京急2000形電車

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京急2000形電車
2扉時代の2021編成
2扉時代の2021編成
編成 4・8両
営業最高速度 120 km/h
設計最高速度 130 km/h
起動加速度 3.0 km/h/s
減速度 3.5 km/h/s(常用最大)
4.0 km/h/s(非常)
車両定員 140人
座席定員 56(先頭車52)人
全長 18,000(先頭車 18,500) mm
全幅 2,799 mm
全高 4,030 mm
パンタグラフ搭載車は4,050 mm
車体高 3,580 mm
車体材質 普通鋼
車両質量 電動車35 t
8両編成の付随車29 t
4両編成の付随車31 t
軌間 1,435(標準軌) mm
電気方式 直流1,500 V
架空電車線方式
主電動機 補償巻線付直流複巻電動機
主電動機出力 120 kW×4
歯車比 80:19 (4.21)
駆動装置 たわみ板式継手
制御装置 界磁チョッパ制御
制動方式 回生制動併用電気指令式電磁直通空気制動応荷重装置付)
保安装置 1号型ATSC-ATS
製造メーカー 東急車輛製造
川崎重工業
備考 営業最高速度、保安装置以外は新製時のデータ
Wikipedia blueribbon W.PNG
第26回(1983年

京急2000形電車(けいきゅう2000がたでんしゃ)は、1982年昭和57年)12月27日に営業運転を開始した京浜急行電鉄電車。おもに快速特急用として設計され、1987年(昭和62年)にかけて72両が製造された。快速特急を中心とした優等列車に運用された後、1998年平成10年)に後継の2100形が登場したのに伴い、2000年(平成12年)にかけて通勤形車両に格下げ改造された。

本項では、京急本線上で南側を「浦賀方」、北側を「品川方」、東側を「海側」、西側を「山側」と呼ぶ。「1000形」は1959年(昭和34年)登場の1000形(初代)、「新1000形」は2002年(平成14年)登場の1000形(2代)、「800形」は1978年(昭和53年)登場の800形(2代)、「700形」は1967年(昭和42年)登場の700形(2代)、「600形」は1956年(昭和31年)登場の600形(2代)を指すものとする。

概要[編集]

(1985年3月6日 品川 - 横浜間)

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600形の代替時期にあわせ、おもに快速特急用として、特に長距離旅客のサービス向上を狙って製造された。料金不要でありながら有料特急に比肩しうる内装をもつこと、快適性とラッシュ時への対応の両立として、2扉クロスシートとしながら扉付近の立ち席スペースを広く取ったこと、120 km/h運転をにらんで起動加速度を犠牲にしながら均衡速度130 km/h以上としたこと、800形のシステムを継承しながら主電動機出力を向上し、編成中に付随車を挿入して経済性を追求したことなどが主な設計思想である。

8両編成は3両1群の電動車ユニット2つの間に付随車を2両挟んでいる。京急の信号システムは先頭台車が電動台車であることを前提に設計されているため、4両編成の場合には電動車ユニット3両の中間に制御回路を引き通した付随車を1両挟み両先頭車を電動車としている。車種構成は、8両編成が浦賀方からM1c-M2-M3-Tu-Ts-M1-M2-M3c、4両編成が同じくM1c-M2-T-M3cである。また、京急で初めて連結器に電気連結器付き廻り子式密着連結器を採用した。

特急料金なしで乗れる車両ながら、車内設備のよさは乗客から好評で、1983年(昭和58年)、鉄道友の会ブルーリボン賞を京急の車両としては初めて受賞した。

所要数に達した1987年(昭和62年)から2100形登場まで、夏ダイヤ時、定期検査時などを除き、基本的に休日および平日日中の快速特急全列車に運用された。600形の後継車と定義される場合もあるが、本形式が登場した1982年当時、600形は車両性能などの関係から平日日中の快速特急6運用のうち2運用に使用されていたに過ぎず、本形式が600形の直接的な後継とは言い難い面もある。車体は普通鋼製。

8両編成と4両編成それぞれ6本、合計72両が1987年までに製造された。快速特急を中心とした優等列車に運用された後、1998年(平成10年)から2000年(平成12年)にかけて格下げ改造が行われ、以降8両編成はラッシュ時の優等列車やエアポート急行として、4両編成は普通列車および優等列車の増結車として運用されている。

