外交官

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外交官(がいこうかん、英語: diplomat)とは、外交使節団の長および使節団の職員で外交官の身分を有する外交職員の総称[1]

変遷[編集]

臨時の外交使節を派遣・接受することは紀元前の中国やギリシャなど非常に古くから行われ、日本の遣隋使や遣唐使もその例であるが、常駐の外交使節団が初めて置かれたのは13世紀のイタリアであったといわれている[2]ミラノ公国ジェノヴァ共和国に初めて公使館を設置して以後、イタリアの諸国家間で国家間の交渉に専門的に従事する外交官が相互に派遣されるようになり、またカトリック教会の長であるとともにイタリアの一君主としても位置づけられたローマ教皇も各国に教皇派遣使節を送った。14世紀にはイギリスのジェフリー・チョーサーが外交活動をしており、また1455年にはミラノがフランス宮廷に常駐使節を送り、そのシステムは主権国家が形成されるようになった16世紀以後ヨーロッパ各地に広まるとともに、外交慣行の基礎が形成された。

絶対王政期には、宮廷内部において国家の重要な政策決定が行われることが増加し、そのために君主あるいはその側近との個人的関係が外交交渉の成否に深く関わるようになった。一流の外交官は公式の場ではなく、夜中に接受国の君主の寝室に通されて直接重要交渉を行うものとされていた(閨房外交(Boudoir Diplomacy))。また、接受国における主君の代理として自国の名誉を守る責務も課されており、接受国での宮廷内における外交官同士の序列が時には互いの国家の尊厳に関わるものとして時には激しい議論や決闘にいたる例もあった。そのため、外交官には貴族や軍人などが任命されることが多かった。その後、国民国家の成立とともに宮廷外交・閨房外交の時代は終わり、交渉能力とともに相手国の各種情報を総合的に蒐集・報告する能力が求められるようになった。こうした中で職業外交官も外交専門職任用試験を経た人材が登用されるようになっていった。

常駐使節の制度はヴェストファーレン条約締結以降一般的な慣行と化したが[3]、一般条約である外交関係に関するウィーン条約が採択されたのは1961年である。

職務[編集]

常駐外交使節団を構成する外交官の任務は、接受国で派遣国を代表し、その意思の表明、交渉、条約の締結を行うこと(代表機能)、接受国の事情について適法な手段により一切の情報を収集し派遣国に報告すること(報告機能)、両国間の関係の促進をはかること(推進機能)に大別される [4]。特定の問題の交渉や任務にあたる特別使節団も、実質的に常駐外交使節団と同等の扱いを受ける[5]

外交官の地位や外交特権などに関する規則は1815年のウィーン規則及び1818年のエクス・ラ・シャペル規則で基礎が定められ、1961年外交関係に関するウィーン条約及び1963年領事関係に関するウィーン条約によって修正が加えられて今日に至っている。

外交官特権[編集]

外交官には、任務の能率的な遂行を確保するため、国際法によって身体の不可侵(拘束されないこと)や裁判権からの免除などの特権を与えられている。特権の内容は、大使館員であるか、領事館員であるかによって異なる。これを外交官特権という。詳しくは該当項を参照。

外交官は、外交使節団に属する。外交官として認められるためには、派遣する国がその者を外交官として派遣することを接受国(受け入れる国)に打診し、合意(アグレマン)が成立する必要がある。アグレマンが成立した場合に該当者は接受国内において外交官と認められ、派遣した国を代表する交渉相手として扱われるほか、外交特権を享受する。接受国側が、国内法に照らして許されざる非行や国益を害する行為がありその者を外交官として扱うべきではないと判断した場合、ペルソナ・ノン・グラータの通告を行うことで、外交官としての立場を失う。ペルソナ・ノン・グラータの通告は事前(着任前)でも事後(着任中)でも良い。

日本の外交官制度[編集]

種類[編集]

外交官の種類は慣習国際法上一定の原則があり、日本もこれに則って外交官の名称を「外務省設置法」、「外務公務員法」(昭和27年法律第41号)及び「外務職員の公の名称に関する省令」(昭和27年外務省令第7号)により次の通り定めている。ただし参事官~在外公館警備対策官については、外務大臣が「公の便宜のために必要があると認める場合には、国際慣行に従い、第二条及び第三条に掲げる公の名称の一又は二以上を用いることを命ずることができる」ものであり、戦前は官名であったが現在は正式の官名あるいは職名ではない(正式の官名は外務事務官)。その為、外国に赴任して大使、公使、総領事、参事官などになった者も、国内に戻ると大使、公使、総領事、参事官ではなくなるが、儀礼的にこれらの職名で呼ばれる場合がある。また、外交儀礼上、本来の職位よりも一段上の「公の名称」を名乗ることが許される場合がある(名称大使ローカルランク)。

