日本型社会主義

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日本型社会主義(にほんがたしゃかいしゅぎ)とは、第二次世界大戦後の日本経済が「社会主義的である」「社会主義的な要素を持つ」という評価による呼称である。経済学者竹内靖雄などによって使われた。

この呼称が使われる場合はソ連型社会主義とは異なり自由民主主義を保ちながらも社会的格差の少ない集団的な社会を築いた」という肯定的な評価[要出典]や、「国家や政府が経済に過剰な規制・介入を行っており、非効率で停滞している」という新自由主義者からの否定的な評価[要出典]が込められる事がある。あるいは、社会主義を標榜する国家が実際には日本よりも格差・不平等が大きいという現状に対する批判として用いられる場合も多い[要出典]。この意味で用いる場合は、日本の事を「世界で最も成功した共産国」と皮肉をこめて呼ぶ場合もある[要出典]

もちろんこれは単なる呼称であり、日本政府は公式な社会体制として社会主義を標榜したことはない。また、社会主義勢力やマルクス経済学の立場では戦後の日本経済は国家独占資本主義の一形態であり、社会主義とは呼ばない。

概要[編集]

戦後の日本は、独特の分権的な混合経済体制を築き、「世界で最も成功した社会主義国」と呼ばれる事がある[要出典]

日本では戦時体制により、官僚主導の開発主義体制が形成される。日本の官僚機構は敗戦後の占領下においても存続し、GHQの意向を受けて政教分離財閥解体農地改革シャウプ勧告などの改革を次々と実行し、独占資本地主階級が一時的にせよ没落し、中産階級が形成された。独占資本はその後メインバンク主導の企業グループという形で復活し、「護送船団方式」と言われる、官僚と財界の協力関係が築かれた。

高度経済成長期には人材確保の理由から、終身雇用制度や企業内組合による労使協調などが広まった。これらは戦前の日本や米英の資本主義でも存在したものではあるが、戦後の日本においては大半の大企業と多くの中小企業に広まり、「日本的経営」などと言われるようになった[誰によって?]。この背景には日本社会に残っていた村社会などの共同体志向や平等志向が企業などに持ち込まれたものとも言われる[誰によって?]

また1955年以後日本では自由民主党による長期政権(55年体制)が続いたが、自民党には多くの派閥が存在し、党内と官僚、財界と業界相互の非公式な調整により利益配分が行われた。こうして、第二次世界大戦中の官僚主導の開発主義体制は、自民党・業界団体を巻き込んだ独特の分権的な形へと徐々に変容していく。政官財による「鉄のトライアングル」や「日本株式会社」とも呼ばれた、行政指導補助金による産業別の保護育成政策、経団連農協医師会全特などの全国規模の産業別の団体を通じての利益配分が行われた。

政界では1960年代後半より国対政治が進み、自由民主党が対立する日本社会党と非公式な場で妥協を行い、懐柔策としてその意向も取り入れる形で、農業保護や公務員の賃上げ、労働法制の整備など一定の富の再分配が行われた。その後は中道政党の公明党民社党が躍進したが、これらの政党も国対政治の枠の中に取り込まれた。しかし非公式であるがゆえに、これら野党は自民党との妥協で自らの政策を実現した事を、成果として華々しく宣伝する事は無かった。また国対政治の「蚊帳の外」に置かれた社会主義政党である日本共産党は、このような政治体制を「馴れ合い」であるとして、またこの中で築かれた経済体制を「政官財癒着」「ルールなき資本主義」などと批判してきた[要出典]

それゆえに「日本型社会主義」は、北欧やイギリスの福祉国家などとは異なり、政府として公式に提唱されたものではない。再分配の内容も業界団体や政府の外郭団体を通じた間接給付が中心であり、利権構造の側面も強かった[要出典]

これらは日米構造協議を通じてアメリカ合衆国から「ダンゴー」(談合)「ケイレツ」(系列)「生産性の低い非効率な会社や業種の存続」「グローバリゼーションでの競争に勝てない」などと批判され[要出典]1980年代中曽根内閣行政改革路線が推進されて緩やかに解体へと向かった。さらに1990年代には規制緩和と護送船団方式からの脱却が叫ばれ、1996年に発足した橋本内閣による金融ビッグバン2001年に就任した小泉内閣による「構造改革路線」により、従来の日本型経済体制は終焉を迎えたとされる[誰によって?]

また、1989年東欧革命以来、従来の社会主義国家が次々と崩壊したため、こうした社会主義国家への皮肉としての、日本型社会主義という用語[要出典]の意味も失われた。

他方、現在でも農業・医療・教育・公共事業・電力などの内需主導型産業では、依然として利益配分型の政策決定が行われ、生産性が低く、グローバル化されずに非効率な日本型社会主義が残っているという見解[要出典]もある。2009年民主党政権誕生後は、農協・医師会など従来の生産者側の各業界団体を経由しない、消費者側である国民への直接給付中心に切り替えていくことが提唱されていた[要出典]

会社主義[編集]

上記は日本社会全体についてであるが、日本の会社の勤務形態・雇用形態が社会主義的であると評される場合がある[要出典]。社長から平社員までの給与格差が小さい事、手厚い福利厚生終身雇用による雇用保障、あるいは家族手当に見られるような仕事能力に対してではなく社員の家庭事情に基づいて給与を支払うシステムが、社会主義的、あるいは社会主義から発展しての共産主義的ですらあるというのである[誰によって?]。こうした会社単位での社会主義的な要素は、社会主義をもじって会社主義と呼ばれる事もある[要出典]

バブル景気の崩壊に始まる失われた10年以降は、終身雇用体制の崩壊や成果主義の導入、派遣労働者や契約社員など非正社員の大量雇用による給与格差の拡大など、いわゆる会社主義もかなり崩れている[要出典]

なお、上記の会社主義の特徴は大企業に顕著[要出典]なものであって、特に福利厚生については、中小企業においては過去も現在も大企業に比べて不十分[要出典]なものである。逆に欧米の大企業においても、手厚い福利厚生を行っている場合が多々見られる[要出典]

参考文献[編集]

  • 日本型社会主義の魅力(原野人 時潮社)
  • 「日本」の終わり―「日本型社会主義」との決別(竹内靖雄 日本経済新聞社)ISBN 978-4532190354

関連項目[編集]