ガンビア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
ガンビア共和国
Republic of The Gambia
ガンビアの国旗 Coat of arms of The Gambia.svg
国旗 国章
国の標語:Progress, Peace, Prosperity
(進歩、平和、繁栄)
国歌わが祖国ガンビアのために
ガンビアの位置
公用語 英語[1]
首都 バンジュール
最大の都市 セレクンダ
政府
大統領 アダマ・バロウ
副大統領英語版 ファトゥマタ・タンバジャン英語版
面積
総計 11,300km2159位
水面積率 11.5%
人口
総計(2016年 2,009,648 [2]人(149位
人口密度 174.1人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 139億[3]ダラシ
GDP (MER)
合計(2008年 8億[3]ドル(167位
GDP (PPP)
合計(2008年 22億[3]ドル(160位
1人あたり 1389[3]ドル
独立
 - 日付
イギリスから
1965年2月18日
通貨 ダラシ (GMD)
時間帯 UTC (0)(DST:なし)
ISO 3166-1 GM / GMB
ccTLD .gm
国際電話番号 220

ガンビア共和国(ガンビアきょうわこく、英語: Republic of The Gambia)、通称ガンビアは、西アフリカ西岸に位置する共和制国家。元イギリス連邦加盟国であり(2017年2月に復帰手続きを開始[4])、英語が公用語である(ただし、2014年3月には英語を公用語から外すと発表したことがある[5])。西は北大西洋に面し、ガンビア川の河口を除いた全土をセネガルに取り囲まれている。首都はバンジュール

国名[編集]

国名はガンビア川に由来する。公用語である英語ではRepublic of The Gambia。通称the Gambia [ˈɡæmbiə] ( 聞く)

英語ではGambiaの国名の前に"The"をつけるのが正式名称である。これは15世紀にこの地にポルトガル人が入植した時に、川の名前を"Rio Gâmbia"と呼び、それを英語に直訳した"The Gambia river"に由来し、長年、その地域を"The Gambia"と呼ぶのが一般的であったことからである。ガンビアがイギリスから独立した1965年頃に、非常によく似た名前を持つザンビアも独立をしたことから、混合を避けるために"The"をつけた状態を正式名称とした[6]。英語で"The"をつける国名は他にバハマスーダンコンゴ民主共和国コンゴ共和国フィリピンオランダなどがある。

2015年12月10日に当時の大統領ヤヒヤ・ジャメによってガンビア・イスラム共和国Islamic Republic of The Gambia)に変更されたが[7]、ジャメの後任として大統領に就任したアダマ・バロウ大統領は2017年1月28日に「イスラム教徒は全体の90%であり、他にキリスト教徒アニミズム(土着宗教)がいるため、イスラム共和国(Islamic republic)ではない」と述べ、国名を元の「ガンビア共和国」に戻すことを宣言した[8][9]

日本語の表記は、ガンビア共和国。通称ガンビア漢字による当て字岡比亜

歴史[編集]

ガンビアの地域が初めて歴史に登場するのは、9・10世紀のアラブの商人の記録である。

ガーナ王国[編集]

10世紀から13世紀頃までガーナ王国に属していた。

マリ帝国[編集]

13世紀から15世紀まではマリ帝国に属した。13世紀にマリンケ族の商人がイスラム教を広め、18世紀まで強い影響力を持っていた。

植民地時代[編集]

15世紀中頃、ポルトガル人ガンビア川下流域に商業拠点を建設した。

16世紀にイギリスが進出、その後フランスと争った末、1783年のパリ条約によりイギリス植民地となる。

1821年、ガンビア植民地及び保護領英語版が成立。奴隷貿易が行われていた植民地支配の痕跡をとどめる遺構の数々は、「クンタ・キンテ島と関連遺跡群」として、ユネスコ世界遺産に登録されている。

1959年、ダウダ・ジャワラマリンケ人の支持により、人民進歩党 (PPP)英語版を結成。

独立と国家連合[編集]

1963年、ジャワラが首相になり自治権を獲得。

1965年2月には英国女王を元首とする英連邦王国として独立した。

1970年には共和制に移行しジャワラが大統領に就任したが、英連邦の一員としては留まった。

1981年7月29日、ジャワラが外遊中に社会主義革命労働党と国軍内左派グループを中心とした国家革命評議会によるクーデターが起こるが、ジャワラは直ちに隣国セネガルに介入を要請、これを鎮圧した。

