棚橋弘至

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棚橋 弘至
Hiroshi Tanahashi
Hiroshi Tanahashi 2016.jpg
2016年8月
プロフィール
リングネーム 棚橋 弘至
マスクド・デビロック
本名 棚橋 弘至
ニックネーム 100年に1人の逸材[1]
エース[1]
太陽の天才児
愛の戦士
ハイフライングスター
ミスターナルシスト
和製HBK
ミスター・東京ドーム[2]
身長 181cm[1]
体重 103kg[1]
誕生日 (1976-11-13) 1976年11月13日(40歳)[1]
出身地 岐阜県大垣市[1]
所属 新日本プロレス
スポーツ歴 野球[3]
レスリング[3]
トレーナー 藤波辰爾
武藤敬司
佐々木健介
デビュー 1999年10月10日[1]
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棚橋 弘至(たなはし ひろし、1976年11月13日 - )は、日本男性プロレスラー岐阜県大垣市出身。新日本プロレス所属。

遠縁として木瀬部屋所属の元幕下・稲葉丸がいる(本名は棚橋弘貴)[4]

来歴[編集]

少年時代[編集]

岐阜県立大垣西高等学校では野球を経験。1995年に卒業後、一般入試で立命館大学法学部に入学。弁護士角田龍平とは同級生であった。大学時代は学生プロレスサークルであるプロレス同好会に在籍する一方、アマチュアレスリング部にも参加した。大学時代は新日本プロレスG1 CLIMAXの両国7連戦をすべて現地観戦したり、アメリカ在住の先輩が毎週録画して送ってくるWWEの映像を見たりしていた。

1996年春に行われた新日本プロレスの入門テストを受け、与えられたメニューを全てこなしたが不合格となる[5]。同年秋に2度目の入門テストを受けるも、体調不良による脱水症状に陥りメニューをこなすことができず、不合格となった[5]1998年2月に行われた3度目の入門テストでようやく合格を果たすも、長州より「大学は卒業はしておけ」と告げられ、大学生活を継続していった[6]

新日本プロレス入門[編集]

大学卒業後の1999年4月に新日本に入門[1]。入門後しばらくは武藤敬司の付き人を務め、10月10日、真壁伸也(現:真壁刀義)戦でデビュー[1]2001年5月18日、同期入門の鈴木健三(後に鈴木健に改名)とタッグチーム、キング・オブ・ザ・ヒルズKing Of The Hills、略称 : KOTH[† 1]を結成。棚橋(タナハシ)と健三(ケンゾウ)で「タナケン」という愛称で親しまれ、ヘビー級のタッグ戦線を盛り上げる。

2002年3月14日、健想が病気によって再び欠場に入ると、佐々木健介とタッグを結成。5月2日東京ドーム大会では、スタイナー・ブラザーズと対戦。6月20日に健介、復帰を果たした健想とブルー・ウルフを加えた4人で新ユニット、スウィング・ロウズSWING-LOWS)を結成。健介がリーダーであるものの、KOTHの発展形と主張し、本隊と一線を画して新日本のトップ獲りを目指すこと宣言したが、10月に健介に新日本退団したため、11月3日、スウィング・ロウズを解散。その後、健想とウルフと共に新生KOTHを結成し、このトリオで大会「トライアスロン・サバイバー」にエントリーしたが、大会前の公開練習で健想が高山善廣とタッグを組みたい意向を示し、年内での解散を宣言した。

11月28日、別れ話のもつれから交際相手の女性に刃物で背中を刺され重傷を負う。棚橋は負傷したまま原動機付二輪車を運転し、最寄りの病院に駆け込み緊急治療を受けて一命を取り留めたものの、総血液量の約3分の1にあたる1.7リットルの血液を失い、一時は意識不明に陥るほどの大怪我を負った(なお、棚橋が加害者を宥恕し、示談が成立していたこともあり、執行猶予付きの判決となった)。刺傷事件から復帰後の2003年4月23日に自ら提唱したU-30王座(後にU-30無差別級王座に改称)を獲得[1]、6月13日に吉江豊とのタッグでIWGPタッグ王座[1]、11月30日に永田裕志とのタッグでプロレスリング・ノア(略称 : NOAH)が管理するGHCタッグ王座を続けざまに獲得[1]し、12月14日にIWGPタッグ王座から陥落するまでの約半月間、三冠王として君臨した。また、U-30無差別級王座長期防衛の最中の2004年初め頃から、中邑真輔柴田勝頼と共に「新・闘魂三銃士」の一人とされ、G1 CLIMAXでは、その全員が決勝トーナメント(ベスト6)へ進出する中、3人中最高の準優勝という成績を残す。12月11日、中邑とのコンビで再びIWGPタッグ王座を獲得し、第47代王者組に君臨する[1]

2005年1月4日、中邑とのU-30王座戦に敗戦し、2年近く保持していた王座から陥落する。しかし、後に中邑がU-30無差別級王座を封印することを提案。結果的にフロントの意向によって王座返上と改められ同王座は空位扱いとなる。この後、柴田の新日本退団により新闘魂三銃士は自然消滅する形となった。4月、新設されたトーナメント戦、NEW JAPAN CUP(略称 : NJC)で優勝[1]。さらに6月に行なわれた「U-30無差別級王座決定リーグ戦」を全勝優勝で突破し、第3代U-30無差別級王者に返り咲く[1]。7月18日にはNOAH東京ドーム大会に参戦し、力皇猛の保持するGHCヘビー級王座に初挑戦したが敗戦した。

2006年7月17日、ブロック・レスナーとのIWGPヘビー級王座を賭けたタイトル戦が行われる予定だったが、レスナーが契約上のトラブルを理由に試合をボイコット。それに伴いレスナーから剥奪された同王座を競うトーナメントに出場し、決勝戦でジャイアント・バーナードから勝利を収めて優勝。第45代王者となり、初戴冠を果たす[1][† 2]。また、この試合後に後の決め台詞となる「愛してます」と初めて発言した。

2007年4月13日、永田裕志にピンフォール負けを喫してIWGP王座から陥落し、試合後に右膝内側靭帯損傷と診断され欠場となる。8月のG1 CLIMAXでは、2勝1敗2分という成績でリーグ戦を2位で通過。準決勝の真壁刀義、決勝の永田から勝利を収め、G1初制覇を遂げる[1]。10月8日、EXPLOSION'07にて、IWGP王座を保持する永田から勝利し、第47代IWGP王者に戴冠。さらに、後日の記者会見で結婚していたことを明かした[7]

2008年 - 2009年[編集]

2008年1月4日、レッスルキングダムIIで中邑との一騎打ちに敗れ、IWGP王座から陥落した[8]