在外公館たる公使館の公館長。ただし1967年に日本の公使館はすべて大使館に昇格しているので、このような意味での特命全権公使は存在しない。現在は、各国の大使館で特命全権大使に次ぐ次席館員を単に「公使」(Minister) と呼び、そのうち外務省入省年次が一番上の数名に「特命全権公使」の名称を付与しているにすぎない。したがって、特命全権公使が置かれる国は、実は外務省内の人事によって左右され、しかも年々変わる。
実際には空席の館も多い
  • 領事官(Consul)
    • 総領事 (Consul-General)
    • 領事 (Consul)
    • 副領事 (Vice-Consul)
    • 領事官補 (Attaché)
主に領事事務に従事する職員。このうち「総領事」の名称を用いるのは在外公館たる総領事館の在外公館長だけである。また「領事官補」の名称を用いるのは、領事館などに配属された語学研修を行う若手外交官だけである。
  • 書記官(Secretary)
    • 一等/二等/三等書記官 (First/Second/Third Secretary)
    • 外交官補 (Attaché)
主に外交事務に従事する職員。このうち「外交官補」は、大使館などに配属された語学研修を行う若手外交官のみが用いる。
  • 理事官
    • 一等/二等/三等理事官 (First/Second/Third Attaché)
    • 副理事官 (Assistant Attaché)
主に外交領事事務に直接関連する業務に従事する職員。ただし現在は、三等理事官以外はほとんど存在しない。
  • 外務書記
現在は存在しない。
  • 電信官
    • 一等/二等/三等電信官
    • 電信官補
現在はインターネット通信等の電気通信事務に従事する職員。現在は電信符号を用いることはない。また「電信官」という公称を用いる外務省職員はなく、電信担当官は他の役職の名称を用いている。
  • 通訳官
    • 一等/二等/三等通訳官
    • 通訳官補
現在はこの肩書きの外務省職員は存在しない。通訳業務は語学に秀でた職員が適宜担当している。
  • 翻訳官
    • 一等/二等/三等翻訳官
    • 翻訳官補
現在はこの肩書きの外務省職員は存在しない。翻訳業務は語学に秀でた職員が適宜担当している。
諸外国の駐在武官に相当。在外公館に勤務し、主に防衛(=軍事)に関する事務に従事する職員。全員が陸・海・空自衛隊から出向している幹部自衛官(主に佐官クラス)であり、自衛官としての身分及び外務事務官としての身分を併有して任命される。自衛官としての階級を公称し、自衛官の制服を着用し、儀礼刀を佩き、飾緒を着用する。この防衛駐在官は全員が自衛官で、外務省出身者や他の省庁からの出向者は一切いないが、法文上は自衛官に限られるものではない。通常はこれに加えて「書記官」などの名称を用いる。
在外公館に勤務し、主に医務に関する事務に従事する職員。
主に在外公館の警備に関する事務に従事する職員。自衛官・警察官海上保安官入国警備官または公安調査官が出向して任命されることが多い。また、日本の民間警備会社から外務省へ出向して任じられる例もある。通常はこれに加えて「書記官」などの名称を用いる。


任免[編集]

外交官の任免は、

  • 大使・公使 → 外務大臣の申し出により内閣が行い、天皇がこれを認証する(認証官)。
  • 総領事・領事・参事官・書記官・理事官・外務書記などの外交職員 → 外務大臣が行う。
  • 外交職員(特別の技術を必要とする外交領事事務などに従事する職員)→ 外務省令で定めるところにより、外務大臣が行う。

採用[編集]

