ジューク・ボックス

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ジューク・ボックスは、過去にジャニーズ事務所に所属していた1970年代のグループである。

概要[編集]

  • ジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川は、ジューク・ボックスを作るに当たり、名前のイニシャルがAからZまで全て揃った26人のメンバーを集め、ミュージカルを上演できるようなグループを作りたいという構想を練っていた。しかし実際にはアルファベット全26文字に見合う名前の人間を揃える事は難しく、当時のジャニーズJr.の人気投票上位5名で1969年末に結成。その後、日本テレビ『プラチナゴールデンショー』にレギュラー出演し、フォーリーブスのバックを務める。
  • メンバーを入れ替えた後、4名で1970年10月10日に『さよならの祈り』でキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)の第一号アーティストとしてレコードデビューを飾った。
  • その後も更にメンバーチェンジや脱退者が有り、最終的には小谷と風間の2名だけとなった。
  • シングルレコードを4枚、アルバムを2枚、クリスマスEPを1枚リリース。
  • 1973年に解散。

メンバー[編集]

小谷 典由(こたに つねよし)
愛称はピピ。愛称はアイドル雑誌で、一般募集で決まる。結成当時からのメンバー。東京都練馬区出身。
途中で「小谷 純」に改名。後楽園ゆうえんちフォーリーブスのショーを観に行った際、ジャニー喜多川にスカウトされた。


風間 忠芳(かざま ただよし)
愛称はターちゃん。岡のりおと交替で、グループ最後期に加入。レコード作品への参加は無かったが、ミュージカル「僕がうたうとき!」や、日劇「ウエスタン・カーニバル」などに出演した。グループ加入前には「森下登喜彦 + HIS FRIENDS」のメンバーとして、1972年のアルバム『TOCCATA(トッカータ)』にボーカリストで参加していた事がある。芸能界引退後は、新所沢にて居酒屋「風車」を経営。

脱退メンバー[編集]

円谷 弘之(つぶらや ひろゆき、1952年5月11日 - )
本名:本田貴之。愛称:ヒロ、ヒロくん。結成当時のメンバー。神奈川県横須賀市出身。私立逗子開成高校出身。身長172cm、体重48kg。円谷プロダクション円谷英二の親族でもある。 カトリック教徒。
14歳で「劇団ひまわり」に入団。その後ジャニーズ事務所に入り、18歳で「ジューク・ボックス」としてデビュー。
1972年5月にグループを脱退し事務所を辞めてフリーになり、同年11月に『さよならの瞬間 / 君への誓い』という曲でソロデビュー。続いて『純愛』、『季節はずれの海で』をリリースした。 また、同年に放送された円谷プロ製作の特撮番組『緊急指令10-4・10-10(テンフォーテンテン)』(テレビ朝日)にも出演。
1974年4月には坂口良子と出演した同名ドラマの主題歌『青い山脈』をデュエットでリリース。
その後、本名の「本田 貴之」に改名。六本木での飲食店の経営を経て、神奈川県大和市で「本田貴之カラオケ教室」という歌謡教室を経営。時折ライブも行なっている。2008年6月13日には、横浜市港南区上大岡の「港南区民文化センター・ひまわりの郷」にて、「湘南トロンボーン協会」と共にコンサートを開催。 2008年8月31日にも、友人である歌手のまつざき幸介と共に横浜市港南区日野のスナック「小枝」にて、飲み放題&食事付き『本田貴之&まつざき幸介サマーライブ』を昼と夜の2回公演で開催した。
行田 和彦(ぎょうだ かずひこ)
結成メンバーだったが、1970年夏前に最初に脱退。その後1972年8月に行われたミュージカル『僕がうたうとき!』に、ジュークの第六期メンバーと一緒に出演している。引退後は池袋の西武デパートに就職した。
近藤 昌(こんどう まさる、1956年2月14日 - )
愛称:マチャル。結成当時のメンバー。1970年夏に脱退。
東京都出身、A型。子役として芸能界入りし、13歳の時にジャニーズ事務所に入所。 1970年の映画『橋のない川・第二部』にも出演した。
事務所を退所後、ハワイ大学に留学。帰国後、後にセレクトショップ「SHIPS」となる「ミウラ&サンズ」の立ち上げに参画。1985年に「TOOL'S(ツゥールズ)」を設立。雑誌『POPEYE』でスタイリストとして活躍する傍ら、ディスコからクラブへと変化を遂げるきっかけとなる「TOOL'S BAR」を西麻布にオープンした。ギャルブランド「ミジェーン」、「アルバローザ」等の立ち上げ当初のプロデュースや、松任谷由実木村拓哉のスタイリングを通して「クロムハーツ」を世に送り出した他、CAFE LOTUSでの「TOOL'S Night」、HOTEL CLASKAのイベントプロデュースなど、ファッション業界で活躍。他にも「CIBONE(シボネ)」や「ZOZOTOWN」などのディレクター、評論家、コメンテーター、俳優、バンド「FiANCHi(フィアンキ)」のボーカル&スタイリストなど、多彩な活動を続けている。2007年7月9日より「ZOZOTOWN」にてブログを開始。姪は歌手のmocca。
やなせ かおる
本名:柳瀬薫、愛称:カオル。元:ハイソサエティー堀越高等学校出身。行田、近藤との入れ替わりで、レコードデビュー時から参加したが、一年後の1971年初頭に岡典雄と交替で脱退。
岡 典雄(おか のりお)
本名:高橋典雄、愛称:ノンノ。福島県福島市生まれの東京都大田区育ち。福島市立水保中学校(後の吾妻中学校)卒業。実家は建築業。ザ・カーナビーツの岡忠夫の弟。中学卒業後に兄を頼って上京。兄の仕事に付いて日比谷公会堂へ行った際にジャニー喜多川にスカウトされ、フォーリーブスの付き人 兼 ジャニーズJr.となる。ジューク結成前からメンバー候補ではあったものの、歌も踊りも苦手だった為、最初はジュークのマネージャーとしてスタートする。1971年初頭に、脱退したやなせかおると入れ替わる形でメンバーとして加入。途中で「岡 のりお」に改名。後に風間忠芳と交替で脱退。甥(兄・忠夫の息子)はJUNONスーパーボーイコンテスト出身の俳優・高橋優太
吉本 暁弘(よしもと あきひろ)
東京都立豊多摩高等学校出身。愛称:アッキ。結成当時からのメンバー。 途中で「吉本 あき弘」に改名。解散後、1980年NHK総合大河ドラマ獅子の時代』に壮士役で出演。また、「チコとヒューマンカンパニー」に参加し、1980年に『片仮名ギンザ c/w SAKABAもよう』(共にテレビドラマ『虹子の冒険』挿入歌)、1981年には『ウィスキーは嫌い c/w 紫の煙り』をリリースした。その後は、バーニングプロダクション系の芸能事務所「ヒューマンカンパニー」(現「ぱれっと」)の社長になり、国仲涼子などをマネジメント。脱税が発覚してニュースで報じられた事もある。

