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力也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

力也(りきや、1947年7月19日[1] - )は、日本俳優タレントロックヴォーカリスト。身長187cm。東京都港区生まれの埼玉県行田市育ち。

2001年以前は本名の安岡 力也(やすおか りきや)名義[2]で活動していたが、離婚を機に姓のない芸名に改名した。なお、俳優のRIKIYAとは別人である。

目次

来歴

1964年東宝映画『自動車泥棒』に、混血児の少年役で主演し、芸能界デビュー。その後、グループ・サウンズシャープ・ホークス」にボーカルとして参加し、1966年にはシングル『ついておいで』でキングレコードよりレコードデビューを果たす。同年末に発売したシングル『遠い渚』と翌1967年夏発売で新メンバーとしてジミー・レノンを加えレコーディングした『海へ帰ろう』がグループの代表曲となりザ・タイガースにとって最初のライバルグループとなる。

シャープ・ホークスと並行して一時期は、ヘビー級ミドル級キックボクサーをしており、4試合で3勝1敗の成績を残した。ただし相手は素人が多かったと自ら述べている[3]

1969年にグループ解散後は主に俳優として活動。映画会社の東映の撮影所では若山富三郎の派閥に属して、山城新伍の下についていた[4]

仕事を干されていた時期に梅宮辰夫に救ってもらい[5]、梅宮主演の『不良番長』シリーズにレギュラー出演し、以降、梅宮を兄貴分として信奉している。この映画の現場は台本を重視しない事で有名だったが、ある日ゲスト出演した地井武男が現場で台本を読んでいる姿を見て、梅宮に「兄貴。野郎、本読んでますぜ。締めちゃいましょうか?」と伝え、同じく出演していた山城新伍に「役者が台本読むのは当たり前やがな」と言われた。

1982年11月に、バラエティ番組オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の1コーナーである「タケちゃんマン」に出演中、せりふの「ホラ貝」を「ホタテ貝」と言い間違えたことをきっかけに「ホタテマン」として出演[6]

詳細は「ホタテマン」を参照

以降、1980年代からは、バラエティ番組にも進出。2001年春日井製菓コマーシャルで「黒飴マン」に扮した。近年はVシネマを中心に活躍中。

2005年肝臓病で入院、一時復帰したが2006年6月下旬にギラン・バレー症候群罹患である疑いのため東京都内の病院に入院、同年7月から出演予定だった舞台を降板して、2008年時点では山梨県の病院でリハビリをしていた[7]。2009年8月にはキックボクシングのKICKGUTSの大会で公の場に姿を見せ、肩を借りて歩いている姿が目撃された[8]。この療養生活で、かつての100kg以上の隆々とした体格は、一時70kg台にまで激減したが、療養生活を終える頃には元の体格に戻っている。

2010年5月17日放送の『徹子の部屋』にリハビリ後の復帰初仕事として出演。付き人をしている息子の力斗(24歳)も出演。なおゲスト名テロップは「安岡力也」であった。会話の随所に自分を「獅子」と称して、復帰をアピールしている。

エピソード

  • 強面で、実際に上下関係に厳しかったりするが、シャレを理解しバラエティ番組などでイジられることを好む。
  • 祖父はシチリアンマフィアで、イタリア人の血が4分の1混じっていると自称している。
  • 映画『少林寺拳法』(1975年、東映東京)に出演をしたのがきっかけで始め少林寺拳法五段。

  テレビ番組で相手の回し蹴りに対し、「喧嘩じゃあ内側に回りこむこういう技がある」と、払い受け段突きを披露していた。

  • 稲川淳二は幼馴染[9]。『ドラえもん』のジャイアンのび太のような関係だった。
  • 山中で生き残るというサバイバルゲームで、ヘビを食い、ヤギ獣姦し、またそれを自ら武勇伝のごとくテレビで語った経験あり。
  • ヘビースモーカーとしても有名。ある番組で、催眠術の力で力也が煙草を吸えなくなるといった企画も行われた。大病を患ってから禁煙、禁酒を始めたと徹子の部屋で語った。
  • プロレスラー武藤敬司とも親交があり、『FIGHTING TV サムライ』の武藤の番組『プロレスの砦』(トーク番組)で対談をし、「いつか二人で何かをやりましょう」という熱い言葉を交わしていた。
  • ダウンタウンの番組にゲスト出演した際に、実兄は本物のヤクザで代紋を継いでいると告白している。
  • 2004年5月頃、過去数度に渡る覚醒剤容疑で逮捕されているタレント清水健太郎が再び覚醒剤で逮捕された際に、知人のゴルフコンペの最中に報道陣からその事実を知らされた安岡は、「何っあいつまたやったのかよ。俺は前回(逮捕)の後にボコボコに締めてやったんだよ。今回という今回は許さねえぞ。」と傍らにいる梅宮辰夫と共に息巻いていた。
  • 2004年頃、広島市長選挙に立候補した広島東洋カープ元監督の古葉竹識(当時はプロ野球マスターズリーグ監督で現在は野球評論家)の応援演説に登場し一肌脱いだが、その甲斐無く古葉はあえなく落選してしまった(現職の秋葉忠利の再選)。