3月1日、全日本プロレスに参戦し、元付き人だった武藤敬司とタッグを結成し、川田利明 & 太陽ケア組に勝利。メインイベントの三冠ヘビー級選手権試合終了後、チャンピオン・カーニバルに参戦を表明した[9]。新日本では2度目のNJCを制覇を果たし[1]、3月30日、NEW DIMENSIONにて、中邑の保持するIWGP王座に挑戦したが敗戦した[10]。4月、全日本主催のチャンピオン・カーニバルに初出場を果たし、9日の公式最終戦で小島聡から勝利を収め、決勝に進出[11]。同日行われた優勝決定戦で諏訪魔と対戦したが、最後はラストライドからピンフォール負けを喫し、準優勝に終わった[1][12]。さらに怪我が悪化し、「左膝前十字靭帯断裂」および「外側半月板断裂」と診断され長期欠場。8月のG1で復帰するが、精彩を欠き予選落ちに終わった。10月に無期限TNA遠征に出発したが、菅林直樹社長の要請を受けて12月に帰国した[1]

2009年1月4日、レッスルキングダムIIIのメインイベントで武藤を下し、長らく流出していたIWGP王座を奪還。第50代王者となり、武藤越えを果たした[1][13]。その後、中邑[14]カート・アングル[15]後藤洋央紀[16]と対戦し3度の防衛に成功するが、5月6日、中西学を相手に敗戦し王座から陥落する[17]。6月20日、DOMINION 6.20にて、中西に挑戦し再び王座を奪還し第52代王者に返り咲く[18]。7月20日、NOAHの杉浦貴を相手にIWGP王座の初防衛に成功した[19]が、この試合を観戦していたTAJIRIが試合後に乱入し、グリーンミストを浴びられたことから遺恨が生まれた[20]。8月13日、G1公式戦でTAJIRIと対戦するも最後はグリーンミストからのバズソーキックでピンフォール負けを喫した[21]。それでも決勝トーナメント進出に食らいつき、準決勝で中邑と対戦するも敗北を喫した[22]。さらに試合中に中邑が放ったハイキックが原因で「眼窩内側壁骨折」と診断され欠場し、IWGP王座を返上した[23]。その後はTAJIRIと抗争を繰り広げ、11月23日に後藤とのタッグで、TAJIRI & 田中将斗組と対戦。G1参戦以降、ピンフォール負けを許さなかったTAJIRIから勝利を収めた[24]。その後のシリーズでは立て続けにTAJIRIにフォール負けを喫するも、12月5日、シングルマッチで再び激突し、実況席にいた山崎一夫や菅林を巻き込む形で最後はハイフライフローでピンフォール勝ちを収め、抗争に終止符を打たせた[25]。12月のプロレス大賞では最優秀選手賞を受賞した[1]

2010年 - 2011年[編集]

2010年2月14日の試合後、矢野通によってハサミで髪を切られる被害を受けたことから、遺恨が勃発[26]。6月19日、DOMINION 6.19にて、ルーザー・ボールド・ルールで完全決着を果たすべく矢野と対戦し、最後は回転十字架固めで矢野からピンフォール勝ちを収めた。試合後、抵抗する矢野から逆に髪を切られる危機に陥るも、かつて敵対関係にあったTAJIRIが救援に駆けつけ、TAJIRIが矢野を羽交い絞めにする中、ようやく矢野の髪の毛を刈ることに成功した[27]

8月のG1 CLIMAXでは、決勝戦まで勝ちあがるも小島聡に敗れ、準優勝[28]。その後G1を制し、IWGP王座に就いた小島に対して挑戦をアピール。12月11日、同じく同王座に挑戦を表明してきた後藤洋央紀と対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収めて、熱望していたIWGP戦線へ一歩近づき、翌日行われた興行の全試合終了後、改めて小島に挑戦を表明した[29][30]

2011年1月4日、レッスルキングダムVにて、小島の保持するIWGP王座に挑戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収め、IWGP王座5度目の戴冠を果たす[31]。2月20日、The New Beginningにて、小島と再戦。試合終盤で掟破りのラリアットで小島をなぎ倒し、最後はハイフライフローで初防衛に成功[32]。以降は永田裕志[33]、中邑真輔[34]チャーリー・ハース[35]、後藤洋央紀[36]、ジャイアント・バーナード[37]を相手に防衛回数を積み重ねていく。

8月に行われたG1では、初戦こそ永田のバックドロップホールドで敗れるも、その後は勝ち星を積み重ねていく。しかし、9日目の矢野通戦ではヒールであるはずの矢野が歓声を浴び、棚橋にブーイングが起こる「逆転現象」が発生。初戦以来の敗北を喫し、最終日では内藤哲也のポルボ・デ・エストレージャに捕まり敗北、予選落ちとなった。その後、G1を制した中邑、内藤、矢野の挑戦を退け、12月4日にIWGPヘビー級王座連続防衛記録を持つ永田と再戦。これに勝利を収めて10度目の防衛に成功する。12月14日にはその功績が讃えられて、2009年以来2度目となるプロレス大賞最優秀選手賞を受賞。試合内容のみならず、営業姿勢やファンサービスなど多方面から評価を受けた。

2012年 - 2013年[編集]

2012年1月4日、レッスルキングダムVIの舞台で鈴木みのるを打ち破り、IWGPヘビー級王座の11度目の防衛に成功する。永田の連続防衛記録を塗り替える快挙を成し遂げた。

2月12日、凱旋帰国して間もないオカダ・カズチカと対戦するも、オカダのレインメーカーで沈み防衛に失敗した。長らく保持していたIWGP王座を手放したが、6月16日、DOMINION6.16にて、リマッチ権を行使し再びオカダと対峙。最後はハイフライフローで勝利し、第58代王者に就いた。尚、同王座6回目の戴冠は藤波辰爾と並ぶタイ記録となる。7月1日、全日本プロレスとの創立40周年記念大会「サマーナイトフィーバー in 両国 WE ARE PRO-WRESTLING LOVE!」のトリプルメインイベントで大トリを飾り真壁とタイトルマッチで対戦。これに勝利を収め、防衛に成功。並びに橋本真也の同王座通算防衛記録20回を上回り、最多通算防衛記録者となった。7月22日には田中の挑戦を退けたのを皮切りに丸藤正道、鈴木、高橋裕二郎と立て続けに防衛に成功した。