車両番号は4桁で表され、1桁目は系列を表す「2」、2桁目は編成両数を表し、8両編成が「0」、4両編成が「4」である。3桁目は編成番号を表し1から付番する。4桁目は編成内の位置を表し、浦賀方から、8両編成が1 - 8、4両編成が1 - 4となっている。それぞれの編成については浦賀方先頭車の番号から「2011編成」「2411編成」などと呼ぶ。設計途中での仮称は「900形」だった[1]

外観[編集]

2扉時代の2000形電車
(2000年8月20日久里浜工場内)

前照灯は中央上部に1灯、側面客用扉は片引き戸方式といった、従来からの伝統的京急デザインを打ち破り、前面窓下に降りて尾灯と一体化したケーシングに収められ、2灯を装備した前照灯や京急としては初の採用となる両開き式の客用扉など画期的なデザインを採用した。車両前面には非貫通式で左右非対称の大型の窓ガラスを採用し、腰部で「く」の字型に折れたスピード感あふれる先頭部デザインとともに、京急のフラッグシップトレインとして意匠が凝らされた。この先頭部デザインは、800形開発時にデザイン案が出されながら採用されなかったものをリファインしたものである[2]

外板塗装は、赤い車体に窓回りを白とした当時の800形の塗装を踏襲したが、本形式の登場後はこの塗装が「優等列車用」(当時)とされたため、800形は赤地で窓下に白帯の他の一般通勤車と同一のものに変更された。

内装[編集]

2扉時代の車内
2扉時代の車内
2扉時代の座席
2扉時代の座席
(2000年8月20日久里浜工場内にて)

片側2扉オールクロスシートで登場した。クロスシートは扉間で集団見合い形、車端部はボックス式に配置されたほか、出入口付近に折りたたみ式の補助座席が備えつけられ、閑散時の着席率向上に寄与した。補助椅子は運転室からのスイッチ操作で電磁ロックできる。運転台の直後はクロスシートではなく、モケットはエンジ色で袖仕切は木目模様のロングシートが配置された。また、扉付近にのみつり革が装備されていた。

関西地区名古屋福岡の私鉄特急に見られる転換クロスシートを採用する案もあったが、製造費が高くなるほか、車両重量が重くなり、折り返し駅での方向転換が必要になることから転換式の採用は見送られた。固定式としたことで2人掛部850 mm、ボックスシート部1720 mmのシートピッチでも必要十分な空間は確保されており、座席それ自体の掛け心地も適切な形状と相まって良好であった。なお、転換クロスシートは本形式の後継車である2100形で採用された。

「お見合いシート」と俗称される集団見合い形の座席配置は、『鉄道ファン』1992年12月号によると、1970年代後半にフランス国鉄 (SNCF) で大量投入した優等客車「コライユ形客車」を参考にしているとされている。

この座席配置は日本国内での採用例が少なく、当形式のほかには東日本旅客鉄道(JR東日本)の「成田エクスプレス」用253系(更新改造後の1 - 4次車)、719系北海道旅客鉄道(JR北海道)キハ54形500番台の一部車両に見られる程度である。また、本形式とほぼ同時期に製造されていた新幹線0系(2000番台および改造車)200系普通車では3人席に集団離反形の座席配置を採用していた。

本形式の場合、前述の『鉄道ファン』での記事によれば背ずりが深く取れることや足下を広く取れること、プライバシーを保てること、グループ客に喜ばれることなどが集団見合い式を採用した理由だが、京急では車体長が短く制限されていることから、車内が狭い印象を与えないためとも言われている。

客室側窓は横引きカーテン併設の固定窓であるが、車体中央および車端のボックスシート部は2連式の下降窓で、またロングシート部は狭幅の下降窓となった。下降窓部カーテンには横引き式とともに巻上式が併設された。製造当初、窓が開けられることが多い季節には横引きカーテンが車外に吸い出されることを防止するため、下降窓部の横引きカーテンを撤去していた。また、当初より車端妻面部に窓は設置されておらず、各車とも連結面にはドアチェック機能付きの貫通扉を装備している。

