ストリーク

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ストリーク
メンバー 山田大介
吉本峰之
結成年 1995年
解散年 2012年
事務所 吉本興業
活動時期 1995年 - 2012年
同期 浅越ゴエ品川庄司アップダウン
公式サイト http://streak.jp/
受賞歴
NHK上方漫才コンテスト 優秀賞(1998年)
NHK新人演芸大賞 演芸部門大賞(2005年)
オールザッツ漫才 優勝(2005年)
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ストリークは、日本のお笑いコンビ。1995年7月に結成、2012年4月25日に解散[1]。山田と吉本のいずれも大阪NSC15期生。

メンバー[編集]

山田大介[編集]

(やまだ だいすけ、1976年8月31日 - )ボケ担当。立ち位置は向かって左。

吉本峰之[編集]

(よしもと みねゆき、1977年2月19日 - )ツッコミ担当。立ち位置は向かって右。

  • 滋賀県栗東市出身。滋賀県立東大津高等学校卒業。大阪NSC15期生。血液型はB型身長175cm。ネタでは背広姿だった。
  • よゐこ有野晋哉に顔が瓜二つである。有野の再現VTRに出演した際、よゐこの二人から似てると絶賛された。また、有吉弘行にもやや似ている。
  • ツッコミだが、主にいじられポジションだった。舞台でも私生活でも後輩に遠慮なくいじられ、「面白くない」「アホ」 などと散々なことを言われていた。
  • まいどー』の掛け声を持ちネタとして使用。吉本自身が『まいど』という呼び名で呼ばれることもしばしばあった。『まいど』を返してもらえるとうれしいらしいが、予想以上に返しが多いとテンパってネタがよく飛ぶらしい。
  • 競馬予想と野球の試合の観賞が大好き。しかし、10年以上甲子園に通いながら、虎の像や甲子園の記念碑の存在を知らなかったというおとぼけ阪神ファンである。しかも自身は野球がまったくできず、キャッチボールさえままならない。野球好きにもかかわらず、観戦中によく球場で寝る。
  • 若手の頃、次長課長河本準一レギュラー松本康太との3人で大阪のアパートに同居していた。また、諸岡立身もかつて同居していた。最初は吉本と河本だけだったが、河本が当時京都の実家から通っている松本に「芸人やったら大阪に住まなあかん」と言って吉本が家に帰ってきたら既に部屋が仕切られていて松本がいた。この部屋はバラエティ番組のロケにもよく使われていた。過去、河本のロケの時は吉本は巻き込まれるだけ巻き込まれ、OAでは映っていないことがよくあり、しかも後片付けは吉本が行っていた。
  • フットボールアワー後藤輝基におもちゃにされていた。ドラゴンボールを貸してあげたら、全てのクリリンが肌色に塗り絵されていたり、里帰りから帰ってきたら、勝手にガンダムのプラモデルを完成させられていたりしていた。
  • 同期のチャイルドマシーンからもよくいじられていた。吉本が山本吉貴の家に行くと、キッチンマットで寝かされたり、Tシャツを破かれたりしていた。チャイマの東京進出後、いじられ役が吉本でなくトータルテンボス藤田になったため、嫉妬して藤田にブチギレた。
  • 柄の悪い男達に絡まれ、次長課長井上が殴られそうになった時、一緒に居た吉本が「男前の井上さんが殴られたらあかん」と思い、止めに入ったところ吉本が殴られ、鼻が「ネ」っと鳴り、軽く鼻に触れた程度だったのに鼻血をダーダー出したため井上も殴った兄ちゃん達も大爆笑だった。それを聞いた次長課長河本は他の場所も殴ったらいろんな音がなると思い、フットボールアワー後藤と吉本の至る所を殴り、最終的には後藤に首を踏まれたときに「にゅん」と鳴った。
  • 相方の山田に携帯電話を隠されたりなどのいたずらを盛んにされていた。自転車のサドルを盗まれたこともある。その時吉本はサドルが抜けた穴をずっと見つめ続けていたらしい。
  • ダイアン津田に「吉本さんて、フォルム マヨネーズに似てますよね。」と言われた。
  • ロザン菅に財布を鍋の中に入れられたことがある。吉本は鍋が出来上がるまでそのことに気がつかなかった。
  • 後輩のアジアン隅田が楽屋で吉本に「吉本さん、すみませんけど、たこ焼き買ってきてくれませんか?」と冗談で頼んだところ、怒るかと思いきや普通に「いいよ」と言って買いに行き、帰ってきてみると8個入りのはずが7個しか入っておらず、吉本は「俺は先輩やねんぞ!」と口をもごもごさせながら言っていた。
  • 赤だしを飲みたいがために寿司屋に入り、所持金2000円ながらもイクラやタイなど高いネタを頼みまくった。
  • ダイナマイト関西2006の予選で、ネゴシックスと戦った際、2人とも全てのポイント移動が自殺点だったので、解説者の解説陣から「逆伝説試合ですよ」「馬鹿2人が残された放課後みたい」「紙の無駄遣いにしか見えない」などと言われた。唯一、入場テーマ(まいど連呼の曲)だけは解説陣から「100点ですね」「よく探してきましたね」と褒められた。また、対戦前のコメントで麒麟川島や天津向が「楽屋は結構ぴりぴりしてるんですけど、なんか一人だけ『みーんなスベれまいどー!』って言ってたんで…。川島談)」「さっき、『みんなスベれまいどー!』って言ってた人の話なんですけどね。社員さんに『僕、自分の仕事やり遂げました』って言ってました(川島談)「僕もその『まいど!』って言ってた人の話なんですけど、楽屋で試合見てて『あーこれ(この問題)やったら俺も答えれたー』言うてました(向談)」と試合後の吉本の様子を話していた。
  • 彼女とお別れ会をしたとき、思い出ベスト3を言おうということになって、吉本は彼女を泣かせようと思って1位に「全部(が思い出)」と言ったとたんに、吉本本人が泣いてしまった。
  • 天津向が先輩にお小遣いをあげているというボケをやったとき、他の先輩達は後で返したのに、吉本だけは返さず「やった! 向のヤツ忘れてるー! まいどありがとうございます!!」と喜んでいたことがある。
  • ファミリーレストラン下林のパンを勝手に食べて「まいど〜」といいながら去って行ったことがある。
  • 酔っていて車に轢かれそうになった時に、『停止線が消えかかってんのが悪いねん!』と怒って、コンビニで修正ペン買って来て、そのまま地面の停止線を塗り始めたことがある。
  • 西城秀樹の字を「東条英機」風の「西条英機」と思い込んでいた。
  • 新しく買った携帯電話をはしゃぎすぎて水に落としたことがある。
  • 濁った温泉に入って、吉本は硫黄だと言い張っていたがただお湯が汚れていただけだった。
  • フロントストーリー光岡がNSC時代に「山田吉本というコンビが面白い」と噂を聞いて探しに行き、その場にいた暗そうな男に「山田吉本ってコンビ誰?」と聞いたら、「オレや!」とキレてきてその男が吉本だと分かった。
  • 地球が23.4°傾いていることに腹を立てている。
  • ピン芸人の後藤秀樹に「お前ミスチルファンちゃうやろ!」と言われて、なぜか「僕ミスチルファン命ですよ!」と言い返した。
  • 2012年4月25日に、ストリーク解散に伴い、芸能界を引退した。現在は不動産の仕事をしている。

