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柳生宗矩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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柳生宗矩
Yagyu Munenori.jpg
芳徳寺蔵・木像
時代 安土桃山時代から江戸時代前期
生誕 元亀2年(1571年
死没 正保3年3月26日1646年5月11日
別名 新左衛門、又右衛門(通称)
戒名 芳徳院殿故但州剌吏荘雲宗巌居士。
西江院殿前但州太守大通宗活大居士
官位 従五位下従四位下但馬
幕府 江戸幕府将軍家剣術指南役・大目付
主君 徳川家康秀忠家光
大和柳生藩
氏族 柳生氏
父母 父:柳生宗厳(石舟斎)
母:奥原助豊の娘・奥原鍋(春桃御前)
兄弟 厳勝、久斎、徳斎、宗章宗矩
正室:松下之綱の娘・おりん
側室:おふじ、おゆり
4男2女:三厳(長男)、友矩(次男)、
宗冬(3男)、列堂義仙(4男)、
娘(武藤安信室)ほか

柳生 宗矩(やぎゅう むねのり)は、江戸時代初期の武将大名剣術家。徳川将軍家の剣術師範。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。

目次

生涯

誕生から徳川家仕官

大和国柳生の領主で、永禄8年(1565年)に上泉信綱から新陰流の印可状を伝えられた剣術家・柳生宗厳(石舟斎)の5男として生まれる。母は奥原助豊の娘(於鍋、または春桃御前とも)である。兄に厳勝、宗章らがいる。少年時代に太閤検地の際の隠田の露見によって父が失領していたが、文禄3年(1594年)、徳川家康に招かれて無刀取りを披露した父の推挙により、家康に仕えることとなった。

柳生家再興・将軍家兵法指南役就任から大坂の陣

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは家康の命を受け、筒井氏や大和の豪族と協力し、西軍の後方牽制によって功をたて、父の旧領の大和柳生庄2000石を取り戻すことに成功する。更に慶長6年(1601年)に後の2代将軍徳川秀忠の剣術師範役となり同年9月11日に1000石加増、合わせて3000石の大身旗本となる。その後、元和7年(1621年)3月21日、将軍家剣法指南役として徳川家光に剣法を伝授する。なお、慶長20年(1615年)の大坂の役では将軍秀忠のもとで従軍、秀忠の元に迫った豊臣方の武者7人(人数に異同あり)を愛刀で瞬殺したという[1]。なお、宗矩が人を斬ったと記録されているのは後にも先にもこの時だけである。

坂崎事件

柳生家の替紋「柳生笠」

大坂の役の翌年、元和2年(1616年)には友人でもあった坂崎直盛の反乱未遂事件(坂崎事件)の交渉と処理に活躍し、坂崎家の武器一式と伏見の屋敷を与えられた。なお直盛の自害のみで事を治めると約束した幕府は、その後、坂崎家を取り潰している。その約束で直盛の説得を行った宗矩は結果的に友人を陥れたことになるが、宗矩はそれを終生忘れぬためなのか、元々の柳生家の家紋「地楡に雀」(われもこうにすずめ)に加え、副紋として坂崎家の二蓋笠(にがいがさ)を加えて使い続けている。これが後に「柳生二蓋笠」と呼ばれる紋となった。またこの際、坂崎の嫡子平四郎と2人の家臣を引き取っている。

家光の下での躍進から大名へ

その後、将軍へと就任した家光の信任を深めて加増を受け、寛永6年(1629年)3月に従五位下に叙位、但馬守に任官する。さらに寛永9年(1632年)10月3日には、3000石を加増された後、同年12月27日、初代の幕府惣目付(大目付)となり、老中・諸大名の監察を任とした。その後も功績をあげ、寛永13年(1636年)8月14日の4000石加増で計1万石を受けて遂に大名に列し、大和国柳生藩を立藩。さらに晩年に至って寛永17年(1640年)9月13日、500石の加増。続いて2000石の加増もあり、所領は1万2500石に達した。一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、剣豪に分類される人物の中では、日本の歴史上、彼ただ一人である。[2]

