松本秀夫

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まつもと ひでお
松本 秀夫
プロフィール
愛称 ヤギ
出身地 日本の旗 日本 東京都
生年月日 (1961-07-22) 1961年7月22日(55歳)
最終学歴 早稲田大学政治経済学部卒業
勤務局 ニッポン放送
部署 スポーツ部アナウンサールーム
活動期間 1985年 -
ジャンル スポーツ実況
出演番組・活動
現在 ニッポン放送ショウアップナイター』など
過去 #過去の出演番組を参照
備考
別名義:松本 ひでお
アナウンサー: テンプレート - カテゴリ

松本 秀夫(まつもと ひでお、1961年7月22日 - )は、ニッポン放送アナウンサー。スポーツ実況専門の部署であるスポーツ部に所属している。東京都出身。スポーツ中継では漢字の「松本 秀夫」だが、ワイド番組のパーソナリティとしては「松本 ひでお」の表記を使用している[1]

来歴[編集]

芝中学校・高等学校(生物部魚班所属)、早稲田大学政治経済学部卒業(1年留年)。1985年にニッポン放送入社。元々スポーツアナウンサー志望で、入社時にロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)の番アナウンサーとしてチームの取材を担当していたのが縁で、松本自身もロッテファンとなった。

入社5年目に幼馴染の保育士と結婚。のちに東京都大田区にある妻の両親の土地に二世帯住宅を建てたが、現在は東京都内にある松本の家族が暮らしていたマンションの空き部屋を引き取っているため妻とは別々に暮らしている。

2017年3月21日、自身が担当している『今夜もオトパラ!』の放送中に「(2017年)3月末でニッポン放送を退職し、フリーアナウンサーへ転向する」ことを発表した[2]

実況アナウンサーとして[編集]

プロ野球実況[編集]

  • 実況デビュー
  • 野球実況の看板アナへ
  • 伝説の号泣実況
    • 前述の通り、入社時にロッテ番を担当したのが縁でロッテファンとなった松本だが、その最たるハイライトは2005年10月17日のパ・リーグプレーオフ・第2ステージ(福岡ソフトバンクホークス対千葉ロッテマリーンズ)の第5戦(ヤフードーム)だった。2勝2敗で迎えたこの試合、ロッテは3-2でソフトバンクを下し、1974年以来実に31年ぶりとなるリーグ優勝を決めた。最後の打者川崎宗則が左飛に倒れた瞬間、松本は「ロッテ優勝~!!」と感極まって号泣しながら声を張り上げた。松本は、若手時代から長らく低迷期に沈むロッテを見つめ続け、また当時から親交を深めている選手・スタッフが多かったこともあって、優勝決定の瞬間には様々な思いが去来し「ダッチロールのように感情がこみ上げてきて」(本人の後日談)思わず涙してしまったのだという[8]。この「号泣実況」はロッテファンはじめ多くのリスナーに感動を与え、多大な反響を呼んだ。しかし、ロッテが日本一にまで駆け上がった同年の日本シリーズは実況を担当しなかった[9]。ところでこの一件について、本人は思い出深い試合の一つに挙げているものの、「プロとして恥ずかしいことをしてしまった」と後悔しているようで[10]も、ことあるごとに当時の録音が流されると「いや、ホンット勘弁して下さい」と滅入ってしまうこともしばしば。また実況アナウンサーの先輩でもある元ニッポン放送の深澤弘は「こんなの実況じゃねえな」と苦笑交じりに一蹴したが、「無様な放送だけど、これも彼の大事なキャリアの一つです」[11]と評している。この「号泣実況」、今となっては共演者やスタッフ・リスナーにとっては笑いのネタとなってしまっており、ニッポン放送の携帯サイトで着うたとして配信された。また、この試合の解説は田尾安志板東英二のW解説で、後に板東はニッポン放送の別の番組でこの時のことを振り返り、「初めて球団とアナウンサーが癒着している事を知った」と冗談交じりに話している[12]

競馬実況[編集]

