国鉄C11形蒸気機関車

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C11形蒸気機関車
C11 1(2006年5月14日 青梅鉄道公園)
C11 1(2006年5月14日 青梅鉄道公園)
基本情報
運用者 鉄道省日本国有鉄道
製造所 汽車製造川崎車輛
日立製作所日本車輌製造
製造年 1932年 - 1947年
製造数 381両
愛称 Cのチョンチョン
主要諸元
軸配置 1C2
軌間 1,067 mm
全長 12,650 mm
全高 3,900 mm
機関車重量 66.05 t(運転整備時)
動輪上重量 36.96 t(運転整備時)
動輪径 1,520 mm
軸重 12.40 t(第3動輪上)
シリンダ数 単式2気筒
シリンダ
(直径×行程)
450 mm × 610 mm
弁装置 ワルシャート式
ボイラー圧力 14.0 kg/cm2
後に15.0 kg/cm2
ボイラー水容量 3.8 m3
大煙管
(直径×長さ×数)
127 mm×3,200 mm×24本
小煙管
(直径×長さ×数)
45 mm×3,200 mm×87本
火格子面積 1.60 m2
全伝熱面積 103.0 m2
過熱伝熱面積 29.8 m2
全蒸発伝熱面積 73.2 m2
煙管蒸発伝熱面積 63.2 m2
火室蒸発伝熱面積 10.0 m2
燃料 石炭
燃料搭載量 3.00 t
水タンク容量 6.8 m3
制動装置 自動空気ブレーキ
最高運転速度 85 km/h
最大出力 783 PS
定格出力 610 PS
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運転席(C11 75、倉吉線鉄道記念館
貨車を牽引するC11 289
(1973年11月 会津桧原 - 会津西方間)

国鉄C11形蒸気機関車(こくてつC11がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省1932年昭和7年)に設計した過熱式のタンク式蒸気機関車である。

概要[編集]

老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車である。

開発経緯[編集]

1920年代の国鉄では、第一次世界大戦終結後の日本経済の低迷と、特に都市部での並行私鉄線や自動車の台頭などの事情から、旅客・貨物輸送ともに輸送単位の縮小や列車運行回数の高頻度化が求められるようになっていた。

そこでその要請に応えるべく、C51形C53形といった大型制式蒸気機関車の新製投入で余剰となった、6200形などの鉄道国有化以前に製造された軸配置2Bのテンダー式蒸気機関車を改造した軸配置2B1などのタンク式蒸気機関車[注 1]を、支線区運用や都市部の区間運転などに充てることとした。だが、それらの車両は改造の時点で製造から既に20年前後が経過しており、改造後10年を経ずして老朽化のために休車扱いとなる車両が発生するなど、その状態は思わしくなかった。また種車の形式が種々雑多で構造や交換部品の仕様などが完全には統一されておらず、保守作業の規格化という観点からも望ましくなかった。

都市部での旅客列車の高頻度・高速運転については、当時地方私鉄を中心に実用化が進みつつあったガソリンカーなどの内燃機関を動力とする気動車も選択肢の一つであり、1929年(昭和4年)には鉄道省初の制式ガソリン動車であるキハニ5000形が製造されている。だが、これは搭載機関出力の非力さや設計面での未熟などが重なって、これらの老朽タンク機関車による旅客列車を代替するには全く不十分なものであった[注 2]

そこで制式テンダー機関車ではもっとも小型であったC50形を基本としつつ、支線区の輸送需要を考慮して一回り小型化し、炭水を無補給で50kmから60km程度の距離を走行可能とする[1]石炭庫と水タンクの搭載、それにそれらの重量の変化による動軸重の変化を抑制するために2軸従台車を付加する形[2]で、国鉄としては1917年大正6年)の4110形最終増備グループ以来13年ぶりとなる、新設計の制式タンク機関車が作られることとなった。

その先駈けとなったのは鉄道省の島秀雄を主務設計者として鉄道省・国内機関車メーカー各社によって共同設計され、1930年に製造されたC10形である。これは主として都市部に配置され、短区間の折り返し運転による快速列車運用などで好評を博した。だが、このC10形は性能面では概ね満足な成績が得られたものの、従台車を2軸台車としたにもかかわらず動軸重が13tを超過し、軸重制限の厳しい丙線以下の支線区への投入には適さないという問題があった。そこでこの新型タンク機関車の本格量産にあたって、C10形に続き1931年(昭和6年)に設計されたC54形で得られたノウハウを盛り込んで設計をさらに見直し、特に薄鋼板部品の接合に折から実用化が急速に進みつつあった電気溶接を採用するなど、新技術を積極的に導入して軽量化を図ることで、動軸重を13t以下に抑えることになった。

この新型機関車はC10形の続番としてC11形という形式が与えられ、C10形に引き続き島秀雄を主務設計者として[2]設計作業が行われた。

本形式では水タンク・石炭庫・運転室など薄鋼板を使用する部分について構造の見直しと工作法の工夫が行われ、これにより運転整備重量をC10形比で約5パーセントの削減となる66.05t[注 3]、動軸重で最大12.5tの範囲内に収め、C10形と比較して入線可能線区を大幅に拡大することに成功した[注 4]

本形式は不況期の輸送需要減少を背景として開発された機種であるがコンパクトで使い勝手がよく、戦時中に貨物輸送能力の増強用として支線区を中心に投入されたこともあり、その総数が381両[注 5]に達するという、国鉄近代型制式蒸気機関車の中でも有数の成功作となった。また、その設計で得られた知見はC54形の後継機種となるC55形の設計にフィードバックされ、国鉄最後の新設計制式蒸気機関車となったE10形まで引き継がれており、その面でも大きな成功を収めた形式である。

構造[編集]

C50形のものよりボイラバレル径をやや太く、そして全長を短く再設計した2缶胴構成の過熱式ボイラーを、肉厚圧延鋼板を切り抜いて加工・組み立てした主台枠に搭載する。

ボイラーの火床面積は1.6平方mで、基本となったC50形のものより若干小さいが、ほぼ同等の面積を確保している。

過熱器はC10形と同じ4段構成であるが、最上段を4列、それ以外を6列としていた同形式とは異なり、4段とも6列構成として性能向上を図っている。

シリンダ構成は一般的な単式2気筒、弁装置は鉄道省で標準的に採用されていたワルシャート式で、動輪径は総重量・ボイラー寸法などから8620形やC50形などで採用されていた1,600mmより5パーセント小さい1,520mmとされた。