大半の外交官は国家公務員I種試験(平成12年までは外務公務員I種試験公務員試験の項参照)および外務省専門職員試験、国家III種試験等に合格して外務省に入省した職員から選ばれる。前者出身の外交官を俗に「キャリア外交官」と呼称し、外務省本省の多くの幹部職や、主としていわゆる大国に駐在する大使等はほとんどこちらから任命される。それに対して、後者出身及び同等の経歴の者から任命される外交官を同様に「ノンキャリア外交官」と呼称することがあり、その多くは栄進したとしても本省のごく一部の幹部職や中小国駐在の大使等で外交官としての経歴を終わることになる。1894年(明治27年)以来の試験であるところの、外交官及領事館試験、外務書記生試験、雇員採用は、順にI種、専門職、III種に該当する。

なお、例外的に一部の大使公使には学識経験者等の民間人や他省庁出身者が任命されることもある。また書記官には各省庁からの出向者が、在外公館警備対策官等には警察庁防衛省法務省入国管理局公安調査庁海上保安庁からの出向者が、それぞれ任命されることもある。

待遇[編集]

日本国の外交官に対しては、在外公館における勤務に必要な経費に充てるために(通常の給与に加えて)在勤手当(非課税)が支払われ、平成17年度において総額256億7188万7000円の予算が計上された。支払対象は約3,000人とされる(一人当たりの単純平均額は約856万円)。

日本の著名な外交官一覧[編集]

1600年以前に生誕した者[編集]

1601年から1800年に生誕した者[編集]

1801年から1820年に生誕した者[編集]

1821年から1840年に生誕した者[編集]

1841年から1850年に生誕した者[編集]

1851年から1860年に生誕した者[編集]

  • 栗野慎一郎(くりの しんいちろう) - 嘉永4年(1851年)生。慶応元年(1865年)藩費留学生として長崎の何礼之の英語塾で学ぶ。明治8年(1875年)再び藩費留学生としてハーバード大学で法律を学ぶ。明治14年(1881年)外務省入省。駐ロシア公使の時、日露戦争開戦直前まで外交交渉に尽力するが、ロシア政府に宣戦布告文を提出した。初代フランス大使。
  • 寺内正毅(てらうち まさたけ) - 嘉永5年(1852年)生。フランス駐在武官。韓国統監として韓国併合を推し進める。元帥陸軍大将・陸軍大臣・朝鮮総督・内閣総理大臣。
  • 金子堅太郎(かねこ けんたろう) - 嘉永6年(1853年)生。岩倉使節団に随行し、米国の小・中学校を経てハーバード大学法学部を卒業。大日本帝国憲法の起草に参画。農商務次官・農商務大臣・司法大臣。日露戦争に際して米国での広報外交を担当、ポーツマスでの講和会議が暗礁に乗り上げるとセオドア・ルーズベルトアメリカ大統領に援助を求め、ポーツマス条約の成立に貢献。
