ドラフト外入団

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ドラフト外入団(ドラフトがいにゅうだん)とは、ドラフト制度が存在するプロスポーツ機構において、ドラフトを通さずに選手をチームに入団させること。

概要[編集]

主に日本のプロスポーツに用いられる。ドラフト制が適用されないことが前提である外国人選手に対しては用いられない。北米メジャースポーツでは「アマチュアフリーエージェント」として扱われる。

日本プロ野球[編集]

日本プロ野球では、1965年にドラフト制度が導入された後も、ドラフト会議で指名されなかった選手を対象にスカウトなどの球団関係者が対象選手と直接交渉して入団させる「ドラフト外入団」が認められていた。初期のドラフト会議では、指名して交渉権を得ても入団を拒否されたり、逆に球団が交渉権を放棄することも多く、その穴埋めとしてドラフト外入団という制度が必要だったのである。

1974年から1990年にはドラフト会議で指名できる選手が1球団6名まで、特に1978年から1980年は1球団4名までと制限されていたため、ドラフト外入団は戦力を補充する重要な手段とみなされ、多くの選手がこの制度を使って入団した。この中には、入団テストで実力を認められて採用された選手も多かった。

他方で、実力はありながらプロ入りを拒否していたためにドラフト指名されなかった選手を、有利な契約内容で説得してドラフト外入団させたり、球団職員或いは練習生として他球団からの指名を事実上しにくくさせてドラフト会議後にドラフト外で契約するなど、ドラフト制度の抜け穴にもなった。

それらの悪用がドラフト制度の目的である契約金の抑制や戦力均衡の弊害になると判断され、1990年限りでドラフト外入団は練習生制度とともに廃止された。廃止するにあたって、ドラフト会議では1球団10名まで指名できるようになり、この制度の目的のひとつであった、不足した戦力の補充はドラフト下位で実現されることになった。これにより新入団選手向けの入団テストもドラフト前に行い、入団を希望する選手の場合はドラフトで入団テストを受けた球団の指名が必要になった。このため合格しても球団によっては、チームの方針上、他の指名選手次第で指名が見送られることがある。

なお、練習生という概念は後に育成選手制度として再整備されることとなる。

1991年から廃止となったが、1992年に古河有一(ジョー古河)が外国人学校の日系人ということから特例として広島東洋カープへのドラフト外入団が認められたのが最後である。

ドラフト外で入団した選手の中には、江本孟紀加藤初松沼博久松沼雅之兄弟、西本聖大野豊松永浩美鹿取義隆秋山幸二石井忠徳(琢朗)木村拓也など、プロ野球で実績を残した選手も多く存在する。しかし、前述のように、プロ入り拒否を明言しドラフト指名を回避した後にドラフト外によって希望の条件・球団で入団することもなされていたため、ドラフト外であるからといってスカウトからの評価が低いとは限らない。松沼兄弟や鹿取などはドラフト1位指名選手と同等の契約条件だったことを明かしている。

1966年から1993年までにドラフト外入団した選手は663人いた。2012年にドラフト外最後の現役選手だった石井琢朗が現役を引退したため、ドラフト外入団をした現役選手はいなくなった。

日本プロバスケットボール(bjリーグ)[編集]

bjリーグにもドラフト外入団制度が存在する。

合同トライアウトを通過した場合、ドラフト会議で指名されなくても、ドラフト外で入団する事が可能である。ただしドラフト選手とは異なり初年度はB契約となる。

主に最終選考参加者のうちドラフトされなかった選手が対象となるが、チームトライアウトを通過して入団に至る場合もある。また、当初は練習生として契約し、シーズン開幕直前あるいはシーズン中の凍結期間前にプロ契約を交わす場合もある。

ドラフト外でも青木康平(2005年、東京)、岡田優(2006年、高松)のようにルーキーシーズンからチームの主力として活躍する選手も存在する。

関連項目[編集]