先台車の復元装置はC50形で初採用されたエコノミー式が踏襲され、従台車は外側軸受支持による釣り合い梁式2軸ボギー台車を備える。

製造[編集]

1932年から1947年(昭和22年)までの16年間に381両が汽車製造会社川崎車輛日立製作所日本車輌製造の各社により生産された。生産時期によって1 - 4次までのバリエーションがある。C10形に比べると溶接部分が多く、ボイラーの過熱器がC10形と比較して2基増強され、除煙板(デフレクター)が装備されているなどの特徴がある。

また、民間向けに製造されたものも少なくなく、11社へ計20両が納入されているが、いずれも概ね同時期の国鉄向けに準じた仕様となっている。

紀勢中線(旧新宮鉄道)に新製配置された当時のC11 98(2次形)。ボイラー側面に細長い円筒形の重見式給水加熱装置が装着され、ねじ式連結器を備える。(1938年3月、紀伊勝浦機関庫)
C11 75(2次形)
C11 189(3次形)
C11 292(4次形)
砂箱と蒸気ドーム被いが角形のままで現存する1両。
1次形 (C11 1 - 23)
本形式の基本型で、ボイラー側面の重見式給水加熱装置と、第1缶胴上に設けられた蒸気ドーム、それに惰行時にバイパス路を自動開放してピストンがポンプ作用で加減弁から蒸気を吸い出そうとするのを防ぐ、自動バイパス弁[3]の搭載が特徴である。2次形の一部まで取り付けられていた重見式給水加熱装置は期待した性能を発揮できなかったため、戦後間もないころまでに撤去され、同じく2次形の途中まで搭載されていた自動バイパス弁も動作が思わしくなかったことから1940年(昭和15年)ごろまでに全て撤去された[3]
2次形 (C11 24 - 140)
アーチ管が取付けられ、1次形では第2缶胴上にあった砂箱と蒸気ドームの位置が互いに入れ替わった。これは、下り勾配で缶水が前方にいった場合に、蒸気ドーム内に缶水が入る恐れがあったため、その対策として行われた。
3次形 (C11 141 - 246)
貨物列車牽引に対応し、軸重増加を図るべく水槽容量を増大したため、側水槽の下端が運転室床面より低くなり、背部炭庫の上辺が水平となった。重見式給水加熱装置は、最初から取付けられていない。
4次形 (C11 247 - 381)
資材と工数を節約した戦時設計機で、除煙板は木製となり、砂箱と蒸気ドーム被いは工作の容易化のために角形(かまぼこ形)となった。後年の装備改造で3次形までと同様の形態に改められたものが多いが、砂箱と蒸気ドーム被いは原形のまま残ったものがある。

製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。

  • 1932年 - C11 1 - 22(22両)
  • 1933年 - C11 23 - 43(21両)
  • 1934年 - C11 44 - 55・57 - 58(14両)
  • 1935年 - C11 56・59 - 84(27両)
  • 1936年 - C11 85 - 98(14両)
  • 1937年 - C11 99 - 125(27両)
  • 1938年 - C11 126 - 140(15両)
  • 1940年 - C11 141 - 200・ 215 - 226(72両)
  • 1941年 - C11 201 - 208(8両)
  • 1942年 - C11 209 - 214・227 - 238(18両)
  • 1943年 - C11 239 - 251・267(14両)
  • 1944年 - C11 252 - 266・268 - 281(29両)
  • 1945年 - C11 282 - 311(30両)
  • 1946年 - C11 312 - 370(59両)
  • 1947年 - C11 371 - 381(11両)

製造所別の番号(製造番号)と両数は次のとおりである。

  • 汽車製造(60両)
    • C11 1 - 8(製造番号1174 - 1181)
    • C11 30 - 34(製造番号1206 - 1210)
    • C11 55・56(製造番号1269・1270)
    • C11 66 - 68(1289 - 1291)
    • C11 76 - 78(製造番号1292 - 1294)
    • C11 84(製造番号1335)
    • C11 133 - 170(製造番号1552 - 1559・1906 - 1935)
  • 川崎車輛(88両)
    • C11 9 - 16(製造番号1409 - 1416)
    • C11 24 - 29(製造番号1447 - 1452)
    • C11 35 - 44(製造番号1453 - 1462)
    • C11 49 - 54(製造番号1502 - 1507)
    • C11 59 - 65(製造番号1527 - 1533)
    • C11 72 - 75(製造番号1534 - 1537)
    • C11 81 - 83(製造番号1593 - 1595)
    • C11 93 - 98(製造番号1672 - 1677)
    • C11 113 - 120(製造番号1856 - 1859・1865 - 1868)
    • C11 171 - 200(製造番号2333 - 2343・2353 - 2364・2375 - 2381)
  • 日立製作所(53両)
    • C11 17 - 21(製造番号462 - 466)
    • C11 45 - 48(製造番号520 - 523)
    • C11 79・80(製造番号626・627)
    • C11 85 - 92(製造番号716 - 723)
    • C11 99 - 101(製造番号810 - 812)
    • C11 105 - 109(製造番号851 - 855)
    • C11 121 - 125(製造番号949 - 953)
    • C11 201 - 214(製造番号1482 - 1491・1496 - 1499)
    • C11 247 - 251(製造番号1669 - 1673)
    • C11 266(製造番号1779) - 宇部鉄道へ割り当ての予定だったが、戦時買収により直接鉄道省籍に編入された。
    • C11 267(製造番号1702) - 樺太庁鉄道へ割り当ての予定だったが、南樺太の内地編入により直接鉄道省籍に編入された。
  • 日本車輌製造(180両)
    日本車輌製造製C11 289に牽引される貨車
    (1973年11月 会津西方 - 会津宮下間)
    • C11 22・23(製造番号268・269)
    • C11 57・58(製造番号334 - 335)
    • C11 69 - 71(製造番号336 - 338)
    • C11 102 - 104(製造番号467 - 469)
    • C11 110 - 112(製造番号486 - 488)
    • C11 126 - 132(製造番号561 - 567)
    • C11 215 - 246(製造番号973 - 984・1108 - 1119・1167 - 1174)
    • C11 252 - 265(製造番号1221 - 1228・1251 - 1256)
    • C11 268 - 381(製造番号1343 - 1372・1380 - 1408・1418 - 1472)