  • 高橋是清(たかはし これきよ) - 嘉永7年(1854年)生。ヘボン塾で英語を学んだ後、慶応3年(1867年)米国留学。明治6年(1873年)文部省入省。日露戦争に際して日銀副総裁として戦費調達のために戦時外債の公募を担当。特許局初代局長・横浜正金銀行頭取・日本銀行総裁・大蔵大臣・内閣総理大臣。二・二六事件で遭難。
  • 小村寿太郎(こむら じゅたろう) - 安政2年(1855年)生。明治8年(1875年)鳩山和夫らとともに第1回文部省海外留学生に選ばれ、ハーバード大学へ留学。司法省を経て、明治17年(1884年)外務省へ転出。外相として日英同盟締結を推進。ポーツマス条約全権。日露戦争後の外交に強い影響。明治44年(1911年)日米通商航海条約を調印し関税自主権の回復を果たす。駐米公使・駐露公使・外務大臣(第1次桂内閣第2次桂内閣)。
  • 鳩山和夫(はとはま かずお) - 安政3年(1856年)生。明治8年(1875年)小村寿太郎らとともに第1回文部省海外留学生に選ばれて米国留学、コロンビア大学で法学士、イェール大学で法学博士。明治18年(1885年)外務省入省。衆議院議長・早稲田大学学長。子に鳩山一郎、孫に鳩山威一郎、曾孫に鳩山由紀夫鳩山邦夫
  • 原敬(はら たかし) - 安政3年(1856年)生。中江兆民の仏学塾でフランス語を学ぶ。明治15年(1882年)外務省入省。天津領事館・パリ公使館勤務。外務次官・朝鮮駐在公使・内閣総理大臣。
  • 珍田捨巳(ちんだ すてみ) - 安政3年(1857年)生。明治10年(1877年)から4年間アメリカ留学。帰国後、外務省入省。初代の外務次官。駐独大使・駐米大使。
  • 後藤新平(ごとう しんぺい) - 安政4年(1857年)生。明治23年(1890年)ドイツ留学。大正12年(1923年)東京市長として後藤・ヨッフェ会談を行い、ソビエト連邦との国交正常化の契機を作る。昭和3年(1928年)ソ連を訪問、スターリンと会見し、国賓待遇を受ける。満鉄総裁・初代内閣鉄道院総裁・逓信大臣・内務大臣・外務大臣。
  • 斎藤実(さいとう まこと) - 安政5年(1858年)生。明治17年(1884年)から明治21年(1888年)までアメリカ留学兼駐米公使館付駐在武官。海軍大臣・海軍大将・朝鮮総督ジュネーブ海軍軍縮会議全権・内閣総理大臣兼外務大臣。内大臣在任時に二・二六事件で遭難。
  • 加藤高明(かとう たかあき) - 安政7年(1860年)生。明治20年(1887年)外務省入省。駐英公使、外務大臣・内閣総理大臣。第4次伊藤内閣の外相として日英同盟の推進に尽力。第2次大隈内閣の外相として、第一次世界大戦への参戦、対華21ヶ条要求などに辣腕を振るった。
  • 林権助(はやし ごんすけ) - 安政7年(1860年)生。明治20年(1887年)外務省入省。日露戦争中、駐韓公使として日韓議定書に締結し、対韓・対露強硬外交を推進。後の日韓併合への足がかりを作った。国際連盟日本代表。

