木村庄之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索

木村 庄之助(きむら しょうのすけ)は、大相撲立行司の名称。また、行司の最高位(相撲番付でいうの正横綱に当たる)でもある。2015年3月場所限りで37代目が引退したため現在は襲名者がいない。

概要[編集]

36代庄之助。木村庄之助の軍配の房色・直垂菊綴は総紫と定められている。

木村庄之助の襲名条件は、現在では式守伊之助を経て先代の庄之助が引退して空位になった場合ということになっている。24代以降はみな伊之助を経て庄之助を襲名している。このため庄之助・伊之助が同時に引退してしまった場合、次の格の行司はいったん伊之助を襲名したあと次場所でしか庄之助を襲名することができず庄之助空位の場所が発生する。このようなことは最近では2006年3月場所で発生した。初めて伊之助から庄之助を継承したのは17代庄之助(10代伊之助)で1921年5月場所5日目、横綱大錦 - 前頭5枚目鞍ヶ嶽戦において差し違え責任を取って突然廃業した。当時12代伊之助がいたが18代庄之助を襲名せずこの場所限り引退し立行司が空席となったため翌1922年1月場所、初代木村朝之助が伊之助を経ず18代庄之助を襲名した(ちなみに、のち19代庄之助となる5代式守与太夫が13代伊之助を襲名した)。これ以降も23代庄之助のように伊之助を経ないで庄之助を襲名した例もあった。

6代庄之助より13代庄之助まで「木村庄之助正武」を名乗った。

江戸時代から年寄の資格を持ち力士の弟子養成を行った人物もいたらしいが、行司停年制実施前の1958年限りで年寄名跡から除かれている。

軍配には紫の房、装束(直垂)は明治以後は紫の菊綴じを着用し、左腰に短刀を差す。短刀は、差し違えをしたときには切腹する覚悟でのぞむという意味がある。また右腰には印籠を下げている。代々受け継がれている軍配(「ゆずり団扇」とも呼ぶ)は2本ある。1本は1面に「知進知退 随時出処」、もう1面に「冬則龍潜 夏則鳳擧」と記されており13代庄之助以来のものである。もう1本は白檀製で1面に牡丹、もう1面に唐獅子の彫金が施されており1971年1月に宝塚市清荒神清澄寺から贈られたものである。

ちなみに軍配は右手で持つのが原則であるが現存する錦絵によると7代(とされている)庄之助のみは左利きのため、左手に軍配を持っていた(現在では禁止されている)。なお代数に関しては6代目が3代分の水増しを行い自ら9代目を名乗ったとする説もあり、現在でもはっきりしていない。

本場所では通常、結びの1番のみを合わせる。ただし千秋楽優勝決定戦で庄之助が合わせることがあり、このときには1日2番を担当している。過去には庄之助は1番限りということから、優勝決定戦は伊之助が裁いていた時代もある。但し、行司溜まりに控えており、決定戦に出場する力士が多い(すなわち番数が多い)場合には途中(2番ずつが目安)で交代して土俵に上がり裁いていた。また、伊之助不在の場合は最初から庄之助が裁いていた。立行司が3人いた時代には木村玉之助が裁いたこともあり、また副立行司が存在した時代にはこれが受け持ったこともある。現在では庄之助と伊之助のどちらが裁くかはあらかじめ決めてあり、もう一方が控えに入ることになる。

木村庄之助の代々[編集]

