レパード玉熊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
レパード玉熊
基本情報
本名 玉熊 幸人
階級 フライ級
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1964-01-25) 1964年1月25日(52歳)
出身地 青森県青森市
スタイル 左ファイター
プロボクシング戦績
総試合数 33
勝ち 27
KO勝ち 13
敗け 5
引き分け 1
テンプレートを表示

レパード 玉熊(レパード たまくま、1964年1月25日 - )は、日本の元プロボクサー。第28代WBA世界フライ級王者。

人物[編集]

青森県出身。本名は玉熊 幸人(たまくま ゆきひと)。畑山隆則と同郷である。畑山にボクシングの興味を示すきっかけを作った。

左ファイター。法政大学ボクシング部中退、国際ボクシングスポーツジム出身。

顎の脆さをカバーするため、顔を打たれないよう顔面のみの防御に集中し、ボディを打たれても効かないくらいまで徹底的に鍛え上げた。手足が長いが、アウトボクシングではなく接近戦を得意にし、至近距離で相手のパンチをガードしながら効果的にボディブローやカウンター攻撃をする。日本王座を獲得した試合では、ボディを打たれるたびにわざと苦しそうに唸り、相手の意識をボディに集中させるなど、頭脳的なボクサーである。

試合の入場曲は、フィル・コリンズの「something happened on the way to heaven」。これがきっかけで、ボクシング番組「ダイナミックグローブ」のテーマソングにもなる。

来歴[編集]

青森県立青森商業高等学校[1]、当初体操部に入部しようと部室を訪れたが誰も居らず、隣のボクシング部から声を掛けられ入部。当初は右のオーソドックススタイルだったが、1年の秋監督のアドバイスにより、サウスポーに転向。2年の春季大会では、県モスキート級チャンピオンとなり頭角を現す。3年時はインターハイライトフライ級準優勝。

高校卒業後、スポーツ推薦法政大学経営学部に進学。同大学でもボクシング部に入部したが、同級生の不祥事でボクシング部が休部したこともあり、1年で中退。40戦33勝(2KO)7敗のアマチュア実績と才能を高校・大学の先輩でもある高橋美徳会長に認められ国際ジムに入門。

1983年5月、本名「玉熊幸人」としてプロデビュー。同年12月、東日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)新人王、続く1984年2月には全日本同級新人王となった。その後、リングネームを「レパード玉熊」に改名(リングネームの「レパード」は英語で「豹」を意味する)。

1987年2月26日、20戦目で日本王座初挑戦。西川浩二を10回判定に降し、日本フライ級王座獲得。その後、4度の防衛に成功し、1988年9月に王座返上。

1989年3月5日、世界初挑戦。故郷・青森WBC世界フライ級王者・金容江韓国)に挑み、12回判定負けで世界王座奪取ならず。

金戦後3試合(いずれもKO勝ち)を戦い、1990年7月29日茨城県水戸市民体育館において世界再挑戦。WBA世界フライ級1位の指名挑戦者として同級王者・李烈雨(韓国)に挑む。10回、これまでダウン経験のない王者から2度のダウンを奪い、レフェリーストップによるTKO勝ち(正式タイムは10R2分21秒)。31戦目にして世界王者となった(青森県出身ボクサーとしては初)。12月6日には故郷で初防衛戦。元王者ヘスス・ロハスベネズエラ)と対戦し、フルラウンドの死闘の末、引き分け1-0で辛くも防衛成功。 この時の平均視聴率は19.2%であり、高視聴率を記録した。(日本テレビ)

1991年3月14日、2度目の防衛戦。エルビス・アルバレスコロンビア)と対戦するが、12回判定負けで王座陥落。試合後、左眼網膜剥離が判明し、結局この試合を最後に引退した。

引退後、トレーナーとして国際ジムに留まり、小林昭司(後のWBA世界スーパーフライ級王者セレス小林)、松浦広平(後の日本スーパーフライ級王者プロスパー松浦)等を指導。