概要[編集]

  • NSC時代はチャイルドマシーンとともにできるコンビ扱いだった。『ストリークはかなり面白い。ポストダウンタウン』と言われていた。
  • デビュー当時はシュールなコントを展開。その後普通の漫才始め、さらに『二人ともユニホームを着ているのに普通のネタ』という時期もあった。ユウキロックの助言により、2004年頃吉本がスーツ姿になり、ネタも野球になった。とりわけ阪神タイガースに関するネタを得意にしていた。山田が野球に関するボケを繰り出し、吉本が解説を交えて丁寧にツッコミを入れるのが基本的なスタイルである。
  • 山田のユニフォームはZETT製で、阪神タイガース風、シアトル・マリナーズ風、大阪近鉄バファローズ風、WBC日本代表風などさまざまなバージョンがあり、胸には「STREAK」の文字が入っている。2009年にはZETTのユニフォームパンフレットのキャラクターに起用された[3]
  • 漫才やMCの掴みとして、吉本が左拳を突き上げ「まいどー!」と言うのがお決まりになっている。元ネタは元日本ハムファイターズ岩本勉から。なお、とっとこハム太郎のまいどくん説もある。大阪では観客から喜びの声が上がる程の掴みだが、東京の舞台や番組では知らない客がほとんどで伝わらないケースが多い。
  • 漫才中では山田のみが野球狂で、吉本は野球が好きではない設定になっている。しかし、吉本も野球の知識は豊富である。
  • 出囃子に使われていた曲は千秋の「Tigers Gets The Glory」。

エピソード[編集]

  • 本人達は「余ったもの同士でコンビを組んだ」と言っている。コンビ名は、メジャーリーグでよく使われる「ビクトリー・ストリーク(連勝)」などにちなんで命名されている。そのコンビ名に改める前に、3年ほど「山田吉本」という名前で活動していた。その頃は漫才よりコントを中心に行っていた。
  • 2001年から2005年のM-1グランプリにて5年連続準決勝進出を決めたものの、一度も決勝に進出できないままコンビ結成10周年を迎えてしまった。なお2002年と2003年の敗者復活戦では、2年連続ストリークがトリだった。
  • M-1グランプリの優勝者予想で、アンタッチャブルが3位にストリークを予想していたことがある。「去年、優勝出来たのはストリークさんのお陰」「めちゃくちゃ笑わせて貰って、すごいリラックスできた」などとべた褒めされた。
  • 吉本新喜劇を見に来ていたイチロー選手から「ストリークさんに会いたい」と言われ、NGKの楽屋で初対面した。その時、川崎宗則選手も一緒に居た。吉本がイチローに対して「むっちゃ詳しいな!」とタメ口でツッコミを入れてしまう程、イチローは山田がネタ中に着ているユニホームの種類を把握していた。なおその後、山田がネタ中に被っている帽子の裏には、その時に書いてもらった、イチローと川崎のサインが入っている。

