自殺。31歳没。

経歴[編集]

埼玉県北足立郡鳩ヶ谷町(現:川口市)出身。埼玉県鳩ヶ谷市の東鳩ヶ谷団地の近くで育つ。地元の美容専門学校を卒業後[1]山野一の『夢の島で逢いましょう』に感銘を受け、押しかけ女房のような形で18歳の時に山野一と結婚する[1]

もともと漫画家になるつもりは全くなく、デビューの切っ掛けは彼女が暇を持てあまして画用紙に「奇妙なタコのようなネコの絵」を書いて遊んでいた所、彼女の絵を見た山野一が「言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった奇妙な魅力」[2]を感じ、その絵をモチーフにした原作を山野が作り、ねこぢるが絵を描いた漫画が『月刊漫画ガロ1990年6月号に『ねこぢるうどん』として掲載された事に端を発する。この連作の元にもなったデビュー作は、子猫がうどん屋で去勢されて死ぬというだけの内容である。

このデビュー作から夫の山野は「作・山野一 画・ねこぢるし」[注釈 1]の共同名義でクレジットされるようになり、唯一の「共同創作者」としての役割を務めることになった。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、ねこぢるの発想やメモをもとに山野がストーリーをネームにして書き起こし「読める漫画」にまで再構成する役割などを担った(山野はこの作業を「通訳」と述べている)。これらの連作は、ねこぢる自身の夢の中の体験を基にした支離滅裂で不条理な展開やドラッグ中毒のようにサイケデリックな描写が特徴的である。

当時流行していた鬼畜・悪趣味ブームに乗り、1990年代後半「ねこぢるムーブメント」が起こる。当時は『ガロ』から東京電力のCMまで仕事の幅は非常に幅広かった。デフォルメされた無邪気な絵柄とは裏腹にシュールを通り越して最早狂気の域に達している残酷なストーリーとのギャップに若年層の支持も集めたとされている。

山野一とねこぢるは仕事なら何でも引き受ける方針だったため[3]、ブームによって増えた仕事の依頼を断ることが出来ず作品の量産と表現の自主規制を二人は強いられた。ねこぢるは次第に精神が不安定になり、山野に危害を加える事件を起こしたり[4][5]、自殺未遂を繰り返すなど奇行が目立つようになる[6]。何度も「死は、別に恐くない」と周囲に述べ[7]、編集者にも「死のうと思ったことありますか」と尋ねた事もあったという[8]

98年4月、原稿依頼をした女性編集者に電話口で二時間に渡り「自分はもう好きなものしか描きたくない」「お金になるとかじゃなく描きたいものだけを描いていきたい」と現状の不満を打ち明け[9]、翌5月5日夜、ねこぢるの担当編集者であった加藤宏子に電話で「もう漫画を描くのは疲れた。もう漫画家をやめて旦那と一緒に発展途上国に行って暮らしたい」と漏らす[8]

1998年5月10日午後3時18分、町田市の自宅マンションのトイレにてドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態になっているのを夫の山野一によって発見される。31歳没。遺体は発見が遅れて死後硬直が始まっていたという[6]

その後も山野一は「ねこぢるy」のペンネームで、ねこぢるワールドを引き継いで創作を続けている。ねこぢるの死後制作されたOVAねこぢる草』は、『ねこぢるうどん』の各編のシチュエーションをモチーフにした幻想的な作品に仕上がっている。

山野一は著書『インドぢる』の中で、98年5月10日前後の状況を以下のように回想している。

ある日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。

「もう亡くなっています」

救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とはかんじられない。いろんな人が来ていろんな事をいった。
私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。

それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。
ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。
いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。

「私は長生きなどしたくない」

ねこぢるは出会った頃からよくそんな事をいった。
長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。
そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。
前の夜は仕事が一段落して、二人で酒を飲みながら、テレビでやっていた「マスク」という映画を見て笑っていたのだ。

丸一年、白い箱と暮らす。
疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。

「私が死んで、『オレが悪かったよぉー』って毎日メソメソ泣けばいいんだ」

怒った時などねこぢるはよくそういった。いたずらっ子のような顔が浮かぶ。
好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが、

「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」

そういう反感が、どうしても混じってしまう。

確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。
しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。

ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。
しかし、ひとかけらだけその骨を残して、ねこぢるが好きだったロバの絵の小さい壺に入れておく。

インドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。
日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。
波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。

ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。

Macでねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。
それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私にはかんじられる。
墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。

「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」

線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。
その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」一~三巻を描いた。
最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。
ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。

ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶたってから、「んー……、どっちかに決められない」といった。ずーっと考え込んでいたのだ。

ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。
そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。

「絶やさないでほしい」
「やめてほしい」

その時々の気分によっていうことは変わった。つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。
かつてねこぢるとしていたやりとりを、今は脳内のねこぢるとしている。
それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。

— ねこぢるy『インドぢる』あとがき(2003年 文春ネスコ)

人物[編集]

ねこぢる自身は、素顔や詳細なプロフィールをほとんど公表しておらず、『月刊漫画ガロ』1992年6月号「ねこぢる特集」に掲載された彼女の写真のみが一般に素顔を見せた唯一の例である。

交友のあった鬼畜編集者吉永嘉明によると、ねこぢるは鬱病精神科に通院しており、出会った頃には自閉的な性格が完全に確立していたという[7]。吉永は彼女の自閉的な性格について「精神的に孤立して自分の内面にこもる傾向が育まれたのかもしれない」と推察している[7]

また基本的にねこぢるは殆どの人間や対象にまるで関心が無く、それらに対する口癖も「つまんない」「嫌い」「相性が悪い」「興味が無い」「関心がない」「波長が合わない」など、吉永曰く「嘘がつけない体質」だけに極めてストレートなものだったという[10]特殊漫画家根本敬は「他人の正体や物の本質をパッと見抜けてしまう人」「またそれを素直に口にしてしまう正直者」と評している[11]

一方、興味ある対象には非常に積極的であり、とくに“波長”の合う人物には熱狂的な好意を抱いた。また、好意を抱いた人物には「追っかけ」とも言える行動に出ることもあり、夫・山野一と結婚した経緯も、ねこぢるが山野の住むアパートにまで押し掛けて、そのまま上がり込んでしまったからだという[1]

また吉永によれば、ねこぢるは食欲が存在せず「最期のほうは生きる欲望も薄れていった」と述べている[12]に関しても「血の味がするから」と全く食べなかった[8]。吉永の妻が勧めたアボカドも一口食べ、勢いよく吐き出したという[12]。これに関して生前「トンカツって豚の死体だよね」という感想を夫の山野一に述べており[8]、漫画の中でも下等生物として罵られ殺され食べられる家畜程度の存在にしか描かれていない[13]

ねこぢるは売れっ子になる前から3日間起き続け、その後丸1日寝るという体内時計サーカディアン・リズム)に逆らった不規則な生活を送っていた[1]。その様子は自殺の二日前に描いた遺稿『ガラス窓』でも見ることが出来る[14]

山野一は彼女の“特殊な能力”について、「ねこぢるは量子力学の“シュレディンガーの猫”や“認識した現在から遡って過去が創られる”というパラノイックで魔術めいた理論に強く惹かれていたようだ。それはもう宗教哲学の問題とシンクロしている。ねこぢるがトランス中に話す切れ切れの言葉を聞いてると、彼女がその鋭い感性で、この世界の構造を、かなりシビアな領域まで認識してる事が読み取れた。まあそんな特殊な能力があった所で別に自慢にもならず、なんの役にも立たない。むしろ無い方が有意義な人生を送れるだろう。だって呆れ果てる程殺伐としたものなんだから、何もかも剝ぎ取ったリアルって…」と単行本『ねこぢるまんじゅう』の「あとがき」で述べている。

彼女の死後、山野一が寄稿した「追悼文」の中で山野は彼女の特異な人物像について以下のように述べている。

身長153センチ、体重37キロ、童顔…。
18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…。

生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。
気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。

彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした。毎日二人して、会社に行くわけでもなく自閉的な生活をしていても、彼女にとってこの社会は、やはりなじみにくい場所だったようで、次第にテクノやトランスの神経質な音の世界に沈潜することにしか安住の場所を見出せなくなっていきました。