民間向けの同形機[編集]

前述のとおり、内地外地合わせて11社へ20両が納入されている。

  • 京南鉄道(朝鮮)
    • 25 - 1935年・日立製作所(製造番号624)
    • 26 - 1936年・日立製作所(製造番号725)
  • 日本炭鉱高松鉱業所(以下の2両は、除煙板を装備していなかった)
    • C1101 - 1941年・日立製作所(製造番号1578。発注者は日産化学)
    • C1102 - 1943年・日立製作所(製造番号1741。発注者は日本鉱業)
  • 松尾鉱業
    • C118 - 1942年・日立製作所(製造番号1260) → 1952年譲渡・雄別鉄道C118(1970年廃車)
  • 樺太人造石油→帝国燃料興業 内淵鉄道
    • C111 - 1942年・日立製作所(製造番号1396)ソ連接収後の消息不明
    • C112 - 1944年・日立製作所(製造番号1783)同上
  • 宇部油化工業
    • 101 - 1944年2月・日立製作所(製造番号1648) → 1947年譲渡・江若鉄道ひら」 → 1950年改番・C112 → 1953年5月譲渡・三岐鉄道 C111 → 1955年1月譲渡・羽幌炭礦鉄道 C111(1970年12月廃車)
  • 内淵人造石油(樺太)
    • 4 - 6 - 1944年・日本車輌製造(製造番号1257 - 1259)ソ連接収後の消息不明
  • 東武鉄道
    • C112 - 1945年・日本車輌製造(製造番号1290。奥多摩電気鉄道発注。1963年廃車)
  • 雄別炭礦尺別専用鉄道 - 砂箱が角形、蒸気ドームが丸形、除煙板も角張った戦時形
    • C1101 - 1944年7月・日本車輌製造(製造番号1331) → 1944年11月譲渡・三菱鉱業大夕張鉄道(1972年9月30日廃車。長島温泉SLランドに保存後解体)
  • 江若鉄道
    • ひえい」 - 1947年・日本車輌製造(製造番号1423) → 改番 C111 → 1957年譲渡・雄別鉄道(埠頭線)C111 → 1970年譲渡・釧路開発埠頭C111
  • 三井鉱山芦別鉱業所専用鉄道→三井芦別鉄道
  • 同和鉱業片上鉄道
    • C11-101 - 1947年5月・日本車輌製造(製造番号1474)1968年10月29日廃車
    • C11-102・103 - 1949年・川崎車輛(製造番号3191・3192)1968年4月1日廃車

運用[編集]

最初は主に西日本の都市近郊や主要支線で使用された。近畿地方の快速列車を牽引した際には特急と張り合う俊足ぶりを発揮した[注 6]。やがて活躍の場を広げてほぼ全国各地に配属され、主にローカル線の列車牽引に使用された。気動車が普及するにつれて余剰となり始め、1960年(昭和35年)ごろから少しずつ廃車が出たが、貨物列車用や入換用として蒸気機関車の末期まで数多く残った。

本形式による優等列車運用への充当例としては、現役時代も終わりに近づいた1965年(昭和40年)10月から1968年(昭和43年)9月にかけて、肥前山口駅で長崎発着編成と佐世保発着編成を分割併合して運行されていた寝台特急「さくら」(2001・2002レ)の佐世保発着編成のうち、佐世保線早岐 - 佐世保間8.9kmの牽引に抜擢されたのが最も良く知られている。

これは早岐駅の立地と構内配線の制約から、肥前山口から早岐を経て佐世保に至るルートで直通列車を運転する場合には列車を早岐でスイッチバックさせる必要があった[注 7]が、早岐以東の本務機であるDD51形を同駅で機回しする所要時間に比して早岐と佐世保の間の運転所要時間が短く、かといって「さくら」の20系客車は機関車を最後尾とした推進運転に対応していなかったことから、機関車の付け替え時間の節減を図って当時早岐機関区に配置され佐世保・大村の両線で運用されていた本形式を早岐 - 佐世保間の牽引機に起用した[注 8]ものである。

この「さくら」では1965年10月から1966年(昭和41年)9月まで、自重軽減のため[注 9]電動発電機とパンタグラフを撤去したカニ22形を正規電源車とする基本編成が佐世保発着編成に割り当てられていたが、その後はマヤ20形簡易電源車を含む付属編成に割り当て変更となっている。

なお、ヘッドマークは本務機に装着されたままとなっていたため、本形式には基本的にヘッドマークは装着されないことになっていたが、実際には、鉄道雑誌の取材などに応じた際に予備のマークを背面に装着したり、機関車を方向転換して正面向けにして、マークを装着して運転するなどのサービスをすることが時折あった。

1970年(昭和45年)10月14日から1971年(昭和46年)6月25日まで、無火ながらC11 91が「日立ポンパ号」の先頭を飾り、全国各地の駅で展示された。

譲渡[編集]

動態保存用を除く本形式の払下げは、雄別鉄道への3両とラサ工業宮古工場専用鉄道への1両 (C11 247) 、三井鉱山奈井江専用鉄道への1両 (C11 226) の計5両が存在する。

雄別鉄道へは、C11 65が1961年(昭和36年)、C11 127が1962年(昭和37年)、C11 3が1964年(昭和39年)に国鉄から払下げられ、江若鉄道からのC11 1、松尾鉱山鉄道からのC11 8とともに5両体制で1970年の廃止まで貨物列車の牽引用に使用された。

保存機[編集]

動態保存機[編集]

小型で運転線区を選ばず扱いやすいことや、比較的に維持費が安く済むことから2016年平成28年)現在、1両が運用を離脱したものの日本の動態保存中の蒸気機関車としては最多の5両が各地で保存運転を行なっている。

