ヒロシ

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ヒロシ
本名 齊藤 健一
さいとう けんいち
生年月日 (1972-01-23) 1972年1月23日(45歳)
出身地 日本の旗 日本熊本県荒尾市
血液型 O型
身長 175cm
方言 共通語熊本弁
最終学歴 日本の旗 日本
九州産業大学商学部商学科
出身 福岡吉本
コンビ名 ベイビーズ(解散
相方 友納 一彦
芸風 漫談
事務所 ヒロシ・コーポレーション
活動時期 1995年 -
同期 バカリズム
ドロンズ石本
コージー冨田
他の活動 俳優
配偶者  未婚
公式サイト ヒロシの部屋
受賞歴
2004年:『R-1ぐらんぷり』決勝進出
2005年:『R-1ぐらんぷり』6位
2005年:『第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』優勝

ヒロシ1972年1月23日[1] - )は、日本お笑いタレント漫談師ベーシスト俳優である。本名、齊藤 健一(さいとう けんいち)。

熊本県荒尾市出身(福岡県大牟田市生まれ)。ヒロシ・コーポレーション所属(サンミュージック企画業務提携)。

九州産業大学商学部商学科卒業。身長175センチメートル、体重70キログラム、血液型はO型

趣味は釣りキャンプ、キャンプグッズ集め、家庭菜園、バンド活動(ベース担当)。特技は「あるんだったらテレビに出てるよね」(ヒロシ談)。小型船舶操縦免許取得。

来歴・人物[編集]

生い立ちからデビューまで[編集]

熊本県荒尾市で生まれた。実家は万田坑のそばで、父は炭鉱マンだった。本名の「健一」は、「健康第一」という願いを込めて付けられたもので、弟・康次(診療放射線技師をしている)と一字ずつとって合わせると「健康」となる。炭鉱の街で、みな生活レベルが同じだったため、貧富の差を感じたことがなかったが、中学生のとき神奈川県に住むいとこが遊びに来た際に、「汚いから」という理由でヒロシの家に泊まらずホテルを利用したことから初めて自分の家が貧しいということを知った[2]1981年の秋、ヒロシが小学3年生のとき、父親が仕事中の落盤事故で左ももから下を失った。炭鉱の落盤事故は珍しいことではなく、近所を歩けば片足を失った炭鉱マンと頻繁にすれ違っていたヒロシにとってそれは見慣れた光景であったが、父親が左脚を亡くした現実はなかなか受け入れることが出来なかったと語っている[3]。父はその後、炭鉱の保健課の事務職として働いた。父は読書家で教養のある人物だった。勉強に関しては厳しく、ヒロシが宿題で分からないところがあると叱られたり、家の外に締め出されることもあった。ヒロシ自身は父が勉強に厳しかった理由は、自分のように危険な仕事ではなく、大学を出て安定した企業でサラリーマン生活を送るという道を息子に歩ませたかったのではないかと考えている。半面、父は身体を使う仕事に誇りを持っており、高校生のときにヒロシが飲食店の皿洗いのアルバイトをすると激怒して辞めさせたが、土木作業や駐車場整理のアルバイトは応援してくれた[4]

ヒロシが小学生のころ漫才ブームの真っただ中で、特に好きだったのがツービート漫才だった。「芸人」という職業に衝撃を受け、自然と憧れの気持ちが強くなったのもこのときだった[5]。小学生の頃、家族に頼み込んでなんばグランド花月に行き、初めて生のお笑いライブを観劇。その中でひときわ面白かったのが、全国区になる前のダウンタウンで、劇場の外で待つ多くの女性ファンを見て「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだな」と衝撃を受けた[6]。小学生時代のヒロシは暗くいじめられっ子で、担任教師にさえ嫌われていた[5]。中学は地元の荒尾市立荒尾第三中学校に進学。中学3年生の時の三者面談で、初めて芸人になりたいと打ち明けたが、先生に軽くあしらわれた[7]