1861年から1870年に生誕した者[編集]

1871年から1880年に生誕した者[編集]

1881年から1890年に生誕した者[編集]

  • 佐藤尚武(さとう なおたけ) - 明治15年(1882年)生。明治38年(1905年)外務省入省。国際連盟帝国事務局長・ロンドン海軍軍縮会議事務総長・駐仏大使・外務大臣。ソ連対日参戦時の駐ソ大使。第二次世界大戦でドイツ降伏後、ソ連を通じた連合国との交渉を試みるが、ソ連からは無視された。ソ連の対日参戦の情報をつかみ損ね、奇襲を受けることになる。
  • 武者小路公共(むしゃこうじ きんとも) - 明治15年(1882年)生。明治39年(1906年)外務省入省。駐独大使の時、日独防共協定締結の交渉に当たり、同協定に調印した(1936年11月25日)。
  • 東郷茂徳(とうごう しげのり) - 明治15年(1882年)生。大正元年(1912年)外務省入省。太平洋戦争開戦時の外務大臣(東條内閣)として野村吉三郎来栖三郎とともに開戦回避交渉を担当し、終戦時の外務大臣(鈴木貫太郎内閣)としてソ連の仲介による和平交渉を模索する。
  • 山本五十六(やまもと いそろく) - 明治17年(1884年)生。大正8年(1919年)ハーバード大学留学。大正14年(1925年)駐米大使館付武官。ロンドン軍縮会議次席随員。第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉の海軍側主席代表。日独伊三国軍事同盟の締結・対米開戦に反対した。元帥海軍大将・連合艦隊司令長官
  • 東條英機(とうじょう ひでき) - 明治17年(1884年)生。大正8年(1919年)駐スイス武官。太平洋戦争開戦時の内閣総理大臣。陸軍大将・陸軍大臣。
  • 有田八郎(ありた はちろう) - 明治17年(1884年)生。明治42年(1909年)外務省入省。外務次官・中国大使・外務大臣。米内内閣の外務大臣として、日独伊三国軍事同盟の締結に反対した。  
  • 大島浩(おおしま ひろし) - 明治19年(1886年)生。駐独大使館付武官から、大使に就任。日独伊三国同盟による枢軸外交実現のために奔走した。第二次世界大戦末期になっても、ドイツ有利との誤った戦況報告を日本政府に流し続けた。
  • 来栖三郎(くるす さぶろう) - 明治19年(1886年)生。明治43年(1910年)外務省入省。駐ドイツ大使として日独伊三国軍事同盟を締結・調印(1940年9月27日)。日米開戦時の交渉担当大使。
  • 石射猪太郎 (いしい いたろう)- 明治20年(1887年)生。大正4年(1915年)外務省入省。東亜局長として支那事変では不拡大方針を強く主張する。太平洋戦争終戦時の駐ビルマ大使。バー・モウを伴ってタイに脱出。
  • 重光葵(しげみつ まもる) - 明治20年(1887年)生。明治44年(1911年)外務省入省。連合国への降伏文書調印において、日本政府全権として署名(1945年9月2日)。東條内閣小磯内閣東久邇宮内閣で外務大臣。
  • 天羽英二(あもう えいじ) - 明治20年(1887年)生。明治45年(1912年)外務省入省。駐イタリア大使・外務次官。昭和9年(1934年)4月に、日本がアジア・モンロー主義を宣言したと解釈された「天羽声明」で有名。
  • 白鳥敏夫(しらとり としお) - 明治20年(1887年)生。大正3年(1914年)外務省入省。スウェーデン公使・駐イタリア大使。大島浩駐独大使と連携して防共協定強化、日独伊三国同盟の推進を図った。
  • 芦田均(あしだ ひとし) - 明治20年(1887年)生。明治45年(1912年)外務省入省。外務大臣・内閣総理大臣。斎藤隆夫反軍演説の際には除名に反対票を投じた。昭和16年(1941年)の翼賛選挙には非推薦で出馬し当選。衆議院帝国憲法改正小委員会委員長として、戦力不保持を定める憲法案第9条第2項に「前項の目的を達するため」との文言を追加する芦田修正を行い、これにより自衛力保持の余地が残された。主著として、『第二次世界大戦前史』(1959年 時事通信社)、『第二次世界大戦外交史』(時事通信社1960年、復刊1975年、岩波文庫(上下)2015年)。
  • 石原莞爾(いしわら かんじ) - 明治22年(1889年)生。駐独大使館付武官・駐満大使館付武官。板垣征四郎らとともに柳条湖事件を起こし、満州事変を成功させた首謀者である。ニ・ニ六事件では反乱軍鎮圧の先頭に立ち、日中戦争に際しては不拡大方針を唱え、トラウトマン工作に関与。関東軍作戦参謀・陸軍中将・立命館大学国防学研究所長。
  • 井上成美(いのうえ しげよし) - 明治22年(1889年)生。大正7年(1918年)スイス国駐在ドイツ語習得従事。大正9年(1920年)フランス国駐在フランス語習得従事。昭和2年(1927年)在イタリア日本大使館付海軍駐在武官。日独伊三国軍事同盟の締結・対米開戦に反対した。海軍次官・海軍大将(海軍大将となった最後の軍人である)。

