坂道コロンブス

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坂道コロンブス
メンバー 松丘慎吾
林伸行
別名 坂コロ
結成年 1994年
解散年 2004年
事務所 ホリプロコム
活動時期 1994年 - 2004年
旧コンビ名 坂道コロコロ、エンヤコラさ
現在の活動状況 解散(松丘のみ別コンビで活動)
芸種 コント
現在の代表番組 なし
過去の代表番組 ボキャブラ天国
ジャムパラ
爆笑オンエアバトル
など
同期 ふかわりょう
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坂道コロンブス(さかみちコロンブス)は、松丘慎吾と林伸行で構成されていたお笑いタレントコンビホリプロホリプロコムに所属していた。

2004年にメンバーの不祥事により解散した(後述)。

メンバー[編集]

共に京都府綴喜郡八幡町(現・八幡市)出身。

ボケ担当、立ち位置は左。趣味は握手、特技は拍手
坂道コロンブスの頃の事務所はホリプロコム。鼻エンジンを結成を機にSMA NEET Projectに移籍したが、相方・村田渚の急死により太田プロダクションに移籍。以降、現在の事務所は太田プロである。
2011年1月2日、事務所の後輩芸人・赤プルと入籍。後にお互いコンビを結成(後述)。
  • 林伸行(はやし のぶゆき、 (1969-04-04) 1969年4月4日(47歳) - )血液型B型、身長172cm、体重55kg。
ツッコミ担当、立ち位置は右。趣味は宴会、特技は幹事。同姓同名のホルン奏者・林伸行(九州交響楽団)とは別人である。
2004年に自身が起こした強制猥褻により逮捕(後述)。解散後は芸能活動を行っていない。

プロフィール[編集]

  • 松丘が同学年の林を誘い、1994年9月に「坂道コロコロ」としてデビュー。一時期、『ボキャブラ天国』内で鈴木史朗の命名で「エンヤコラさ」に改名したが、短期間で元のコンビ名に戻る。
  • 爆笑オンエアバトル』に番組開始当初より出演。合格・不合格を交互に繰り返した事から「坂コロジンクス」というフレーズを定着させる。
  • かつて林は、顔がロックバンドSIAM SHADEのボーカル栄喜に顔が似ているとの理由でライブに招待されたことがある。[1]
  • 2001年5月ごろに「坂道コロンブス」と改名し、以降もオンエアバトルに出演。2001年9月-2003年6月まで最多出場記録を塗り替え続け、当時最多である通算26回の挑戦をする程の常連であった(後に更新され、番組終了時の最多記録は「号泣」の32回)。また、12勝14敗と負け越している芸人の中で最多オンエア記録を持つ。
  • 2003年1月、旧M2カンパニーを前身とする子会社・ホリプロコムの発足により同社に移籍。
  • 2004年9月8日、メンバーである林が実家への帰省中に、男山団地内で少女への強制猥褻を犯した容疑により京都府警八幡警察署逮捕されていた事が発覚(事件の発生はJSTで2004年6月30日16時10分頃)[2][3]。これが原因となり林は解雇され、コンビは事実上の解散となる。
  • 解散後、松丘は2005年に元フォークダンスDE成子坂のメンバーであった村田渚とコンビ『鼻エンジン』を結成。同年のM-1グランプリでは準決勝にまで進出するなどの活躍を見せるが、それから約1年後の2006年11月11日に村田がクモ膜下出血により急逝。これにより再び突如としてコンビは事実上の解散となった。その後、2008年に元ノンキーズヤマザキモータースとコンビ・『くらげライダー[4]を結成するも、こちらも2014年5月末に解散。2015年現在は妻である赤プルと共に夫婦コンビ『チャイム[5]として活動中。

出演していた番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ ボキャ天サポーター
  2. ^ 「お笑い」じゃすまない坂道コロンブス林が強制H
  3. ^ 強制わいせつ容疑で坂道コロンブスのメンバー逮捕。
  4. ^ 結成当初は「松丘山崎」というコンビ名で活動していた。
  5. ^ 結成当初は「赤プルと旦那」というコンビ名で活動していた。