襲名期間 備考
初代 寛永年間? 真田伊豆守家臣中立羽左衛門尉清重とされるが、実在は不明
2代 貞享 - 宝永年間? 木村喜左衛門。実在したとされ、木瀬太郎太夫の孫と伝わる
3代 享保年間? 中立羽左衛門正智(?)。実在は不明
4代 ? - 1725年頃? 史実としての初代とされ、九重庄之助から中立姓となり、後に木村姓に改姓したと伝わる。勧進元、差添も務める
5代 寛保年間に襲名? 2代庄之助の養子
木瀬庄太郎→初代木村庄太郎→庄藏
6代 宝暦初め頃? - 1770年11月場所 木村荒助→初代木村庄九郎→2代庄太郎
木村庄之助正武を名乗り、以来幕末までの歴代のは「正武」と称した
7代 1771年3月場所 - 1799年11月場所 木村七次郎(?)→3代庄太郎
谷風小野川が対峙し“史上最強力士”雷電が活躍した寛政期の名行司で在位最年長(29年)。珍しい左利きで軍配を持つ
8代 1800年4月場所 - 1824年1月場所 7代庄之助の弟子
木村七次郎(七次良)→4代庄太郎
1835年正月場所に庄之助として再勤。翌年2月場所木村松翁1841年11月場所限りで引退
9代 1824年10月場所 - 1834年10月場所 7代庄之助の弟子で、のち8代庄之助の養子
初代木村喜八→初代木村喜代治→5代庄太郎
2代木村瀬平を襲名。1827年に先祖書を幕府に提出
10代 1836年2月場所 - 1838年10月場所 9代庄之助の再勤。現役没
11代 1839年3月場所 - 1844年10月場所 8代庄之助の実子
木村留次郎→庄助→6代庄太郎
12代 1845年2月場所 - 1853年2月場所 8代庄之助の弟子
木村寅松→清次郎→庄藏(正藏)、(一時引退後復帰)禎藏→正藏→7代庄太郎
13代 1853年11月場所 - 1876年4月場所 浦風林右エ門の弟子
木村小太郎→幸太郎→市之介(市之助)→3代木村夛司馬
年寄・木村松翁を襲名
14代 1877年1月場所 - 1885年1月場所(死跡) 10代庄之助の弟子
木村富吉→留吉→4代喜代治→10代庄太郎
現役没
15代 1885年5月場所 - 1897年5月場所 11代庄之助の弟子
木村八三郎→角次郎(角治郎)→4代木村庄三郎
年寄・木村松翁を襲名。現役没
16代 1898年1月場所 - 1912年1月場所 13代庄之助の弟子
木村新介(新助)→3代木村龍五郎→吉田誠道→初代木村誠道→4代式守鬼一郎→木村誠道(再)
常陸時代」全盛期の名行司。初めて木村・式守両家を名乗る。晩年は中風症のため手が震え「ブル庄」の異名をとった。現役没
17代 1912年1月場所 - 1921年5月場所 東京に移籍後、15代庄之助の弟子
木村兵丸(大坂)→初代木村玉治郎→6代庄三郎→10代式守伊之助
初めて式守伊之助より継承。差し違いの責任を取り廃業(「概要」の項参照)
18代 1922年1月場所 - 1925年5月場所 濱風今右衞門(初代濱風)の弟子
木村甚馬→甚助→甚之助→甚太郎→木村朝之介(初代朝之助)
17代目の突然の廃業、12代伊之助の引退が重なり、伊之助を経ず襲名。能筆で「顔触れ」は名人級と評される。現役没
19代 1926年1月場所 - 1932年5月場所 9代伊之助の弟子
式守夛喜太→2代式守錦之助→5代式守与太夫→13代伊之助
現役没
20代 1932年10月場所 - 1940年1月場所 8代伊之助の弟子で、のち養子
式守子之吉→3代式守錦太夫→6代与太夫→15代伊之助
唯一「松翁」の名誉尊号を番付上に冠し「双葉山時代」全盛期を裁いた名行司。現役没
21代 1940年5月場所 - 1951年5月場所 3代式守与之吉→4代式守勘太夫→11代木村玉之助→17代伊之助
12代立田川を襲名。玉之助(当時は立行司)襲名からわずか2年半余りで庄之助襲名
22代 1951年9月場所 - 1959年11月場所 大坂相撲の行司岩井正朝の弟子。東京に移籍後、松翁20代庄之助に師事
木村金八(大坂)→信之助(大坂)→木村錦太夫(大坂)→初代木村林之助→初代木村容堂→12代玉之助→18代伊之助
時代」全盛期を裁く。木村庄之助として行司停年制初の停年退職。稀にみる長寿(104歳で死去)
23代 1960年1月場所 - 1962年11月場所 大坂相撲の名行司木村越後(初代正直、8代玉之助)の弟子
木村藤吾(大坂)→2代木村正直(大坂時代より継続)
式守伊之助を経験せず襲名
24代 1963年1月場所 - 1966年7月場所 式守芳松(義松)→義→初代式守伊三郎→義→伊三郎(再)→5代鬼一郎→20代伊之助
時代」全盛期の名勝負を裁く。停年後は神官職となる
25代 1966年9月場所 - 1972年1月場所[1] 木村金吾(大坂)→14代木村玉光→9代庄九郎→21代伊之助
ストライキ主導と差し違いの責任を取り廃業。(詳しくはこちらを参照)
26代 1973年1月場所 - 1976年11月場所 21代庄之助の弟子
式守正→木村正→邦雄→5代与之吉→6代勘太夫→22代伊之助
27代 1977年11月場所 - 1990年11月場所 19代伊之助の弟子
木村宗吉→4代木村玉治郎(玉次郎)→23代伊之助
史上最年少の51歳で襲名。「時代」から「千代の富士時代」を裁く。在位最多場所(79場所)1185番を裁く
28代 1991年1月場所 - 1993年11月場所 松翁20代庄之助の弟子で、のち養子。松翁亡き後、22代庄之助の預かり弟子
木村松尾→式守松尾(松男)→式守林之助→2代林之助→8代錦太夫→25代伊之助
平成の名行司。「時代」初期を裁く
29代 1995年1月場所 - 2001年3月場所 三役格9代式守与太夫の養子
木村春芳→壽男→春義→真之助→2代式守慎之助→9代錦太夫→28代伊之助
四横綱(曙、貴乃花、3代若乃花武蔵丸)時代を裁く
30代 2001年11月場所 - 2003年1月場所 22代庄之助の弟子
初代木村保之助→3代林之助→2代容堂→31代伊之助
31代 2003年3月場所 - 2005年11月場所 19代伊之助の弟子
式守正夫→木村正三郎→9代庄三郎→32代伊之助
32代 2006年1月場所 22代庄之助の弟子
木村郁也→咸喬→33代伊之助
在位1場所は行司定年制実施後では最短
33代 2006年5月場所 - 2007年3月場所 三役格4代木村誠道の弟子
初代木村要之助→式守要之助→木村要之助(再)→政裕→要之助(再々)→賢嘉→友一→3代朝之助→35代伊之助
伊之助在位1場所で庄之助襲名
34代 2007年5月場所 - 2008年3月場所 幕内木村筆之助の弟子
式守勝春→勝治→11代与太夫→36代伊之助
35代 2008年5月場所 - 2011年9月場所 木村順一→純一郎→順一→旬一→城之介→37代伊之助
36代 2011年11月場所 - 2013年5月場所 26代庄之助の弟子
式守敏廣→9代與之吉→10代勘太夫→38代伊之助
37代 2013年11月場所 - 2015年3月場所 27代庄之助の弟子
木村三治郎→5代玉治郎→10代庄三郎→39代伊之助

参考文献[編集]

33代木村庄之助・根間弘海『大相撲と歩んだ行司人生51年 -行司に関する用語、規定、番付等の資料付き-』英宝社、2006年

注釈[編集]

  1. ^ 番付は3月場所まで

関連項目[編集]