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デモ行進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2005.9.24のワシントンDCでの反戦デモ

デモンストレーション(示威行為、示威行進、デモ行進、または略してデモとも呼ばれる)は、ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為である。行進と付くように、大抵はある程度の人数で、移動しながら示される。

目次

概要

デモ行進は、集団で自らの意思や主張を示しながら移動する行為だが、その多くでは徒歩で一定区間を移動しながら行われる。大きなものでは数万人規模が参加するものもあれば、その一方で参加人数はともかくとして、非常に遠距離(都市間など)を移動する場合もある。主張されるテーマは、政治や経済・社会に対するものなど多岐に渡り、それらは個人的な主張から、社会問題を示して世間にアピールすることを目的とするものまで、様々である。

日本において20世紀末以降、一般に見られるものでは、たいていはプラカードを掲げ路上を行進するなどの非暴力的な内容で、広く公衆にその意思・主張を表示する行為であるが、自動車や歩行者の往来に用いられる道路を一時的にせよ占有することもある場合は、所轄警察署などに事前の届け出を行うなど、法治国家の内では幾つかの守るべき点もあり、無届けのデモ行進は取締りを受ける場合もある(後述)。

また日本では非暴力的な行為と2000年代現在見なされているデモ行進だが、一部の国家では暴動に発展する可能性を警戒して、警察が監視することがある。また政治的主張をデモ行進で掲げることを禁止する国・地域もあり、この場合は警察(機動隊など)や軍隊(治安維持軍など)との衝突すら発生する。日本でも、1960年代の安保闘争当時はデモ行進から暴動に発展する事態もしばしば発生した。

一般にそのデモに参加する人が多ければ多いほど、そのデモの世論に働きかける力は大きいといえるが、社会不満が大衆に鬱積している状況下では、任意参加のようなデモ行進では次第に集団が膨れ上がって、暴動に発展する傾向も強い。このため国や地域によってはデモをする場合、事前に参加人数などや活動の目的・移動経路の細かい届け出が必要な場合もある。

デモ行進の要素

デモ行進では、特に目立ったトラブルも無く、目的地まで移動できれば一応の成功といえる。更に加えてそれら主張が周囲に認識され、それらが他人にも受け入れられたのであれば、目的を果たしたといえる。

主張

主張は、そのデモ行進を行う集団にもよってまちまちである。しかしあからさまに反社会的な主張は、これを見た者の怒りないし不快感や冷笑を得ることはあっても、受け入れられることはない。例えるなら「殺人を合法化せよ」という主張をすることがこれに当たる。

また、主張と行動の内容に不一致が見られると、これも同様に不信感を被ることもある。例えば環境保護は大抵の場合において他の支持を得易いテーマだが、この主張を掲げながら通り過ぎた後がごみだらけだという場合は、台無しになる。自然保護活動に際しては、ただ集団で主張を掲げるというだけではなく、主張を掲げつつ集団でごみを拾う活動を行う団体もしばしば見られる。

また主張が一方的であるとか、独善的な場合も同様である。例えば銃社会の問題が深刻な地域で、自衛のために銃が必要だとして、銃の所持と販売の銃規制撤廃を訴えた場合がこれに相当するだろう。

このため、多くの場合では他人に示した場合に賛同が得られるか、あるいは賛同されないまでも拒絶もされないものを示し、またそれらのテーマに沿ったアピール方法を選択し、主張を示すにしても一定の注意が払われ、常識的に妥当な理由が示される。

こういったデモ行進において掲げるテーマが選ばれたケースとしては、1991年には日本で暴力団対策法の制定に絡んで暴力団員を含む支持者団体がデモ行進したケースもあるが、この際には「憲法で保障された結社の自由を侵害する」や「暴力団員にも家庭があるが暴力団を禁止されると子供を養えない」など、別の視点・理由によるものや同情を呼ぼうとした主張が掲げられた。結局、同法は「暴力団が集団として存在すること」ではなく「違法な行為で市民生活を妨害したり金品を得ること」を規制する性格の法律であったため、違憲問題に関しては合憲との判断が成されている。

時と場所

デモを成功させるのには、それが行われる時と場所が重要である。誰も見ていないところで、誰もいない時間に幾らデモをしても意味が無く、より効果的に行うために適した日・時間としては、デモの参加者が集まりやすく他人にも示し易い休日が選ばれることが多い。

