ジャレッド・フェルナンデス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
ジャレッド・フェルナンデス
Jared Fernandez
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ユタ州ソルトレイクシティ
生年月日 (1972-02-02) 1972年2月2日(45歳)
身長
体重
185 cm
102 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 アマチュアFA
初出場 MLB / 2001年9月19日
NPB / 2007年4月8日
最終出場 MLB / 2006年5月11日
NPB / 2007年9月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジャレッド・ウェイド・フェルナンデスJared Wade Fernandez , 1972年2月2日 - )は、アメリカ合衆国ユタ州出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

1994年ボストン・レッドソックスに入団。

2001年シンシナティ・レッズへ移籍すると、同年9月19日にメジャーデビューを果たす。

2003年2004年ヒューストン・アストロズ2006年ミルウォーキー・ブルワーズでメジャー登板している。

2007年広島東洋カープに入団。日本球界では珍しい本格的ナックルボーラーで、投球の大半(75%以上ともいわれる)においてナックルボールを使用する「ナックルの伝道師」。マーティ・ブラウン監督は主に先発投手としての起用を考えていたが、ナックルボールは肩の疲労が少ない球種であるため、中1日でのロングリリーフも可能で、投手陣が疲弊しやすいカープにとっては貴重な存在であった。

2007年4月8日東京ヤクルトスワローズ戦で来日初登板初先発を果たすが、5回途中10失点でKO。デビュー戦は乱調に終わった。しかし、4月28日阪神タイガース戦ではKOされた長谷川昌幸の後を投げ4回無失点、日本球界での初勝利を挙げた。5月4日の阪神戦でも先発し2勝目をあげたが、この試合で本塁ベースカバーに入ろうとした際にふくらはぎを負傷した。

復帰戦は、5月26日セ・パ交流戦での対福岡ソフトバンクホークス戦。3勝目はならなかったが、下記の通り来日前から憧れていた王貞治監督の前で好投した。その後年間を通じ一軍で投げたものの、防御率6点台の成績に終わり、この年限りで退団となった。

プレースタイル[編集]

ナックルボールは100km/h前後しか球速が出ない上、ストレートの球速も110km/h台後半とかなり遅い。来日した際には各球団から盗塁しやすいと分析され、2007年のオープン戦東北楽天ゴールデンイーグルス相手に1試合6盗塁されたこともある。しかし本人は「牽制は得意だよ! 去年(2006年)は17回牽制でアウトにした」と述べており、実際に初戦の東京ヤクルトスワローズ戦では青木宣親を、2度目の登板となった横浜ベイスターズ戦では仁志敏久をそれぞれ牽制で刺している。

ナックルは不規則な変化をするため、捕手も捕球が難しく、メジャーとマイナーでの通算暴投は122もある。しかし2007年は30試合、92 1/3回を投げて暴投は0だった。

ナックルボールはボールの指へのかかり具合が非常に重要であるため、気温の低い日や雨の日、それに風は苦手な様である。2007年6月14日千葉ロッテマリーンズ戦では千葉マリンスタジアム特有の強風に翻弄され6失点を献上し1イニングで降板した。福岡ドームは無風多湿で投げやすいらしく、復帰した5月26日のソフトバンク戦もヤフードームでの試合だった。本拠地の広島市民球場横浜スタジアムで安定し、風の強いはずの阪神甲子園球場のマウンドでも好成績をマークしている一方、残りのセリーグ3本拠地ではいずれも防御率二桁と打ち込まれている。

人物[編集]

  • 1996年タイロン・ウッズと、1998年アンディ・シーツとチームメイトだった。
  • レッドソックス時代には大家友和とチームメイトで、友人だった。
  • マイナー時代のオフに、トイザらスで自転車組み立てのアルバイトをしていたことがある。
  • 東国原英夫宮崎県知事が2007年の春季キャンプを訪れた際、アメリカでも「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」が放送されていたため、同知事を知っていたことを明かした。
  • 非常に研究熱心で、自身で分析したことを「マル秘ノート」なる物に書き記している。
  • 王貞治を尊敬しているらしく、2007年の交流戦時に王の元を訪れ、王の自伝にサインを貰ってご機嫌だったという。
  • 来日前、日本で会いたいと思っていた人は、上記の王貞治監督、そのまんま東(東国原宮崎県知事)、そして千葉真一とのこと。前者二人には会っているが、千葉と会えたかは不明。
  • 故障による二軍落ちの際、酷く落ち込んでいたらしいのだが、二軍の環境(瀬戸内海沿いの大野練習場、二軍専用の由宇球場)に感動して一気に機嫌がよくなったそうである。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2001 CIN 5 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 57 12.1 13 1 6 0 2 5 1 0 9 6 4.38 1.54
2002 14 8 0 0 0 1 3 0 0 .250 231 50.2 59 5 24 1 3 36 3 0 31 25 4.44 1.64
2003 HOU 12 6 0 0 0 3 3 0 0 .500 161 38.1 37 2 12 2 2 19 3 0 17 17 3.99 1.28
2004 2 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 14 1.0 6 0 5 0 0 0 0 0 6 6 54.00 11.00
2006 MIL 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 31 6.1 11 2 1 0 0 1 0 0 7 7 9.95 1.89
2007 広島 30 11 0 0 0 3 8 0 2 .273 410 92.1 117 16 34 1 1 33 0 2 68 62 6.04 1.64
MLB:5年 37 17 0 0 0 4 7 0 0 .364 494 108.2 126 10 48 3 7 61 7 0 70 61 5.05 1.60
NPB:1年 30 11 0 0 0 3 8 0 2 .273 410 92.1 117 16 34 1 1 33 0 2 68 62 6.04 1.64

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 54 (2001年)
  • 53 (2002年)
  • 56 (2003年)
  • 41 (2003年 - 2004年)
  • 50 (2006年)
  • 48 (2007年)

関連項目[編集]