あと二・三年したら引退して、彼女が好きだったアジアの国々を放浪しようねと、二人で話していたのですが、それを待つまでもなく、インドより、ネパールより、チベットよりも遥かに高い世界へ一人で旅立ってしまいました...。

— 『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)114頁~115頁「漫画家 山野一」による「追悼文」

作風[編集]

ねこぢる作品の多くは、子供特有の残酷さを持った無邪気な子猫を主人公とする一話完結型の不条理漫画である(自身を主人公とした『ぢるぢる旅行記』や『ぢるぢる日記』などのエッセイ漫画でも、作者のねこぢるが猫の姿で描かれている)。唯一の例外として、短編『つなみ』はヒトが主人公である。

ねこぢるの作品には、猫の他にも動物の姿をしたキャラクターが多く登場するが話の舞台は人間世界であることが多く、現実社会におけるタブーや底辺社会を描写したブラックな作品も多い。マジックマッシュルームLSDといった違法な薬物も作品中にたびたび登場する。

猫の「にゃーこ」と「にゃっ太」を主人公とした連作『ねこぢるうどん』(作・山野一 画・ねこぢる)は評価が高い。『ねこぢるうどん3』(文藝春秋)に収録された「夢のメモ」からもわかるようにねこぢる自身の夢の中の体験を基にした奇想天外な内容の作品も多数存在する。

ねこぢる作品の多くは猫の姉弟である「にゃーこ」と「にゃっ太」が主人公として描かれた。にゃーことにゃっ太は子供であり、主婦の母と、工場勤務でアルコール使用障害の父を持つ。にゃーこは喋れるが、にゃっ太は猫の鳴き声でしか喋れないという設定である。しかし、唯一の例外として初登場回である「かぶとむしの巻」では、にゃっ太が普通に喋る姿が見られる[注釈 2]

山野一はエッセイ『インドぢる』において、このキャラクターの出生について言及している。それによると、ねこぢるが暇を持てあまして画用紙に落書きをしていた時に、書いていたイラストが「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型になっているとのこと。

その目を初めて見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。大きな猫の顔に、タコのような足がついている。

「体はタコなの?」
「ちがう、この四本が足でこれがしっぽ」

なるほど、そう聞けばそう見える。私はそれを「タコねこ」と命名した。
タコではないが、本人もその名前は気に入ったようだ。

ほんの数秒で描ける一筆書きなのだが、得もいわれぬ妖しい魅力を放っている。魅力は確かにあるのだが、その正体がよくわからない。

目は人間のようにアーモンド型。瞳が大きく白目が少ない。無表情、焦点が合っているんだか合っていないんだかもビミョー。口元はやや笑っているようでもある。可愛いようで怖い。単純なようでもあり計り知れなくもある。安全なようで危険。諸々……。

絵の形や意味するものを捕らえようとする前に、なにかよくわからない物がいきなり直接意識の奥に飛び込んで来る、そんなかんじ。

原始人のケイブアート、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいは六芒星ハーケンクロイツといったシンボリックな図形。そういった要素が、描いた本人も無自覚なうちに備わっているのではなかろうか?そんな気がする。

「どれが一番いい?」
ほぼ同じなのだが微妙に崩れ方がちがう。
「んー……、これかな」
「次は?」
「そうだな……」

ねこぢるはすべてに順位をつけ終わるまで許してくれない。どうにか選び終わると、すぐまた別の画用紙に十個ほど描いてくる。
「どれが一番いい?」

そのタコねこが、「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型だ。その一番最初の画用紙は、今は残っていない。

— ねこぢるy『インドぢる』156頁~158頁「タコねこ」(2003年 文春ネスコ)

漫画単行本[編集]

山野一2013年に出版した『おばけアパート前編』(ねこぢるy名義)以外の単行本は現在すべて絶版のため通常の書店での入手は完全に不可能である。

「ねこぢる」名義[編集]

  • ねこぢるうどん (全2巻 青林堂・絶版/全3巻 文藝春秋・絶版)
  • ねこ神さま (全2巻 文藝春秋・絶版)
  • ねこぢるまんじゅう (文藝春秋・絶版)
  • ねこぢるだんご (朝日ソノラマ・絶版)
  • ねこぢる食堂 (白泉社・絶版)
  • ねこぢるせんべい (集英社・絶版)
  • ぢるぢる旅行記・インド編 (ぶんか社・絶版)
  • ぢるぢる旅行記・総集編 (青林堂・絶版)
  • ぢるぢる日記 (二見書房・絶版)
  • ねこぢる大全 (上下巻 文藝春秋・絶版)