C11 171[編集]

C11 171+207の重連による「SL冬の湿原号」(2002年1月20日 釧網本線 美留和 - 川湯温泉間)

1940年7月19日に川崎車輌兵庫工場で製造(製番2333)の3次形。同年7月28日に稲沢機関区に配置された。1941年10月25日に名古屋機関区に転属してからは、中京圏で使用された。1942年(昭和17年)2月14日には深川機関区、1944年(昭和19年)4月19日には朱鞠内機関区、1949年(昭和24年)3月9日には標茶機関区、1953年(昭和28年)8月15日には木古内機関区、さらに1956年(昭和31年)9月8日には長万部機関区に転属し、廃車になるまで北海道で使用された。そして、1974年(昭和49年)7月16日に釧路機関区に転属し、1975年(昭和50年)4月24日の無煙化まで貨物列車に使用された。同年6月25日に廃車となり、8月13日に標茶町の桜町児童公園に静態保存されていた。しかし、1995年(平成7年)11月3日に「C62ニセコ号」の運転を終了したJR北海道からの要請で返還され、1998年(平成10年)11月27日より苗穂工場にて動態復元工事が開始された[注 10]1999年(平成11年)4月21日に車籍復活[注 11]し、同年5月1日より留萌本線深川 - 留萌(後に増毛)間の「SLすずらん号」(2006年(平成18年)9月10日に運転終了)で営業運転を開始した。その後は、「SLふらの・びえい号」や「SL冬の湿原号」、「SL函館大沼号」などの道内の蒸気機関車牽引列車に使用されるようになった。なお、2016年現在の道内におけるSL運転では、新型ATSの設置や北海道新幹線への影響による煽りなどから、上述した「SL冬の湿原号」のみの運用で用いられているのみである。また、この関係上、本機はそれまで所属していた旭川運転所から上述の釧路運輸車両所へ転属となった。通常はボイラー保護を目的として、ディーゼル機関車による補助機関車(補機)を従えての運行形態が採られている[注 12]が、「SL冬の湿原号」通常運行時(釧路 - 標茶間往復)は補機を連結することはあまりない。

臨時列車としての運転記録は以下のとおり。

C11 190[編集]

お召し仕様のC11 190
通常仕様のC11 190

1940年9月11日竣工として川崎車輌兵庫工場で製造された(製番2361)3次形の1両。1941年(昭和16年)3月31日に尻内機関区に配置され、1943年(昭和18年)9月に早岐機関区に転属、1949年(昭和24年)3月1日に伊万里機関区に転属、さらに1950年(昭和25年)10月15日に熊本機関区に転属し、九州地方で使用された。本機は熊本機関区時代に三角線熊本三角間でお召し列車を牽引した経歴がある。1974年4月25日付けで休車、1974年6月12日付けで廃車となり、1977年(昭和52年)に解体される予定であったが、熊本県八代市在住の個人に買い取られ、1978年(昭和53年)より静態保存されていた。彼が復活を夢見て大切に保管していたことが、大井川鐵道の関係者の目にとまった。2001年(平成13年)6月23日海上輸送御前崎港西埠頭に到着、翌24日未明に陸送され、昼ごろに大井川鐵道に到着した。同年8月28日より同鉄道では「C11 190復活プロジェクト」が開始された。2003年(平成15年)5月に塗装が完了した。外装は、先述のお召し列車牽引の功績を称え、除煙板に金色の社紋が取り付けられ、車体各所にステンレスによる縁取りがなされたお召し仕様のものになった。同年6月16日より試運転を開始、同7月1718日に募金者対象の試乗会が実施され、翌19日に営業運転を開始した[6]。お召し仕様は、2007年(平成19年)の検査で通常の仕様に一時戻された[注 13]が、2011年(平成23年)10月7 - 9日に開催されるSLフェスタ2011および全国SLサミットに合わせて、再びお召し仕様に戻された。同鐵道が年一度に開催される夜行運転「ナイトトレイン」の初充当は2008年で、この際にヘッドライト横にシールドビームによる副灯が追加されている。その後は一時的に取り外されているが、現在副灯が追加されている状態とされている。なお、2009年9月9日に、鉄道部品店ジャパレが主催とする団体列車「銀河超特急999号」の牽引機として充当された当日は、TVアニメ版銀河鉄道999の999号を模した装飾を施して運転されている。2016年、イカロス出版「蒸気機関車EX」との大井川鐵道SL復活運転40周年記念タイアップ企画として、当機にK-7形の門鉄デフが期間限定として装着された。これは、当機が現役時代九州地区で活躍していたことにちなんでの企画だが、当機自体は門鉄デフを装着された経歴は持ってはいない。2016年現在、単機での牽引は客車5両までが可能である。

主要諸元は以下のとおり。
  • 全長 - 12.650m
  • 全高 - 3.900m
  • 全幅 - 2.936m
  • 重量 - 66.05t
  • 空重量 - 51.69t

C11 207[編集]

東武鉄道に貸し出され、火入れ式のあと東武ファンフェスタで展示されたC11 207。掲げているヘッドマークは同鉄道の列車愛称「SL大樹(たいじゅ)。」
C11 207の背面。タンク上部にL字型の東武鉄道用無線アンテナを、連結面に同鉄道専用ATSの電気回路を結ぶKE100形ジャンパ連結器を増設。
C11 207の側面。上記3枚とも南栗橋車両管区での東武ファンフェスタ2016にて