2013年1月4日、レッスルキングダム7のダブルメインイベントに登場し、IWGPヘビー級王座を賭けて、オカダと三度対戦。互いのフィニッシュ・ホールドを巡る攻防の末、ハイフライフローで勝利、6度目の防衛に成功した。その後、カール・アンダーソンを相手に7度目の防衛にも成功するが、4月7日のINVASION ATTACKにて、NJCを優勝したオカダを相手にピンフォール負けを喫し、IWGP王座から陥落した。

7月5日、獣神サンダー・ライガーとのタッグでタマ・トンガ&テリブレ組が保持するCMLL世界タッグチーム王座に挑戦。テリブレからピンフォール勝ちを収め、同王座の第34代王者に戴冠。8月よりCMLLに遠征し、同団体が開催するカンペオン・ウニベルサルに出場。9月6日、決勝戦でルーシュから勝利を収め、日本人としては二人目となる優勝を飾った[1][† 3]

10月14日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、オカダの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。棚橋はここで負けたらIWGP戦線から離脱を公言しており、リスクを背負った中での挑戦となったが、最後はオカダのレインメーカーでピンフォール負けを喫し、敗戦。試合後に「さらばだ、IWGP!!」とコメントを残し、公約通りIWGP戦線から撤退を表明した。

11月9日、POWER STRUGGLEにて、同年のG1公式戦で黒星を喫した石井智宏とシングルマッチで対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収めリベンジを果たした。更に同大会のセミファイナル終了後、IWGPインターコンチネンタル王座(以下「IC王座」と表記)の防衛に成功した中邑がマイクを握り、次期挑戦者として棚橋を指名。棚橋も中邑の要求を受諾し、同王座に挑戦することが決定的となった。

2014年[編集]

2014年1月4日、レッスルキングダム8のダブルメインイベントに登場。IWGPIC王座を保持する中邑と対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収め、第7代王者に戴冠。その後、THE NEW BEGINNING in HIROSHIMAにて、リマッチを申し入れてきた中邑を相手にIC王座の防衛戦を行い、勝利を収めたが、次期シリーズのNEW JAPAN CUPで優勝した中邑が再びIC王座に挑戦することをアピール。4月6日、INVASION ATTACK 2014にて、再び中邑を相手にIC王座の二度目の防衛戦に挑んだが、ボマイェで敗戦。同王座から陥落した。

4月19日後楽園ホール大会にて、真壁刀義とタッグを組み、IWGPタッグ王者組カール・アンダーソン&ドク・ギャローズ組と対戦。ノンタイトルマッチながら、アンダーソンからピンフォール勝ちを収めると、5月3日のレスリングどんたく 2014では、真壁、内藤哲也獣神サンダー・ライガーと組んで、イリミネーションマッチルール形式でBULLET CLUB(アンダーソン&ギャローズ&バッドラック・ファレ&タマ・トンガ組)と対戦。最後一人残ったギャローズからピンフォール勝ちを収め、真壁と共に二人残りで勝利した。試合後、真壁がマイクパフォーマンスを行い、棚橋とのタッグでIWGPタッグ王座への挑戦を表明したが、その直後に後藤洋央紀柴田勝頼がリング上に現れ、後藤が自分たちこそがタッグ王座の次期挑戦者組だとアピール。その傍らで柴田は「ベルト・・・それよりも、棚橋。オマエと勝負だ」と棚橋を挑発したが、棚橋は「眼中に無ぇよ」と軽くあしらった。

5月25日、横浜アリーナで開催されたBACK TO THE YOKOHAMA ARENAにて、真壁とのタッグで後藤&柴田組とIWGPタッグ王座ナンバーワン・コンテンダーマッチを行い、真壁が後藤から勝利を収め挑戦権を獲得した。6月21日、DOMINION6.21にて、アンダーソン&ギャローズ組に挑戦するも、真壁がピンフォール負けを喫し、敗戦した。

8月、G1 CLIMAXに出場。着実に勝ち星を積み重ねていき、公式最終戦まで決勝進出の権利を保持し続けていたが、8日の横浜文化体育館大会でデイビーボーイ・スミス・ジュニアを相手に敗北を喫し、予選落ちとなった。10日、西武ドーム大会のセミファイナルに出場し、IWGPヘビー級王座を保持するBULLET CLUB(以降BC)のAJスタイルズとノンタイトルマッチで対戦。試合に勝利するも、試合後にBCの面々からリンチに遭い、さらに救出に駆け付けたかに思えたGFW最高経営責任者ジェフ・ジャレットによってギターショットを浴びせられた。

9月21日、DESTRUCTION in KOBEのセミファイナルに出場し、柴田とシングルマッチで対戦。最後はハイフライフローを二連発で放っていき、黒星を喫したG1公式戦の借りを返した。試合後、柴田と額を合わせて言葉を掛けあうと最後は握手を交わし、長らく続いた遺恨に終止符を打たせた。

10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGにて、IWGP王座を保持するAJから指名を受ける形で同王座に挑戦。試合終盤、レフェリーが場外でダウンしている隙にジャレットが試合に介入。ギターを棚橋に向かって振りかざした時、元新日本プロレスのヨシタツが現れ、ジャレットを蹴散らした。このアシストを受け、最後はハイフライフローでAJから勝利し、自身7度目のIWGP王座戴冠となった。12月8日、東京スポーツ主催のプロレス大賞で最優秀選手賞(MVP)を受賞した。

2015年[編集]

2015年1月4日、レッスルキングダム9のメインイベントに登場。IWGPヘビー級王座の初防衛戦として昨年度G1優勝者にして挑戦権利証を守りきったオカダ・カズチカと対戦。死闘の末、最後はハイフライフローでオカダから勝利し、初防衛に成功した。2月11日、THE NEW BEGINNING in OSAKAにて、AJスタイルズを相手に2度目の防衛戦に臨んだが、ピンフォール負けを喫し、IWGPヘビー級王座から陥落した。

3月5日、大田区総合体育館にて開催されたNEW JAPAN CUPに3年ぶりにエントリーされ、一回戦で矢野通と対戦するも、わずか2分47秒でピンフォール負けを喫し、早々にトーナメントから脱落した。以降、矢野との因縁が再発し抗争を展開。7月5日、DOMINION 7.5 in OSAKA-JO HALLにて、再び矢野とシングルマッチで対戦。ハイフライフローで勝利を収め、NJCの借りを返した。

8月、G1に出場。途中2勝2敗とつまずいたが、その後は巻き返してAブロック1位通過。決勝戦で中邑真輔を倒し、8年ぶり2度目のG1優勝を果たした。

9月27日、DESTRUCTION in KOBEではバッドラック・ファレを、10月13日、KING OF PRO-WRESTLINGでは内藤哲也を相手に東京ドーム・IWGPヘビー級王座挑戦権利書を賭けて対戦し、いずれも勝利を収めた。