スポーツアナウンサーになってから10年ほど、競馬の実況も担当していた。競馬実況デビューは大井競馬場ナイター競走トゥインクルレースがスタートした当時、大井競馬場では場内ミニFM放送を行っており、ニッポン放送の関連会社がその制作を請け負っていた関係で、ニッポン放送のアナウンサーがレース実況を担当していた。その後、中央競馬の実況も担当したが、先輩の胡口和雄からは「お前の実況は馬が千鳥足みたいだなぁ」と苦言されたり、リスナーから何枚もの便箋に毛筆書きで実況に対するクレームが来るなど実況の方は安定していなかった。本人もそのことは承知しており、「僕が実況に呼んでもらえるわけないじゃないですか。僕が実況すると馬がみんなこけちゃうんですから」と言っている。その後、ナイターのシーズンオフの番組を担当するようになってからは年間を通じて平日出勤のため、日曜日に放送がある競馬中継には参加できなくなってしまったが、2011年より15年ぶり[13]に競馬実況の仕事を再開することが決定した。[2]復帰後最初の実況は1月9日中山競馬場12レース(ただしニッポン放送での放送ではなく裏送りでの放送)。その後は特別競走や準メインレース、重賞でないメインレースを担当するようになり、重賞競走では9月25日に産経賞オールカマー(GII)の実況を担当している。

サッカー実況[編集]

サッカーにはあまり詳しくないものの、2008年の北京オリンピックでは女子サッカー実況を担当することになり、必死でルールを覚えた。その後は不定期ではあるが、Jリーグ RADIOでリポーターを務めることがある。

ハンドボール実況[編集]

2008年1月30日に国立代々木競技場で行われる男子ハンドボールアジア予選をラジオ初となる中継の実況アナを担当することが、22日に発表された。ラジオでハンドボールの試合実況放送という前例がないため、29日の女子の試合を担当する洗川雄司アナとともに、資料ビデオなどをかき集めて猛特訓をしていた。また、その特訓している模様が2008年1月25日フジテレビスーパーニュースで報道された。実況特訓では、27日に毎年ハンドボールの試合実況を担当している、tvk吉井祥博アナ(訓練までの様子をつづった日記にはYアナと記載されていた)や熊本放送本田史郎アナウンサーが来て(本田はRKK内HP自身のページ内の写真に松本のサポート役のような形で写真に写っている)洗川アナとともに講義を受けるなど、ハンドボールの実況や実際にハンドボールをしたことがある人物を呼ぶなどの特訓も行っていたようだ。

エピソード[編集]

番組関連[編集]

  • 『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」では、早稲田大学在学時に組んでいたバンドを新保友映アナウンサーを加えて再結成して、「マイウエイスター〜もう一度輝こう」をレコーディングした。レコーディングを行った曲は、mf247でダウンロードすることができた。
  • 『松本ひでおのショウアップナイターネクスト』内のコーナー「ひでおのフォークソング図鑑」で石川みゆきと「ひでお&みゆき」を結成し、mf247「ウタヲウタウ」プロジェクトに参加、「ウタヲウタウ」昭和歌謡バージョンをレコーディングした。ちなみに、「ウタヲウタウ」プロジェクトには、吉田拓郎のバックバンドだったことでも知られるフォークグループのも参加している。また、松本、石川と神田のフォーク酒場・昭和の常連客で昭和バンド結成し、リスナーの作曲した曲に、リスナーからのさまざまなフレーズのアイデアをまとめてつくった「ネクスト」を松本、石川がボーカル、昭和の常連客をバックバンドをしてレコーディングした。ちなみに、「ネクスト」の編曲は昭和の常連客の1人が担当した。
  • テリーとうえちゃんのってけラジオ』の番組内では、野球界の裏情報に詳しい謎の人物情報屋ゲンさんというキャラクターが居て、同番組内で松本によるナイター直前情報のコーナーの後に、松本が音声を加工して出演していた。ゲンさんの正体は公表されていなかったが、リスナーには松本であることがバレており、しだいに裏情報よりもテリー伊藤や、うえやなぎまさひこによるゲンさんを弄るトークのほうが盛り上がっていった。ゲンさん目撃情報が募集され、それにテリー伊藤の妄想が合わさり様々な後付けの設定が造られた。ついにはリスナーらの手によってゲンさんのイメージソング『愛しき人よ』(作詞:ふくしまとまる・藤井青銅  補作詞:三浦康照 作曲:ふくしまとまる 編曲:南郷達也)がつくられ、さらに同番組にゲストとして出演していた冠二郎がこの歌を気に入り、シングルCDとして1999年1月に発売されるに至った[14]。この曲はオリコンのシングルチャート63位に入った。2005年からの『松本ひでおのショウアップナイターストライク!』は、ゲンさんに似たコンセプトの「情報屋のヤマさん」なる人物が登場しているが、こちらの正体は松本ではなく誰であるかは不明。一説にはスポーツ新聞の記者であるといわれている。2008年3月25日には『テリー伊藤のってけラジオ』で「のってけラジオ」シリーズの10周年記念の一環として復活をしている。
  • 2007年2月18日に行われた東京マラソンに挑戦し、完走。ゴール直後のインタビューで「母から小さいことをコツコツ積み重ねると、大きなことが出来るといわれて…」と涙ながらに語った。もとは、2006年11月に行われた笑福亭鶴光との特番での鶴光の罰ゲームだったが、松村邦洋の松本のものまねにより代わりに走ることになった。松本アナはこれ以降マラソンに目覚め、2008年2月17日の東京マラソン2008にも参加し、5時間31分15秒で完走を果たしている。