車内のカラースキームは暖色系が採用されており、座席は窓側がライラック(ピンク系)、通路側がエンジ色と分けられ、壁面は模様入りのベージュ系で客用扉の車内側にも同じ模様の化粧板が貼られており、妻面が木目模様でまとめられていた。また、床面にはコルクを模した模様が施されたほか、ロングシート部を除いて網棚FRP製の前縁(ベージュ色)が装着されている。特急車らしく車内灯にカバーが設けられた。

主要機器[編集]

主電動機[編集]

  • KHM-2000(東洋電機製造〈以下、東洋〉製TDK-8575、三菱電機〈以下、三菱〉製MB-3281-ACの総称、出力120 kW、端子電圧250 V、電流540 A、分巻界磁電流24 A、定格回転数1,270 rpm、定格速度46.6 km/h)

駆動装置・歯車比[編集]

主制御器[編集]

台車[編集]

  • TH-2000M, T(空気ばね車体直結乾式ゴム入り円筒案内支持)

集電装置[編集]

補助電源装置[編集]

M3・M1・T車に搭載。

  • 三菱NC-DAT-140B SIV (140 kVA)

空気圧縮機[編集]

サハ2000形に搭載。

  • C-2000MまたはC-2000L、レシプロ式

4両のみ、改造で取り付け。

  • AR-2、ロータリー式

空調装置(製造時)[編集]

製造時のバリエーション[編集]

2扉時代の2011編成
1995年7月5日 新馬場駅

1982年(昭和57年)12月製造車[編集]

1982年12月に落成した、先行量産的要素を持つ車両。2000形で唯一2社で分けて製造した編成で、浦賀方4両 (2011 - 2014) が東急車輛製、品川方4両 (2015 - 2018) が川崎重工製。これ以降の製造車とは細部が異なる。1984年5月製造車が営業開始したころまでは、補助椅子が使用されておらず、また屋根肩部広告は掲出されず、中吊り広告も京急の広告に限定されていた。

1984年(昭和59年)5月製造車[編集]

  • 8両編成(2本):2021 - 2028 東急車輛製、2031 - 2038 川崎重工製

2011編成の使用実績をもとに細部に設計変更が施された。今回増備の代替として600形の廃車が始まり、16両が廃車された。

  • 前照灯・尾灯ケースのカバー形状を変更。
  • 運転台のデジタル時計を廃止。
  • ワイパーの向きを変更。
  • 車掌側仕切り窓の上部を開閉可能に変更。
  • 下降窓部のロールアップカーテン色を灰色からベージュに変更。
  • 下降窓部窓枠の形状を変更。
  • 車端部吊革を設置。
  • 下降窓が車体外側からも開閉できるよう取っ手を設置。
  • シート下の足元の蹴込み板に凹みを設置。
  • 肘掛支柱の形状・色を変更。
  • 車内スピーカを肩部から天井に移動。
  • 鴨居部の内装板処理を変更、角をR処理し折れ部が目立たなくなった。
  • Ts車床下機器配置を変更。
  • コンプレッサを低騒音型に変更。
  • 増粘着装置をエアシリンダで車輪に清掃子を押し付ける方式からバネで押し付ける方式に変更。

1985年(昭和60年)2月・3月製造車[編集]

2扉時代の2000形4連x2の快特。
三崎口→三浦海岸にて
  • 8両編成(1本):2041 - 2048 川崎重工製
  • 4両編成(2本):2411 - 2414・2421 - 2424 東急車輛製

増結用4両編成2本を含む3編成16両が製造された。12連の通勤快特にも充当されることとなり、600形は定期快特運用から外れた。8両編成では補助電源装置をパンタグラフのない中間電動車(3号車・6号車)に搭載していたが、4両編成では該当する車両がないため、これをT車に搭載している。4両編成は2扉時代はその後の増備車も含め8両編成で運用される場合は必ず同時に製造された編成同士を組み合わせていた。主な設計変更点は下記。代替として600形8両が廃車された。