略歴[編集]

  • 心斎橋筋2丁目劇場で新人ながら「ワチャB」に昇格。「将来のダウンタウン」と期待される。しかし、2丁目劇場閉鎖後のbaseよしもとでは、すでに芸歴を積み重ねていたにも拘らず、超若手集団「ガブンチョ」で長い下積み生活を続ける。その間後輩にどんどんと追い抜かれていく。うめだ花月の復活にあわせてトップ組がbaseよしもとを卒業することが決まった際も、M-1グランプリ旋風の真っ只中にいた麒麟、笑い飯千鳥らにbaseよしもとのトップの座を譲ることになる。
  • 2007年3月21日、ストリークソロライブ「baseよしもとは永遠に不滅です」を最後にbaseよしもとを卒業、活動拠点をうめだ花月に移す。
  • 2012年4月25日に「よしもと祇園花月」で開かれた劇場公演を最後に、コンビを解散。吉本が芸能界を引退することになった。一方の山田は、解散後も、ピン芸人・山田大介として芸能活動を継続。同年9月9日放送の『MBSタイガースライブ番外編』へ出演した際には、芸名を『山田スタジアム』に改める事を公表した。なお、コンビの解散に至った理由は、前年末から2人の間で仕事への感覚にズレが生じたことにあったとされる[1]

出演[編集]

テレビ[編集]

コンビで出演[編集]

吉本峰之のみ出演[編集]

ラジオ[編集]

コンビで出演[編集]

吉本峰之のみ出演[編集]

山田スタジアムのみ出演[編集]

いずれもMBSラジオの番組

  • MBSベースボールパーク(2014年度以降)
    • 「MBSベースボールパーク公式サポーター」という肩書で、『MBSベースボールパーク番外編』(『MBSタイガースライブ番外編』の後継番組)や、『豊永真琴のベースボールパークEXトラ!』(ナイトゲーム中継終了後のフィラー番組)にレギュラーで出演。阪神のナイトゲーム中継との連動企画として、twitterの番組公式アカウントで実況を担当することもある。
  • with Tigers MBSベースボールパーク みんなでホームイン!(2015年度のナイターオフ番組、木・金曜レギュラー)

舞台[編集]

山田スタジアムのみ出演[編集]

  • 吉本百年物語 日本人ならテレビで遊ぼ(2012年12月7日 - 12月29日、なんばグランド花月) - 中山功太とのダブルキャスト

関連項目[編集]

受賞歴[編集]

単独ライブ[編集]

  • 2003年
    • 02月13日 - ガブンチョ1Hスペシャル〜ストリーク〜(baseよしもと/大阪)
    • 09月14日 - タラスコ(baseよしもと/大阪)
    • 11月29日 - クールボー(baseよしもと/大阪)
  • 2004年
  • 2005年
  • 2006年
    • 04月21日 - パチョレック(baseよしもと/大阪)
    • 09月18日 - ムーア(baseよしもと/大阪)
    • 12月23日 - スペンサー(baseよしもと/大阪)
      • ちなみに、ここまでのライブの名前は全て阪神タイガースに所属していた外国人選手の名前である。
  • 2007年
    • 02月19日 - ストリーク吉本1Hソロライブ「Happy Birthday dear まいど!」(baseよしもと/大阪) ※吉本のみ
    • 03月21日 - 「baseよしもとは永遠に不滅です」(baseよしもと/大阪)
    • 05月03日 - 始球式(うめだ花月/大阪)
    • 06月24日 - 完全試合(うめだ花月/大阪)
    • 09月09日 - 天王山(うめだ花月/大阪)
    • 11月18日 - 「ドラ1」(うめだ花月/大阪)
  • 2008年
    • 01月06日 - 「M144」(うめだ花月/大阪)
    • 02月24日 - 交流戦(渋谷公園通りシアターD/東京)
    • 03月20日 - 「開幕ダッシュ」(うめだ花月/大阪)
    • 05月31日 - 猛打賞(うめだ花月/大阪)
    • 06月21日 - 伝統の一戦(新宿シアターモリエール/東京)
    • 08月01日 - 「夏の甲子園」(うめだ花月/大阪)
    • 10月07日 - 「うめだ花月は永遠に不滅です」(うめだ花月/大阪)
    • 12月26日 - 「V奪回」ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
  • 2009年
    • 05月06日 - 「猛虎復活」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 07月05日 - ダイナマイト打線(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 08月22日 - 「栄冠は、きみに輝く」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 10月31日 - 「1億円プレーヤー」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
  • 2010年
    • 01月11日 - 「自主トレ」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 04月04日 - 開幕投手(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 06月25日 - 「1492試合」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 09月05日 - 「首位攻防戦」(シアターD/東京)
  • 2011年
    • 04月09日 - 「球春到来」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)
    • 06月25日 - 「見せましょう、野球の底力」(ヨシモト∞ホール大阪/大阪)

脚注[編集]

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