川村丈夫

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川村 丈夫
20130407 Takeo Kawamura,coach of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県大和市
生年月日 (1972-04-30) 1972年4月30日(44歳)
身長
体重
182 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 ドラフト1位
初出場 1997年4月6日
最終出場 2008年10月5日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜ベイスターズ
    横浜DeNAベイスターズ (2009、2011 - 2015)
国際大会
代表チーム 日本の旗 日本
五輪 1996年
オリンピック
男子 野球
1996 野球

川村 丈夫(かわむら たけお、1972年4月30日 - )は、元プロ野球選手投手)、野球指導者。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

神奈川県大和市出身。県下屈指の進学校厚木高校3年生の時に、 神奈川県高等学校野球春季大会でベスト4進出。全国高等学校野球選手権神奈川大会には第一シードで臨み、強豪私立ぞろいの厳しい状況下でエースとしてチームをベスト8まで導く大黒柱となった。準々決勝では川崎北高校河原純一と延長16回の投手戦を演じるが敗退。進学校の厚木高校卒業後は立教大学へ一般入試で現役合格[1]。東京六大学リーグ通算63試合登板、21勝27敗、防御率2.65、317奪三振1993年アジア選手権・日米大学野球の両野球日本代表に選出。日本石油(現・JXエネルギー)入社後の1995年第66回都市対抗野球大会で優勝。

1996年アトランタオリンピック野球日本代表に選出。準決勝のアメリカ戦では先発の杉浦正則リリーフし3回1/3イニングを無失点に抑えた。同年の社会人ベストナインに選出されプロ野球ドラフト会議にて、逆指名(1位)で横浜ベイスターズに入団。

プロ入り後[編集]

1997年先発投手が著しく不足する中、シーズン開幕当初から先発ローテーションの一角を担い、10勝7敗、147奪三振、防御率3.32の好成績を挙げる。しかし、新人王は12勝を挙げた広島澤崎俊和に軍配が上がった。

1998年は開幕戦で史上3人目の1安打完封勝利を挙げる。前半戦は8勝をあげオールスターゲームにも選出されたが、後半戦は0勝に終わった。しかし、日本シリーズでは最終戦(第6戦)で先発し終盤まで無失点の好投で日本一に貢献した。

1999年は新たに習得したチェンジアップを駆使し、自己最多の17勝を挙げる。6月には5戦全勝し、月間MVPを獲得、2年連続オールスターゲームにも選出された。

2000年は年間を通じて調子があまり良くなかったものの、先発としてシーズンを通して登板し続けた結果、リーグ最多敗戦(12敗)を記録。

2001年シーズン序盤に2試合連続中継ぎで大量失点し、湘南シーレックスに送られる。6月に先発として復帰するものの、9月以降は中継ぎに回ることになる。2002年は故障で3試合登板で未勝利に終わり、10月に背中の滑液胞炎の摘出手術を受ける。2003年5月6日の広島戦(横浜スタジアム)で593日ぶりの勝利を挙げたが、5勝にとどまる。

2004年にスタミナ面を考慮し、中継ぎに転向。4月は大車輪の活躍でチームを首位に押し上げた。しかし、登板過多による疲労から精彩を欠き、7月1日に登録抹消。後半戦からは復帰し、58試合に登板して防御率3.07という数字を残したが複数イニング登板すると打たれることが多く、8敗を喫した。

2005年は1イニング限定の登板起用がこれまた当たり、56試合登板し防御率は2.31。しかも夏場までは防御率0点台であった。木塚敦志と共に、抑えのマーク・クルーンに繋ぐセットアッパーとしてチームの躍進に貢献。阪神JFKに匹敵する活躍を見せた。

2006年二段モーション禁止によるフォーム改造の影響により、シーズン序盤は打ち込まれ防御率が2桁の時期が続く。セットアッパーの役目も加藤武治に譲ることになったが、5月以降は持ち直して川村-加藤-クルーンの勝利リレーを確立。シーズン終盤にクルーンが故障で登録抹消されると抑えの役目を任され、プロ入り10年目で初セーブを挙げた。最終的な防御率こそ3.86と3点台を確保したが、この年優勝した中日相手に大量失点をするシーンが目立ち、数字以上に打たれるイメージを与えることになった。

2007年は中継ぎでの3年間にわたる登板過多気味の状況や、先発投手が不足しているチーム事情を考慮し、大矢明彦新監督の意向で先発投手に配置転換された。しかし、キャンプ中に故障し、調整不足のままシーズンを迎えることになる。何とか先発の6番手に名を連ねたが5回未満で降板してしまうことが多く、開幕から約1ヶ月で中継ぎに戻る。中継ぎではまずまずの投球内容ではあったが、オールスター明けに調子を崩し、8月・9月とチームが大事な時期に二軍落ちしてしまった。