「ねこぢるy」名義[編集]

  • ねこぢるyうどん (全3巻 青林堂・絶版)
  • インドぢる (文春ネスコ・絶版)
  • おばけアパート前編 (アトリエサード)

アニメーション[編集]

ねこぢるの漫画は、テレビ朝日系の深夜番組『爆笑問題のボスキャラ王』の1コーナーとして1998年に短編アニメ化されのちに『ねこぢる劇場』というタイトルのビデオとDVDが発売された。

2001年にはOVAねこぢる草』(監督・佐藤竜雄)が製作されている。これは『ねこぢる劇場』の続編ではなく全く無関係の作品である。脚本・絵コンテ・演出・作画監督の4役に湯浅政明を迎え、ねこぢる本来の画風を生かしつつ、湯浅独自の世界観を融合させた幻想的な映像になっている。同年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門では優秀賞を受賞した[15]。また『ねこぢる草』のタイトルでサウンドトラックも発売されている。

山野一との創作上の関係[編集]

山野一によると、ねこぢるの最初の漫画は、ねこぢるがチラシの裏や画用紙などに描いていた「奇妙なタコのようなネコの絵」をモチーフとして、ねこぢるの夢のメモをもとに山野がストーリーを書くことから始まった。そのため初期のねこぢる作品である『ねこぢるうどん』では山野一が原作者としてクレジットされている。二人には「極めて微妙」な役割分担があり、外部の人間をアシスタントとして入れることが出来なかったため、山野一がねこぢるの「唯一の共同創作者」であった。

山野一とねこぢるの関係性について面識のあった評論家の黒川創は「山野一は、ねこぢるのストーリー作り補助、ペン入れ下働き、スクリーントーン貼り付け係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。つまり、『ねこぢる』というのは個人名というより一種の屋号で、その『ねこぢる』の成分には10%か20%“山野一”が配合されているのだと考えられなくもない。私が彼女のことを“ねこぢる”と呼ぶたび、自分の頭のうしろのほうでは(……ただし、20%の山野一成分抜きの)と、落ち着きのないささやきが聞こえる。ちょっとイライラする。いったい、彼女は誰なのだろう」と述べており、極めて微妙な二人の関係性に困惑していたという[16]

山野一は『月刊漫画ガロ』1992年6月号にて『ねこぢるうどん』への関わり方や発想の方法、そして“ねこぢる”というペンネームの由来についてインタビュー形式で以下の様に答えている。

──『ねこぢるうどん』を始めた切掛というのは。
山野 僕の漫画の手伝いをやりたいと、いつも言ってたんですが、絵のタッチが全然違うんで、絵に合ったストーリーを創ったんです。

──では、山野一で描いている漫画と『ねこぢるうどん』の原作は、別個の物として考えているんですか。
山野 『ねこぢるうどん』はもう完璧にねこぢるの物だから、気に入らないと言われればネームを書き直したりしています。絵は何とか描けるんですが、漫画の形に体裁を整える作業が出来無いんで、僕が手伝っている様なものです。

──構成を山野さんが。
山野 コマ割とかが、苦手なんです。元々紙にイタズラ描きをしていた様なものだから。たまに僕の考えも入ったりする事もありますが、これならいいという物であれば入れてます、ダメな物も結構多いけど(笑)。“ねこさいばんの巻”は、僕の原作なんですが、嫌われてますね(笑)。
ねこぢる ネコだけでも十分幼稚なのに、その上虫まで出てくると、幼稚すぎる感じがしたから(笑)。

──主人公がネコというのは?
山野 ネコしか描けないんだよね(笑)。元々イタズラ描きで描いてたのがネコなんですよ。だから理由とか、意味なんて無いんです。

──では、人物等は山野さんが描かれてるのですか?
山野 キャラクター、背景等のデザインで、若干アドバイスする事はありますが、実際に描くのは彼女です。

──“ねこぢる”というペンネームには、何か由来があるのですか。
ねこぢる 昔、二人で汁っていう言葉はキタナイなんて冗談で言っているうちに、自然に生まれたんです。
山野 “犬汁”とかね。オレンジジュースって言うと綺麗だけど“オレンジ汁”と言うとキタナイ感じでしょ(笑)。