熊本県立荒尾高等学校から指定校推薦で九州産業大学商学部に進学。大学1年生のとき、男友達2人を誘ってトリオ「貴族」を結成し、吉本興業が主催するお笑いオーディション番組「激辛!?お笑いめんたい子」(テレビ西日本)に応募[8]テレビ熊本で行われた熊本予選に参加するが、不合格[9]就職活動大阪府福岡県などの企業を数社受けたが、全滅。就職が決まらないまま大学を卒業し、実家に帰り、しばらくダラダラとした生活を送る。見かねた両親が知人の伝手で保険会社に就職させ、損害保険営業の仕事に就いた。極度に人見知り性格であったため営業の仕事が務まらず、サラリーマン生活自体、不向きだと考えるようになった。入社から半年後、身内を一通り保険に加入させたところで退職した[10]。23歳のとき、再び「激辛!?お笑いめんたい子」のオーディションに挑戦。前回一緒に出場した男友達2人には断られた為、1人で出場し、中森明菜近藤真彦物真似を披露。結果は不合格だったが、福岡吉本のスタッフが不合格者の中からどうしてもお笑い芸人になりたい人を募った。前回出場したときも同じような声かけはあったが、その時は勇気がなく手を挙げられなかった。しかし、2度目の挑戦のときは会社員として挫折を経験していたため、「もう逃げ道はない」という強い気持ちで、そのスタッフに連絡した[11]

お笑い芸人[編集]

福岡吉本時代

しばらくするとナインティナインが出演するイベントに呼ばれ、芸人になるきっかけが出来たと喜んでいたが、やらされた仕事はチケットもぎりであった。その後も雑用係としてイベント会場に呼ばれる日々が続いた。不安になっていたある日、突然「ライブをやるからネタを作ってこい」と言われた。そのとき残っていたのは十数組だけで、後の「福岡吉本6期生」として同期となるメンバーであった。その中には、パンクブーブー佐藤哲夫スパローズなどがいた。ネタ見せは福岡吉本の所長がいる中で行われた。ヒロシ自身、ネタの詳細は覚えていないが、下品で下ネタを含むネタを披露したところ、所長に激しく激怒されスリッパを投げつけられた[11]。ネタを酷評されたことからピン芸人としてやっていくことに不安を感じ、元々漫才師を目指していたこともあり、コンビを組みたいという気持ちが強くなっていった。早速、同期に声をかけコンビを組むが、当時思い切ったことをやれば売れると勘違いしていたヒロシはその相方に「うんこを食ってみよう」と提案し、考え方が違うと拒絶され、舞台に1度も上がることなく1か月で解散。その後、3人組でコントをやり、そこそこ評判が良かったが、短期間で解散。そして、ツッコミが上手そうだった友納一彦を誘い「ベイビーズ」を結成し、落ち着いた。ヒロシがあがり症で大きな声を出したい気持ちが強かったため、ベイビーズ時代はキレ芸をしていた。ライブではそこそこウケるものの一向に売れる気配がなく、事務所からの評価も最悪だったことから、友納と多くの芸能プロダクションがあり、新人発掘のライブが頻繁に行われている東京で暮らした方が良いのではないかと考えるようになった。そこで、3年間所属した福岡吉本を辞め、26歳の時に上京。当時は芸人仲間6人(その中にパラシュート部隊の矢野ぺぺもいた)と中野区の6畳一間のアパート共同生活を送っていた[12]

ホスト時代

ベイビーズ時代、「熊本弁の認知度を上げたい」という気持ちやヒロシも相方も日常生活もままならないほど方言訛りがひどく標準語が話せなかった為、熊本弁でキレ芸を展開。ライブ後のアンケートではいつも「何を言っているのかさっぱり分からない」と不評だった。最初は「観客が理解するようになればいい」と強気だったが、人気投票でいつも最下位だったことから危機感を覚え、徐々に標準語にしていった。ライブへの出演が続いていたある日、相方と一緒に受けたテレビ番組のオーディションにヒロシだけ合格。それは建設現場のとび職の体験で足場の下に土佐犬が待っているというものだった。出番までの2か月間、その土佐犬の世話までさせられたが、出演料は2万5千円だった。仕事を終えて帰ると相方と温度差が出来ており、コンビは解散。相方は地元福岡に帰った[13]。コンビ解散後、生活費に困っていたところ、ライブに出ていた芸人仲間から「ホストは稼げるし、モテるぞ」と聞いた。後々それはその芸人が自分がモテると自慢したいがためのだったと判明するのだが、ヒロシは騙されて知り合いの知り合いの彼女の更に知り合いという遠いつてをたどり、歌舞伎町の小さな店で働き始めた。源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」で、殺し文句は「あなたの心を一刺し」。面接が飲めないと知らせていたにも関わらず採用されると毎晩大量の酒を飲まされ、飲まないと怒鳴られる、長時間労働で風呂も入らず仮眠をとっただけで出勤、高熱が出て仕事を休んでも罰金3万円を払わされるといった辛い日々が続いた。指名がほとんどなかった為、給料は月3万円程度で唯一の休みだった日曜日は、コンビニでアルバイトをしていた。週1回のアルバイトなのに、ホストよりコンビニのアルバイトのほうが給与がよかった。ホストクラブを辞めようとすると「代わりのホストを探せ」と脅され、逃げようとすると1日6万円で借用書を書かされ、取り立てに来られた[14]。また、ホスト時代はホームレスになった。当時交際していた女性が二股をしており、ヤクザ風の男たちがヒロシが芸人仲間と共同生活をしていたアパートに押しかけてきた。身の危険を感じてから逃亡し、それ以降、そのアパートには戻らなかった。新しいアパートを借りる余裕もなかった為、ホストの客引きの時間に見知らぬ通行人に泊めてくれるように頼んだ。時々泊めてくれる人もいたが、何日もお金を払わずに居座ると追い出され、また新しい宿を探すという生活を続けていた。宿がなく、二日酔い状態で意識が朦朧とし、路上で倒れているときに、仲の良かったお笑いコンビサンドウィッチマンに偶然発見され、介抱してもらったこともあった[15]。ヒロシは後に、29歳から31歳までのこのホスト時代を「まさに生き地獄」だったと回想している[14]。また、「ヒロシです」のネタでブレークした頃、よく「ホストキャラ」と呼ばれたが、ホスト時代に辛い経験をしていた為、そういわれるのが嫌で仕方なかったと明かしている[16]