1982年2月1日にはこの事件を受けてセネガルとの国家連合を形成、セネガンビア国家連合となった。

1987年3月、ジャワラ大統領が2選。

1989年9月、両国の関係悪化に伴いこれを解消。

1992年4月、ジャワラ大統領が3選。

軍政から民政移管へ[編集]

1994年7月、当時29歳のヤヒヤ・ジャメ陸軍中尉による無血クーデターでジャワラ大統領はセネガルへ亡命、長期政権に終止符が打たれた。その後はジャメを国家元首とする軍政が敷かれた。

1994年11月、准将校によるクーデター未遂。

1995年1月、サバリー副大統領、サデイブー内相によるクーデター未遂。

1996年8月、1996年8月 改正憲法国民投票。

1996年9月に行われた大統領選挙でジャメが当選。

1997年1月の国民議会選挙を経て民政移管を果たした。

2001年10月、大統領選挙でジャメ大統領2選。

2002年1月、国民議会選挙。

2006年3月、チャン軍参謀総長によるクーデター未遂。

2006年9月、大統領選挙、ジャメ大統領3選。

2007年1月、国民議会選挙。

2011年11月、大統領選挙、ジャメ大統領4選。

2012年3月、国民議会選挙。

2013年10月2日、ガンビアは同日付けで英連邦から離脱したことを発表した。

2014年12月30日、武装した軍離反者や大統領警護隊のメンバーらによるクーデター未遂が発生したが、首謀者らは殺害された。

2016年12月、大統領選挙、アダマ・バロウが現職のジャメを退け当選。

2016年12月の大統領選挙でアダマ・バロウが新大統領に選出されたが、前職のジャメは当初は退任を受け入れたものの後に退任を拒否し首都に軍隊を配備した。そのため、アダマ・バロウは2017年1月19日、隣国セネガルの首都ダカールにあるガンビア大使館で宣誓式を行った[10]。15カ国で構成される西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)は、ジャメに対し20日正午までに権限移譲するよう要求し、セネガルナイジェリアガーナが結成した連合は2017年1月19日にガンビアへの軍事介入を表明。これに対し21日にジャメは退陣を宣言し、赤道ギニアへと亡命した[11][12]

政治[編集]

ガンビアは共和制大統領制を採用する立憲国家である。現行憲法1970年4月24日に制定され、幾度かの改正を経ている。国家元首である大統領は国民による直接選挙で選出され、任期は5年。再選制限はない。大統領の強大な権力は憲法により保障されている。副大統領職あり。

行政府内閣だが、実際の行政権は大統領が行使し、内閣はそれを補佐する執行機関に過ぎない。首相職もなく、全閣僚は大統領が任免する。したがって内閣の権限は極めて小さく、実質的には大統領の顧問団として機能している。立法府一院制の国民議会である。全53議席のうち、48議席は国民の直接選挙によって選ばれ、残りは5議席は大統領が任命する。任期は5年。最高司法機関は最高裁判所である。主要な政党としては、1996年にヤヒヤ・ジャメが自らの大統領選出馬と民政移管に備えて結成した愛国再建同盟があり、国民議会で絶対安定多数を占めて強力な支配体制を敷いている。最大野党は統一民主党 (UDP)英語版。ダウダ・ジャワラの長期政権を支えた人民進歩党 (PPP)英語版は、1994年のクーデターでジャワラが亡命するとその後の国政参加を禁止されて衰退、2005年に民主主義と発展のための国内連合英語版に合流した。

国際関係[編集]

隣国セネガルとの関係は深く、1982年から1989年までセネガンビア国家連合を形成していたが、方向性の不一致により解散した。しかし現在は再び良好な関係にある。ガンビアはパレスチナを国家承認しており、イスラエルの存在を認めていない。その背景には、ガンビア国民のほとんどがイスラム教徒であることから同じイスラム教徒のパレスチナ人に非常に同情的なことが挙げられる。またヤヒヤ・ジャメ大統領は厳格なイスラム主義者であるとともに、徹底した反米・反イスラエル主義者でもあり、このため同じ反米路線を採るイランシリア、そしてベネズエラといった国との関係を強化している。