── 一番気に入っている作品は何ですか。
ねこぢる “大魔導師の巻”です。これは自分から魔術師が出てくる話を創って欲しいと頼んだ位で。
山野 結末は、家も家族も捨ててサーカスに付いて何処かに行っちゃうほうがいいと言われたんですが、そうすると次の話が創れなくなってしまうんで(笑)、家族の元に留まらせました。

──以前、ねこぢるさんの見た夢が題材になっている話もあるとお聞きしましたが、夢の話はよく使われるんですか。
山野 漫画の全てでは無いけど、何本か混ってます。とりとめの無い話を、後ろで話してたりするのを書き留めて、漫画にしたりする事もあります。

──日常話している中で、何か面白い事があるとメモして置くんですか。
山野 そうですね、見た夢の事とかよく話しますが、夢ってどんどん流れて行くから首尾一貫してないでしょ。そのままだと余りにも散漫になるので、漫画の形に多少は脚色してますけど。訳の分からないイメージみたいな物を無理矢理漫画にした事もあります。

──夢以外に作品の題材となっている物はありますか。
山野 大体、描き始める一時間位前に話を創るんですよ。だからその時偶然思いついた事をパッと描いてしまうんで、根がどこだったかなんて、ハッキリしない事が多いですね。

──漫画の中で、ネコ姉弟の子供らしさがリアルに描かれていると思うのですが、実際に子供の頃の体験等が、題材になっていたりするんですか。
山野 ソーセージの話(かわらの子の巻)は、そうだよね。
ねこぢる 幼稚園の時、親戚の家に遊びに行ったら、その家の前に住んでいるビンボー臭い子供が(笑)「一緒に遊んでくれたら、ソーセージあげる」って言ったんです。自分はそれまで真赤なソーセージを見た事も食べた事も無くて、何だかよく分から無いけど貰おうとしたら、いとこに「そういう物は、食べると体に毒だから。」って止められました。

──よく背景に描かれている、電信柱のある一本道や、工場や石油タンクなんかはお二人が子供の頃に見た原風景なんですか。
山野 原風景なんて立派な物じゃないですけど(笑)、石油タンクは僕の方ですね、四日市だったんで。非道い所でしたよ(笑)、ひたすらタンクだのパイプだのが入り乱れてる様な。毎日川の色が変わるんですよ、繊維の染物工場があって、その日に染める色で川の色が決まっちゃうんです。緑色の川とか、赤い色の川とか、日野日出志さんの漫画の様な世界でしたね。

──ねこぢるさんの子供の頃の環境は、どんな所でしたか。
山野 普通の所だよね。埼玉県の住宅地みたいな所で、近くに団地があって、何でこんな所に住んでるんだろうと思ったって言ってたよね(笑)。
ねこぢる どうしてこういう所に人が住んでるのか理解出来無かった。自分は普通の一建家に住んでたんですけど、近くに公団住宅みたいな二階建ての建物が一杯並んでる、迷路の様な団地があったんです。団地って必ず公園が付いてますよね、それが楽しくていつもそこで遊んでたんですけど、お父さんに、自分もこういう所に住みたいと言ったら、エラく怒られました。

──山野さんは自分の漫画と『ねこぢるうどん』は全く別の物だと言われましたが、ねこぢるさんの漫画をどうご覧になっていますか。
山野 僕は人に嫌われる漫画ばかり描いてますけど、それよりはちょっと人に読まれ易いかな、という気はします。

— 『月刊漫画ガロ』1992年6月号 ねこぢるインタビュー「ゲームの世界に生まれたかった」27頁~32頁

山野一との相互影響[編集]

夫である山野一とは相互関係が非常に強く、山野一作品中にもねこぢる作品から着想された物が多数登場する。1990年代前半の山野作品である『カリ・ユガ』や『どぶさらい劇場』にも、ねこぢる作品のキャラクターである「にゃーこ」や「にゃっ太」の絵が描かれている箇所が存在する。二人の作品に共通して現れる物の例として、「はぐれ豚」または「一匹豚」と書かれた看板が飾られている装飾付きの大型トラックなどがある[17]