「ヒロシです」誕生とブレイク

ホスト時代、芸人に戻りたいと考えていたが、ライブやテレビ番組に出れば居場所を特定され連れ戻されるかも知れないという恐怖心を感じていた。心身ともに限界に達し、2003年の初日の出とともに誰にも告げずに荒尾市の実家に帰った。それから2か月間、実家に引きこもり、ひたすら大学ノートにネタを書き溜めた。幼い頃いじめられた経験、女性にモテなかった青春時代、ホストとしてお笑いが出来なかった悔しさなど様々な思いをネタにぶつけた。そのとき生まれたのが「ヒロシです」のネタであった[16]。そのネタをいつもここから山田一成に見せに行ったところ、「いいじゃない!」と背中を押してくれた。「ヒロシ」という芸名は、フリーアナウンサー生島ヒロシに由来する。たまたま家にあった雑誌表紙に生島が写っており、「親しみやすい名前」だと思って採用した。早く「ヒロシです」のネタを広めたいと思い、多くのライブに出演した。数人だけが極端に笑うという状況が続き不安になって山田に相談したところ「間違ってないんだから、そのままでいい」と助言され、路線を変えずにネタを続けた[17]。友人に借りてきたビデオカメラで「ヒロシです」のネタを収録し、若手芸人の登竜門と言われていた「爆笑オンエアバトル」宛てに送ったが、なんの音沙汰もなかった。その後も早朝に起きてネタを作り、オーディションを多数受け、月20本のライブ出演をこなし、深夜アルバイトをこなすという生活を送る。そんなある日、サンミュージックプロダクションから「うちで預かります」と声をかけられ、初めて正式に芸能事務所に所属した。それから間もなく「エンタの神様」に出演(キャッチコピーは「孤独な男のモノローグ」)、これが初の全国放送出演となった。放送から数日後、どれだけ人気が出たか確かめようと吉祥寺で行われたライブの会場周辺を「ヒロシです」のBGMを流しながら何度も往復したが、誰にも気づかれず、1度全国番組に出ただけでは何も変わらないと思い知らされた。2004年三宅裕司と同郷のくりぃむしちゅーが司会を務める「笑いの金メダル」に出演。当初は1回出演するだけの予定だったが、三宅とくりぃむしちゅーが気に入ってくれ、その後何度か出演し、ブレイクのきっかけとなった[18][19]2005年の『R-1ぐらんぷり』では、前回に引き続き2回目の決勝進出を果たした。決勝戦では、結果は6位だった。2005年の『第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で見事初代王者となり200万円と車を獲得した。絶頂期は月収1000〜3000万円が1年ほど続き[20]、最高月収は4000万円[21]だった。その当時にした贅沢は3万円のアパートから家賃48万円の家に引っ越し、高級車ジャガーを購入したくらいで、その他の稼ぎは全て風俗への利用につぎ込んだ[22][23]

ブレイク後

2004年から2007年頃までドラマや映画に出演し人気がうなぎ上りだったが、2008年頃から人気に陰りが見え始めお笑い番組への出演が減っていった[24]。ブレイクから6年後、月収がゼロになり、所属事務所から給与明細すら届かなくなった時期もあった[25]2009年11月、古巣の「エンタの神様」に久々に自虐ネタで笑いを取り、復活かと話題になったが、番組自体が2010年に終了[24]。2010年11月、「森田一義アワー 笑っていいとも!」のコーナー「笑いニートを救え!ギャグマーケット」に出演。同番組への出演は6年ぶりで、名前が紹介されると出演者や観客は騒然となったが、ネタでは大きな笑いを取り、コーナー進行役のさまぁ〜ずにも絶賛された[24]2013年、8年ぶりとなる単独ライブ『泥水』を行った。