メンバーの変遷[編集]

メンバーの脱退・加入が非常に激しく、メンバー構成は6期に分かれる。

  • 第一期メンバー(1969年末~)
    • 円谷弘之、小谷典由、吉本暁弘、近藤昌、行田和彦
  • 第二期メンバー(1970年夏)
    • 円谷弘之、小谷典由、吉本暁弘、近藤昌
  • 第三期メンバー(レコードデビュー時)
    • 円谷、小谷純(旧:小谷典由)、吉本、やなせかおる
  • 第四期メンバー(1971年初頭~)
    • 円谷、小谷、吉本あき弘(旧:吉本暁弘)、岡典雄
  • 第五期メンバー(1972年~)
    • 円谷、小谷、吉本、風間忠芳
  • 第六期メンバー(1972年5月~)
    • 小谷、吉本、風間
  • 第七期メンバー
    • 小谷、風間

主な出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

おれは男だ!
1971年9月26日、日本テレビ
第23話「ナツコ・オン・ステージ!」にゲスト出演。 このドラマの中でジューク・ボックスはバンドスタイルで登場し、楽器を持って、自身の曲でもある『君にいかれて』『なぜに君は生きる』『若者の四重奏』を演奏するシーンもあったが、レコード音源と思われる。また、この回のみBGMとして、アルバム「若者の四重奏」から多々使用されている。ラストシーンには、『ほほの涙を虹にして』がバックに流れてエンディングを飾っている。ちなみに、このドラマの第1話と第2話には、事務所の先輩のフォーリーブスも同じくゲスト出演している。

バラエティ[編集]

ラジオ[編集]

ミュージカル[編集]

  • 少年たちシリーズ~フォーリーブス・ミュージカル「太陽からの少年」 (1971年4月)
  • 少年たちシリーズ~フォーリーブス・ライブ・ミュージカル「生きていくのは僕たちだ!」
    1972年1月、帝国劇場芸術祭参加作品)
  • ミュージカル 「僕がうたうとき!」 (1972年8月)

日本劇場でのステージ[編集]

  • 第42回ウエスタン・カーニバル (1970年8月25日 - 9月1日)
  • 第43回日劇新春ウエスタン・カーニバル (1971年1月15日 - 22日)
  • 第44回日劇ウエスタン・カーニバル~みんなで踊ろう! (1971年4月23日 - 29日)
  • 第45回ウエスタン・カーニバル (1971年8月27日 - 9月2日)
  • 第46回ウエスタン・カーニバル (1972年1月15日 - 22日)
  • 第49回ウエスタン・カーニバル 「フォーリーブスショー」 (1973年5月4日、小井戸秀宅と共に北公次が振付を担当)

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  • さよならの祈り c/w 海に沈めて  作詞:山上路夫 / 作・編曲:鈴木邦彦(1970年10月10日)
  • 愛で胸はいっぱい c/w 朝に夕べに
  • 君にいかれて c/w なぜに君は生きる (1971年6月)[1]
  • 若者の四重奏 c/w ほほの涙を虹にして (1971年7月)
  • メリー・クリスマス(1971年11月、6曲入りEP)

アルバム[編集]

  • はじめまして ジューク・ボックスです(1970年)
  • 若者の四重奏(1971年)
  • フォーリーブス・ライブ・ミュージカル 生きていくのは僕たちだ!(フォーリーブスとの共演盤)

脚注[編集]

  1. ^ 『なぜに君は生きる』は、雑誌「週刊セブンティーン」にてファンから詞を一般公募。その詞を元に、山上路夫が補作詞した。

関連項目[編集]