旧イギリス植民地であったことからイギリス連邦に独立直後から加盟していたが、2013年に当時のジャメ大統領は連邦を「新植民地主義の組織」と批判し、離脱を表明した[13]。その後、2017年2月14日にバロウ大統領は連邦への復帰手続きを開始している[4]

ガンビアは長年にわたって中華民国台湾)を承認する数少ない国の一つだったが、中華人民共和国との貿易額が増大するにつれてその外交関係はぎくしゃくしたものとなり、ついに2013年11月15日には台湾との国交を「国家の戦略的利益のため」断絶したと発表した[14]

近隣諸国との友好関係の維持に努めるとともに、イスラム諸国圏との緊密なつながりを構築している。1994年の軍事クーデター発生以降、西側諸国より新規援助停止を含む厳しい措置をとられてきたが、1996年以降民主化プロセスの進展に伴い1990年代後半に援助は再開された。2005年後半には隣国セネガルとの関係が一時悪化した。両国間には依然貿易面等において解決すべき課題があるものの、全体として関係は改善に向かいつつある。2006年7月にはアフリカ連合(AU)総会を首都バンジュールで開催するなど、アフリカ内でのプレゼンス強化を図るとともに、国際通貨基金(IMF)からの支援や諸外国からの援助の受入に努めている。また、国連PKOにも多数の要員を派遣している。

日本との関係[編集]

  • 在留日本人数 - 6人(2013年10月現在)[7]
  • 在日ガンビア人数 - 36人(2014年、法務省)[7]

地方行政区分[編集]

ガンビアの行政区分

ガンビアは5つの地方と1つの市に分かれる。

  1. バンジュールBanjul
  2. 上流地方Upper River
  3. 中流地方Central River
  4. 下流地方Lower River
  5. 北岸地方North Bank
  6. 西海岸地方West Coast

主要都市[編集]

主要な都市には首都バンジュールの他、セレクンダがある。

地理[編集]

ガンビアの地図
ガンビアの衛星写真

ガンビアはアフリカ大陸最小の国土面積を持つ国である。ガンビア川の両側に国土を持ち、その最大幅は48キロメートルに過ぎない。国土の大部分がサバンナ地帯であり、国土のうち1300平方キロメートルをガンビア川が占める。

ガンビアはかつてイギリス領であり、イギリスとフランスが1889年にガンビア川の両岸約200マイルをイギリス領とすることで合意した。独立後の国土もイギリス領時代の国境線を継承している。

経済[編集]

農業が主で、落花生が主要生産品。英語が通じることもあって、ヨーロッパ諸国から気軽に行ける観光地として近年観光業が盛んになりつつある。

交通[編集]

バンジュール港はアフリカ西海岸で有数の天然港である。そこからは、3000トン級の船舶がガンビア川を遡行して内陸のジャンジャンブレアまで航行が可能。またバンジュールにあるユンダン国際空港は、全長3600メートル、幅員45メートルの滑走路を持つが、スペースシャトルの非常時代替着陸地としてNASAの資金及び技術援助のもと1989年に改修されたもの。

国民[編集]

ガンビアの女性とその子供

民族[編集]

2003年の国勢調査によれば、ガンビア国民の内訳は、マンディンカ人が42%、フラ人が18%、ウォロフ人が16%、ジョラ人が10%、セラフリ人が2%、その他のアフリカ系民族が4%、非アフリカ人が1%となっている[2]アクと呼ばれる解放奴隷クレオール人も少数だが存在する。

アレックス・ヘイリー著のアメリカ黒人奴隷を描いた小説、及びそれをもとにしたテレビドラマ『ルーツ』に登場するクンタ・キンテ英語版は、このガンビア出身のマンディンカ人をモデルとしている。

言語[編集]

公用語英語だが、マンディンカ語フラニ語ウォロフ語などが日常的に使われている。

宗教[編集]

ムスリムが90%、キリスト教が8%、アフリカ在来宗教が2%となっている[2]

教育[編集]