実況関連[編集]

  • ある試合で実況をしていた際、他球場で西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)が勝利した旨の速報が入り、先発の松坂大輔がヒーローインタビューで語った内容も併せて伝えられた。ところが、本社からの松坂のコメント原稿は本来「(投球内容が)要所要所で良かった」とすべきところを、どういうわけか「よいしょよいしょで良かった」と誤植した状態で送信されてしまった。これに眼を通した松本は「『よいしょよいしょ』ってこれ、おかしくないですか?」と言ったまま笑いが止まらなくなってしまった。すぐさま解説の田尾安志にフォローを仰ぐも、田尾も笑いのツボにハマってしまい2人で数秒間笑ったままの放送になってしまった。当然、松本は後にスポーツ部長からお叱りを受ける[15]
  • 2010年8月28日のマツダスタジアムで行われた広島vs巨人戦で、熱中症となった胡口和雄に代わり5回から実況を担当した。[16]

その他[編集]

人物[編集]

  • ヨイショ癖がある。
  • ニックネームは「ヤギ」。入社当時、ニッポン放送でプロ野球関連のコメンテーターを務めていた当時のパシフィック・リーグ広報部長・伊東一雄(のちのパンチョ伊東)に「君はリチャード・ギアに似ている」と言われ、パンチョからは「リチャード」と呼ばれていた。ところが『鶴光の噂のゴールデンアワー』に出演し、番組内で『ニッポン放送ショウアップナイター』の告知をした際、笑福亭鶴光に「自分では誰に似ていると思っている?」と聞かれたのに対し、松本が「リチャード・ギアに似ているといわれます」と答えた途端に鶴光らに爆笑され、「リチャード・ギアに失礼や!お前はヤギや!!」と命名され、さらにアシスタントの田中美和子からも「メエメエ」と呼ばれ、この影響から挙げ句にはリスナーからも「ヤギ」と呼ばれるようになってしまった。だが松本自身は「ヤギ」と呼ばれることに対してはまんざらでもないようで、『ショウアップナイターニュース』(→『ショウアップナイターストライク!』→『ショウアップナイターネクスト』)の番組用メールアドレスを「yagi@1242.com」(アドレスなのでこのようにされたの方が正しい)としたり、ニッポン放送のWebサイトで著している自身のコラムのタイトルを「やぎメール」と銘打ったり、挙げ句にはTwitterのハンドルネームを「ヤギ松」とするなど、様々な場面で「ヤギ」を名乗っている[18]
  • 祖父が魚河岸で仕事をしていたことも影響して、少年期から釣りを趣味としている。小学校の時に同居していた祖父と行った上野毛駅近くの環八沿いのドライブインの室内釣堀で25cmぐらいの鯉を釣ったのが、釣りとの出会いである。中学・高校生時代は生物部の「魚班」に所属していた[19]。アナウンサーになってからも、少しでも空き時間ができると朝から釣りに出かけてしまう程で、自ら常々「三度の飯より釣りが好き」と話している。近年は文字通り趣味と実益を兼ねる域にまで達しており、担当番組内に釣り情報のコーナーを設けている他、釣り雑誌『つり丸』では連載コラム「松本アナの釣りバカ日記」を執筆している。また、釣りをきっかけにして釣り好きのプロ野球選手を中心に顔を憶えてもらい、親交を深めてプロ野球の取材に役立てている。釣り仲間は田尾安志、黒木知宏堀幸一(いずれも現ニッポン放送解説者)など球界に多数おり、長年にわたり家族ぐるみの交流を続けている人物も多い。そのほか、魚がらみのエピソードでは『高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団』のレポーターを務めていた当時、ブラジルアマゾンの大ナマズが放し飼いになったプールで泳いだことがあった[19]
  • 田尾安志と親交が深い為か、東北楽天ゴールデンイーグルスで後任監督となった野村克也を嫌っており、公平な立場であるはずのアナウンサーでありながら、放送でもたびたび野村や楽天に批判的な意見を述べていた[20]。ただし、野村が楽天監督退任以降、年数試合程度ニッポン放送で解説を務めるようになってからは、年1回程度は松本とも共演している。