2016年[編集]

2016年1月4日、レッスルキングダム10のメインイベントで、オカダ・カズチカの保持するIWGPヘビー級王座に挑戦。35分を超える激闘の末、最後はレインメーカーでピンフォール負け。5年連続東京ドーム大会のメインイベント勝利記録が途絶えることとなった。

1月30日、中邑真輔の退団により空位となったIWGPIC王座の王座決定戦として、ケニー・オメガと対戦することを発表した。2月14日、THE NEW BEGINNING in NIIGATAにてオメガと対戦したが、片翼の天使でピンフォール負けを喫し王座奪取に至らなかった。

5月21日、後楽園ホールでの試合後にBCに襲撃されてしまい左肩を負傷。検査の結果、左肩剥離骨折、二頭筋断裂と診断され欠場を余儀なくされる。

7月18日、G1の舞台で復帰を果たすも、精彩を欠き予選落ちに終わる。その後はG1開幕戦で敗北を喫したロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンSANADAと抗争を繰り広げ、11月5日、POWER STRUGGLEにて、SANADAと対戦。ハイフライフローでピンフォール勝ちを収めて抗争に終止符を打ち、同興行のメインイベント終了後、内藤の保持するIWGPIC王座に挑戦を表明した。

2017年[編集]

2017年1月4日、レッスルキングダム11にて、内藤の保持するIC王座に挑戦。デスティーノでピンフォール負けを喫し王座奪取に至らなかった。 1月5日、後楽園ホール大会「NEW YEAR DASH!!」で中西学、田口隆祐とのタッグでNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦し第9代王者に戴冠。

人物[編集]

  • 名づけのエピソードとして、父親は最初、豊臣秀吉の「秀吉」を逆さにして「吉秀」と名付けようとしたらしいが、母親から猛反対され「弘至」という名がつけられた。「弘」の一文字でも「ひろし」と読むことができるが、父親がアントニオ猪木の大ファンであることから、猪木の本名である「猪木寛」から一文字いただいたという[38]
  • 憧れのプロレスラーとして、ダイナマイト・キッドカート・アングルショーン・マイケルズの名を挙げている。中でもマイケルズのファンであり、2009年当時IWGP王者だった頃、挑戦者としてアングルを迎え撃った際、前日記者会見にてアングルから「タナハシは日本のショーン・マイケルズだ」[39]と言われたときは、死ぬほど嬉しかったと答えている[40]
  • 1997年に行われた入門テストに合格したものの、長州より「大学卒業」の指示を下された棚橋は当時、プロレスラーになるのに大卒の肩書きが必要なのか疑念を抱いていたが、大学時代に得た知識はコメントを発表するときの言葉選びに役立っていることや「立命館大学卒」という肩書きでクイズ番組に出演できているのは長州のおかげであると、現在は感謝の意を表している[6]
  • 入門当時に新日本の現場監督であった長州力が「学生プロレス嫌い」を公言していたことから、当初棚橋自身は立命館大学レスリング部出身を名乗り、学生プロレス経験者であることを公言せず、2006年4月に東京スポーツ紙上でレイザーラモンHGと対談した際、自らが学生プロレス出身であることを初めて公言した(サークルの先輩にユリオカ超特QレイザーラモンRGがいる)。学生プロレス時代のリングネームは、メイ牛山、ハメ浩を経て、ターナー・ザ・インサート[† 4]
  • 仮面ライダーシリーズの大ファンであり、現在のスタイルに多大なる影響を与えている。2016年8月4日には『アメトーーク』の「仮面ライダー芸人」に出演し、仮面ライダーへの熱い思いを語った。このアメトーークの出演が反響を呼び遂に仮面ライダーの映画に出演することになった。平成ライダーシリーズは『仮面ライダーカブト』から見始め、平成ライダーシリーズの中でも『仮面ライダーW』が一番好きだという。
  • また、上記のアメトーークで過去に仮面ライダークウガの主人公役のオファーがあったエピソードを明かしたが、番組放送後に当時東映のチーフプロデューサーであった高寺成紀Twitter上で、テレビ番組の主役ではなく獣神サンダー・ライガーを手本にした“プロレスラーの仮面ライダークウガ”を番組のプロモーションの一環として登場させようと、当時テレビ朝日のプロデューサーであった清水祐美が過去にスポーツ局に所属し、新日側と繋がりがあった事から交渉、棚橋が候補の一人であった事を明かしている[41][42][43]。棚橋は2009年のインタビューの時点で新日側から「バイクの運転は出来るか?」と聞かれた事を明かしているが、東映やテレビ朝日側からの棚橋への直接的な交渉はなく[44]、最終的に新日側の判断でレスラークウガの件を断っている[45]
  • CMLLではとしてルード(ヒール)として登場しており、試合では顔の右側をフェイスペイントし、日本ではまれにしか見られないラフ殺法をしている。矢野とのIWGP戦でも、この状態で試合をしている。(解説はこれを黒棚橋と呼んでいた。)
  • 忘れえぬ日本人レスラーは誰かという質問に対し、棚橋は決まってヒロ斉藤の名前を出すという。プロレス界において、危険技を使わずに定番のムーブで会場を盛り上げることが難しい中、ヒロは自身の得意技であるセントーンを繰り出すだけで観衆を沸かし、ベテランになってから会場人気が高くなったのも「プロレスは積み重ねの競技」ということを証明するいい例だと語っている[46]
  • 現在の新日本プロレスで第三世代より下の世代に付き人が付いていない理由として「そろそろ棚橋にも付き人を」となった時期に棚橋が断ったため下の世代にも付き人が付かなくなったと言われている。そんな棚橋も遂に2017年に岡倫之を初めての付き人にした。

得意技[編集]

師である藤波辰爾のドラゴン殺法や武藤敬司から影響を受けた技が多く、これら以外にクイック技を好んで使用する。ナルシストキャラの確立後は、要所で手を広げながらファンに歓声を求めるといった行動や、自身も大ファンである仮面ライダーから影響を受けたアピールなどが目立ち始めている。また、新日本の創設者であるアントニオ猪木が提唱したストロングスタイルについては、2009年9月27日神戸大会において、「猪木~! 初代IWGP(ベルト)は俺が取り戻す」と発言した中邑に対して「ストロングスタイルの呪い」と評するなど、脱ストロングスタイル・反ストロングスタイルの立場にあり、「オールドスタイルのアメリカンスタイルが好き」と公言している[47]

フィニッシュ・ホールド[編集]