俳優[編集]

ドラマは『タイガー&ドラゴン』(TBS系)が初出演。役柄は、元ミュージシャン「デス・キヨシ」。2005年1月に放送されたスペシャル版と、連続ドラマ版の第7話に登場。その後、同年の『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』(フジテレビ系)枠内で放映された『THE WAVE!』に編成部員・谷口真治役で出演している。このドラマで主役を演じた明石家さんまは、いつものネタの時のヒロシとキャラクターが同じなので、笑いをこらえて演技しなければならないのが困る、と述べた。

2006年、『青春★ENERGY』で連続ドラマ初出演。2007年に公開された映画『転校生 さよならあなた』(大林宣彦監督)で映画俳優デビューを果たす。その後『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』(大林宣彦監督)にも出演。いずれも本名の斉藤(本名は旧字の「齊藤」)健一[26]で出演している。彼のファンである大林が出演を依頼したのだと言う。また、『転校生』で医大生を演じるにあたり、上京して以来ずっと金髪だった髪を8年ぶりに黒くした(その後金髪に戻している)。

2011年、土田英生演出による『バッド・アフタヌーン』にて舞台初主演。また同年、日本テレビ『しゃべくり007』出演を機に、メディアの露出が再び増え始める。


芸風[編集]

自身の日常や失敗談を題材とする、いわゆる自虐ネタを得意とする。基本的なスタイルは、ポケットに手を突っ込み上目使いで「ヒロシです」と名乗ってから、うつむきつつ九州弁(詳しく言えば、肥筑方言の「 - とです。」)でネタを言って笑いをとる、というもの。この時、ラテン音楽のスローナンバーやブルースBGMとして流れる(主にペピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」("Che Vuole Questa Musica Stasera") が使われる)。「ヒロシです」が3回以上繰り返される事でネタは終了する。「一発屋」と呼ばれることが多いため、近年は「給料が少なくなった」「熱烈なファンレターがパッタリ途絶えた」「テレビに出る機会が減った」などの売れなくなったネタが定番となっている。「ヒロシちゃん、あんなにテレビに出まくっていたのに、いっさい出なくなってやったぜ、ワイルドだろ?」や「安心してください、生きてますよ」など、そのときの流行りの芸人の持ちネタのパロディで売れなくなったことをネタにすることもある。

ネタのときに音楽を流すという手法は、尊敬するいつもここからに影響を受けたものである。彼らが「悲しいとき」のネタでBGMとして使用していたカノンが好きだった為、自身のネタにも音楽を付けたいと考え、近所のTSUTAYAに行き、クラシック音楽映画音楽などのCDを5、6枚選び、その中から他よりも哀しい雰囲気が圧倒的に良かった「ガラスの部屋」を採用した。同曲がイタリア語で失恋の歌と知ったのはそれからしばらく経ってからだった[17]

「ひろしです」の「ひろし」のアクセントは、初期は平板型であったが、途中から頭高型に変えている。また、日常的には共通語を話し、なまりはないものの、方言を使うことで下に見られてかわいげが出るのではないかという計算があったと語っている[27]

テレビでネタを放送するときには、必ず、音楽番組におけるソロ・アーティストのようなディゾルブを多用したカメラワークを用いられるが、これは2003年から、ほぼ毎月ライブ出演していた『お笑いCDTV』(TBS、 - 2004年)のカメラマンが開発したもので、それ以降、各局で用いられるようになった。『お笑いCDTV』は、ヒロシがテレビで初めてネタを披露した番組でもある。

作品[編集]

書籍[編集]

  • ヒロシです。(扶桑社、2004年9月22日、ISBN 4594047998)
発行部数30万部を突破。
  • ヒロシです。2(扶桑社、2005年4月16日、ISBN 4594049125)
8日で発行部数12万部を突破。2は○囲みの2であるが、機種依存文字のため2としている。
  • 沈黙の轍 ずんだれ少年と恋心 (ジュリアン刊、2008年4月、ISBN 978-4902584660)
三井三池炭鉱の炭鉱夫だった父との思い出や、1970年代から1980年代の少年時代の思い出を赤裸々につづった自叙伝
  • ヒロシです。華も嵐ものり越えて(東邦出版、2011年5月19日、ISBN 978-4809409479)
6年振りのネタ本。表紙の絵もヒロシが描いた。
  • ネガティブに生きる。ヒロシの自虐的幸福論(大和書房、2016年11月26日)[28]

