北澤豪

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北澤 豪 Football pictogram.svg
Tsuyoshi Kitazawa Japan Italy legend match.jpg
名前
愛称 キーちゃん、中盤のダイナモ
カタカナ キタザワ ツヨシ
ラテン文字 KITAZAWA Tsuyoshi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1968-08-10) 1968年8月10日(48歳)
出身地 東京都町田市
身長 170cm
体重 67kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1991 日本の旗 本田技研 71 (16)
1991-1992 日本の旗 読売クラブ 20 (2)
1992-2002 日本の旗 ヴェルディ川崎/東京ヴェルディ 265 (41)
代表歴
1991-1999[1] 日本の旗 日本 58 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説■サッカー選手pj

北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は東京都町田市出身の元サッカー選手。ポジションはMF。現在は日本サッカー協会理事、日本障がい者サッカー連盟会長[2]三桂所属のタレントサッカー解説者としても活躍している。

略歴[編集]

選手時代[編集]

小学生時代は町田SSS、町田市の町田JFC、中学時代は読売ジュニアユースに在籍。修徳高等学校に進学後はユースとの掛け持ちを認められず部活動に専念、1985年に全国高校サッカー選手権出場、翌1986年に高校総体ベスト8進出に貢献した。卒業後は宮本征勝監督の勧誘もあり本田技研工業サッカー部に入部した(同い年で同期就職に古川昌明)。

当初は出場機会に恵まれなかったが徐々に頭角を現し、1990-91シーズンの日本サッカーリーグで得点王に輝いた。この活躍が認められ日本代表に選出されると、1991年4月4日のスパルタク・モスクワとの親善試合で代表デビューを飾り、同年6月のキリンカップでは2得点を決める等、日本の初優勝に貢献した。

1991年に古巣である読売クラブ(後のヴェルディ川崎。現東京ヴェルディ)に倉田安治と一緒に移籍。三浦知良ラモス瑠偉武田修宏柱谷哲二ビスマルクらと共にヴェルディ黄金時代を支える主力選手となった。晩年は出場機会に恵まれなくなったもののヴェルディ一筋。旺盛な闘志と豊富な運動量を誇るプレースタイルから、中盤の“ダイナモ”と称された。技術的にはトラップ、ボレーが非常にうまい。三浦知良と仲がいいことで知られている。この頃の人気は幅広く、1994年にはベストジーニスト賞にも選ばれている[3]

現役時代から肩まで伸びた長髪がトレードマークとなっているが、Jリーグ開幕前は短髪だった。本田技研工業サッカー部に所属していた当時は"プロ選手"ではなく、同社に勤務する"会社員"という立場だったため、頭髪を伸ばすことができなかったそうである。読売クラブに移籍してから頭髪を伸ばし始め、1992年頃には現在の長髪になった。

1998年FIFAワールドカップ・フランス大会では、前年のアジア予選突破に貢献したにも関わらず、開幕直前のフランスでの合宿後に三浦知良と共にメンバーから外されるという苦難を味わった。

先のようにJリーグではヴェルディ一筋でプレーし2002年に現役を引退した。引退試合には多くのファン・指導者・プレーヤーなどが集まるなど、ファンのみならず多くのプロからも高い評価・人気があったことを物語る。

Jリーグ開幕後はスタメン選手は11以下の背番号という決まりがあったため8番をつけた(固定背番号制になっても8を着用)が、好きな背番号は戸塚哲也にあこがれて14だった。

なお本田技研所属時、第1回FIFAフットサル世界選手権出場の為に本田の選手によって構成されたフットサル日本代表にも選出されており[4]、グループリーグの対カナダ戦で2得点を挙げている。

引退後[編集]

四ツ木駅前に設置されている北澤豪の足型レリーフ。

引退後はサッカー解説者を務める傍ら2003年4月からはJFAアンバサダーとして、若年層へのサッカーの普及活動にも積極的に取り組んでいたが、多忙のためか2006年3月に同職を退任している。現在はフットサルチーム監督の他、日本サッカー協会特任理事兼国際委員、サッカースクールフットボールコミュニケーションアカデミー主宰、国際協力機構(JICA)オフィシャルサポーター。カンボジアアフリカ大陸の難民にサッカーの文化を広めようとサッカー教室・講演などを行っている。また、人気サッカーゲーム「ウイニングイレブン」シリーズでの解説を長年務めている。