2008年はシーズンの大半を二軍で過ごし、9月28日に今季限りで現役引退と一部で報道され、10月1日に球団より公式に引退が発表された。引退の理由について本人は「投げるのが怖くなるときがあり、精神的に厳しいものがあった」と語っている。10月5日、対広島23回戦(横浜)にて先発登板し、先頭打者の東出輝裕を3球三振に打ち取って降板。試合後に引退セレモニーが執り行われた。

引退後[編集]

2011年3月19日 横須賀スタジアム

2009年からは湘南シーレックスの投手コーチに就任し、山口俊の育成に貢献。2010年からはスコアラーに転身し、2011年から2012年は再び二軍投手コーチ、2013年は一軍投手コーチ(ブルペン)、2014年から2015年は一軍投手コーチ(ベンチ)を務めた。2016年からは球団職員(野球振興担当)として少年達の野球指導を担当している[2][3]

人物[編集]

  • V6長野博とは小学生時代からの同級生。長野とは同じチームに1年間在籍した。
  • 球持ちの非常によい投手であり、140キロ弱のストレートでも打者はタイミングをあわせるのに苦労した。
  • クアトロKを構成していた木塚・加藤とは仲が良く、年明けの合同自主トレも厚木大山で共に行っていた。なお、川村は以前から野村弘樹秋元宏作とこの地で自主トレを行っていた。
  • 被本塁打が多いことで知られているが、投手からも3本打たれている。1999年8月13日の横浜スタジアムでの巨人戦ではバルビーノ・ガルベスに満塁場外本塁打を打たれ、2001年7月31日広島市民球場での広島戦では高橋建に自身通算100本目の本塁打を打たれた。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1997 横浜 26 26 2 2 0 10 7 0 -- .588 614 151.2 113 27 49 1 4 147 3 0 56 56 3.32 1.07
1998 26 24 1 1 0 8 6 0 -- .571 610 146.1 139 23 46 0 2 97 3 0 60 54 3.32 1.26
1999 26 26 5 3 2 17 6 0 -- .739 743 183.0 169 21 43 1 1 131 1 0 65 61 3.00 1.16
2000 26 26 1 0 1 7 12 0 -- .368 614 147.2 160 23 35 2 0 85 7 0 84 83 5.06 1.32
2001 27 15 0 0 0 6 6 0 -- .500 379 90.1 94 8 29 3 0 49 2 0 43 42 4.18 1.36
2002 3 3 0 0 0 0 1 0 -- .000 50 10.1 15 2 5 1 1 6 0 0 8 8 6.97 1.94
2003 19 19 0 0 0 5 7 0 -- .417 487 116.2 124 20 20 0 4 66 0 0 63 62 4.78 1.23
2004 58 0 0 0 0 4 8 0 -- .333 335 82.0 67 8 25 4 3 80 2 0 33 28 3.07 1.12
2005 56 0 0 0 0 6 6 0 30 .500 285 70.0 62 6 17 3 0 63 0 0 21 18 2.31 1.13
2006 57 0 0 0 0 4 4 3 22 .500 249 56.0 59 3 22 5 2 34 1 0 25 24 3.86 1.45
2007 35 5 0 0 0 3 1 0 7 .750 238 55.0 55 3 23 0 2 53 1 0 22 22 3.60 1.42
2008 9 1 0 0 0 1 0 1 1 1.000 26 6.1 6 0 1 0 0 4 0 0 3 3 4.26 1.11
通算:12年 368 145 9 6 3 71 64 4 60 .526 4630 1115.1 1063 144 315 20 19 815 20 0 483 461 3.72 1.24
  • データ出典 - 日本野球機構(NPB)[4]、ただしWHIPは除く。
  • 各年度の太字はリーグ最高。

表彰[編集]

記録[編集]

投手記録
打撃記録
  • 初安打:1997年4月29日、対ヤクルトスワローズ4回戦(横浜スタジアム)、2回裏にテリー・ブロスから
  • 初打点:1997年8月3日、対広島東洋カープ20回戦(広島市民球場)、1回表に大野豊から右翼線へ適時二塁打
その他記録

背番号[編集]

  • 16 (1997年 - 2008年)
  • 83 (2009年)
  • 75 (2011年 - 2015年)

脚注[編集]

関連項目[編集]