石井智宏にボディアタック式ハイフライフローを仕掛ける棚橋
ハイフライフロー
棚橋の代表的なフィニッシュ・ホールドで、いわゆるフロッグスプラッシュ。2006年のG1より使用し始めた。
うつ伏せ状態の相手の背中に放つバージョンや、相手の膝目掛けて放つバージョン(この後にテキサスクローバーホールドでギブアップを狙う)、立ち上がった相手に向かって放っていくボディアタック式も使用する。大一番では確実にピンフォールを奪えるように2連発で繰り出すなど、その汎用性に優れている。
技名の由来は「高く飛んで集中した状態」という意[48]であり、技の名前からその形と破壊力がイメージできること念頭に置きながら、こう名付けた[49]。また、この技をフィニッシャーとして選択した理由として、「初めて見に来る客に対してインパクトがあり痛みが伝わる」という点を挙げている[50]
派生技
旋回式ハイフライフロー
相手の頭上コーナーから90度旋回しながら落ちるハイフライフロー。諏訪魔戦で初公開された際はそのままフォールしていたが、以降は旋回式の後、対角コーナーに走り通常のハイフライフローからフォールに入るなど、2連続式になるパターンが多い。
場外ハイフライフロー
2011年後半以降大一番で使用するようになった、トップロープからリング外にいる相手目掛けて敢行する。正調よりも落差が激しい為、自身へのダメージも大きい。
ハイフライフロール
うつ伏せの状態の相手目掛けてハイフライ・フローを放ち、そこからゴッチ式パイルドライバーのクラッチと類似の相手の股下をすくうクラッチで捕らえ、180°回転し変形エビ固めに移行しフォールを奪う技。2011年9月、中邑とのIWGPヘビー級選手権試合で初披露[51]
ドラゴン・スープレックス・ホールド
ハイフライフローと並ぶフィニッシュムーブ。ナルシシストキャラ確立後は、ハイフライフローを習得したこともあり使用頻度は減ったが、いまだに説得力のある必殺技として大事な場面で用いられている。最近では2014年2月9日広島大会において、ハイフライフロー2連発を返した中邑に対してフィニッシャーとして使用している。

打撃技[編集]

太陽ブロー
左のボディブロー。名城信男との合同トレーニングを経て使用。主に相手の打撃攻撃に合わせてカウンターで放つ。
ドラゴン式張り手
藤波式のモーションが小さい張り手。
フライング・フォーアーム
助走をつけて、体を横に流しつつジャンピングエルボーを繰り出す。技の後で雄たけびを上げる事が多い。
エルボー・スマッシュ
鍵型に曲げた腕の先端部もしくは少し前側の腕の部分を、斜め下方から上方へ向けてかち上げるように振り上げ、相手に叩きつけるエルボー。
ローリング・エルボー
左右のエルボーからローリングしてエルボーを放つ。主にノアの選手との対抗戦の場合に使用する。三沢光晴と同じムーブであり、棚橋の普段のエルボーとは気質が違ってかなりの再現度をほこっていたことから、解説の山崎が舌を巻いた。
ドロップキック
元々、若手のころから正面飛び式のを使っていたが、ここ最近はそれ以外に足殺しの一環として、低空式も使用している。
延髄斬り
主にU-30王者時代に使用していた技。現在は使用していない。
青天井エルボー・ドロップ
尊敬する武藤のフラッシングエルボーに影響を受けた技。その場で高くジャンプし、両足をジタバタさせながら放つ。現在の武藤のものよりも若手時代のフォームに近い。

投げ技[編集]

スリング・ブレイド
以前のフィニッシュ・ホールド。旋回式フライング・ネックブリーカー・ドロップ。
助走を付けて前方から相手の首に飛びつき、相手の首を支点に空中で旋回しながら、相手の後頭部をリングに叩き付ける。従来の型の他に相手の肩の上に担ぎ上げられた状態で繰り出したり、スリーパーホールドレインメーカー等の相手の必殺技に対してその場飛びでの使用、背後から仕掛けフェース・クラッシャーに持ち込むリバース・スリング・ブレイドなど、さまざまな切り返し法を使用している。完全なオリジナル技ではなく、棚橋が開発する以前からDRAGON GATE吉野正人が繋ぎ技として使用していた。
技名を命名したのは当時棚橋のタッグパートナーを務めていた中邑真輔であり、名前の由来はアメリカ映画の『スリング・ブレイド』から来ている[52]
フライング・スリング・ブレイド
トップロープから相手に飛びついてのスリング・ブレイド。一度リングに足から着地した後に、再度その場で小さく飛び跳ねてから叩きつけることが特徴。2006年6月頃から使用していたが同じ年のG1でいずれもこの技を切り返されて2敗を喫している。それ以来ほとんど使用していない。
ドラゴンスイング
ドラゴン・スリーパーの体勢から相手の体を持ち上げ、ジャイアントスイングのような形で振り回した後にバスターやファイナルカットでリングに叩き付ける。
ドラゴン・スクリュー
元々若手のころから使用していたが、2009年1月4日の武藤戦以降から、足攻めのために多用するようになった技。棚橋には相手がグラウンド状態で放つグラウンドドラゴンスクリューと張り手を見舞ったあとにする新型ドラゴンスクリューが存在する。鈴木みのるには通用しない事も多かったが、2012年10月8日のIWGPヘビー級選手権ではこの技で鈴木の足を痛める事に成功した。
グラウンド・ドラゴン・スクリュー
棚橋のオリジナル技。仰向けとなった相手に対して放つドラゴンスクリュー。2007年4月13日の永田裕志戦で初公開し、以降も試合の流れを引き寄せる技のひとつとして使用。
他にもうつぶせ状態の相手に対して放つ型や、相手の足をロープに挟みながら放つ型、相手の片腕に対して放つなどバリエーションは多い。
ツイスト・アンド・シャウト
2007年頃から使用され、2015年より再び使用。ブレーンバスターの体勢から持ち上げずに、そのまま体を高速で右方向へ捻りながら、相手を後頭部から背中にかけてマットに叩きつける。技名の由来は、見た目通り「ツイスト」した後に「シャウト=叫ぶ」ことからとっている[53]
ジャーマン・スープレックス
若手時代からよく使用している技の一つ。現在もよく使用する。棚橋の出身地である岐阜県に引っ掛けて「金華山ジャーマン」とも呼ばれていた。
ダルマ式ジャーマン・スープレックス
通常のジャーマン・スープレックスとは異なり、クラッチ時に相手の両腕を取り、後方に投げる。両腕がロックされているため受身が取れなく、頭から突き刺さるしか無い危険な技。棚橋は基本的にフルネルソンの状態から相手が強引に解除した時に即座に両腕をとってから仕掛ける。また、ドラゴンスープレックスよりも使用頻度が多く、フィニッシュ技になった事もある。
トゥエルブ・シックス
ブレーンバスターではなく、キャプチュードの体勢で相手を抱え、ファルコンアロー(もしくはみちのくドライバーII)のように首から背中に掛けて相手を落とす。ハイフライフローへの繋ぎとしてよく使用される。2011年12月テレビ番組の企画にて命名(重盛さと美の案を採用。「12時から6時の方向へ急激に落とす」の意)。命名以前は垂直落下式ファルコンアローと呼ばれていた。
スタイルズクラッシュ
2013年8月のG1から使用。パイルドライバーの体勢から相手の左肩と右肩に脚をかけてロックし、そのまま前方に倒れこんで顔面を打ち付けるフェイス・バスターAJスタイルズの同名同系の技。AJはそのままエビ固めの体勢で押さえ込むのに対し、棚橋の場合は押さえ込まずにハイフライフローを仕掛ける繋ぎ技として用いるパターンが多い。AJの新日本参戦以後使用されなくなったが、2015年のG1公式戦でAJと対戦した際には、掟破りという形で披露された。
オールアウト
相手をブロックバスターの要領で抱えあげたあと上半身を右方向に軽く捻り、上半身を左方向へと振ると同時に股を抱えていた右腕を離す。そのあと抱えた首を支点にして相手の体を振り子のように左方向へと旋回させ、ロック・ボトムの形で相手をマットに叩きつける。
裏投げ
側面から相手の脇下へ頭を潜り込ませるようにして組み付き、片腕で首の付け根あたりを、もう片方の腕で腰を抱え、後方に体を捻りながら投げる技である。元々は柔道の投げ技の一つである。「馳浩のイメージから、2番手の選手の技である印象がある」とのことから現在は使用していない。
ハーフハッチスープレックス
フロントヘッドロックの体勢で相手を捕らえ、空いた方の腕を相手の脇下を通した状態で、後方に反り投げる。若手時代によく用いられていたが、最近ではほとんど見られない。