ねこぢるのルポルタージュ漫画作品『ぢるぢる旅行記』では、ねこぢると「旦那」の二人によるインドネパールでの旅が描かれている。また、ねこぢるが自身の私生活を題材とした作品『ぢるぢる日記』にも「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している[18]

1989年刊行の山野一作品集『貧困魔境伝ヒヤパカ』収録の「荒野のハリガネ虫」では、冒頭のクレジットに「CHARACTER DESINE C.NAKAYAMA」との記載がある事から、ねこぢる(中山千代美)が何らかの形で山野一名義の作品にも部分的に関与していたと見られる。そのため、この作品に登場する一部のキャラクターは比較的ねこぢる作品の造形に近いポップなデザインとなっている。ねこぢると親和性が高い本作品は2016年の作品展「ねこぢるのなつやすみ」でも当時の原画が展示されるなどしている。

また山野一は『月刊漫画ガロ』1987年9月号に淡白な子供達が知的障害児を虐待するという内容の鬼畜漫画「在日特殊小児伝 きよしちゃん-紙しばいの巻-」を発表、ねこぢるのデビュー直後にも「さるのあな」という鬼畜漫画を発表している。いずれの作品も知的障害児と子供的狂気をメイン・テーマにしており、ねこぢる作品に近接した世界観となっている。

ねこぢるの死後、山野は雑誌に寄稿した「追悼文」の中で1998年5月以前の自身の活動について、「私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました」と打ち明けている[19]

その後、山野はねこぢるの様式で描いた漫画作品を「ねこぢるy」の名義で受け継ぎ、ねこぢるの創作様式を踏襲する一方で、コンピュータによる作画を全般的に採り入れた[注釈 3]

自殺[編集]

夫の山野一は自殺の真相について「故人の遺志により、その動機、いきさつについては一切お伝えすることができません。一部マスコミで“某ミュージシャンの後追い”との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。ねこぢるはテクノやゴア・トランスに傾倒しており、お通夜に流した音は、彼女が“天才”と敬愛して止まなかったAphex Twin(Richard D.James)の『SELECTED AMBIENT WORKS VOLUME II』で、本人の強い希望により、柩に納められたのは、彼女が持っていたAphex TwinのすべてのCDとビデオでした」とコメントしている。この某ミュージシャンとは、この数日前に他界したX JAPANのギタリストhideである。この事に関して山野は「(hideの曲に関して)彼女は多分一秒も聞いたことはない」と述べている。

ねこぢるの葬儀に参列した鬼畜編集者吉永嘉明は著書『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)の中で「微塵も人生に未練のない安らかな死に顔だった。その顔を見て、納得できるような気もしたし、怖いような気もした。ねこぢるは僕の知り合いの中で最も純粋な人だった。僕の妻は“本物”と言っていた。あれだけ純粋でイノセントだと、この世では生きづらかったのかもしれない。いずれにせよ、生きている者に“死の理由”の本当のところはわからない。よくあの歳(享年31)まで生きたと思う。あそこまで生きたのも山野さんがいたからだとも思う。結局、死にたい人だったから死んじゃった。そう思うしかない」と回想している[6][20]

またねこぢるは生前より自殺未遂経験者であったため、自殺の数年前に書かれた遺書が存在する[6]。その遺書には「墓はいらない」と書かれていたが、遺族の意向で墓が建てられている。ただ、吉永によれば墓石には名前が書かれておらず梵字がひとつ彫ってあるのみであるという[6]

山野一は彼女の創作的な感性と可能性について雑誌に寄稿した「追悼文」の中で以下のように綴っている。

漫画家ねこぢるは、去る98年5月10日に亡くなりました。彼女の死の経緯については、故人の遺志により、何も明かす事はできません。

そこで生前彼女がどんな人物であったか、少し書いてみようかと思います。私はねこぢるが18の時からいっしょに暮らし、彼女が『ガロ』でデビューしてからずっと、唯一の共同創作者としてアシストしてきました。それは、私と彼女の作業分担が極めて微妙で、外部のアシスタントを入れる事ができなかったからです。