芳徳禅寺境内、柳生一族の墓所にある宗矩の墓

晩年

肺癌[要出典]のため正保3年(1646年)に没し、自身が父の菩提を弔うために友人の沢庵宗彭を招いて柳生に開いた奈良市柳生下町の神護山芳徳禅寺に葬られた。享年76。なお、そのほかに、練馬区桜台の圓満山廣徳寺にも墓所があり、京都府南山城村田山の華将寺跡に墓碑がある。また死に際し、その死を惜しんだ家光の推挙により同年4月に従四位下を贈位された。

子には隻眼の剣士である長男の三厳(十兵衛)、家光の寵愛を受けたが父に先立って早世した友矩、父の死後まもなく没した三厳に代わって将軍家師範役を継いだ宗冬、菩提寺芳徳寺の第一世住持となった列堂義仙の4子が知られる。

評価

  • 剣術面においては、江戸初期の代表的剣士の一人として知られる。将軍家指南役として、当時の武芸者の中で最高の地位に位置し、「古今無双の達人」「刀法の鳳(おおとり)」「剣術無双」と賞賛されている。新陰流(柳生新陰流という呼称は現在の通称)を将軍家御流儀として確立し、当時最大の流派に育て上げた。これにより、柳生新陰流は当時「天下一の柳生」と呼ばれるほどの隆盛を誇った(江戸時代前半、多くの藩に宗矩の門弟が指南役として仕官している)。また、「活人剣」を提唱し、戦場での一技法に過ぎなかった武術としての剣術に、「活人剣」「剣禅一致」などの概念を組み込むことで、人間としての高みを目指す武道に昇華した。この宗矩の思想は、柳生家の伝書である『兵法家伝書』として著され、後に『葉隠』や新渡戸稲造著『武士道』などにも影響を与えることになる。この他、勝海舟が絶賛している。
  • 幕臣としては、有能な官吏・為政者として辣腕を振るい、多くの大名家に恐れられ、また頼られた。伊達氏伊達政宗)、鍋島氏鍋島勝茂鍋島元茂)、細川氏細川忠興細川忠利)、毛利氏毛利秀就)などと親交があった。幕府初代惣目付として勤めていた際、細川忠興はその手紙で「(老中たちですら)大横目におじおそれ候」と記している。また惣目付としての働きの他、寛永11年(1634年)の家光上洛に際しては、事前の宿場検分役や帰りの道中修造奉行、寛永13年(1636年)の江戸城普請の際の普請奉行などもこなしている。
  • 将軍家光との関係においては、若いころよりの指南役として深い信頼を寄せられ、松平信綱春日局と共に将軍を支える「鼎の脚」の一人として数えられた。本来は一介の剣術指南役ではあったが、剣を通じて禅や政治を説いたことで、「家光の人間的成長を促した教育者」としても評価されている。家光が長じた後も、沢庵と共に私的な相談を度々受け、最後まで信頼され続けた。
  • 父親としては、子息4人のうち、長男三厳(十兵衛)はその不行状から家光の不興を買い謹慎、3男宗冬は成人まで剣の修行を厭うなど、子の教育について、これは沢庵よりも忠告を受けている。「政治家・宗矩」と「剣士・十兵衛」の不仲・対立を描いた創作物がある一方で、三厳は著書にて父・宗矩を賞賛している。

宗矩の言葉

兵法家伝書
  • 「刀二つにてつかふ兵法は、負くるも一人、勝つも一人のみ也。是はいとちいさき兵法也。勝負ともに、其得失僅か也。一人勝ちて天下かち、一人負けて天下まく、是大なる兵法也」
  • 「治まれる時乱を忘れざる、是兵法也」
  • 「兵法は人をきるとばかりおもふは、ひがごと也。人をきるにはあらず、悪をころす也」
  • 「平常心をもって一切のことをなす人、是を名人と云ふ也」
  • 「無刀とて、必ずしも人の刀をとらずしてかなはぬと云ふ儀にあらず。又刀を取りて見せて、是を名誉にせんにてもなし。わが刀なき時、人にきられじとの無刀也」
  • 「人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。乱れたる世を治める為に、殺人刀を用ゐて、巳に治まる時は、殺人刀即ち活人剣ならずや」
葉隠
  • 「人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり」
出展不明
  • 「刀剣短くば一歩を進めて長くすべし」
  • 「小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす」