関節技[編集]

テキサスクローバーホールド
2007年のIWGPヘビー級選手権試合の後藤戦でフィニッシュ・ホールドとして使用、その後AJスタイルズ戦でも使用し、頻度が増えている関節技。決して派手ではない部類の技ながら、説得力のある角度でフィニッシュ・ムーブのひとつに昇華しつつあり、2011年における矢野とのIWGP戦でもタップを奪っている。また、2014年1月4日の中邑戦にてスタイルズ・クラッシュとの複合技を披露してる。
ドラゴン・スリーパー
この体勢からの移行する技や、ドラゴン・スリーパー自体の変形バージョンも色々開発している。
足4の字固め
この技も武藤敬司とのIWGP戦以降、足殺しの一環として、時折使用している。

飛び技[編集]

ダイビング・サンセット・フリップ
相手にボディスラム等を繰り出してマットへ寝かせた後、セカンドロープに乗り、前方宙返りをしてセントーンを繰り出す。実況では「ローリングセントーン」と言われる事もある。セカンドロープへ上がる際に両腕を上げて胸を張る仕草をして、観客からの歓声を煽る。
ドラゴン・ロケット
リング上からリング場外にいる相手に向かって助走し、頭部や肩口などの正面から突っ込んで体当たりする技。藤波がこの技を使用する際にドラゴン殺法の一環として「ドラゴン・ロケット」と呼ばれていた。棚橋も藤波への尊敬からその名称で使用している。下記の捨て身式トペコンヒーロを使うようになってからは使用しなくなった。
トペ・コン・ヒーロ
場外に落下した相手に向かってエプロン上で助走をつけ、ジャンプした直後に前宙して体当たりする技。試合序盤に戦況を変える技として使用するが、助走をつける間に相手が復帰して回避することがあり、背中を打って自爆することもある。
スカイツイスタープレス
デビューしてから2、3年の間だけ使用していた非常に難易度の高い空中技。その後は封印していたが、2004年マスクド・デビロックに変身する際には、この技を解禁すると示唆したが実際は使用していない。

丸め込み技[編集]

棚橋はここぞという場面でスクールボーイやスモールパッケージホールドなど基本的な丸め込み技を使用するが、自身の著書で『一時期丸め込みを使いすぎた時期があり、ブーイングの元凶となった』と記している。それとは対照的に『丸め込みの3カウントを狙い続けたことは今でもいい経験だと思う』とも記している。

電光石火
ランニングしての首固め。現在はなかなか使用することがないが、時折、相手の打撃攻撃に合わせて仕掛けることがある。
フォールインラブ
いわゆる高角度前方回転エビ固め。主に大型選手へのフィニッシュとなりやすい技である。この名称がつく前には高山からフォールを奪っている(2004年2月のIWGP暫定王座決定トーナメント)。
スリングブレイドル
スリング・ブレイドからすばやく回転十字固めを決める技。
サムソン・クラッチ
前方回転エビ固め
2008年のNJC決勝戦、対ジャイアント・バーナード戦でフィニッシュ技になっている。

合体技[編集]

マイケル・エルガン
ハイフライフロー・フロム・エルガン・パート1 
エルガンが棚橋をリフトアップスラムで投げ、そのまま棚橋が場外の相手にハイフライフローを敢行する。
ハイフライフロー・フロム・エルガン・パート2 
エルガンが棚橋を持ちあげ振り子のように反動をつけてハイフライフローの形で相手に叩きつける。
田口隆祐中西学
日本三景型オーマイ&ガーアンクル
田口がオーマイ&ガーアンクル、中西がアルゼンチン・バックブリーカー、棚橋がテキサスクローバーホールドをそれぞれ決める3人による関節技。

タイトル履歴[編集]

新日本プロレス
2012年、大阪府立体育会館にてIWGPヘビー級王座を腰に巻く棚橋
2011年
通算最多防衛記録、連続防衛記録、最多戴冠記録保持者。
パートナーは吉江豊中邑真輔
パートナーはマイケル・エルガン & ヨシタツ中西学 & 田口隆祐
プロレスリング・ノア
パートナーは永田裕志
CMLL
パートナーは獣神サンダー・ライガー
パートナーはタイチ & OKUMURA
  • カンペオン・ウニベルサル 優勝 : 1回(2013年)
プロレス大賞
  • 2003年度プロレス大賞 敢闘賞
  • 2006年度プロレス大賞 敢闘賞
  • 2007年度プロレス大賞 殊勲賞
  • 2009年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2011年度プロレス大賞 最優秀選手賞
  • 2012年度プロレス大賞 年間最高試合賞(6月16日大阪府立体育会館、IWGPヘビー級選手権試合、オカダ・カズチカ vs 棚橋弘至)
  • 2014年度プロレス大賞 最優秀選手賞