1941年12月26日竣工として日立製作所笠戸工場にて製造(製番1488)。C11 171と同じく3次形の1両。当初の配置区は不明だが、1949年3月31日に尻内機関区に転属した。1972年(昭和47年)12月8日に長万部機関区に転属してからは、瀬棚線貨物列車などに使用されたが、同線の無煙化に伴い、1974年6月30日に「瀬棚線SLさよなら列車」に使用された。同年10月1日に廃車となり、11月19日より静内町(現・新ひだか町)の山手公園に静態保存されていた。2000年(平成12年)3月3日にJR北海道に返還され、苗穂工場で修復を受け、同年9月30日に車籍復活[注 14]し、10月7日より函館本線小樽(後に札幌) - ニセコ(後に蘭越)間の「SLニセコ号」に使用されるようになった。復活1年目は動輪軸受の異常発熱が頻発して満足に運用できなかった[注 15]。そのため、修理と調整を繰り返した末、翌年になってようやく安定稼働するようになった。以後はC11 171の予備機という扱いで「SLニセコ号」のほか、「SL冬の湿原号」、「SL函館大沼号」などにも使用され、時折C11 171との重連運転も実施された。2014年(平成26年)7月、鉄道ジャーナル2014年8月号において、C11 207が同年6月8日の「SL富良野・美瑛ノロッコ1・6号」の運用をもって営業運転を終了したという記事が掲載された。しかしこれは同誌の誤った情報であり、実際は検査期限である同年秋まで運用されることになっており[7]、同11月の札幌 - 小樽間での団体臨時列車を最後に、道内での運用から退いた。上記のとおり動輪の調子が依然著しくなかったことをはじめ、本機に対しての新型ATSの設置が難しいこと、北海道旅客鉄道内での営業不振に伴う財政難や機関士確保が難航したことなどの影響により、同年以降はC11 171のみで運用されることになった。

南栗橋車両管区に新設されたSL見学広場より構内試運転を見る

道内での運用から退いたC11 207については、東武鉄道が借り受け、2017年度(平成29年度)より東武鬼怒川線下今市 - 鬼怒川温泉間で運行する予定である[8]。列車名称は「SL大樹(たいじゅ)」。苗穂工場にて全般検査を施工の上2016年8月12日に苗穂工場を出場、8月19日に南栗橋車両管区に入場[9]、9月12日に火入れ式が行われた[10]。その後、同区内にて新設されたSL検修庫にて同鉄道運用のための改造工事が実施された。主な改造点として以下が挙げられる。

  • 後部タンクの上部に同鉄道用のL字型無線アンテナを増設
  • 東武鉄道専用ATS装置の設置については、機関車とは別の車両(車掌車ヨ8000形)のヨ8634とヨ8709に電源装置と車上子などの本体装置一式を、同機には運転室内に同ATSの車内警報表示機をそれぞれ搭載しており、更に後部連結面にKE100形ジャンパ連結器を増設して、両車に搭載されているATS装置同士を接続させて専用ATSを作動させる方式を採用。このため、本線走行をする時には、ヨ8000形を後部に連結していなけばならない。
  • 車体の右側側面に強制給油タンクを装備しており、点検ごとに給油が必要な箇所の一部に強制給油タンクからの配管を新たに配置して、つねに給油されるシステムとしている。
  • 機関車後面にある2灯の後灯は後部にある水タンクの妻面に移設されている。
  • スノープラウは搬入時点ではJR北海道仕様だったが、前面側は愛称決定時の式典でステップにかからない程度の小さなスノープラウに付け替えている。
  • 運転室外側に掲げられる区名札は下今市駅常駐予定であるため「今」を、仕業札は東武鉄道の紋章をそれぞれ採用している。

なお、本機は濃霧の多い線区で使用されていたため、前照灯を左右除煙板のステー上に各1基ずつ搭載する「カニ目」、「蟹」と呼ばれる非常に独特な外見となっている。

臨時列車としての運転記録は以下のとおり。

C11 227[編集]

1942年9月9日竣工として名古屋の日本車輌製造本店で製造された(製番1108)。1975年11月22日に大井川鉄道(現・大井川鐵道)に入線し、1976年(昭和51年)7月9日のSL急行「かわね路号」運転開始で動態保存としての営業運転を開始した。

C11 325[編集]

1946年(昭和21年)3月28日に日本車輌製造本店にて落成(製番1418)。4次形の後期製造グループに含まれ、「戦時設計」「戦時工程」による大幅な簡素化が図られていた。そのため、現役当時は工作の容易化を図った角型の砂箱と蒸気ドーム被いを装着していた。当初は茅ヶ崎機関区に配属され、相模線南武線、入換などに用いられた。21年後の1967年(昭和42年)3月、米沢機関区へ転出し、米坂線左沢線で使用された。1972年、左沢線で蒸気機関車の運転が終了されるにあたり、本機が「SLさよなら列車」を牽引し、その後廃車となった。翌1973年(昭和48年)、新潟県水原町(現・阿賀野市)水原中学校に無償譲渡、静態保存されることとなった。1996年(平成8年)、C12 66により「SLもおか」を運転していた真岡鐵道が、予備機として使用するため、3月27日に水原中学校から真岡鐵道真岡駅前に移設された。翌1997年(平成9年)11月より、JR東日本大宮工場(現・大宮総合車両センター)にて動態復元工事が行われた。この復元工事にあたり、1次形にならい、特徴的であった角型ドームを通常の丸型ドームに交換した。翌1998年9月に動態復元工事が完了、10月に真岡鐵道に引き渡された。同月9日より試運転が行われ、この時「SLもおか」を牽引していたC12 66との重連での試運転が幾度か行われた。11月1日、全国の第三セクター鉄道による「ふるさとレールフェスタ」に併せて、C12 66を従えて初の営業運転に投入された。その後は、ホームグラウンドである真岡鐵道での「SLもおか」のC12 66検査時の予備機、および重連運転用として使用されている。2006年12月8・9日には本機の生誕60年(還暦)を記念してナンバープレートを赤色に塗り替えて運転されている。また、2012年(平成24年)4月14・15日にも、の開花に合わせて同じくナンバープレートをピンク色に塗り変えている。その他、外観の変移としては、2005年(平成17年)に全般検査を施工・出場した際には、デフレクター(除煙板)を加工してバイパス弁点検窓が追加されている他、汽笛の音調も微細ながら全般検査出場毎に変化が見られている。2001年にはJR東日本へ貸し出され、出張運転も実現した。以下は、本機の出張履歴である。特記以外使用される客車は全て高崎車両センター旧型客車である。