1891年から1920年に生誕した者[編集]

1921年から1950年に生誕した者[編集]

  • 山下英明(やました えいめい) - 大正12年(1923年)生。昭和18年(1943年)商工省入省。戦後、駐カナダ大使館書記官。通産省通商局長として日米繊維交渉を決着させる。通産事務次官として第一次オイルショックに対応。三井物産副社長としてイラン革命イラン・イラク戦争によるイラン・ジャパン石油化学事業(IJPC)からの撤退を決断した。
  • 緒方貞子(おがた さだこ) - 昭和2年(1927年)生。国連日本政府代表部特命全権公使・国連人権委員会日本政府代表。平成3年(1991年)から平成12年(2000年)まで国連難民高等弁務官犬養毅の曾孫、芳澤謙吉の孫。
  • 明石康(あかし やすし) - 昭和6年(1931年)生。昭和32年(1957年)国連採用。昭和49年(1974年)外務省入省。国連事務次長。平成4年(1992年)国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)事務総長特別代表。平成6年(1994年)旧ユーゴ問題担当事務総長特別代表として国際連合保護軍(UNPROFOR)の最高指揮権を付与された。
  • 小和田恒(おわだ ひさし) - 昭和7年(1932年)生。昭和30年(1955年)外務省入省。国連大使・外務事務次官。コロンビア大学ニューヨーク大学などで国際法の客員教授。国際司法裁判所判事・所長。皇太子妃雅子の父。
  • 堀田力(ほった つとむ) - 昭和9年(1934年)生。昭和36年(1961年)検事任官。昭和47年(1972年)在米大使館一等書記官。東京地検特捜部検事としてロッキード事件を捜査、米国での嘱託尋問を担当し、起訴後公判検事として田中角栄元首相に論告求刑をした。
  • 棚橋祐治(たなはし ゆうじ) - 昭和9年(1934年)生。昭和33年(1958年)通商産業省入省。産業政策局長として日米構造協議(1989-90年)を担当。通産事務次官。
  • 福田博(ふくだ ひろし) - 昭和10年(1935年)生。昭和35年(1960年)外務省入省。条約局長・外務審議官(政務担当)・最高裁判所判事。
  • 柳井俊二(やない しゅんじ) - 昭和12年(1937年)生。昭和36年(1961年)外務省入省。条約局長・初代の総合外交政策局長・事務次官・駐米大使。国際海洋法裁判所判事・裁判所長。
  • 丹羽宇一郎(にわ ういちろう) - 昭和14年(1939年)生。伊藤忠商事株式会社社長・会長を務めた後、民主党政権(菅内閣)下の平成22年(2010年)中華人民共和国大使。
  • 加藤紘一(かとう こういち) - 昭和14年(1939年)生。昭和39年(1964年)外務省入省。中国課次席事務官・防衛庁長官・内閣官房長官・自由民主党幹事長。
  • 原田明夫(はらだ あきお) - 昭和14年(1939年)生。昭和40年(1965年)東京地方検察庁検事任官。在米大使館一等書記官としてロッキード事件の捜査のため堀田力検事をサポートし、米側からの資料提供やロッキード社のコーチャン副会長の嘱託尋問を実現させた(日本経済新聞夕刊20170426追想録)。法務省刑事局総務課国際犯罪対策室長・検事総長
  • 武藤敏郎(むとう としろう) - 昭和18年(1943年)生。昭和41年(1966年)大蔵省入省。在米大使館一等書記官。主計局長。最後の大蔵事務次官かつ初代の財務事務次官。日本銀行副総裁・株式会社大和総研理事長・学校法人開成学園理事長兼学園長・東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長。
  • 谷内正太郎(やち しょうたろう) - 昭和19年(1944年)生。昭和44年(1969年)外務省入省。条約局長・総合外交政策局長・外務事務次官。平成26年(2014年)初代の国家安全保障局長
  • 黒田東彦(くろだ はるひこ) - 昭和19年(1944年)生。昭和42年(1967年)大蔵省入省。昭和44年(1969年)オックスフォード大学留学。国際通貨基金派遣職員・国際金融局長・国際局長(初代)・財務官。平成17年(2005年)アジア開発銀行総裁。平成25年(2013年)日本銀行総裁。日銀総裁として大胆な金融緩和マイナス金利の導入を実施。
  • 田中均(たなか ひとし) - 昭和22年(1947年)生。昭和44年(1969年)外務省入省。アジア大洋州局長・外務審議官。2002年の日朝首脳会談(第1次小泉内閣)を実現に導く。日本総合研究所・国際戦略研究所理事長。
  • 天野之弥(あまの ゆきや) - 昭和22年(1947年)生。昭和47年(1972年)外務省入省。在ウィーン国際機関日本政府代表部大使・国際原子力機関(IAEA)事務局長。
  • 薮中三十二(やぶなか みとじ) - 昭和23年(1948年)生。大阪府立住吉高校卒業。大阪大学法学部を中退し、昭和44年(1969年)に専門職員として外務省入省後、上級職試験を受け直し、翌年上級職となる。昭和62年(1987年)から3年間北米局北米第二課長として日米の経済関係、日米構造協議を担当する。外務事務次官。
  • 北岡伸一(きたおか しんいち) - 昭和23年(1948年)生。平成16年(2004年)外務省へ出向、国際連合日本政府代表部次席代表・特命全権大使G4案による国連安保理改革を推進。東京大学大学院法学政治学研究科教授(日本政治外交史)。

1951年から1980年に生誕した者[編集]