入場テーマ曲[編集]

曲名 作曲者 備考
STRANGE N.J.P. UNIT デビュー当時に使用。[CD:WBSS-8000]
DO IT MYSELF SUPER STUPID 2004年12月まで使用。大学生時代に京都の古着屋で同曲が流れていて、プロレスラーになったら「この曲で入場する」と、入場曲として使用した経緯を後に語っている[54]。下記HIGH ENERGYに入場曲を変更して以降、新日本とは別ブランドとなるWRESTLE LANDで使用されている。[CD:SRCL-3692]
HIGH ENERGY 作曲:JULIA CLARIS 編曲:棚橋弘至、NJPW SOUNDS 2005年1月 - 2016年12月まで使用。[CD:KICS-1854~6]
LOVE&ENERGY 北村陽之介 2017年1月 - 現在まで使用。[未CD化]

決め台詞[編集]

  • 「○○の、皆さん、愛してま〜す」
勝利を収めた試合の締めで発言する台詞。○○には会場・大会の開催地名が入る。(イベントの締めに言うことも多い)。
大日本プロレスアブドーラ小林が非公認でこの台詞を使用していたが、後にサムライTVの放送番組内で行われた対談にて棚橋本人により、公認された。
角田龍平のオールナイトニッポンにてジングルのドナリに上記の肉声を使用している。
マイク無しで行うサイレントバージョンも存在していたが、現在ではあまり見られない。
  • 「100年に1人の逸材、棚橋弘至です!」
自己紹介の際に使用。
元ネタは仮面ライダーキバ紅音也が発した台詞「100年に一度の天才」から。
  • 「まぁ、俺のカッコ良さは反則だけど」
以前、反則攻撃を受けた試合の後のインタビューにて、反則行為を行った相手に向かって文句を言った後の捨て台詞。
  • 「お前の罪を数えろ!」
元ネタは仮面ライダーWの台詞[55]。特に矢野との抗争時に多用し、煽りPVでは矢野が「テメェで数えろ!」と言い返す、という編集が行われている。
  • 「○○にキター!!」
仮面ライダーフォーゼのセリフが元ネタ(○○には地名などが入る)。
  • 「俺、生まれてから一回も疲れたこと無いから」
主にハードだった試合後に使用することが多い。
  • 「IWGPは遠いぞ」
2012年レッスルキングダムVIにて、IWGPヘビー級王座防衛後に挑戦を表明してきたオカダ・カズチカに向かって放った台詞。
後にオカダからIWGP王座を奪われ、同王座に挑戦を表明したとき、オカダから逆にこの台詞を吐かれた[56]

また、セリフではないが代表的なものとして

  • 逸材ポーズ
リングインした後のリングアナウンサーのコールに合わせて、右手の親指と人差し指を突き出し、天をかざすポーズ。
このポーズは仮面ライダーカブトのオマージュであると公言している。
入場時には入場曲にあわせて、試合終了後には仮面ライダー響鬼の挿入曲である雷電激震に合わせてパフォーマンスを行う。
2014年の東京ドーム大会から新たにHIGH ENERGYバージョンを披露した。

出演[編集]

TVドラマ[編集]

TVバラエティ[編集]

ミュージックビデオ[編集]

映画[編集]

劇場アニメ[編集]

ラジオ[編集]

  • 棚橋 弘至のカウント2.99(2016年2月6日、ABCラジオ)[61]

CM[編集]

DVD[編集]

  • 棚橋弘至のハイエナジー エクササイズ HIGH ENERGY EXERCISES For men ~手に入れろ! 魅せBODY ★1日10分7日間肉体改造計画~(TCエンタテインメント、2014/03/12発売)
  • 棚橋弘至のハイエナジー エクササイズ HIGH ENERGY EXERCISES For women ~目指せ! 美BODY 誰でも簡単速攻ダイエット★1日10分7日間プログラム(TCエンタテインメント、2014/03/12発売)
  • 「太腕世直し繁盛記~大江戸プロレスラー計画」(テレビ朝日・ビデオ・パック・ニッポン、2014/07/18発売) - 若旦那 / 太腕仮面役(主演)

ほかにもタレント活動を行っており、秘密のケンミンSHOWに岐阜代表として出演したことがある。

連載[編集]

著書[編集]

  • 『オレはプロレスラー―みなさん!愛してまーす!!』(カンゼン、2007年8月1日発売)ISBN 978-4-8625-5003-3
  • 『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(1)HIGH』(ベースボール・マガジン社、2009年10月1日発売)※前述の「ドラゴンノート」連載vol.1~vol.63収録。
  • 『棚橋弘至デビュー10周年記念BOOK(2)FLY』(ベースボール・マガジン社、2009年11月2日発売)※「ドラゴンノート」vol.63~vol.119まで収録。
  • 『棚橋弘至の100年に1人の逸材BODYのつくりかた』(ベースボール・マガジン社、2012年3月14日発売)ISBN 978-4-5831-0425-6
  • 『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』(飛鳥新社、2014年4月23日発売)ISBN 978-4-8641-0311-4
  • 『棚橋弘至の100年に1人の逸材★BODYのつくりかたビギナーズ!』(ベースボールマガジン社、2014年6月7日発売)ISBN 978-4-5831-0690-8
  • 『全力で生きる技術』(飛鳥新社、2015年8月25日発売)ISBN 978-4-8641-0425-8

受賞歴[編集]