  • 立客用座席取手形状を変更。
  • 車内スピーカを屋根に埋め込み。
  • 運転台にマスコンニュートラル表示灯を追加。
  • 補助椅子を海側・山側別々にロックできるよう変更。

1986年(昭和61年)2月・3月製造車[編集]

  • 8両編成(2本):2051 - 2058 川崎重工製、2061 - 2068 東急車輛製
  • 4両編成(2本):2431 - 2434 東急車輛製、2441 - 2444 川崎重工製

前回製造車から設計変更はない。この年の3月末をもって600形16両が廃車され全廃となった。今回の増備で日中の快特所定8運用全てを2000形で賄えるようになり京急もその旨を宣伝したが、実際は予備車に余裕がなく定期検査入場時などは昼間でも1000形の快特運用が見られることがあった。

1987年(昭和62年)6月製造車[編集]

  • 4両編成(2本):2451 - 2454 川崎重工製、2461 - 2464 東急車輛製

最終増備車。前回、前々回製造車から設計変更はない。前回製造分で増備は完了の予定だったが、夕方・夜間時間帯の下り快特の12連化に伴い追加製造された[3]

各種改造工事[編集]

製造後に多種の改造工事が行われている。

2011編成固有の各種改造[編集]

他編成と異なる仕様が多かった2011編成だが、1983年(昭和58年)に初めて重要部検査入場した際に運転台デジタル時計撤去、車端部吊革増設が行われた。その後、1989年ごろの定期検査入場時に座席が交換され、1984年以降製造車と同様にシート下の足元の蹴込み板に凹みを設置、肘掛支柱の形状・色が変更された。同編成では補助椅子カバー色が2021編成登場までに何回か変更され、補助椅子自動復帰機構の調整も繰り返し行われていた。

120 km/h対応改造[編集]

1995年平成7年)4月のダイヤ改正より120 km/h運転を一部列車・区間で実施することに伴い、120 km/hからの非常制動時の停止距離を600 m以内とするための改造工事が全車を対象に行われた。元空気溜圧力を増加させたため、通称「増圧ブレーキ」と呼ばれる。

ドアチェック機能廃止[編集]

貫通仕切扉を確実に閉じることで車内の低騒音化を狙って設けられた貫通仕切扉ドアチェック機能だったが、開閉時に扉が重くなるため、1997年ごろに撤去された。

3扉化改造[編集]

3扉改造後の2000形
金沢八景-金沢文庫間にて

登場以来快特運用を中心に使用され、車歴の浅い車両ながら走行距離が伸び、足回りの老朽化が懸念されたため、快速特急(現・快特)を中心とした運用を後継のクロスシート車2100形に譲り、3扉ロングシートに改造して、ラッシュ時中心に使用することになった。ロングシート化された本形式が玉突きで1000形700形の運用を置き換えていった。この改造は車体の中央部分を切り取ってから戸袋と出入り口を開口した側構体を溶接する形で施工され[4]、最初の2011編成のみ東急車輛製造で、その他は京急車両工業(現・京急ファインテック)にて施工された。

先頭車には車椅子スペースが設置され、車端部のクロスシートと補助座席は存置された[5]。ロングシートは京急で初めて片持ち式座席が採用され、袖仕切りは大型のものとなった。カーテンは従来の横引き型のままとされた[5]。側面の塗装は窓周り白の優等列車塗装から赤一色に窓下の白帯が1本の通称・一般車塗装に変更された[5]。同時に、車端部の「KHK」のロゴは「KEIKYU」に変更され、側面に取り付けられていたサボ受けは撤去されている。2011編成のワイパーの向きは、この改造の際に他編成と揃えられた。

改造時に取り外されたクロスシートは、京急車両工業の工場一般公開時に販売されたほか、アメリカ海軍横須賀基地の送迎用バスや、鉄道総合技術研究所(JR総研)が所有するフリーゲージトレインに流用されたものがある。また、東京観光専門学校の鉄道サービス実習室の座席にも流用されている[6]

2100形の増備につれて格下げ改造が進み、最後まで残ったオリジナル車両(2051編成)も、2000年平成12年)8月27日のラストランを最後に全て改造された。

電気連結器配列変更[編集]