宗矩の門下

将軍家指南役にして、柳生新陰流(江戸柳生)の当主であった宗矩には多数の弟子がいた。それらの弟子達には、大名家へ指南役として仕えた者も多かった。

また、将軍家である秀忠、家光をはじめ、当主自ら入門している家も存在した。

当主自身が門下に入門している家
大名家に仕えた門弟
御三家・一門・親藩[3]
譜代
外様
その他の門弟
  • 柳生内蔵助
  • 汀佐五右衛門
  • 渡辺幸庵(茂)
  • 時沢弥平:天心流流祖
  • 久米平内兵衛長守
  • 岡本仁兵衛:当流神影流流祖
  • 竹永直人:柳生心眼流流祖
  • 平井八郎兵衛:鹿島神道流流祖
門弟とする説もある人物

逸話

武芸者/為政者の両方に於いて高名を為したため、宗矩の逸話には、史実上のものと、真偽が不明なものがそれぞれ多数存在する。

史実上の逸話

  • 紫衣事件により、沢庵宗彭が罪に問われた際、天海堀直寄と共にその赦免の為に奔走している。これに対し、沢庵は後に手紙にて「大徳寺難儀に及び申し候時は、柳生殿と堀丹州両人の外に、さまで笑止とも申す人はこれ無し候。我身を大事に皆々存じて、其の時分はのがれぬ人達も、よそに見ており申し候」と記している(『沢庵和尚書簡集』)
  • 家光に「何故自分の剣の腕が上がらないのか」と問われた際、「これ以上は剣術だけではなく、禅による心の鍛錬が必要です」と答え、その禅の師として配流中の沢庵を推挙し、後に家光が沢庵に帰依するきっかけをつくった(『徳川実紀』)[5]
  • 島原の乱の際、大将として遣わされた板倉重昌の敗死を予見し、派遣を撤回するよう家光に諌言した(『徳川実紀』『藩翰譜』)。
  • 亡くなる際、鍋島元茂に与える伝書(『兵法家伝書』)への花押を最後の力で印した。この時、宗矩は半ば意識が朦朧とし、元茂の家臣・村上伝右衛門の力を借りて印したため、花押は大きく乱れたという(乱れ花押)。なお、この村上伝右衛門は、葉隠の口述者山本常朝の伯父である(『兵法家伝書』小城藩(小城鍋島家)版)。
  • 宗矩の死後、家光は「天下統御の道は宗矩に学びたり」と常々語ったという(『徳川実紀』)。
  • 家光は宗矩の死後何かあると、「この問題は宗矩がいたらどうしただろう」と言ったという(『藩翰譜』)。
  • 甥(長兄・厳勝の次男)の兵庫助(柳生利厳)が家祖となる「尾張柳生家」とは、利厳の妹を外国人(柳生主馬)に嫁がせた件をきっかけに、不和になったという(『玉栄拾遺』)。
  • 乱舞や能を好み、大名家に押しかけて踊ったり、立ちくらみを起こすまで踊ったことがあったという(『不動智神妙録』)。
  • かなりの喫煙者であり、沢庵より癌になるので煙草を吸うのはやめるよう忠告を受けている(『沢庵和尚書簡集』)。しかし喫煙を続けたことが仇となり、最後は肺癌で死去することとなった。[要出典]