またよりデモを意義あるものにするため、デモに関係する記念日(例、広島原爆投下から○○年の8月6日)を選ぶことがある。また場所は大人数の行進に適した道幅の広い大通りが選ばれる。また、デモに関係する土地や施設の前で行われることも多い(例、外国政府の外交政策に抗議するためにその国の在外公館前でデモを行う)。

デモの非暴力と暴力

一般にデモは非暴力による有効な戦略の一つであると考えられている。しかし時にそのデモはエスカレートし、国旗を燃やしたり、周りにあるものを壊したり、傍観者に危害を加えるなどの暴力的な手段に発展することがある。こうなってしまうと、主張を他人に伝えるどころではなくなり、場合によってはただ暴れたいだけの暴徒が集まって収拾がつかなくなる。

そのような参加者らが暴徒と化した場合、警察などが出動し、例えば参加者に対する放水(→機動隊#車両(警備))や催涙ガスゴム弾(→弾丸)といった非致死性の武器を使って鎮圧を試みようとする。こういった状況はデモ参加者との応酬に発展する場合もあるほか、非殺傷性武器を使ってなお至近距離弾で死傷者も出すなど熾烈さも増し、デモ行進から暴動に発展する事態を、デモ計画者側が警戒する場合もある。なお警察側にしてもそういった死傷者の発生は本意ではなく、高圧放水銃や非殺傷性の音響兵器のような装備の利用を行うケースも見られる。

またデモ側が非暴力であったとしても、国の政策に対するデモなどは国によっては無条件に武力で鎮圧される場合があり、その際その国の治安維持部隊は強権的な手段に訴えることもある。過去の例としては完全非暴力を掲げながら銃火にさらされたインドの塩の行進や、デモに参加した労働者らに向け無差別発砲の起こったロシアの血の日曜日事件、民主化を求め天安門広場を座り込みで占拠した学生らを武力弾圧した中国の天安門事件皇居前広場に突入を試みたデモ隊に警察が発砲した日本の血のメーデー事件などがある。

日本でのデモ

日本にデモンストレーションという言葉が紹介されたのは20世紀の初めだといわれ、示威行為と訳された(現在も「集団示威運動」の語が法令に存在する)。それ以前には百姓一揆のようなデモと暴動がセットになった行動もあり、打ちこわしでは襲撃はするが略奪はしないなど、一種独特のルールがある暴動まで存在した。

日本で非暴力を主とするデモが盛り上がりを見せたのは労働条件の改善を訴え1920年から始まったメーデーからであろう。しかし次第に軍国化していく日本では、労働者の権利より国益が優先され、政府によって厳しく制限されるようになり、ついにはメーデーも禁止されるようになってしまった。

終戦後、メーデーが復活し、1960年代には労働組合の成熟や学生運動の盛り上がりなどから、デモは一般的なものになった。1980年代からは市民運動などが活発になり、デモも市民の草の根の運動の一つとして行われた。しかし近年では労働運動の衰退などや、若者の意識変化、社会の安定などもあり、日本におけるデモは、労働組合などによる大量動員が行われる場合などを除いては、参加者が少ないものとなっている。(諸外国では数万人規模のデモも頻繁に起こる。:イタリアのジェノヴァサミットの時に起きた時は25万人の参加者が居た)。またこれは日本人の性格によるものなのか、参加者の積極性によるものであるかは不明だが、日本のデモは諸外国に比べて非常に穏やかものとなっている。

また、警備が非常に厳しく、デモ隊より警備の警察官の方が多くなることもしばしばあり、さらに警察官がデモ隊をぐるりと包囲する形で監視していることもある。これは、警察がデモを周囲と切り離し、飛び入り参加者を阻止するためといわれている(「歩行中のみなさんは、デモに気をとられることなく」など、直接そうした呼びかけを行った例もある)。その「効果」が現れていることも、参加者が少ない理由として指摘されている(■[オタクイベント 8/5 秋葉原サウンドデモ その時現場は )。

なお、日本でデモ行進を行う場合は道路交通法及び都県または市が定める公安条例に従う必要がある。

関連項目