JR東日本に貸し出され、SL会津只見号として運行された真岡鐵道のC11 325(2006年10月9日)
SL只見線紅葉号(2014年)
  • 臨時列車としての運転記録
    • 2001年(平成13年)10月6 - 8日、2004年(平成16年)2月7・8日 - 只見線会津若松 - 会津川口・只見間「SL&DL会津只見号
      • 只見線全線開通30周年を記念しての特別復活。この時は上り只見発会津若松行き列車をDE10形が牽引。日によっては折り返し駅を会津川口駅と只見駅の2駅に分けていた。
      • 2004年2月の運転は、初の冬季運転。豪雪の中を運転で、只見駅の転車台が積雪で使用できないことなどの理由で上り列車をDE10形の牽引運行とした。
    • 2002年(平成14年)10月12 - 14日他 - 只見線会津若松 - 只見間「SL会津只見号
      • 只見駅の転車台を整備して復活。これ以降毎年運転されている。
      • 2007年の運転からは季節観光列車として見直され、5月下旬に「SL会津只見新緑号」、11月上旬に「SL会津只見紅葉号」という列車名で運転されている。(夏期運行の場合は「SL会津只見号」として設定)
      • 2011年に「SL&DL会津只見号」でSL運行を開始して10周年が経過するあたり、同2011年5月の運転は「SL会津只見10周年号」として運行された。
      • 2012年からは会津若松 - 会津川口間に短縮しての運転を行っている。これは、会津川口 - 只見間が平成23年7月新潟・福島豪雨により被災したため。会津川口駅にある転車台を整備して復活し、往復正方向にて運転。当面の間はこの区間での運行が続けられる。なお、列車名は2012年は「SL只見線奥会津号」、2013年(平成25年)から2015年(平成27年)にかけては「SL只見線紅葉号」という列車名で運行されており、いずれも紅葉シーズンでの運行。ただし、2016年は「SL只見線新緑号」という列車名で、上述の「SL会津只見10周年号」以来5年ぶりの新緑シーズン運行を行っている。
    • 2003年(平成15年)4月1 - 4日 - 八戸線八戸 - 久慈間「SLうみねこ号
    • 2003年(平成15年)9月2728日、2004年(平成16年)7月19日 - 陸羽西線羽越本線新庄 - 酒田間「SLもがみ号
      • 別称「SLおしん号」。下り新庄発酒田行き列車の蒸気機関車は正方向、上り酒田発新庄行き列車の蒸気機関車はバック運転(逆機)。
      • 翌年は「おいしい山形デスティネーションキャンペーン」の一環としても再運転。
    • 2004年(平成16年) - 2006年(平成18年) - 磐越東線郡山 - いわき間「SLあぶくま号
      • 磐越東線では約36年ぶりのSL営業運転。復路は、小川郷→小野新町間に山間部があり、SL単独での牽引が困難であることから、編成後部にDE10形が連結された。しかし、2004年5月(初運転年)の試運転初日のみ、編成後部にDE10形の後押しがない形で運転された。
    • 2004年(平成16年)3月28日 - 水戸線小山 - 下館間「SLもおか」小山延長運転
      • 単機で小山 - 下館間を牽引し、下館駅到着後、茂木方にC12 66を連結し真岡駅までプッシュプルで運転。真岡駅から先はC12 66の単機牽引。客車は「SLもおか」用の50系客車を使用。
    • 2004年(平成16年)7月1 - 4日、2005年(平成17年)9月17 - 19日 - 左沢線山形 - 左沢間「SLおいしい山形号
      • 「おいしい山形デスティネーションキャンペーン」のオープニングを飾った。32年ぶりの里帰り運転。
      • 好評のため、翌年にも「SL秋祭り号」として臨時運転。
      • 2007年(平成19年)6月9・10日の運転は列車名を「SLさくらんぼ号」に変更。以降2010年まで毎年6月中旬に運転。
      • 2011年4月には「SL花回廊号」として運転予定だったが、東北地方太平洋沖地震の影響により運転取り止めとなった。翌2012年に再度計画・運行された。
      • 2013年は、2014年7月 - 9月に開催される山形デスティネーションキャンペーンのプレイベントとして、9月に「SL山形日和。号」という列車名で運転。また、本番の2014年では陸羽西線での運行と区別するため「SL山形日和。左沢線号」という列車名で運行となった。2015年も9月に同じ列車名で運行。
      • 2004年・2005年・2013年の運転では、各運転日の内1日だけ、山形新幹線つばさ」と山形駅にて同時発車・並走運転を行っている。
    • 2007年(平成19年)10月20・21日他 - 石巻線小牛田 - 女川間「SLホエール号
      • 2008年開催の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンのプレ・イベントとして特別運転。
      • そして本開催の2008年も同時期に再び運転され、さらに引き続き2009年、2010年にも運転を実施。
      • 2011年の運転では東日本大震災からの立ち直りを祈念して、小牛田 - 石巻間に短縮しつつ「DL・SL石巻復興号」と名前を変えて運転(DLは仙台 - 小牛田間での運転)[18]
      • 2012年には、石巻線開業100周年を記念して「SL石巻100周年号」として小牛田 - 石巻間にて運行。
    • 2008年(平成20年)12月20日(下り小牛田発新庄行き列車)・21日(上り新庄発小牛田行き列車)他 - 陸羽東線小牛田 - 新庄間「SL湯けむり号
      • 「SLホエール号」と同様、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンの一環として運行。
      • 当初D51 498で運転の予定だったが、本機のボイラー不具合により代走。最後尾にディーゼル機関車DE10形を連結しての運転となった。なお、客車は12系客車4両で、「SLうみねこ号」以来5年ぶりにして2度目の組み合わせになる。
      • D51 498復活後の2009年12月5・6日にも本機を使用して再度運転された。この時より旧型客車に変更で4両編成、最後尾にDE10形を連結。なお、5日の新庄駅→小牛田駅間の列車は「SLつばさ10周年号」と称して運転された。その際、山形新幹線「つばさ」と新庄駅にて同時発車・並走運転を行い、新庄延伸10周年を祝った。
      • 2011年11月26・27日の運転では東日本大震災からの立ち直りを祈念して、「SL湯けむり復興号」と名前を変えて運転。旧型客車は3両編成で使用し最後尾にDE10形を連結。
      • 2013年4月には、「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン」のオープニングを飾る「SL湯けむりDC号」として運行。復興号と同様の内容。残雪の中を走った。
    • 2012年(平成24年)11月10日・11日 - 信越本線長岡 - 飯山線十日町間「SL信濃川ロマン号
      • 飯山線では無煙化後40年ぶりのSL運行となった。10日の長岡発は煙突側を、折り返しの十日町発は石炭庫側を先頭にして走行。11日は前日と逆の順序で走行した。十日町駅に転車台が現存しないため、このような運転形態となった。
      • 運行時の給水は小千谷駅と十日町駅で、地元消防署消防車を使って行われた。
      • 試運転は11月3・4・6 - 8日の5日間行われた。
      • 試運転、本運転とも機関車の区名札は「長岡(縦書き)」であった。
    • 2012年(平成24年)11月30日・12月1日 ・2日 - 水郡線水戸常陸大子間「SL奥久地清流ライン号
      • 水郡線地域の震災からの観光復興支援の一環で、1998年2月にC58 363で運行されて以来14年ぶりのSL運転となった。
      • 往路の常陸大子→水戸間はDE10形牽引し、当機は最後尾に連結。片道運行となった背景として、双方の転車台が使用不可能だったこと[注 16]と、水戸駅入線の際に必要となるATS-P形およびデジタル無線が装備されていなかったため、それらを装備しているDE10形の牽引による運転とされた。
    • 2014年(平成26年)9月13日 - 陸羽西線・羽越本線新庄→酒田間「SL山形日和。陸羽西線号
    • 2014年(平成26年)9月14日 - 羽越本線・陸羽西線酒田→新庄間「SL陸羽西線100周年号
      • 山形デスティネーション「山形日和。」の一環として運転。9月13日はキャンペーン最終日を飾る列車として、翌14日は陸羽西線の100周年を記念する列車として2日1往復で別運行とされた。
      • 同線の運行は上記の「SLもがみ」以来10年ぶり。
    • 2016年(平成28年)11月19日・20日 - 飯山線飯山 - 信越本線長岡間「SL飯山線ロマン号
      • 2012年に好評を博した「SL信濃川ロマン号」、区間を引き延ばして再度運転。飯山 - 十日町間では無煙化後44年ぶりのSL運行となった。
      • 片道100kmをゆうに超える運行であるため、2日間かけての1往復、さらに支社管轄の関係上、十日町駅で系統分離し、営業運転もそれに準じて4本立てとした。(飯山発十日町行き「1号」、十日町発長岡行き「3号」、長岡発十日町行き「2号」、十日町発飯山行き「4号」)
      • 運行時の給水は桑名川駅(復路)・森宮野原駅(往路)・十日町駅・小千谷駅(復路)で、地元消防署消防車を使って行われた。
      • 試運転は10月19・20日、26・27日、11月1・2日、8・9日、14・15日の10日間5往復行われた。
      • 試運転、本運転とも機関車の区名札は前回同様「長岡(縦書き)」であった。これは、整備拠点を長岡車両センターとしたためで、乗務員も新潟支社の人材を使用しているためである。
      • 上述の理由により、往路運転前と復路運転後には、同センターのDE10形牽引の回送列車が夜間に行われている。これにより往路運転後に同センターの転車台を使って方向転換し、復路も正方向での運行を可能としている。