そもそも彼女は漫画家になる気などさらさらありませんでした。暇を持てあましている時に、私の漫画を手伝いたいと言っていたのですが、あまりにも絵柄が違い、ベタぐらいしかやってもらう事がありませんでした。そこで彼女がチラシの裏などに描きなぐっていた無数の落書き…。その奇妙なタコのようなネコの絵が何とも言い難いオーラを放っていたので、それをモチーフに、彼女の個性というか、かなりエキセントリックな感性を取り込んで、私が一本ストーリーを創ったのが、ねこぢる漫画の始まりでした。

ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。

生前彼女はチベット密教行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。

— 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁

関連作品[編集]

関連人物[編集]

展示 [編集]

個展[編集]

  • 2010.10.5-10.9 「ねこぢるyの世界2010」 渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2011.3.4-3.13 ねこぢるy個展 「湾曲した記憶」 渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2011.9.17-9.26 山野一とねこぢるy個展 「失地への帰還」 渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2013.11.1-11.17 漫画家生活30周年記念 「ねこぢるy(山野一)新作漫画原画&絵画展2013」 渋谷ポスターハリスギャラリー
  • 2015.8.20-9.5 山野一/ねこぢるy個展 「そこいらの涅槃(ニルヴァーナ)」 ぎんけいさろん&ギャラリー 東京銀座
  • 2016.7.7-8.30 ねこぢる・ねこぢるy・山野一作品展 「ねこぢるのなつやすみ」 不思議博物館分室サナトリウム 福岡天神
  • 2017.1.19-2.4 ねこぢる生誕50周年記念 「ねこぢる&ねこぢるy展」 ぎんけいさろん&ギャラリー 東京銀座

参考文献[編集]

  • ねこぢる 『ぢるぢる日記』 二見書房 1998年
  • ねこぢる 『ねこぢるせんべい』 集英社 1998年 136頁-137頁「あとがき バイオレント・リラクゼーション」(夫・漫画家 山野一)
  • 山野一「特別寄稿・追悼文」 『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年
  • 『コミックビンゴ!』1998年7月号 文藝春秋
  • 『コミック・ゴン!』第3号 1998年11月 ミリオン出版
  • 大泉実成 『消えたマンガ家 ダウナー系の巻』 太田出版 2000年
  • ねこぢるy 『インドぢる』 文春ネスコ 2003年
  • 吉永嘉明 『自殺されちゃった僕』 幻冬舎アウトロー文庫 2008年
  • ねこぢる 『ねこぢる大全』 文藝春秋 2008年
  • ねこぢる夫妻への批評等
  • 特殊漫画家・根本敬の追悼コメント「本物の実感」 - 水道橋博士の悪童日記 1998年06月26日付
  • ねこぢる蒐集支援ホームページ『月に吠える』ねこぢる作品リスト-1990~2004-

インタビュー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ねこぢるはデビューから1年間「ねこぢるし」名義で活動していたが、デビュー1年目にあたる『月刊漫画ガロ』1991年6月号掲載の『ねこぢるうどん』の扉絵に「ねこぢるし改め 画・ねこぢる 作・山野一」とある事から、これを機にペンネームを正式に改めていた事が判明している。
  2. ^ なお、この作品は現在、ねこぢるyの公式サイト「ねこぢるライス」にて閲覧することができる。
  3. ^ ねこぢるy(山野一)が2013年に発表した漫画単行本『おばけアパート前編』では従来のアナログ作画を採用している。
  4. ^ 1997年4月に公開されたねこぢるによる東京電力の宣伝キャラクター。TVCMにも登場したが翌98年5月にねこぢるの自殺を受けて打ち切られた。デンキくんはTVCM放送中TEPCO銀座館で展示され、ねこぢるの自殺後も撤去されることなく展示されたが、TEPCO銀座館の大幅な改装リニューアル工事のため2002年3月31日をもって展示終了となった。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「私生活」より。
  2. ^ ねこぢる『ねこぢる大全 下』(文藝春秋)「対談 根本敬特殊漫画家)×山野一漫画家)」より。
  3. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「ブーム到来」より。
  4. ^ 東京公司『危ない1号』編集部吉永嘉明証言より。

