天野弘昌 (牧師)

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天野 弘昌(あまの ひろまさ)は、東京都出身。日本牧師、各聖書学校講師。日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の正教師。元教団理事、前総務局長、草加神召キリスト教会主任牧師。 教団内外超教派での講師。(セミナー、講演会、聖会、キャンプ等)

天野弘昌
天野弘昌牧師.jpg

経歴(教会の歩み)[編集]

  • 法政大学卒、英国ケンブリッジ大学留学を経て、1983年、米資系マニュファクチユラーズ・ハノーバー・トラスト・バンク(現在JPモルガン・チェース)銀行に入行し、外国為替業務に従事する。
  • 1988年 CBC(Central Bible College)に入学。
  • 1991年 卒業後、東京の神召キリスト教会に赴任後、草加市に開拓開始。(インターナショナルチャーチも併設)
  • 1996年 草加チャペルから松原チャペル献堂。
  • 1998年 リバイバル的拡大が始まり、HSBS(Holy Spirit Bible School)、チャーチプランティングを国内、海外進出。(現在国内15、海外26拠点)
  • 2005年 シャロームハウス、グロリアハウス、エターナル、ジョイフル、ハレルヤが備えられる。(拠点の建物)リバーサイドインターナショナルスクール(RIS)が開校。
  • 2008年 HSTS(Holy Spirit Training School)も始まり、将来の働き人の為に専心している。
  • 2011年 米国ワシントン大学より神学博士(D.Th)学位授与。
  • 2012年 教会内 各塾開校。(牧会、伝道、信仰、説教塾)
  • 2015年 ケアセル研修(TCC)開始。
  • 2016年 オープンケアセルスタート。

生い立ち[編集]

東京都に生まれる。近藤勇土方歳三記念碑の前に、洋装洋品店を経営する両親に育まれる。幼少期から活発躍動的でリトルリーグの野球少年でもあった。同時に厳格な親の教育熱でほぼ塾通い、習い事で明け暮れる。四谷大塚進学教室にも通った。

学生時代、腕を損傷した為、中学ではサッカー部に所属し、吹奏楽部でもクラリネット奏者であった。

高校に入学してからは、兄の死を契機に、医学部受験生となり勉強に集中した。しかしながら、ある医大の実態に接し躓き、理系の科目で受験出来る文系の大学に暫定的に入学する。

大学ではほぼESSに所属活動し各大学と関わり続けた。その関係で英国に留学する。その影響で国際的ビジネスに興味と関心を抱き、外資系の銀行に就職する。献身するまでの期間、米国為替事務に従事した。

入信の経緯[編集]

中学1年生の時に実の兄を失う。
実兄は優秀な学生生活を送っていたが、就職の内定が決まっていたにもかかわらず薬を飲んで、突然、家族の留守中に自殺する。
後日わかった事は、実兄は異母兄弟であった。父親の再婚に伴い、幼少期に連れ子として継母に育てられた。
その実兄の生い立ちと自殺が家族を暗闇に落とした。父親は胃を患い入退院を繰り返す。
母親は精神的な病気を患う。そんな逆境の中、両親の面倒を少年ながらみてきた。そんな時に、まず母親が顧客に勧められて聖書を読み始め、主の愛と救いに預かる。その後の癒しと回復に驚き、聖書に興味と関心を強く抱く。
当時、アルベルト・シュヴァイツァー野口英世に憧れていた心をとらえる。
そして高校生の時、初めて特別伝道集会に参加したその日、主に不思議な出会いを通して回心する。
その後、大学生活、米資系銀行員時代、クリスチャンとして敬虔に教会に集い、主の証詞をし続けた。

献身[編集]

与えられている立場や働きを献げきる事に葛藤を覚えた。
当時バブル絶頂期であり、外国為替銀行の仕事や海外出張等に享受していた。
しかし、主が不思議な導きと御業を通して献身を迫られた。
そしてもう逃げられない状況の中、明確なビジョンと確信を得て、CBC(Central Bible College)に入学する。