安定成長期

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安定成長期(あんていせいちょうき)または、安定経済成長期(あんていけいざいせいちょうき)とは、日本1973年昭和48年)12月から1991年平成3年)2月まで17年3ヶ月間続いた安定成長(中成長)の時期である[要出典]一部文献では、1983年(昭和58年)3月から1986年(昭和61年)11月までを、安定成長期(1973年12月から1983年2月までをオイルショック後の調整期)とし、1986年12月から1991年2月までを、バブル期(バブル経済期・バブル形成期)としているものもある[要出典]

経緯[編集]

オイルショック(第1次石油危機)で原油価格が高騰したことで日本経済は大きな打撃を受け、1974年には戦後初めて経済成長率がマイナスとなった。これにより1950年代半ばからの高度経済成長期は幕を閉じ、バブル崩壊までの1991年まで経済成長率は1975年から5%前後となったが、省エネルギー公共投資にも力を入れるなどして安定した経済成長が進んだ。

1980年代前半は、円安ドル高の影響もあり、自動車や電機製品などのハイテク産業を中心に輸出が増加した。しかし、この輸出増加によって、アメリカなどと貿易摩擦が発生し、貿易摩擦の解消のためのプラザ合意が行われた。このことにより円高不況が到来し、日本銀行は低金利政策を実施し円高不況対策を図ったが、あまりの金融緩和で地価・株価が高騰し始め、バブル景気が発生した。その後、資産価格急上昇によるひずみや、政府による金融引き締めにより地価・株価は暴落し、1991年にはバブルが崩壊した。これにより安定成長期の時代も終わり、失われた20年(経済停滞期)の時代となった。

展開[編集]

オイルショック(石油ショック・石油危機)[編集]

オイルショックで激しいインフレーションが発生し、経済成長率はマイナスとなった。しかし、日本は省エネルギーや経営の合理化を進めた結果、先進国でも早い段階でオイルショックからの脱却を図ることに成功した。

産業構造の変化[編集]

オイルショックにより鉄鋼や造船、石油などの重厚産業は低迷しこれらの産業では構造不況と呼ばれる不況が到来した。重厚産業が低迷する中でエネルギーをあまり消費せず付加価値の高い自動車や電気製品、半導体などが発達した。またサービス化やソフト化が進行し情報処理産業やレジャー産業など第三次産業が発達した。

輸出増大(レーガン景気・ハイテク景気・半導体景気・円安景気)[編集]

アメリカレーガノミクス(高金利政策)によるドル高・円安の進行や日本製品の高品質さを背景に日本はハイテク産業を中心として欧米への自動車電気製品半導体などの輸出を伸ばし日本の貿易黒字は増大した。しかし、あまりの輸出増大により欧米との貿易摩擦が発生し国際問題にまで発展した。特にアメリカとは何度も貿易摩擦が問題となった。

プラザ合意(円高不況・貿易不況)[編集]

プラザ合意で急速に円高が進行し円高不況が到来した。ただ依然として日本の大幅な貿易黒字は続き貿易摩擦は解決できずアメリカなどからは日本市場の開放や輸出規制の緩和の要求が強まった。

バブル景気(平成景気・平成バブル景気)[編集]

円高不況を乗り切るため日本銀行は公定歩合2.5%に引き下げ大幅な金融緩和を行ったことで資金調達が容易となり過剰な流動性が発生した。それにより日本では多額の資金が株や不動産に流れ大幅な地価・株価の高騰が発生した。また円高を背景に日本企業による海外企業や不動産などの買収も進んだ。しかし大蔵省による土地関連融資の規制や公定歩合の相次ぐ引き上げなどから地価や株価は暴落しバブル景気が崩壊した。同時に安定成長期も17年3ヶ月間で終わりを迎え、以後は「失われた20年」と称された経済停滞期となった。

関連項目[編集]