連載[編集]

CD[編集]

  • ガラスの部屋〜ヒロシが選ぶ哀愁のヨーロピアン・ミュージック〜(キングレコード、2007年10月24日)- 「ヒロシです…」ネタのBGMとして一貫して使用しているペピーノ・ガリアルディの「ガラスの部屋」などを収録している。

DVD[編集]

その他[編集]

  • ヒロシの日めくりカレンダー「まいにち、ネガティブ。」(自由国民社、2015年9月6日)[29]

出演番組[編集]

現在[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

たびたび、笑点で出演しているほか、地方番組でも活動しているという。

過去[編集]

テレビ・ラジオ[編集]

ドラマ[編集]

出演その他[編集]

CM[編集]

映画[編集]

オリジナルビデオ[編集]

舞台[編集]

  • 「錦鯉NISHIKIGOI」吉田 役
北九州芸術劇場(作品プロデュース担当) 2006年11月3日 - 5日、イオン化粧品 シアターBRAVA! 2006年11月7日・8日、天王洲銀河劇場 2006年11月14日 - 23日

DVD[編集]

WEB[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 「もてないキャラなのにバレンタイン生まれの設定」でプロフィール上は2月14日生まれ。『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』2014年2月3日放送にて
  2. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道②」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月2日27面。
  3. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道③」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月3日19面。
  4. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道④」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月4日17面。
  5. ^ a b ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道8」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月8日21面。
  6. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道9」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月9日25面。
  7. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道10」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月11日23面。
  8. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道14」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月15日25面。
  9. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道15」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月16日19面。
  10. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道16」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月17日19面。
  11. ^ a b ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道17」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月18日17面。
  12. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道18」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月19日21面。
  13. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道19」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月20日25面。
  14. ^ a b ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道20」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月21日25面。
  15. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道21」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月22日23面。
  16. ^ a b ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道22」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月23日21面。
  17. ^ a b ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道23」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月24日17面。
  18. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道25」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月26日25面。
  19. ^ ヒロシ「私を語る 幸せになる!?ネガティブ道24」、『熊本日日新聞』(熊本日日新聞社)2017年4月25日19面。
  20. ^ “ヒロシのMAX月収4000万円!ダンディ坂野は400万円も「今とあまり変わらない」”. 報知新聞. (2017年3月3日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20170303-OHT1T50170.html 
  21. ^ “ヒロシ、最高月収4000万円を告白「番組で初めて言います」”. オリコン. (2015年6月29日). http://www.oricon.co.jp/news/2055127/full/ 
  22. ^ “ヒロシ 最高月収4000万円からの転落 ペットボトルの水を3人で…”. スポーツニッポン. (2016年10月28日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/10/28/kiji/K20161028013616600.html 
  23. ^ “自虐ネタ芸人ヒロシ、MAX月収4000万も…風俗につぎ込みすっからかん”. デイリースポーツ. (2016年10月28日). https://www.daily.co.jp/gossip/2016/10/28/0009617921.shtml 
  24. ^ a b c “【エンタがビタミン♪】お笑い芸人ヒロシが6年ぶりに“いいとも”に出演。衰えぬ自虐ネタのキレを芸人仲間も絶賛!”. TechinsightJapan. (2010年12月1日). http://japan.techinsight.jp/2010/12/hiroshi-jigyakuneta.html 
  25. ^ “「月収ゼロだった」ヒロシが一発屋になった真相”. ザテレビジョン. (2015年6月29日). https://thetv.jp/news/detail/60780/ 
  26. ^ 著書『沈黙の轍』より。
  27. ^ 大竹まこと ゴールデンラジオ 大竹メインディッシュ(2016年2月4日放送(同番組はポッドキャストで視聴可能))
  28. ^ ““ネガティブに生きる”ヒロシの「自虐的幸福論」蛭子能収との対談も収録”. お笑いナタリー. (2016年11月25日). http://natalie.mu/owarai/news/210712 2016年11月25日閲覧。 
  29. ^ ヒロシの日めくりカレンダー「まいにち、ネガティブ。」発売”. お笑いナタリー (2015年8月3日). 2015年8月3日閲覧。
  30. ^ ヒロシ、ぼっちキャンプをPR「1人でもBBQが楽しめるとです…」”. お笑いナタリー (2015年8月21日). 2015年8月21日閲覧。