  • 小松一郎(こまつ いちろう) - 昭和26年(1951年)生。昭和47年(1972年)外務省入省。国際法局長・駐フランス大使。平成25年(2013年)内閣法制局長官第2次安倍内閣)として、日本国憲法第9条に関し集団的自衛権の行使の可否の解釈の見直しに積極的に着手。
  • 片上慶一(かたかみ けいいち) - 昭和29年(1954年)生。昭和54年(1979年)外務省入省。駐ガーナ大使。平成23年(2011年)大臣官房審議官兼経済局・経済外交担当大使として環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)締結に向けた交渉にあたる。平成26年(2014年)欧州連合日本政府代表部特命全権大使。平成29年(2017年)TPP政府対策本部主席交渉官。
  • 大江博(おおえ ひろし) - 昭和30年(1955年)生。昭和54年(1979年)外務省入省。防衛省防衛政策局次長・駐パキスタン大使。平成25年(2013年)TPP政府対策本部主席交渉官代理、平成28年(2016年)TPP政府対策本部主席交渉官。平成29年(2017年)経済協力開発機構代表部大使。
  • 岸田文雄(きしだ ふみお) - 昭和32年(1957年)生。平成28年(2016年)4月、広島で開催されたG7外相サミットの議長を務め、他のG7外相と共に広島平和記念公園広島平和記念資料館の訪問、原爆死没者慰霊碑に献花を実現。同年5月、米国大統領バラク・オバマの広島訪問を実現。平成24年(2012年)12月26日から5年近い外務大臣在任期間は内田康哉(通算7年5ヶ月、連続4年11ヶ月)・吉田茂(通算5年2ヶ月、連続3年6ヶ月)に次ぐ。外相として訪問した国・地域は50に達し、歴代最多(日本経済新聞20170430)。
  • 奥克彦(おく かつひこ) - 昭和33年(1958年)生。昭和56年(1981年)外務省入省。オックスフォード大学ハートフォード・カレッジにて在外研修。日本ラグビーフットボール協会総務委員会委員。在米国大使館一等書記官・経済局国際経済第一課長・総合外交政策局国連政策課長・在英大使館参事官等を歴任。イラク復興支援に尽力中の平成15年(2003年)11月にイラク日本人外交官射殺事件で殉職(享年45才)。死後、従四位に叙され、旭日中綬章授与、大使に特進。
  • 佐藤優(さとう まさる) - 昭和35年(1960年)生。昭和60年(1985年)ノンキャリアの専門職員として入省後、在ロシア日本国大使館を経て国際情報局分析第一課主任分析官。鈴木宗男事件に絡む背任容疑で逮捕されるが、2009年に失職するまで「起訴休職外務事務官」を自称。
  • 皇太子妃雅子(こうたいしひ まさこ) - 昭和38年(1963年)生。昭和62年(1987年)外務省入省。旧姓小和田。ハーバード大学経済学部卒業。東京大学法学部に学士入学。旧外務公務員I種試験(外交官試験)に合格し、東京大学を中退し、外務省に入省。外国駐在経験はなく、いわゆる「外交官」ではない。
  • 井ノ上正盛(いのうえ まさもり) - 昭和48年(1973年)生。平成8年(1996年)専門職員として外務省入省。中近東アフリカ局中近東第一課配属。在シリア大使館・在チュニジア大使館・在ヨルダン大使館兼任イラク大使館員等歴任。在イラク三等書記官。奥克彦とともにイラク復興支援中にイラク日本人外交官射殺事件で平成15年(2003年)11月殉職(享年30才)。死後、従七位に叙され、旭日双光章受賞、一等書記官に特進。

外交官が登場する作品[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 杉原高嶺、水上千之、臼杵知史、吉井淳、加藤信行、高田映 『現代国際法講義』 有斐閣2007年5月1日、第4版、203頁。ISBN 978-4-641-04640-5。
  2. ^ 杉原高嶺、水上千之、臼杵知史、吉井淳、加藤信行、高田映 『現代国際法講義』 有斐閣2007年5月1日、第4版、193頁。ISBN 978-4-641-04640-5。
  3. ^ 山本草二 『国際法』 有斐閣1999年7月30日、新版、567頁。ISBN 4-641-04593-3。
  4. ^ 山本草二 『国際法』 有斐閣1999年7月30日、新版、569頁。ISBN 4-641-04593-3。
  5. ^ 山本草二 『国際法』 有斐閣1999年7月30日、新版、570頁。ISBN 4-641-04593-3。

参考文献[編集]

  • 西川吉光 『現代国際関係論』 晃洋書房
  • アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』(岩波文庫上下, 1961年/平凡社東洋文庫に伝記ほか)
  • 安成英樹「外交官」(『歴史学事典 8 人と仕事』(弘文堂、2001年) ISBN 978-4-335-21038-9
  • 木村昌人編『外交』(日本史小百科 近代 東京堂出版 1999年)
  • ニコルソン 斎藤真訳 『外交』(UP選書 東京大学出版会 1968年)