失敗談[編集]

自他共に認める「おっちょこちょい」「酒癖の悪さ」が災いして、失敗談には事欠かない。

実況編[編集]

  • プロ野球公式戦の実況デビューとなった1987年8月9日の広島市民球場・広島対大洋戦で、前の打席まで右打席に入っていた大洋の村岡耕一が左打席に入ったのに驚き、思わず解説の森中千香良に「どうしたんですかね?」と尋ねたところ、森中は松本の後頭部を引っ叩き、即座に「ええ、彼はスイッチヒッターですからね」と冷静にフォロー。松本はこの森中の一言でようやく勘付いたものの、初歩的なケアレスミスを犯したことで完全に冷静さを失ってしまい、試合終了まで実況はボロボロに。試合後、森中に誘われた夕食の席で、松本は浴びるように自棄酒に暮れた[21]
  • 大井競馬場のミニFMで競馬実況をしていた頃、レース実況でゴールした直後、2着馬の名前をど忘れしてしまい、「2着は…2着は…」と思い出そうとして数秒間経った後、思わず「2着は…アレだ!」と言ってしまい、「“あれ”って馬がいるのかよ!!」とスタッフから大目玉をくらった[22]
  • 2007年の大リーグオールスターゲーム実況のためサンフランシスコへ向かっていた飛行機の中で爆睡したところ、空気の乾燥した機内でマスクを着けずに眠ったため声が出なくなった。アメリカでは薬を購入するのに処方箋が必要なため医者に行くも、英語がうまく伝わらず、なぜかレントゲンを撮られて250ドルの診察料を支払わされた。しかもドラッグストアで買ったスプレーがせき止めではなくいびき止めだったりとトラブル続きで、結局、現地到着から3日間、喉の調子が回復しない状態のまま実況した。この日はイチローがオールスター史上初のランニングホームランを達成するという世紀の試合で、この歴史的な瞬間にガラガラ声で実況しなくてはならなかったことを悔やんでいた[23][24][25]
  • 2007年春にも、風邪をひいて広島市民球場での実況担当ができなくなり、胡口和雄が2試合連続で実況した(野球の実況はのどに負担がかかるため、ベテランアナウンサーの2試合連続実況は極めて異例)。このことはニッポン放送ショウアップナイタープロ野球珍プレー大賞[26]でクイズになったが、江本孟紀が答えを言ってしまったため、新たな説を募集し、「手こぎ船で沖へ釣りに出たが、波が高くなり戻れず、その日広島へ向かう予定が間に合わなかった」「広島のブラウン監督の抗議によって差し替えられた」「マラソンで広島に向かったため間に合わなかった」が採用された。ちなみに、松本は過去にも喉の不調で実況に穴をあけており、この時は福永一茂が代理実況を務めた(逆に、上記にもあるが2010年8月28日のマツダスタジアムで行われた広島vs巨人戦で、ベンチリポーターとして待機していた松本は、熱中症となった胡口和雄に代わり5回から実況を担当している)[27]
  • 2008年の北京オリンピックに、ジャパンコンソーシアムラジオアナウンススタッフの1人として参加。女子サッカー、女子バドミントン、ソフトボール、野球などの種目を実況。野球では日本戦のほか、決勝のキューバ韓国戦の実況を担当。
  • 2010年9月4日の横浜スタジアムで行われた横浜vsヤクルト戦では、実況途中で腹痛を訴えたため、あるイニング間のCM枠の延長措置が採られ、その間にトイレに急行した[28]

大魔神編[編集]

ハマの大魔神こと佐々木主浩とは取材を通じて公私共に仲良くなり、佐々木は松本の出演する番組へのお祝いのメッセージをよせたり、電話出演をすることも多い。1997年1998年オフには『佐々木主浩のスポーツキング』という番組を2人で担当。その後、2001年4月より3ヶ月強の間、当時シアトル・マリナーズに所属していた佐々木を追いかけるためアメリカに出張。ここでも様々なエピソードが繰り広げられた。

