曽我廼家文童

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大阪成田山豆まきにて(2014年2月3日)

曾我廼家 文童(そがのや ぶんどう、1946年8月10日 - )は、和歌山県白浜町出身の俳優声優オフィスのいり所属。本名は脇田高吉(わきた たかきち)。

来歴・人物[編集]

師匠は茂林寺文福のペンネームで数々の脚本を手掛けた喜劇俳優曾我廼家十吾で、1962年に16歳で入門。1974年松竹新喜劇へ入団したが、同年に師である十吾が逝去。

1982年後期に放映されたNHK大阪製作の朝ドラ『よーいドン』でヒロインの夫役を演じて世間的に知られる存在となった。

曾我廼家五郎八のコメディーリリーフを継承したり、準主役格でと数多くの主演を果たし、高田次郎小島慶四郎といった先輩俳優たちとともに藤山寛美を長年支えた。

渋谷天外 (3代目)とともに次代の松竹新喜劇の担い手として期待されていたが、1990年の寛美の逝去後の1991年からは天外とともに中心的人物として劇団を引っ張り、新生松竹新喜劇を立ち上げるも興行成績が思わしくなく、藤山直美と天外が座長格となり、近年は松竹新喜劇を離れて活動の場を広げ、数年に一度の直美の座長公演には欠かせない存在となっている。

またテレビドラマや舞台などで活躍中である。

市井の人を得意とし、人の好い小市民、かと思えばしたたかな悪党といった両極端な人物を得意とする。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオドラマ[編集]

映画[編集]

舞台[編集]

受賞歴[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 古典、現代演劇の別なく、関西で活躍するすべての舞台芸術人を受賞対象とする演劇奨励賞。2002年5月をもって解散した。