本形式の電気連結器配列は1500形以降の形式と異なっていたが、2000年(平成12年)7月22日のダイヤ改正で分割併合列車が大幅に増えたため、配列を変更し他形式と連結が可能になった。

空気圧縮機増設[編集]

4両編成は当初単独運用を考慮しておらず、空気圧縮機が1台しか搭載されていなかったが、2000年(平成12年)7月以降単独運転される機会が増え、空気圧縮機が故障した場合運行不能となることを防ぐため2003年12月から2004年3月にかけて浦賀方先頭車に廃車発生品のロータリ式空気圧縮機(AR-2形)を搭載した。

方向幕交換[編集]

2000年代に入ってからは行先表示器の字幕を白地黒文字・英語併記のものに順次変更された。

転落防止幌設置[編集]

2000年代から転落防止用外幌の設置が進められている。

冷房装置交換[編集]

2002年から、冷房装置が1500形更新車などと同様のCU-71E-G1に順次交換された。

運用[編集]

先頭車の車体長が都営地下鉄浅草線相互乗り入れ協定より長く、800形同様前面に非常用貫通路がないため、運用は品川以南の自社線内のみに限定されており、品川以北や都営地下鉄浅草線への乗り入れはできない。8両編成は、ラッシュ時の優等列車(特急・快特)とエアポート急行羽田空港国内線ターミナル - 新逗子間)を中心に運用されている。4両編成は自社線内の普通列車を中心に、ラッシュ時には優等列車の増結車としても運用されている。

2010年10月13日には2411編成と2441編成が初めて大師線に入線し、京急川崎 - 小島新田間で試運転が実施され[7]2010年11月3日には2411編成が初めて大師線で営業運転を行った[8]

京急社内で使用されている列車の車両組成を表す表には8両編成は「8MT」、4両編成は「4MT」[9]と表記される。

特別列車・特殊塗装など[編集]

2011編成・2051編成は「御乗用列車」としても運用されたことがある。2011編成は1984年(昭和59年)2月に浦賀で行われた帆船日本丸の進水式の際、今上天皇皇后皇太子・同妃時代に浦賀に向かうために、デハ2016に乗車し中央部のボックス席に着席した[10]。2051編成には1986年(昭和61年)3月に、同様に今上天皇・皇后が皇太子・同妃時代に京急油壺マリンパークを訪問した際に運用された。

1985年10月16日から「さわやかアップ京急運動」の一つとして、2031編成を使用して車内に京急沿線の幼稚園小学校の園児や児童および各サークルが描いた絵画や写真などを展示する「さわやかギャラリー号」の運行を開始した。1986年3月から2011編成に変更され、1997年11月には2011編成の格下げ改造のため2061編成に変更されたが、1999年3月31日をもって終了した。下記の特別塗装実施前後で若干装飾が異なっていた。

1995年まで存在した夏季ダイヤでは本形式は号車指定列車「ミュージックトレイン号」に運用され、毎年8両編成3本に「ミュージックトレイン号」用に号車番号を窓に掲示、車内には出演歌手のPRポスターが展示するなどの特別装備が施された。2031編成が「ミュージックトレイン号」用装備とされた年は期間中「さわやかギャラリー号」としての運行を休止していた。

1988年から1991年まで、京急創立90周年を記念して8両編成2本(2011編成・2041編成)に特別塗装が施された。2011編成は「さわやかギャラリー号」の特別塗装車として、2041編成は「ファンタジックトレインみらい号」として運行した。デザインは久里洋二による。1989年1月7日昭和天皇崩御の際は先頭車前面に喪章を貼付して運転された。2011編成は1990年相模湾アーバンリゾート・フェスティバル1990開催中には「SURF'90号」として運行された。

1992年(平成4年)から夕方ラッシュ時下りのみ運転の号車指定制列車「京急ウィング号」に、2100形に置き換えられるまで運用された。

2011年1月には、2011編成がニューイヤーラッピングを施して運行された。これは2011年と2011編成にちなんでいる[11]

2013年には2011編成が登場時の塗装に戻された。同年1月17日に2000形登場30周年を記念し2000形リバイバル塗装電車を1月下旬から運転を発表(行先種別表示や標記類、車内設備等の車体の塗装以外の変更はない)。同時に記念乗車券も発売された[12]

