デ・ラランデ邸

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デ・ラランデ邸
De Lalande's Residence.jpg
情報
建築面積 復元棟 187.79㎡
新築棟 95.59㎡ [1]
延床面積 復元棟 333.97㎡
新築棟 123.05㎡ [1]
階数 木造3階
開館開所 江戸東京たてもの園
所在地 184-0005 
東京都小金井市桜町3-7-1
位置 北緯35度42分58.7秒
東経139度30分40.7秒
座標: 北緯35度42分58.7秒 東経139度30分40.7秒
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デ・ラランデ邸は、かつて東京都新宿区信濃町にあり、江戸東京たてもの園に移築復元された西洋式住宅

概要・沿革[編集]

スレート葺きのマンサード屋根(腰折れ屋根)と下見板張りの外壁を持つ[2]

明治時代の気象学者・物理学者の北尾次郎が自邸として設計したと伝わる木造平屋建て・瓦葺き・寄棟屋根・下見板張りの洋館だったが、1910年明治43年)頃、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデによって木造3階建てに大規模増築され、北尾次郎居住時の1階部分も大改造された[2]1914年大正3年)にデ・ラランデが死去した後、何度か居住者が変わり、1956年昭和31年)から、カルピスの発明者三島海雲の住居となって、三島海雲の死後は三島食品工業株式会社の事務所として1999年平成11年)まで使用された[2]。同年、移築・復元を前提に東京都に寄贈され[3]、工事件名「三島邸」として江戸東京たてもの園で復元工事が進められて[2]2013年4月20日に公開された[3]

復元にあたり、建物はデ・ラランデによる大規模増築が行われた頃、室内は残された古写真を基に、デ・ラランデ居住時の大正期を想定した復元がなされた[3]。邸内にはカフェ「武蔵野茶房」が出店している[4]

なお、この建物は多くの建築史学者が1910年にデ・ラランデが自宅兼事務所として建てたとしてきたが[注 1]、ドイツ在住でデ・ラランデの足跡を調査してきた広瀬毅彦が、土地所有者だった北尾次郎の子孫宅で発見した明治時代の写真等から、北尾次郎が1892年(明治25年)に自ら設計して平屋建ての洋館を建てていたことが分かったと発表[10]。また、土地台帳等の調査から、土地は北尾次郎の死後もその長男が昭和期まで所有し、デ・ラランデは借家人だった可能性が強いと推定して、借家人だったデ・ラランデが増築部分を設計した根拠は見当たらないとした[10]。一方、江戸東京たてもの園は、広瀬毅彦の発表を受けて、ホームページに載せていた建物の紹介文を一部訂正したが、建物を解体した部材の調査結果から、平屋の上に2・3階部分を増築していたことが判明したため、増築部分はデ・ラランデの設計と推定している[10]

『鏡子の家』[編集]

三島由紀夫の長編小説『鏡子の家』のモデルが、この家だとされる説がある[3][11]。以下、新潮文庫版『鏡子の家』より引用。

「車は四谷東信濃町にある鏡子の家へ行くのである」[12]

「鏡子の家は高台の崖に懸かっているので、門から入った正面の庭越しの眺めはひろい。眼下には信濃町駅を出入りする国電の動きがみえ、かなたには高い明治記念館の森と、そのむこうの大宮御所の森とが、重複して空を区切っている。」[13]

「門の正面が、前にも言ったいわば借景の洋風の庭、左に洋館があって、これにつづいて更に左に、洋館が接収されているあいだ一家の住んでいた小さな日本館がある。車はせまい門前の路には停められないので、門内の洋風の玄関の前にパークされるのである」[14]

「露台に通ずる仏蘭西窓があけてあるので、国電の発車の呼笛の音はよくひびいてきこえた。信濃町駅は一連の灯をともした」[15]

藤森照信は『建築探偵の冒険 東京篇』で、まだ信濃町にあったデ・ラランデ邸(三島邸)を実際に訪れた後、『鏡子の家』を読んでみて、その描写が信濃町の三島邸をそっくり写していると記し、おそらく、「西洋かぶれ」の作者は、電車の窓からこの家を見つけ、散歩がてらに建築探偵し、<三島>という表札が気に入って、モデルにしたんだろうと推測している[16]

猪瀬直樹は『ペルソナ 三島由紀夫伝』の中で『鏡子の家』について、三島が出入りしていた屋敷とその女主人が素材にされているとし、小説はサロンの所在が信濃町となっているが、実際は品川区であると記している[17]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 例えば藤森照信は『建築探偵の冒険 東京篇』で、長谷川堯からデ・ラランデの昔の自邸が信濃町駅の北の丘にあると教わったことを記し[5]、そのデ・ラランデ旧邸は明治43年(1910年)に建てられたとしている[6][7]近江栄堀勇良は『日本の建築[明治・大正・昭和] 10 日本のモダニズム』の両者による解説中で、旧デ・ラランデ邸(現三島邸)の設計がデ・ラランデ、竣工が明治43年頃とし[8]、同書の堀単独執筆の個所でも東京信濃町に現存する自邸 - 現三島邸をデ・ラランデの作品としている[9]

出典[編集]

  1. ^ a b 江戸東京たてもの園 展示解説シート 「デ・ラランデ邸」 (2013年04月)
  2. ^ a b c d 新規復元建造物「デ・ラランデ邸」の公開について (PDF)”. 東京都生活文化局、江戸東京たてもの園 (2013年3月7日). 2013年11月7日閲覧。
  3. ^ a b c d 千葉雄高 (2013年4月21日). “東京・信濃町の「デ・ラランデ邸」復元 食堂はカフェに”. 朝日新聞. http://www.asahi.com/national/update/0421/TKY201304210095.html 2013年11月7日閲覧。 
  4. ^ 店舗紹介”. 武蔵野茶房. 2013年11月7日閲覧。
  5. ^ 藤森照信 1989, p. 264.
  6. ^ 藤森照信 1989, p. 266.
  7. ^ 藤森照信 1989, p. 275.
  8. ^ 近江栄 & 堀勇良 1981, p. 6.
  9. ^ 近江栄 & 堀勇良 1981, p. 120.
  10. ^ a b c “「ドイツ人建築家作」移築中の洋館 設計者は日本人? 土地所有者子孫宅から新資料”. 産経新聞 多摩版. (2012年10月9日) 
  11. ^ 『江戸東京たてもの園だより』vol.29
  12. ^ 三島由紀夫 1964, p. 17.
  13. ^ 三島由紀夫 1964, p. 20.
  14. ^ 三島由紀夫 1964, p. 21.
  15. ^ 三島由紀夫 1964, p. 28.
  16. ^ 藤森照信 1989, p. 280.
  17. ^ 猪瀬直樹 『ペルソナ 三島由紀夫伝』 文藝春秋1995年、287 - 288頁。ISBN 9784163508108。

参考文献[編集]

  • 藤森照信 「西洋館は国電歩いて三分 - 鏡子の家」『建築探偵の冒険 東京篇』 筑摩書房1989年。ISBN 9784480023711。
  • 近江栄堀勇良 『日本の建築[明治・大正・昭和]』10 「日本のモダニズム」、三省堂1981年
  • 三島由紀夫 『鏡子の家』 新潮社〈新潮文庫〉、1964年。ISBN 9784101050065。