真偽が定かではない逸話

  • 家光より大和高取藩5万石への加増転封を問われた際、これを断り、友人の植村家政を推挙した。
  • 家光が宗矩の不意をついて一撃を加えようとした時、これに気づき、「上様の御稽古である。皆、見るでない」と大喝し、家光の悪戯を防いだという。
  • 能の名人観世大夫の隙を見抜き、これに感づいた名人に感嘆の声を上げさせた。これを聞いた家光は「名人は名人を知るとはこのことか」と讃えた。
  • 乗馬の達人諏訪部文九郎と馬上試合を行い、先に馬を叩くことで相手の動きを止めて勝利した。家光はこれを「まさに名人の所作である」と讃えた(『明良洪範』)。
  • 猿を飼っており、これを牢人と立ち合わせたという話がある。
  • 家光の命で虎の檻に入った際、気迫で虎の動きを封じた。
  • 『葉隠』内の逸話に、常住死身の境地に達した者を一目で見抜き、即日印可を授けたというものがある。
  • 年老いた後にも、背後の小姓の殺気を察知するなど、老いてもなお衰えなかったという。
  • 喫煙を沢庵に咎められた際、「では煙を遠ざければよろしかろう」と言い、部屋の外まで出る特製の長いキセルを作って煙草を吸い、「これで煙を遠ざけ申した」と答えたという。
  • 嫡子・三厳(十兵衛)が隻眼になったのは、宗矩が月影の太刀伝授中に誤って傷つけたためとも、鍛錬の為、飛ばした礫が誤って目に当たったためともいわれている。
  • 次男・友矩が家光との衆道関係によって大名取り立ての話が出た際、周囲の批判から柳生家を守る為に、友矩を死なせた(自害させたとも、暗殺させたともある)。
  • 三男・宗冬と仕合した際、「太刀が長ければ勝てるのに」などと言った不覚悟を咎め、戒めのため、気絶するほどの一撃を与えたことがあるという(『明良洪範』)。
  • 柳生庄に戻った際、洗濯をしている娘に「その桶の中の波はいくつある」と戯れに尋ねたところ、「ではその馬の蹄の跡はいくつありますか?」と即答したため、これを気に入り、側室として迎えたという。この娘が後に末子六丸(後の列堂義仙)の母となったお藤(おふじ)とされる。なお、このことを歌った俗謡に「仕事せえでも器量さえよけりゃ、おふじ但馬の嫁になる」というものがある。

他流派の伝承上における宗矩の逸話

宗矩の逸話のうち、真偽が不明なものの中には、他流派の伝承が出典となっているものも存在する。これらの逸話の中には、史実と相反するものもあり、注意が必要である。

  • 宮本武蔵の逸話の中には、武蔵が将軍家指南役として招かれそうになったところを宗矩が妨害した、というものがある。この逸話は武蔵の死後、100年以上後に書かれた武蔵の伝記『ニ天記』が初出である。
  • 一刀流の逸話の中には、秀忠の指南役として宗矩と相役であった一刀流二世・小野忠明が、宗矩に勝った事で、指南役としての地位を手に入れたという逸話がある。一方、史実において忠明は宗矩より先(文禄2年(1593年))に仕官している。なお、この逸話の出典は一刀流内部の伝記『一刀流三祖伝記』である。
  • 同じく一刀流の逸話の中には、忠明、またはその後を継いだ小野忠常が(宗矩と違い)将軍相手にも手加減をしなかったことで不興を買ったために加増されず、宗矩に差がついたと記されている。ただし、史実においては、相役となって以降の忠明、及び忠常には特に旗本としての功績もなく、また忠明については同僚との諍いが元で閉門を受けたことなどに鑑みると、上がらないことに不思議はなく、多分に自己正当化の側面が強いと言える。[6]
  • 富田流の宗家富田重政と宗矩の立ち合いを家光が望んだ際、重政が「これは但馬守も承知の上か」と不審に思い、「本当によろしいか」と確認した後、直前で沙汰止みとなったという。
  • タイ捨流の流祖丸目長恵が、新陰流の正統をかけて宗矩に直談判し、東国では柳生が、西国では丸目が天下一を名乗ることを認めさせたという逸話がある。ただし、その西国(九州)の大藩である熊本藩細川家、佐賀藩鍋島家において当主自ら柳生新陰流に入門し、大いに隆盛したこと、およびその両藩(特に丸目の住地である人吉藩に隣接する熊本藩)で上記逸話を証する史料は存在しない。一方で、上泉信綱より丸目宛に「西国の御指南は貴殿に任せおき候」と記された書状がある。
  • 示現流の逸話には、流祖である東郷重位が、元和の頃、宗矩の高弟で旗本の福町七郎右衛門、寺田小助を破ったとするものがある。ただし、この出来事、及び、この両旗本の名は『徳川実紀』『寛政重修諸家譜』では確認できない。