出演作品

映画

  • 自動車泥棒(1964年、東宝
  • 野良猫ロック セックスハンター(1970年、日活
  • 不良番長 出たとこ勝負(1970年、東映東京)
  • 不良番長 やらずぶったくり(1971年、東映東京)
  • 不良番長 のら犬機動隊(1972年、東映東京)
  • 不良番長 一網打尽(1972年、東映東京)
  • 不良番長 骨までしゃぶれ(1972年、東映東京)
  • 非情学園ワル(1973年3月、東映東京)
  • 非情学園ワル 教師狩り(1973年7月、東映東京)
  • ボディガード牙(1973年、東映東京)
  • ボディガード牙 必殺三角飛び(1973年、東映東京)
  • 実録安藤組 襲撃篇(1973年、東映東京)
  • 非情学園ワル ネリカン同期生(1974年3月、東映東京)
  • 安藤組外伝 人斬り舎弟(1974年、東映東京)
  • 直撃!地獄拳(1974年、東映東京)
  • 直撃地獄拳 大逆転(1974年、東映東京)
  • 女必殺拳 危機一発(1974年、東映東京)
  • 少林寺拳法(1975年、東映東京)
  • けんか空手 極真無頼拳(1975年、東映東京)
  • 華麗なる追跡(1975年、東映東京)
  • トラック野郎 御意見無用(1975年、東映東京)
  • エロチックな関係(1978年、にっかつ
  • 野獣死すべし(1980年、東映 / 角川春樹事務所
  • 戦争の犬たち(1980年、アサルトプロ)
  • ヨコハマBJブルース(1981年、東映セントラルフィルム)
  • 吼えろ鉄拳(1981年、東映)
  • 水のないプール(1982年、東映セントラルフィルム / 若松プロ
  • 十階のモスキート(1983年、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)
  • 唐獅子株式会社(1983年、東映)
  • 伊賀野カバ丸(1983年、東映)
  • タンポポ(1985年、東宝 / 伊丹プロ
  • コミック雑誌なんかいらない!(1986年、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ)
  • 新宿純愛物語(1987年、東映)
  • 塀の中のプレイ・ボール(1987年、松竹
  • 極道の妻たちII(1987年、東映)
  • 悪魔の毒々モンスター 東京へ行く(1988年、アメリカ)
  • 座頭市(1989年、松竹 / 勝プロ
  • ブラック・レイン(1989年、パラマウント映画
  • 必殺!5 黄金の血(1991年、松竹) - 腕助
  • いつかギラギラする日(1992年、松竹)
  • 新極道の妻たち 惚れたら地獄(1994年、東映)
  • 修羅がゆく(1995年 - 2000年、Knack / アルゴ・ピクチャーズ) - 春田組組長・春田昇
  • 新・仁義の墓場(2002年、大映 / 東映ビデオ
  • すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史(2003年、「すてごろ」制作委員会)
  • 首領への道 劇場版 前編(2003年、村上劇画プロ / シネマ・クロッキオ)
  • IZO(2004年、IZOパートナーズ)

テレビドラマ

オリジナルビデオ

CM

広告活動

舞台

脚注

  1. ^ 所属事務所のプロフィールでは誕生日が1946年7月19日となっている。
  2. ^ 「安岡リキヤ」と表記していた時期もある。
  3. ^ 浅草キッド『濃厚民族』スコラマガジン、2003年、pp.99-103。浅草キッドとの対談より。
  4. ^ 『濃厚民族』pp.112-113。
  5. ^ 『濃厚民族』p.110。
  6. ^ 「オレたちひょうきん族クロニクル」『笑芸人』1999冬号VOL.1、高田文夫責任編集、白夜書房、1999年、p.38.
  7. ^ 「激ヤセ安岡力也は山梨の病院でリハビリ中」『週刊新潮』2008年6月5日号。
  8. ^ 吉田豪「新書評の星座」『ゴング格闘技』2009年10月号。
  9. ^ 『人間コク宝』p.137。

関連項目

  • ホタテマン
  • 三根信宏
  • 内田裕也
  • 稲川淳二
  • ホタテガイ
  • 井上宗孝とシャープ・ファイブ - 1960年代後半に主として活躍したエレキバンド(グループ・サウンズ)。元々は「シャープホークスとそのグループ」、つまりシャープホークスが唄、シャープファイブが演奏という形態だった。コーラスグループとしてシャープホークスがレコードデビューした後も、同グループのバックバンドを長らく務めた。