島田洋八

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島田 洋八
本名 藤井 健次
(ふじい けんじ)
生年月日 (1950-02-13) 1950年2月13日(67歳)
出身地 日本の旗 日本 岡山県笠岡市
最終学歴 福山盈進高等学校卒業
コンビ名 B&B
相方 島田洋七
芸風 漫才ツッコミ
立ち位置
事務所 株式会社ポートレーブ
活動時期 1975年 -
配偶者  既婚

島田 洋八(しまだ ようはち、1950年2月13日[1] - )は、日本漫才師であり、漫才コンビB&Bのひとり。本名、藤井 健次(ふじい けんじ)。

岡山県笠岡市生江浜出身。福山盈進高等学校卒。俳優活動する時の芸名は藤井 洋八。かつては吉本興業に所属していたが、2016年から株式会社ポートレーブに所属している。

兄は、笠岡市議会議員の藤井 義明。

来歴[編集]

  • 1975年、後の相方に当たる島田洋七は「島田洋一」の芸名で、「上方真一」と名乗っていた上方よしおとともにB&Bを組んでいたが、洋七が望んでいた東京進出をよしおが拒んでいたため折り合いがつかずに解散。そこで桂三枝(現・六代目桂文枝)からの薦めもあって、洋七の3代目の相方となり(初代は団順一)新生B&Bが誕生した。
  • 漫才では主にツッコミ担当であるが、ボケ担当である洋七の強烈なマシンガントークや「小野田さーん」と洋八の頭をめがけて叫ぶことからいじられ担当との形もとれる。
  • 年は6歳下だが先に入門していた島田紳助からは呼び捨てで呼ばれるものの、本来の仕切りである「先に入ったものを『兄さん』(「にいさん」。東京では「あにさん」)と呼ぶこと」に関しては洋八は特に紳助のことを兄さんと呼んだり先輩扱いしている様子などはない。紳助もまたその事を気にしている様子も無い。
  • そして1980年に空前の漫才ブームに乗ってスターダムにのし上がったが相方の洋七と比較すると人気やカリスマ性では到底及ばないものがあった。しかし翌年の1981年にスタートした大ヒット番組「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)では同じように相方に差を付けられたビートきよしツービート)と松本竜助紳助・竜介)らとうなずきトリオを結成し短期間ではあったが大人気を博すことになる。
  • 一方で洋七は「ひょうきん族」では洋八よりも目立つことなく、徐々に2人とも人気が下がり1983年コンビ解散。
  • その後は俳優活動をし、「藤井 洋八」の芸名で活動。「鮫肌男と桃尻女」のいかれたホテルの支配人役は一部に高い評価を得たもののあまり認知される事はなかった。その際に昔からの友人である我修院達也と共演、現在も親交は続いている。それから数年後、洋七が吉本に帰参を許された事もあり、再び洋七とともにコンビを再結成し各劇場にて漫才をやっていたが2007年に洋七が吉本を離籍して以降は事実上活動停止となった。その後、洋八も2011年末で吉本興業を退社している。2012年10月に約5年ぶりにコンビを再結成を行った[2]
  • ますだおかだ岡田圭右が洋八とキャラがかぶるとの話をよくされることもある。
  • 2008年4月から、元ツービートのビートきよしと「うなずきコンビ」を結成。LIVE STAND 08、よしもと浅草花月の舞台に、出演した。
  • デビューから2008年までは公式プロフィールなどで『1951年生』と1歳サバを読んでいた
  • 歯科医の女性と再婚し、2014年現在は伊豆大島在住。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

※B&Bとしての出演作はB&B (お笑いコンビ)参照。

映画[編集]

Vシネマ[編集]

舞台[編集]

その他[編集]

  • 実家は生江浜地区の[[国道]]2号線沿いにあるリカーショップふじい(閉店)

脚注[編集]