三桂に所属している点からTBS色・関口宏ファミリーが濃いと思われがちだが、引退当初はNHK衛星テレビに出演。その後は読売グループ繋がりで日本テレビへの出演が多く、スポーツ報知の専属評論家も務めている。2004年4月改編から、日本テレビ系のスポーツニュース番組『スポーツMAX』(2005年10月から『スポんちゅ』と改名)月曜日のコメンテーター及び『ズームイン!!サタデー』のコメンテーターとして出演。2006年10月からの『スポんちゅ』の後番組『NEWS ZERO』にも引き続き出演している。また、WOWOWの海外サッカー中継の解説や絵本「ぼく(わたし)と魔法のスパイク」を執筆するなど幅広い活躍をしている。

2012年4月、日本フットサルリーグ(Fリーグ)のCOO補佐に就任。同年5月には日本スポーツ振興センターによる「NAASH スポーツ・ジャパン・アンバサダー」にも就任。2012年6月、日本サッカー協会理事に就任。2016年4月には新たに設立された日本障がい者サッカー連盟会長に就任している[2]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度 クラブ 背番号 リーグ リーグ戦 リーグ杯 オープン杯 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1987-88 本田 JSL1部 0 0
1988-89 7 0
1989-90 13 22 4 0 0
1990-91 22 10 1 0
1991-92 読売 14 20 2 4 1 5 0 29 3
1992 V川崎 - J - 11 1 2 2 13 3
1993 35 6 1 1 3 2 39 9
1994 40 9 3 1 2 1 45 11
1995 40 11 - 3 0 43 11
1996 28 4 15 5 5 2 48 11
1997 8 29 1 0 0 2 0 31 1
1998 34 5 0 0 3 0 37 5
1999 J1 28 4 3 1 3 2 34 7
2000 4 0 1 0 0 0 5 0
2001 東京V 23 0 0 0 0 0 23 0
2002 4 1 2 0 0 0 6 1
通算 日本 J1 265 41 36 9 28 9 329 59
日本 JSL1部 71 16
総通算 336 57

その他の公式戦

個人タイトル[編集]

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 58試合 3得点(1991年 - 1999年)[1]


日本代表 国際Aマッチ
出場 得点
1991 2 0
1992 11 1
1993 4 0
1994 7 1
1995 14 1
1996 5 0
1997 11 0
1998 3 0
1999 1 0
通算 58 3

サッカー以外での受賞歴[編集]

  • ベストジーニスト(協議会選出部門:1994年)
  • アクアピースゴールデンハート賞(2001年) ※アクアピースネットワーク主催[5]

出演[編集]

テレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

CM[編集]

ゲーム[編集]

ディスコグラフィ[編集]

参加作品[編集]

  • 16 Voices - 『ひとり ひとつ』(2015年10月1日)[6]

脚注[編集]

  1. ^ a b “北澤 豪”. サッカー日本代表データベース. http://www.japannationalfootballteam.com/players_ka/tsuyoshi_kitazawa.html 
  2. ^ a b “日本障がい者サッカー連盟発足 元代表MF北澤豪氏が初代会長就任”. スポーツ報知. (2016年4月2日). http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160402-OHT1T50076.html 2017年2月14日閲覧。 
  3. ^ 歴代受賞者”. ベストジーニスト. 2013年9月21日閲覧。
  4. ^ 北澤豪・藤井健太 - ぴあ「@ぴあインタビュー」
  5. ^ アクアピースゴールデンハート賞.NPO法人/アクアピースネットワーク.2016年元日閲覧。
  6. ^ 青年海外協力隊50周年ソングを川嶋あい、乙武洋匡、倉木麻衣、宮沢和史ら16組歌う”. 音楽ナタリー (2015年10月1日). 2015年10月1日閲覧。

関連項目[編集]