反正天皇

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反正天皇

在位期間
反正天皇元年1月2日 - 同5年1月23日
先代 履中天皇
次代 允恭天皇

陵所 百舌鳥耳原北陵
別称 多遅比瑞歯別尊
水歯別命
父親 仁徳天皇
母親 磐之媛命
夫人 津野媛
弟媛
子女 香火姫皇女
円皇女
財皇女
高部皇子
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天皇系図 15~26代

反正天皇(はんぜいてんのう、仁徳天皇24年? - 反正天皇5年1月23日)は、第18代天皇(在位:反正天皇元年1月2日 - 同5年1月23日)。多遅比瑞歯別尊(たじひのみずはわけのみこと)・水歯別命(古事記)。

宋書』・『梁書』に記される「倭の五王」のうち(彌)に比定する説が有力視される[1]

系譜[編集]

仁徳天皇の第三皇子。母は葛城襲津彦の女・皇后磐之媛命(いわのひめのみこと)。履中天皇住吉仲皇子の同母弟、允恭天皇の同母兄に当たる。

  • 皇夫人:津野媛(つのひめ。大宅臣の祖和珥木事の女)
    • 香火姫皇女(かいひめのひめみこ、甲斐郎女)
    • 円皇女(つぶらのひめみこ)
  • 妃:弟媛(おとひめ。津野媛の妹)
    • 財皇女(たからのひめみこ、古事記に財王で男性)
    • 高部皇子(たかべのみこ、古事記に多訶弁郎女で女性)

なお、「皇夫人」と称されたのは史上津野媛ただ一人である。(「皇太夫人」とは異なる。)

皇后を立てなかったのは、成務天皇に次いで史上2人目。

皇居[編集]

都は丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや、大阪府松原市上田七丁目の柴籬神社が伝承地)。

略歴[編集]

淡路宮(不詳、淡路島?)で生まれ、容姿美麗であった。生まれながらにして綺麗な歯並びであったので、瑞歯別の名があるという。

古事記』によれば、身長は92半(約3.04m)、水歯別命の名は、歯の長さが1寸、広さ(厚さ)は2分(4ミリ)で、上下等しく整っており、歯を褒め称えて、「水歯」と名付けられたことによる。

仁徳天皇87年、父仁徳天皇の崩後、叛乱を起こした同母兄の住吉仲皇子をその近習である曽婆訶理隼人)を利用して誅殺した(従って、直接手は下していない)。履中天皇2年1月4日に立太子皇太弟)。同6年3月15日に履中天皇が崩御し、翌反正天皇元年1月に即位。兄弟継承はここに始まる。同年8月6日、共に和珥木事の娘である和珥津野媛を皇夫人に、和珥弟媛を妃に立てる。同母兄弟の2天皇と異なり皇族の妻を娶ることはなく、皇太子も立てず、子孫が即位することもなかった。10月に河内丹比を都とする。天下太平であり、何事もなく在位5年。反正天皇5年1月に崩御。『古事記』『水鏡』に60歳。『古事記』に従えば、崩御した「丁丑年七月」は西暦437年に相当し、生年は逆算して、兄履中天皇より9歳年下の西暦378年に相当するが、定かではない。

陵・霊廟[編集]

反正天皇の(みささぎ)は、宮内庁により大阪府堺市堺区北三国ヶ丘町2丁にある百舌鳥耳原北陵(もずのみみはらのきたのみささぎ)に治定されている。公式形式は前方後円。考古学名は田出井山古墳前方後円墳、全長148m)。

上記とは別に、大阪府堺市北区百舌鳥西之町にある宮内庁の東百舌鳥陵墓参考地(ひがしもずりょうぼさんこうち)では、反正天皇の空墓に想定されている[2]。考古学名は土師ニサンザイ古墳

また皇居では、皇霊殿宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに天皇の霊が祀られている。

在位年と西暦との対照[編集]

反正天皇の在位について、実態は明らかでない。『日本書紀』に記述される在位を機械的に西暦に置き換えた年代については「上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧」を参照。

脚注[編集]

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  1. ^ 反正天皇(国史).
  2. ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。

参考文献[編集]