著作

『切合極意見之心持之事』

 直弟子である小城藩藩主・鍋島元茂に与えられた伝書。

『新陰流兵法心持』

 家光に与えられた伝書。なお、家光への伝書は、これを披露する老中酒井忠勝宛になっている。

『外の物の事』

 これも家光に与えられた伝書。「外の物」とは太刀以外の物の意であり、槍、長太刀、小脇差、馬術等の術に加え、日常での心がけなども記されている。

兵法家伝書

 宗矩の代表的著作にして『五輪書』と並ぶ近代武道書の二大巨峰。『進履橋』『殺人刀』『活人剣(「無刀之巻」含む)』の3部構成となっており、「活人剣」「大なる兵法」「無刀」[7]「剣禅一致」などを説いた宗矩の兵法思想の集大成の書。柳生家の家伝書となった他、鍋島勝茂、鍋島元茂、細川忠利にも与えられている。岩波文庫にて渡辺一郎校注で刊行されている。

『玉成集』

 鍋島直能に与えられた伝書。

柳生宗矩についての資料/研究

出版物

宗矩本人の著作を主体とした史料
  • 『兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事』(岩波文庫):柳生宗矩/渡辺一郎(注釈)

  …宗矩自身の著作ではあるが、注釈者による補足もあり

  …宗矩の主な伝書の殆どと手紙などを収録

宗矩を題材として取り扱っている(またはそれに準ずる)資料
  • 『柳生一族―将軍家指南役の野望』(新紀元社):相川司/伊藤昭
  • 『徳川将軍と柳生新陰流』(南窓社):赤羽根龍夫
  • 『定本 大和柳生一族』(新人物往来社):今村嘉雄
  • 『柳生遺聞』(エルム):今村嘉雄
  • 『柳生宗矩の人生訓―徳川三代を支えた剣豪、「抜群の智力」とは?』(PHP研究所):童門冬二
  • 『柳生宗矩 物語と史跡をたずねて』(成美文庫):徳山真一郎
  • 『近世日本武芸思想の研究』(神戸学院大学人文学部人間文化研究叢書):前林清和
  • 『禅と武士道―柳生宗矩から山岡鉄舟まで』(ベストセラーズ):渡辺誠
  • 『柳生一族 新陰流の剣豪たち』(新人物往来社):別冊歴史読本
  • 『物語柳生宗矩』(現代教養文庫):江崎俊平

研究論文

  • 『江戸思想と柳生新陰流』(基礎科学論集 : 教養課程紀要):赤羽根龍夫
  • 『新陰流を哲学する : 江戸柳生の心法と刀法』(基礎科学論集 : 教養課程紀要):赤羽根龍夫
  • 『近世初頭の剣術伝書に関する一考察--「兵法家伝書」と仏教の関係』(立正大学教養部紀要):大森宣昌
  • 『「剣禅一如」思想の源流 : 沢庵と柳生新陰流』(印度學佛教學研究):笠井哲
  • 『柳生新陰流に見る修学と致知格物』(日本体育学会大会号):加藤純一
  • 『柳生宗矩『兵法家伝書』における心』 : 「具放心心」を巡って (日本体育学会大会号):加藤純一
  • 『『兵法家伝書』伝本の比較研究 : 細川家本と小城鍋島家本』(目白大学人文学研究):加藤純一
  • 『兵法家傳書(ハングル版)』(目白大学人文学研究):加藤純一(訳)
  • 『兵法家伝書上巻序の武道観』(体育學研究):黒木俊弘
  • 『柳生宗矩の「兵法家伝書」における剣術思想』(年報日本思想史):中野寛美
  • 『剣道修行過程における心的変容についての一考察: 主として『兵法家伝書』よりみたる』(体育科学系紀要):前林清和/渡辺一郎

創作物上の扱い

史実においては、将軍家兵法指南役(公的な場における武芸の最高権威)にして、当時最大の剣術流派の宗家という立場、使番や惣目付などを歴任し大名にまでなった将軍側近としての立場、個人としての家光や沢庵その他諸大名との交流、十兵衛三厳などの子供達との関係や尾張柳生家との不仲など、同時期の他の武芸者と比較し様々な側面を持つことから、その人物像は作家/作品によって大きく異なる。

山岡荘八大河ドラマ春の坂道』のために原作(「柳生宗矩」)を書き下ろしている。山岡は他の小説『徳川家康』、『伊達政宗』、『徳川家光』にも登場させ、これらの作品内における宗矩は、一貫して情誼に篤い剣聖であり、家光のよき師として描かれている。また、吉川英治の『宮本武蔵』においても、実直な理性家として描かれている。