廃車[編集]

2012年度から廃車が始まっている[13][14][15]

  • 2012年5月 2411編成・2421編成・2431編成[16]
  • 2014年7月 2021編成[17]
  • 2016年3月 2441編成・2461編成[18]
  • 2016年10月 2451編成

脚注[編集]

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  1. ^ 『日本の私鉄14 京浜急行』(1982年4月5日発行)より
  2. ^ 『鉄道ファン』1992年12月号に掲載された記事による。
  3. ^ 鉄道ピクトリアル』1988年8月増刊号・京浜急行電鉄特集より
  4. ^ 『鉄道ピクトリアル』通巻656号「特集 京浜急行電鉄」pp.42-43
  5. ^ a b c 鉄道ファン』第38巻第5号、交友社1998年5月、 62-63頁。
  6. ^ 同校公式サイト「施設案内」に写真が掲載されている。
  7. ^ 【京急】2000形 大師線入線試験」ネコ・パブリッシング『鉄道ホビダス』RM News 2010年10月15日
  8. ^ 京急2000形が大師線で営業運転を開始 鉄道ファン・railf.jp 2010年11月4日
  9. ^ 『京急ダイヤ100年史』p274
  10. ^ 『京浜急行今昔物語』より。
  11. ^ 京急"初日号"運転”. 鉄道ファン・railf.jp (2011年1月2日). 2011年1月27日閲覧。
  12. ^ 京急2000形 誕生30周年 「リバイバル塗装 記念乗車券」発売!”. 京急電鉄 (2013年2月6日). 2014年12月19日閲覧。
  13. ^ 『鉄道車両年鑑2013年版』p113
  14. ^ 『鉄道車両年鑑2015年版』p128
  15. ^ 『鉄道車両年鑑2016年版』p103
  16. ^ 『鉄道車両年鑑2013年版』p220
  17. ^ 『鉄道車両年鑑2015年版』p241
  18. ^ 『鉄道車両年鑑2016年版』p218

参考文献[編集]

書籍[編集]

  • 吉村光夫 『日本の私鉄14 京浜急行』 保育社1982年
  • 吉本尚 『京急ダイヤ100年史』 電気車研究会1999年。ISBN 4885480930。
  • 佐藤良介 『京急の車両 現役全形式・徹底ガイド(JTBキャンブックス)』 JTBパブリッシング、2004年。ISBN 9784533055461。

雑誌記事[編集]

  • 鉄道ファン』通巻263号(1983年3月・交友社
    • 「新車ガイド 京急2000形」 pp. 102-109
  • 『鉄道ファン』通巻380号(1992年12月・交友社)
    • 土岐 實光「ある車両技術者の回想 6 京浜急行電鉄800形と2000形」 pp. 102-109
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻501号「特集 京浜急行電鉄」(1988年9月・電気車研究会)
    • 小暮 洋「私鉄車両めぐり 136 京浜急行電鉄」 pp. 157-189
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻518号(1989年10月・電気車研究会)
    • 小暮 洋「私鉄車両めぐり 138 京浜急行電鉄 補遺」 pp. 62-71
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻656号「特集 京浜急行電鉄」(1998年7月・電気車研究会)
    • 園田 淳「私鉄車両めぐり 160 京浜急行電鉄」 pp. 209-259
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻677号(1998年7月・電気車研究会)
    • 園田 淳「私鉄車両めぐり 160 京浜急行電鉄 補遺」 pp. 47-53
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻881号「鉄道車両年鑑2013年版」(2013年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2012年度民鉄車両動向」 pp. 100-133
    • 「車両データ 2012年度民鉄車両」 pp. 217-238
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻909号「鉄道車両年鑑2015年版」(2015年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2014年度民鉄車両動向」 pp. 119-151
    • 「車両データ 2014年度民鉄車両」 pp. 237-248
  • 『鉄道ピクトリアル』通巻923号「鉄道車両年鑑2016年版」(2016年10月・電気車研究会)
    • 岸上 明彦「2015年度民鉄車両動向」 pp. 93-123
    • 「車両データ 2015年度民鉄車両」 pp. 215-227