1995年11月に東京都千代田区九段に「レパード玉熊ジム」を開設。同ジム所属の小林秀一国立大学卒業選手初の日本王者となった。また、後に女子世界王者となる小関桃もアマチュア時代に指導した。

ジムで後進の指導に当たる一方、現在は輪島功一渡嘉敷勝男飯田覚士戸高秀樹等の元世界王者仲間とともに、袴田事件の再審を求める要請書を最高裁判所に提出。元プロボクサーの死刑囚袴田巌の無罪獲得のため活動を続けている。

また、テレビ、ラジオ、映画など多方面にて活躍している。

主な出演[編集]

ほか多数

主な功績[編集]

戦績[編集]

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1983年5月21日 4R 判定 三沢拓人 日本の旗 日本 デビュー戦
2 1983年7月8日 4R 判定 関猛 日本の旗 日本 -
3 1983年9月27日 4R 判定 大胡幸喜 日本の旗 日本 -
4 1983年11月10日 4R 判定 横沢健二 日本の旗 日本 -
5 1983年12月17日 6R 判定 渡真利誠司 日本の旗 日本 全日本新人王獲得
6 1984年2月22日 6R 判定 小山和久 日本の旗 日本 -
7 1984年5月3日 8R 判定 正木高浩 日本の旗 日本 -
8 1984年7月30日 6R KO 谷内均 日本の旗 日本 -
9 1984年10月12日 7R 判定 吉元勝 日本の旗 日本 -
10 1984年12月17日 10R KO 喜友名朝博 日本の旗 日本 -
11 1985年3月28日 8R 判定 横沢健二 日本の旗 日本 -
12 1985年6月18日 7R KO 角田豊 日本の旗 日本 -
13 1985年8月22日 8R 判定 中村欣也 日本の旗 日本 -
14 1985年10月27日 4R TKO 松本友男 日本の旗 日本 -
15 1986年2月27日 10R 判定 船木一良 日本の旗 日本 -
16 1986年5月22日 3R KO 高橋正之 日本の旗 日本 -
17 1986年7月23日 6R 判定 中島俊一 日本の旗 日本 -
18 1986年9月25日 8R 判定 名嘉間堅徳 日本の旗 日本 -
19 1986年11月27日 7R KO 田中正人 日本の旗 日本 -
20 1987年2月26日 10R 判定 西川浩二 日本の旗 日本 日本フライ級タイトル獲得
21 1987年5月28日 10R 判定 西川浩二 日本の旗 日本 防衛1
22 1987年7月20日 4R KO ペッチチャイナート・ドーンチェディー タイ王国の旗 タイ -
23 1987年9月21日 7R KO 松島鉄美 日本の旗 日本 防衛2
24 1987年11月30日 7R TKO エリセール・バウチスタ フィリピンの旗 フィリピン -
25 1988年2月25日 10R 判定 松島鉄美 日本の旗 日本 防衛3
26 1988年6月5日 4R KO 徳島尚 日本の旗 日本 防衛4
27 1989年3月5日 12R 判定 金容江 韓国の旗 韓国 WBC世界フライ級王座挑戦
28 1989年7月8日 3R KO ポーンモンコル・チョビクル タイ王国の旗 タイ -
29 1989年11月11日 3R KO レックス・ラピソ フィリピンの旗 フィリピン -
30 1990年5月10日 10R KO フラッシュ・コロニア フィリピンの旗 フィリピン -
31 1990年7月29日 10R TKO 李烈雨 韓国の旗 韓国 WBA世界フライ級王座獲得
32 1990年12月26日 12R 判定 ヘスス・ロハス ベネズエラの旗 ベネズエラ 防衛1
33 1991年3月14日 12R 判定 エルビス・アルバレス コロンビアの旗 コロンビア 王座陥落

脚注[編集]

[ヘルプ]

報道・インタビューなど[編集]

関連項目[編集]

前王者
西川浩二
第33代日本フライ級王者

1987年2月26日 - 1988年9月5日

次王者
大鵬健文
前王者
李烈雨
第28代WBA世界フライ級王者

1990年7月29日 - 1991年3月14日

次王者
エルビス・アルバレス