過去の動態保存機[編集]

大井川鐵道では、かつてC11 312も動態保存されていた。詳細は以下のとおり。

1946年1月10日に日本車輌製造本店で製造された4次形の1両(製番1394)。同年3月17日に仙台機関区に配置され、1956年9月2日に会津若松機関区に転属してからは、只見線、会津線、日中線の旅客・貨物列車を牽引していた。1974年11月10日の日中線無煙化により、1975年1月24日に廃車となった。同年12月より三重県松阪市のドライブイン「あら竹」に静態保存されていたが、伊勢自動車道勢和多気インターチェンジの建設に伴い、同店舗が移転することとなり、C11形の増備を検討していた大井川鉄道に1987年(昭和62年)10月に譲渡された。1988年(昭和63年)3月19日[注 17]に同鉄道へ入線し、整備を受け、同年7月23日[注 18]に営業運転を開始した。しかし、台枠関係の老朽化が激しく、動輪の軸焼けを起こすことが多かったことから、2007年9月8日のさよなら運転をもって営業運転を終了した。その後は静態保存するとしていたが、現在は部品取り機となっており、既にいくつもの部品を外された状態(交換済みのボイラー部と走り装置のみ残存)で新金谷駅の側線にしばらく放置されていたが、2014年2月にC11 227の中間検査に伴い、諸部品供給のために駅構内の車庫に一時的に取り込まれていた[19]。ボイラーは2008年の夏にC11 227に移設されている。なお、C11 227はボイラー移設の際、上部に取り付けられていた汽笛もそのまま転用されており、そのため現在のC11 227はC11 312の汽笛を吹鳴して運転されている。

静態保存機[編集]

国鉄を代表する蒸気機関車の一つであるC11形は廃車後、全国各地で静態保存された。このうちC11 1は青梅鉄道公園に、C11 64は京都鉄道博物館(旧梅小路蒸気機関車館)に保存されている。また、動態保存機として復活していたC11 312も保存されている。

また、ニュース番組などで「新橋のSL広場前から…」と言うことがあるが、その新橋駅SL広場にあるのはC11 292である。


その他[編集]