  • 防御率に触れられることを嫌う佐々木(これは防御率などの数字に関する話をした直後の佐々木は必ず打たれるというジンクスがあるため)に対し、思い切り防御率の話題を振ってしまった。その話をした次の試合で佐々木は大乱調であり、佐々木より「その話はしないでって言ったでしょ!!」と怒られた[29]
  • 佐々木が大好物であり、佐々木の大切な人がわざわざシアトルに持ってきてくれた日本酒久保田の碧寿」を、佐々木に「これだけは飲まないでくれ」と言われたのを忘れて勝手に全部飲んでしまい、翌日こっ酷く叱られた[29]
  • 局の生ワイド番組でアメリカから電話レポートをするはずが、出番の前にを飲み過ぎ泥酔[30]、放送に出られない状態となり、佐々木が代わりにレポートに出る羽目になった。しかも1回限りではなく、滞在中この出来事が数回繰り返された[29]

パーソナル編[編集]

  • 忘れ癖が激しく、財布を何度も落としている。北京オリンピックの実況要員として派遣された際も、現地北京で財布を落としたという。また最近では、老眼が始まったためにかけはじめたメガネや携帯電話をどこかに置き忘れたりと、財布の他にもいろいろと忘れ物が絶えない。
  • ショウアップナイターの解説者だった森中千香良には新人時代から非常に世話になっており、松本がまだマイカーを持っていないころ、森中が所有していた外国車「ジャガー」(実際には森中名義の車ではなく森中も借りている車だった)を『モリチュウレンタカー』と称して乗り回していた。この車は基本的に森中本人が使わなければいつ使ってもOKで、ガソリンを満タンにして返すことがルールだった。松本はレギュラーガソリンを満タンにして返したのだが、後にこの車はハイオク仕様車だったことを知り、青ざめる。このほか、同じく森中からジャガーを借りている最中に、駐車場で車上荒らしに遭ってフロントガラスを割られてしまい、これを松本ではなく別の発見者が警察に通報し、警察がジャガーの所有者である森中に連絡し、森中が松本に「松! ガラス割られとるでぇ!!」と最後に知らされた[31]
  • 土橋正幸と会う約束を忘れて取材に行ってしまった。土橋は気にせず別の日を設定するが、それをまた忘れて土橋と会う約束を二度に渡ってすっぽかし、とうとう土橋を大激怒させてしまった。電話をしても出てくれない土橋に、松本は毎朝散歩をする土橋を待ち受けて連日謝りに行ったが取り合ってもらえず、4日目にして土橋の妻からの「もう許してあげたら…」という説得があってようやく許してもらえた[32]
  • 会社で購読しているスポーツ紙を無断で切り抜いてしまい、後日スポーツ部の会議で宮田統樹に指摘され、怒られた。
  • 中日の投手山本昌らその他数人の選手と酒を飲みに行った際に泥酔し、自分の話を聴いていないと思い込んだ山本に絡み、その挙句山本の尻を蹴り上げてしまった。周りの選手が松本のこの暴挙に怒号を飛ばすものの、当の山本昌は松本の酒癖の悪さにはすっかり慣れているらしく、「俺を蹴るとはたいしたもんだねぇ」と笑っていた。もちろん、松本本人はこの時のことを憶えておらず、後に人から聴かされて青ざめていた[33]

出演作品[編集]

ゲーム[編集]

玩具[編集]

楽曲[編集]

  • 『領収証'99』(歌:Le・シート、作詞:高田文夫、作曲・編曲:茅蔵人) - シングルCD「領収証'99」(日本コロムビア、規格品番CODA-1807、1999年11月20日発売。)収録。高田文夫プロデュース。某プロダクションのマネージャーと一緒に、Le・シート名義で歌唱。

現在の担当番組[編集]

野球シーズンオフ時[編集]

野球シーズン時[編集]

過去の担当番組[編集]

CM[編集]

  • カリフォルニア・レーズン協会

著書[編集]

  • 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』ぜんにち出版、2009年、ISBN 978-4-86136-122-7
  • 『熱闘! 介護実況~私とオフクロの七年間』バジリコ出版、2016年、ISBN 978-4-86238-232-0