日本メンズファッション協会

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ King Of The Hillsは英語で「お山の大将」の意である。
  2. ^ 学生プロレス出身者のIWGPヘビー級王座戴冠は史上初である。
  3. ^ 史上初は2010年に優勝した獣神サンダー・ライガー
  4. ^ ただし前述の東京スポーツの対談においては、学生時代のリングネームとされている「ターナー・ザ・インサート」と棚橋が同一人物かどうかについては明言を避けている。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 選手名鑑”. 新日本プロレス公式サイト. 2016年11月10日閲覧。
  2. ^ “ミスター東京D”棚橋IWGP初防衛”. デイリースポーツ online. 2015年1月5日閲覧。
  3. ^ a b 『週刊プロレス』2016年12月6日号増刊、プロレスラー写真名鑑号 2017、頁4。
  4. ^ あのプロレスラーの親せき 棚橋が新弟子検査”. スポニチ Sponichi Annex. 2010年3月7日閲覧。
  5. ^ a b 棚橋2014、28頁。
  6. ^ a b 棚橋2014、29頁。
  7. ^ 棚橋選手が結婚を発表”. 新日本プロレス公式サイト. 2007年10月9日閲覧。
  8. ^ レッスルキングダムII in 東京ドーム – 東京・東京ドーム – 第10試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年1月4日閲覧。
  9. ^ 棚橋が武藤との“夢の競演”で王道コンビに快勝! そして“春の祭典”への出撃を宣言!!/3月1日全日本両国大会試合結果”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月2日閲覧。
  10. ^ NEW DIMENSION – 東京・後楽園ホール NEW DIMENSION – 第7試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年3月30日閲覧。
  11. ^ 棚橋が小島に2年越しリベンジを果たし、優勝決定戦進出!/4月9日全日本プロレス後楽園大会試合結果(1)”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月10日閲覧。
  12. ^ 優勝決定戦は「棚橋vs諏訪魔」!その結末はいかに!?/4月9日全日本プロレス後楽園大会試合結果(2)”. 新日本プロレス公式サイト. 2008年4月10日閲覧。
  13. ^ フィールズPresents レッスルキングダムIII in 東京ドーム – 東京・東京ドーム – 第10試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年1月4日閲覧。
  14. ^ Circuit2009 NEW JAPAN ISM – 東京・両国国技館 – 第9試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年2月15日閲覧。
  15. ^ Resolution ’09 – 東京・両国国技館 – 第10試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年4月5日閲覧。
  16. ^ レスリングどんたく 2009 – 福岡・福岡国際センター – 第8試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年5月3日閲覧。
  17. ^ Dissidence – 東京・後楽園ホール – 第7試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年5月6日閲覧。
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  21. ^ フィールズ Presents G1 CLIMAX 2009 〜New Lords,New Laws〜 – 愛知・愛知県体育館 – 第8試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年8月13日閲覧。
  22. ^ フィールズ Presents G1 CLIMAX 2009 〜New Lords,New Laws〜 – 東京・両国国技館 – 第4試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年8月16日閲覧。
  23. ^ 棚橋弘至選手欠場、IWGPヘビー級王座返上のお知らせ”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年8月17日閲覧。
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  33. ^ NEW DIMENSION〜Pray,Hope,Power〜 – 東京・後楽園ホール – 第7試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年4月3日閲覧。
  34. ^ レスリングどんたく 2011 – 福岡・福岡国際センター – 第10試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年5月3日閲覧。
  35. ^ NJPW INVASION TOUR 2011 〜ATTACK ON EAST COAST〜 – ニューヨーク州バスケットボールシティ・ニューヨーク – 第8試合”. 新日本プロレス公式サイト. 2011年5月14日閲覧。
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  38. ^ 棚橋2014、17頁。
  39. ^ 「タナハシは間違いなく“日本版のショーン・マイケルズ”だ」 アングル、王者を絶賛した上でIWGP獲りをアピール/4月5日両国大会 前日記者会見”. 新日本プロレス公式サイト. 2009年4月4日閲覧。
  40. ^ 棚橋2014、44頁。
  41. ^ 高寺成紀 S.Takatera ‏@taka_69s 8月4日 23:59 のツイートより
  42. ^ 高寺成紀 S.Takatera ‏@taka_69s 8月5日 12:25 のツイート
  43. ^ 高寺成紀 S.Takatera ‏@taka_69s 8月5日 12:30のツイート
  44. ^ コラム・アルティメットロワイヤル 新日本プロレス公式サイト 2009年4月16日 2016年8月6日閲覧
  45. ^ “仮面ライダー芸人”レスラー・棚橋弘至も「知らなかったぁー!」 『クウガ』には“レスラークウガ”の案があった! おたぽる 2016年8月5日 2016年8月6日閲覧
  46. ^ 棚橋2014、225頁。
  47. ^ 夏休み特別企画 棚橋弘至×プロレス部② ぶかつのじかん
  48. ^ 棚橋2014、103頁。
  49. ^ 棚橋2014、102頁。
  50. ^ 棚橋2014、100頁。
  51. ^ 参考文献『週刊プロレス』2011年10月5日号 pp6,
  52. ^ 棚橋2014、81頁。
  53. ^ 『週刊プロレス』2016年1月6日&13日合併号、21世紀の技解説、頁37。
  54. ^ 棚橋弘至も「胸熱!!」なバンド復活、「この曲で入場する!」かつての入場曲への思いを綴る”. 耳マン. 2015年11月19日閲覧。
  55. ^ 燃えろ!新日本プロレス Vol.51 棚橋弘至 仮面ライダーを語るより。
  56. ^ 棚橋が次期挑戦者に名乗り!しかし、王者・オカダが「IWGPは遠いぞ!」と“逆”警告!”. 新日本プロレス公式サイト. 2012年5月3日閲覧。
  57. ^ 棚橋選手がテレビ朝日「モップガール」に出演!”. 新日本プロレスリング (2007年11月8日). 2014年5月3日閲覧。
  58. ^ 棚【金曜8時のドラマ】石川五右衛門:テレビ東京”. テレビ東京 (2016年7月17日). 2016年7月17日閲覧。
  59. ^ 仮面ライダーV3とIWGP王者・棚橋弘至が強力タッグ! 仮面ライダーGIRLS新曲”. マイナビ. 2012年4月30日閲覧。
  60. ^ 「映画ドラえもん」最新作スペシャル応援団に棚橋&真壁が参戦!小島よしおとエヴァちゃんも”. 映画.com (2015年10月21日). 2015年10月21日閲覧。
  61. ^ 【2.11大阪大会プロモーション】2月6日(土)18時~ABCラジオにて『棚橋 弘至のカウント2.99』が放送!逸材がメインパーソナリティーを担当!!”. 新日本プロレスリング (2016年2月5日). 2016年2月6日閲覧。
  62. ^ 中京地区限定!4月23日(土)~中京地区TV CM「ボートピア名古屋」に、棚橋弘至&真壁刀義&本間朋晃の3選手が出演!!”. 新日本プロレスリング. 2016年5月5日閲覧。
  63. ^ ユージ、28歳でベスト・ファーザー賞 息子の手紙に「感動」”. ORICON STYLE (2016年6月8日). 2016年6月9日閲覧。
  64. ^ a b 棚橋弘至が“第35回 ベスト・ファーザー イエローリボン賞”&“第8回 ベスト・ネクタイスト賞”をダブル受賞!!”. 新日本プロレスリング (2016年6月8日). 2016年6月8日閲覧。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 棚橋弘至 『棚橋弘至はなぜ新日本プロレスを変えることができたのか』 飛鳥新社2014年。ISBN 978-4-8641-0311-4。