教育制度はイギリスの制度を基にしている。2010年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は50%(男性:60% 女性:40.4%)である[2]。2011年の教育支出はGDPの3.9%だった[2]

高等教育機関として、バンジュール郊外のカニフィングにガンビア大学(1999年)がある。

保健[編集]

エイズの感染率は1.82%(2014年[2])で、2007年に当時のヤヒヤ・ジャメ大統領が夢にて先祖が告げたとされるエイズ治療薬(実際にはハーブ香辛料からなる薬湯)を制作。エイズ患者に抗ウイルス薬治療を止め自身が作った「治療薬」を服用するように命令し[15][16]、医療専門家らの間では「患者たちに誤った希望を抱かせる」と非難されたことがある[17]

文化[編集]

世界遺産[編集]

ガンビア国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された文化遺産が2件登録されている。

祝祭日[編集]

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
1月13日 預言者生誕祭 イスラム暦第3月の12日
2月18日 独立記念日 Independence Day
4月18日(2014年) 聖金曜日
4月20日(2014年) 復活祭
5月1日 メーデー
7月22日 共和国の日
7月28〜30日(2014年) イード・アル=フィトル
ラマダーン明けの祝日)
Eid-Al-Fitr イスラム暦第10月の1日~3日
8月15日 聖母被昇天
10月4日(2014年) タバスキ(犠牲祭) Tobaski イスラム暦第12月の10日
12月25日 クリスマス

通信とメディア[編集]

国営のGRTSはガンビアで唯一の放送局である。

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ the Islamic Republic of the Gambia”. The United Nations Terminology Database. 2016年6月13日閲覧。
  2. ^ a b c d e f CIA World Factbook "Gambia"2013年7月3日閲覧。
  3. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年7月18日閲覧([1]
  4. ^ a b “The Gambia: UK 'very pleased' about Commonwealth return”. BBC. http://www.bbc.com/news/world-africa-38968336 
  5. ^ “ガンビア大統領、「公用語から英語外す」と英語で発表”. AFP通信. (2013年3月15日). http://www.afpbb.com/articles/-/3010384 2016年6月13日閲覧。 
  6. ^ Why do we put 'The' in front of Gambia? http://www.bbc.com/news/world-africa-38675804
  7. ^ a b c 外務省 ガンビア基礎データ
  8. ^ Adegun, Aanu (2017年1月29日). “Adama Barrow removes 'Islamic' title from Gambia's name” (en-US). Naij. https://www.naij.com/1085177-adama-barrow-removes-islamic-gambias-name.html 2017年2月25日閲覧。 
  9. ^ The Gambia: President Adama Barrow pledges reforms” (2017年1月28日). 2017年2月25日閲覧。
  10. ^ ガンビア大統領、任期切れも退任拒否 新大統領は隣国で宣誓(BBC)
  11. ^ “Gambia's Yahya Jammeh confirms he will step down”. Al Jazeera. http://www.aljazeera.com/news/2017/01/gambia-yahya-jammeh-agrees-step-170120184330091.html 2017年1月20日閲覧。 
  12. ^ “Gambia's Jammeh, facing military pressure, says steps down”. Reuters. (2017年1月21日). http://www.reuters.com/article/us-gambia-politics-idUSKBN15505N?il=0 2017年1月21日閲覧。 
  13. ^ “西アフリカのガンビア、英連邦から脱退”. 日本経済新聞. (2013年10月3日). http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0301X_T01C13A0FF2000/ 2017年2月25日閲覧。 
  14. ^ “台湾にガンビアが断交通告 「国家の戦略的利益のため」”. 産経新聞. (2013年11月15日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/131115/chn13111511340004-n1.htm 2013年11月15日閲覧。 
  15. ^ Gambian president's claim of AIDS cure causes alarm, USA Today, 20 February 2007.
  16. ^ Dibba, L. M., Jammeh starts curing HIV/AIDS patients today, The Daily Observer (Banjul), 18 January 2007.
  17. ^ “ガンビアで公務員が週休3日に、「祈りの時間増やす」”. ロイター. (2014年1月21日). http://jp.reuters.com/article/idJPTYE90K01S20130121 2017年2月25日閲覧。 

外部リンク・参考文献[編集]