参考文献[編集]

  • 松本秀夫 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』 ぜんにち出版、2009年。ISBN 978-4-86136-122-7。

脚注[編集]

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  1. ^ ただし、『今夜もオトバラ!』には「松本秀夫」名義で出演している
  2. ^ “「松本秀夫アナがニッポン放送退社へ フリーに転身”. ニッカンスポーツ・コム. 日刊スポーツ新聞社. (2017年3月21日). http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1795719.html 2017年3月21日閲覧。 
  3. ^ ちなみに、この日実況を担当した彼以外の若手アナウンサーは、ABCからは松原宏樹アナ、東海ラジオからは北山靖アナ、RCCからは橋本裕之アナの3人だった。
  4. ^ この日の松本は第2予備カードの中継班としてスタンバイしていたため、本来の実況担当ではなかった。しかし、この日の「ショウアップナイター」のメインカードだったナゴヤ球場での中日対巨人戦で、プロ初先発だったルーキーの近藤真一ノーヒットノーランを達成して試合が2時間足らずで終了。余った時間は予備カードを中継することになったのだが、下関で行われていた第1予備カードのヤクルト対阪神戦が雨のためノーゲームとなってしまい、急遽、第2予備カードである広島市民球場での広島対大洋戦を中継することになり、試合途中からの実況デビューとなった。またこの日は日曜日のためニッポン放送の野球中継はMBSラジオおよびショウアップナイターをスポンサードネットで放送していた茨城放送との3局ネットの曜日のため、広島での試合であるがニッポン放送制作だった。
  5. ^ 2007年12月19日の『ショウアップナイターネクスト』など。
  6. ^ だが、翌1988年1989年は日本シリーズは担当していない。
  7. ^ 2007年シーズンと2010年シーズンからは、当日の実況担当者がショウアップナイタープレイボールの進行役を兼ねるようになった(ニッポン放送制作日のみ)。なお、2010年シーズンの土曜・日曜は松本が担当。
  8. ^ この日、後輩アナウンサーの飯田浩司は業務を終え、電車で帰宅する道中でこの中継を聴いていたが、向かい側の座席の乗客がイヤホンで実況を聴きながら、松本が号泣するのと全く同じタイミングで涙しているのを目の当たりにし、松本に共感している人が目の前にいることに感銘を受けたという。
  9. ^ この号泣が「冷静さを欠いた」と査定されたために、ロッテが日本一を決める可能性がある第4戦以降の実況担当から外されてしまったとも言われるが、松本は後日「リーグ優勝決定後福岡の街で騒ぎすぎて喉を潰し、第1戦の実況を胡口和雄アナに交代してもらった」と釈明している。同様にロッテが出場した2010年のシリーズは実況を担当している。
  10. ^ 松本秀夫「実況アナウンサー 思い出の試合!」『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 978-4-583-11069-1
  11. ^ ニッポン放送 編「名場面実況その十九」『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、ISBN 978-4-583-11069-1
  12. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』12~14ページより。
  13. ^ 2011年1月6日付のやぎメール内ではこの様に表記しているが、2002年頃までは不定期で実況をしていた。
  14. ^ 同年発売の冠のアルバム「男のさすらい〜愛しき人よ」(日本コロムビア COCP-30321)には、表題曲として収録された
  15. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』110ページ
  16. ^ 松本はこの日はベンチリポーターとして待機していた。リンクも参照されたい。[1]
  17. ^ 『グラゼニ』 - 松本秀夫のやぎメール・2011年12月8日
  18. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』172~176ページより。
  19. ^ a b 別冊ラジオパラダイス「DJ名鑑」(1987年刊)より
  20. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』128~144ページより。
  21. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』18~19ページより。
  22. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』114~115ページより。
  23. ^ 7月12日(木)『ただいま!』
  24. ^ 7月13日(金)『レ、レントゲン??』
  25. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』113~114ページより。
  26. ^ 2007年6月12日に放送
  27. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』111~112ページより。
  28. ^ アナLOG:ショウアップナイター実況アナのつぶやきの2010年9月10日分を参照。
  29. ^ a b c 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』161~172ページより。
  30. ^ 時差の関係でアメリカは夜中であり、佐々木らと一緒に深酒することも多かった。
  31. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』25~30ページより。
  32. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』119~122ページより。
  33. ^ 『プロ野球 実況できなかったスゴイ話』54~55ページより。