    晩年の頃はもう、仕事が増えすぎて、ねこぢるも疲労気味だった。身も蓋もないが、この頃になると「好きなものを描く」というより「とにかく原稿を納品しなくちゃ」という姿勢が強く窺えるようになっていく──。

    『ぢるぢる日記』や『ねこ神さま』は、人から聞いた話をそのまま書いていた。オーバー・ワークによるネタ枯れ状態だった。それでも発注があるから無理してなんとかやる。責任感は強くて、放り出せない。日々締め切りに追われ、鬼気せまる修羅場が何度もあった。

    一度、こんなことがあった。
    深夜。僕の仕事場で、ドアをノックする音がした。
    「泊めてくれないか」
    疲労困憊した山野さんが逃げ込んできた。
    「どうしたんですか?」
    「そ、それが……」
    青ざめた山野さんが重い口を開いた。ねこぢるがテンパって山野さんをカッターで切りつけたというのだ。ぐったりしてる山野さんをソファーに寝かせ、コップに水を入れて飲ませた。沈黙の空気があたりを支配する。電話が鳴った。僕が出ると、ねこぢるからだった。
    「そこしか行くとこないと思った。ヤスオ君(山野さんの本名)を出して!」
    「今、寝ているからだめだ」
    僕がなだめても「早くヤスオ君を出して!彼は逃げたんだから。たたき起こして電話に出して!」と物凄い剣幕だ。神経がとんがっている。
    締め切りの修羅場になると、こんなことが頻繁にあった。

    僕は断固として山野さんの身を案じて、帰宅させなかった。まんじりともしないで、夜が明けた。やっと外で雀のさえずりと、新聞配達の音がしてくる。
    ねこぢるの錯乱ぶりも一段落したことだろう。
    山野さんはねこぢるのもとに帰っていった。「ねこぢるには僕が必要なんです」と言い残して──。

    —吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「修羅場」

  5. ^ 東京公司『危ない1号』編集部・桜井顔一証言より。
  6. ^ a b c d e 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「死に顔」より。
  7. ^ a b c 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「死は恐くない」より。
  8. ^ a b c d e 関西テレビ『メディアDo』(2001年3月26日放映)より。
  9. ^ 唐沢俊一『B級学マンガ編』(海拓舎)より。
  10. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「嫌いなものは嫌い」より。
  11. ^ 『月刊漫画ガロ』1992年6月号「特集ねこぢるうどん」5頁。
  12. ^ a b 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「武装願望」より。
  13. ^ このような作品の例として、『ねこぢるだんご』(1997年 朝日ソノラマ)に収録されている「かちく」などがある。
  14. ^ 「3日起きてたり30時間寝てたり…世の中のリズムとはだいぶズレてしまった…ガラス窓の外はまるで異次元のよーだ…出勤途中のサラリーマン…あの人の目にはどんな風に映ってるのかなー…」ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)遺稿「ガラス窓」133頁。
  15. ^ 歴代受賞作品 第5回 2001年 アニメーション部門 受賞作品 優秀賞 - ねこぢる草”. 文化庁メディア芸術祭. 文化庁. 2016年7月30日閲覧。
  16. ^ 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1995年10月号「ねこぢるって誰?」103頁。
  17. ^ 山野作品での「はぐれ豚」の例は、山野一『ヒヤパカ』(青林堂 1989年)56頁参照。ねこぢる作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるまんじゅう』(文藝春秋 1998年)25頁参照。ねこぢる作品での「一匹豚」の例は、ねこぢる『ねこぢるうどん3』(文藝春秋 1999年)36-37頁参照。ねこぢるy作品での「はぐれ豚」の例は、ねこぢるy『おばけアパート前編』(アトリエサード 2013年)107頁参照。
  18. ^ a b ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁。
  19. ^ 山野一「特別寄稿・追悼文」『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁。
  20. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「殺すか、死ぬか」より。
  21. ^ 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第2章「ねこぢるの思い出」の中「修羅場」より。
  22. ^ ねこぢる『ねこ神さま』第2巻(文藝春秋)「ぢるぢる4コマ漫画」100-102頁。
  23. ^ 残った人1 ねこぢる黒のマガジン