かつて関西や広島地区などで放送されていた黒田食品「十一の奈良漬」のCMにもC11 261が登場していた。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 高頻度運転と支線区での運用状況を考慮し、始発・終着駅での転車台などによる方向転換が不要なタンク式とすることが特に求められた。
  2. ^ もっとも、鉄道省はその後もこの種の輸送需要に適合する気動車の開発を継続しており、それは日本車輌製造が私鉄向け車両における試行錯誤を繰り返した末に確立した、同社の標準的な設計手法を全面的に援用して1932年に設計されたキハ41000形で実用段階に到達したが、C10形や本形式の計画段階ではその完成の見通しは全く立っていなかった。
  3. ^ C10形は69.7tなので、3.65tの軽量化が実現したことになる。
  4. ^ もっとも戦時体制下で貨物輸送能力増強が要請されたことから、1940年度以降に製造された第3・4次車については軸重がC10形並に増加している。
  5. ^ そのほか、私鉄向け同型車が20両製造されたため、実際には401両が製造されたことになる。
  6. ^ 担当機関区の乗務員からは70km/hを超えると動揺が激しくなるとの指摘があり、対策としてボイラーを跨ぐ形で両側の側水槽をアングルでつなぐ事で個々の動揺を抑制した。
  7. ^ これは1934年(昭和9年)の現行路線(有明線)開業まで佐世保線肥前山口 - 早岐間と大村線早岐 - 諫早間が長崎本線であったことに由来する。
  8. ^ ただし、編成最後尾には本務機であるDD51形がそのまま連結されていた。
  9. ^ 軸重制限の厳しい佐世保線では、パンタグラフや電動発電機を搭載したままでは自重過大で速度制限が課せられるなど、運用上様々な制約があった。
  10. ^ ボイラは苗穂工場および隣接の下請け会社にて整備
  11. ^ 車籍は旭川運転所
  12. ^ 幹線を走行する際の速度制限による列車ダイヤ変更を極力回避する・石炭の補給の関係・急勾配における客車の両数等の理由がある。ただし、ダイヤの制限を受けにくく、かつ運行経路に急勾配がない状況であれば客車牽引は補機なしでも運行可能と思われる
  13. ^ 2007年の検査ではナンバープレートおよび連結棒のみお召し仕様(ナンバープレートは緑地に金文字)で残していたが、2008年(平成20年)7月の復活5周年記念ヘッドマーク取り付け時より通常のナンバープレート(黒地に金文字)に変更された。ただし、2009年(平成21年)春の定期検査後、再びナンバープレートおよび連結棒が緑に戻されている。
  14. ^ 車籍は旭川運転所
  15. ^ 2000年度のSLニセコ号運転初日には本機が充当される予定だったが、故障のためC11 171が代走した。
  16. ^ 特に水戸駅では2000年以降、駅の再開発に伴い転車台が撤去されており、周辺にも方向を変える設備がないため、往復正方向が困難であったためである。
  17. ^ 一部の文献やウェブサイトでは、1988年2月19日となっていることもあるが、誤りである。
  18. ^ 一部のウェブサイトや文献では、1988年7月20日となっていることもあるが、これは同機が新金谷 - 家山間にて試運転を実施した時期である。

出典[編集]

  1. ^ 『世界の鉄道'75』、p.142
  2. ^ a b 『日本の蒸気機関車』、p.272
  3. ^ a b 『世界の鉄道'75』、p.144
  4. ^ 33年ぶりに石北線・常紋峠でSLを運転します(平成20年5月14日)
  5. ^ 今年も運転「SL夕張応援号」(平成21年6月18日)
  6. ^ 「鉄道記録帳2003年7月」、『RAIL FAN』第50巻第10号、鉄道友の会、2003年10月1日、 22頁。
  7. ^ 鉄道ホビダス編集長敬白:岐路に立つJR北海道の動態保存蒸機。より
  8. ^ 蒸気機関車(SL)の復活を目指します(2017年度目途) (PDF) - 東武鉄道、2015年8月10日、同日閲覧。
  9. ^ 東武鉄道、2017年運行予定のSL「C11 207」が同社に到着”. トラベルWatch (2016年8月23日). 2016年9月12日閲覧。
  10. ^ “東武鉄道、SL復活へ火入れ式 埼玉の車両基地”. 日本経済新聞. (2016年9月12日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ12I8S_S6A910C1TI5000/ 2016年9月12日閲覧。 
  11. ^ 「SL夕張応援号」運転のお知らせ(平成19年5月9日)
  12. ^ 今年も運転 「SL夕張応援号」(平成20年5月14日)
  13. ^ 今年も石北線・常紋峠で「SL常紋号」を運転します(平成21年4月8日)
  14. ^ オホーツクの海に煙ふたたび!「SLオホーツク号」乗車&撮影と旧・湧網線&根北線探訪の旅(平成23年5月18日)
  15. ^ JRで行く 秋の十勝|GOTTON JR北海道(SLとかち号)
  16. ^ 〜室蘭港開港140 周年・室蘭本線開業120 周年〜 室蘭に運転!「SLみなと室蘭140 周年号」(平成24年3月12日)
  17. ^ 「SLオホーツク号」運行のお知らせ(平成24年5月18日)
  18. ^ 鉄道ファン2012年7月号「JR車両ファイル2012」p.35
  19. ^ イカロス出版「蒸気機関車EX Vol.16」より
  20. ^ 「保存車・廃車体一覧3 補遺【第6回】」、『RAIL FAN』第49巻第3号、鉄道友の会、2002年3月号、 19頁。

参考文献[編集]

  • 『世界の鉄道 '75』、朝日新聞社、1974年10月
  • 久保田博「C11形タンク機関車の思い出」『鉄道ファン』No.134 1972年6月号、交友社、pp.35 - 38
  • 『レイル・マガジン 1994年1月増刊 RM POCKET 6 日本の蒸気機関車』、ネコ・パブリッシング、1994年1月
  • 細川武志 『蒸気機関車メカニズム図鑑』、グランプリ出版、1998年、pp.294 - 296 ISBN 4-87687-193-0
  • 沖田祐作 編 「機関車表 国鉄編I 蒸気機関車の部」『レイル・マガジン 2008年9月号 No.300』、ネコ・パブリッシング、2008年9月(特別付録CD-ROM)
  • 白井昭・橋本英樹 「大井川鐵道C11 190号機の復元工事状況」、『鉄道ファン』No.495 2002年7月号、交友社、2002年7月、pp.126 - 129
  • 小沢年満 「C11 190号機 復活への道程」『鉄道ファン』No.496 2002年8月号、交友社、2002年8月、pp.168 - 170
  • 種村直樹 「大井川でC11 190号機復活運転 提供者、社員、ファンの総意が実る」、『鉄道ジャーナル No.444 2003年10月号』、鉄道ジャーナル社、pp.64 - 69
  • 『大井川鐵道オフィシャルガイド』