一方で五味康祐荒山徹宮本昌孝朝松健らの小説や、映画・ドラマ『柳生一族の陰謀』、大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』などにおいては、幕府安泰のために陰謀暗殺を遂行する闇の世界の人物として描かれている。また、その中でも、秀忠を悪役とする作品では、宗矩もその配下の悪役として描かれがちである(小説では隆慶一郎の諸作や漫画『あずみ』、ゲーム『新 鬼武者 DAWN OF DREAMS』など)。また惣目付に就任していた影響などから、「裏柳生」と呼ばれる密命を帯び謀反の芽を摘み取ったり、柳生一族の邪魔になるような者を排除を目的とする忍者武術暗殺集団の頭領とされることもある。

同様に剣豪小説的な視点(津本陽戸部新十郎の諸作。また漫画『陸奥圓明流外伝 修羅の刻』など)から描かれた場合、同時代の剣豪(宮本武蔵など)や同じ柳生一族(父・石舟斎、息子・十兵衛、甥・兵庫助利厳)と比較し、隔絶した地位を得た事から、剣ではなく、政治面で立身した「剣士として純粋ではない人物」[8]という捉え方をされ、この場合、比較的評価を下げた描かれ方をされる傾向がある。

また柳生一族や将軍家剣術指南役の確執の主軸として描かれる場合もあり、柳生利厳が「一国一人の印可」を受けて新陰流を継承した尾張柳生、天下の剣術指南役の江戸柳生といった史実から江戸柳生と尾張柳生の対立の軸としてとりあげられる事や同じく将軍家剣術指南役の小野派一刀流との確執などが描かれる。また逆に江戸、尾張のまとめ役となり一族共闘の下、互いにそれぞれの役割を担い任に当たるなどもある。

いずれにせよ、善悪どちらの役柄であれ、当時の代表的剣士にして強い権力を持った人物という点ではぶれがなく、厳格で知勇兼備な傑物としての宗矩像は共通している。

関連作品

小説

柳生宗矩が主人公の小説
その他の小説

漫画

柳生宗矩が主人公の漫画
その他の漫画

アニメ

映画

柳生宗矩が主人公の映画
その他の映画

テレビドラマ

柳生宗矩が主人公のテレビドラマ
その他のテレビドラマ

舞台

ゲーム

脚注

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  1. ^ 渡辺一郎「兵法家伝書」では出典を「徳川実紀」とするが記載がない。永岡慶之助「柳生の剣と武蔵の剣」では「安藤治右衛門家書」に出典があるとする
  2. ^ ただし、元々将軍や大名である人物が剣豪になった例(足利義輝北畠具教松浦清(静山)など)や、陪臣のため大名ではないが、宗矩以上の石高(1万3000石)を得ている富田重政などの例もある。
  3. ^ 御三家筆頭・尾張徳川家がないのは、尾張徳川家剣術指南を尾張柳生家が務めており、江戸柳生家と尾張柳生家は師弟関係ではないためである。
  4. ^ この他、伊達家には宗矩の甥(利厳の弟)、柳生権右衛門も仕えている。
  5. ^ なお、この逸話は新渡戸稲造の『武士道』において、武士と禅の関係についての話として引用されている
  6. ^ なお、寛永10年(1633年)2月の家光による1000石以下の小姓番書院番の番士全員への一律200石加増により、忠常の代に小野家は800石になっているため、加増がないということも史実に反している
  7. ^ 「無刀」については吉川英治の小説『宮本武蔵』、それを原作とした漫画『バガボンド』の影響もあり、一種の悟りの境地、あるいは平和主義的な思想として捉えられる事もあるが、この伝書内で語られる「無刀」は、「わが刀なき時、人にきられじとの無刀也」とある通り、”刀がない状態で危機に陥った際、如何に対処するべきか”という実用重視の護身術的なものである。ただし、宗矩の父・石舟斎は「兵法百首」において『無刀にて きはまるならば 兵法者 こしのかたなは むよう成けり』と歌っており、全く論拠のない創作とも言いがたい部分もある。
  8. ^ ”剣を権に変えた””政を以って剣を歪めた”などとも揶揄される

関連項目

参考文献

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