横浜市電

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保存館に眠る横浜市電車両(2009年6月2日撮影)

横浜市電(よこはましでん)、横浜市営電車(よこはましえいでんしゃ)は、横浜市が経営していた軌道路面電車)である。

概要[編集]

横浜市中心部(概ね1927年以前の市域)を主として運行していた。車両は単車が比較的後年まで多く使用され、塗色も青を基調としたものが採用されていた(上半分クリーム・下半分青、上下青・窓回りクリーム等、最末期は黄色に青帯)。運転系統は循環系統が多く、特徴の一つとされていた。前身の横浜電気鉄道以外には買収路線が無い。ワンマン運転化は遅れ、全廃一年前に漸くすべてワンマン運転となった。

戦後、市街地が急拡大し、また交通量も増加。輸送力や路線網、渋滞の原因となった路線敷等あらゆる意味で市電は中途半端な存在となり、根岸線の開通や交通局の財政悪化も繋がって全線廃止への一途を辿った。

市電廃止後、7両の市電車両(523・1007・1104・1311・1510・1601・電動貨車10)が横浜市電保存館にて保存されている。また、久良岐公園に1両(1156)[1]、中田小学校に1両(1508)、野毛山動物園にも休憩スペースとして1両(1518)が静態保存されているほか、軌道に敷設されていた御影石3000枚が神奈川大学横浜キャンパスに移され、1号館前の東屋に敷かれている[2]。ほかに神奈川県警交通安全センターに1両(1505)が現存しているようだが、かなり荒れ果てている模様。東京都電大阪市電などの車両が大量に他の路線に譲渡されたのに対し、横浜市電から他の事業者に譲渡された車両はない。

長崎源之助村上勉による絵本『はしれ ぼくらのしでんたち』(偕成社、1974年)では廃止後に車両が魚礁となる描写があるが、2017年の調査では魚礁化の構想はあったものの事実は確認できなかったとされている[3]。また、廃止時には横浜市民という条件をつけて37両が民間供出され、この絵本にもその模様が描かれた。モデルとなった車両について、2017年現在現存するものはないが、供出車両として登場する6両中3両については実際の譲渡内容を踏まえたものであったことが確認されている(車番や用途については脚色あり)[4]。このうち、緑区の後谷公園に設置された1504号はのちに図書館となり、1986年の解体後に後を継いだ自治会館にも「しでん文庫」の名称が残されるとともに、車輪を設置した記念碑が建てられている[4]

日活映画『夜霧よ今夜も有難う』では石原裕次郎浅丘ルリ子が市電で移動する場面が見られる。

沿革[編集]

関東大震災(横浜市街の様子)

路線[編集]

最盛期の路線[編集]

上大岡への延伸の準備がなされていたが、延伸は実現しなかった[6]
  • 六角橋線 六角橋 - 東白楽 - 東神奈川駅西口 - 青木橋 - 青木通間
  • 浅間町線 青木橋 - 横浜駅西口(鶴屋町三丁目) - 浅間下 - 浅間町車庫前 - 洪福寺前間
  • 尾張屋橋線 洪福寺前 - 浜松町間
  • 保土ケ谷線 高島町 - 西平沼橋 - 浜松町 - 水道道 - 保土ヶ谷駅 - 保土ケ谷橋間
  • 井土ケ谷線 保土ケ谷橋 - 井土ヶ谷駅前 - 通町一丁目間
  • 平沼線 高島町 - 平沼橋 - 浅間下間
  • 久保山線 浜松町 - 初音町 - 阪東橋 - 浦舟町間
  • 長者町線 西平沼橋 - 日の出町一丁目 - 伊勢佐木町 - 長者町五丁目 - 長者町三丁目 - 長者町一丁目 - 山元町間

付け替えられた路線[編集]

以下の路線は街路整備等に伴い、昭和初期に移設されたものである。

  • 神奈川線 神奈川 - 高島町一丁目(現在の横浜アンパンマンこどもミュージアム前付近) - 花咲橋間、高島町一丁目 - 入舟町(現在の横浜ランドマークタワー前付近) - 大江橋(桜木町駅前)間
  • 羽衣町線 馬車道 - 吉田橋 - 羽衣町間、足曳町(曙町) - (武蔵橋) - 日本橋 - 駿河橋(吉野町一丁目)間
  • 本牧線 馬車道 - 住吉町四丁目(関内ホール前) - (入船通) - 住吉町一丁目(相生町南側)間(本牧方面への単線)
  • 税関線 尾上町一丁目(市庁前) - 住吉町一丁目 - 日本大通県庁前 - 税関前 - 大桟橋 - 山下町(日本大通県庁前東側)間
  • 久保山線 霞町(霞ケ丘南側) - (栄橋)- 日本橋間
  • 磯子線 駿河橋 - 千歳橋 - 中村橋間

その他[編集]

系統[編集]

  • 1系統 六角橋→保土ヶ谷→弘明寺→尾上町→六角橋(循環運転)
  • 2系統 生麦 - 本牧一丁目
  • 3系統 生麦 - 横浜駅東口 - 長者町五丁目 - 山元町
  • 4系統 保土ヶ谷橋 - 麦田町 - 本牧一丁目
  • 5系統 洪福寺 - 麦田町 - 間門
  • 6系統 葦名橋 - 日ノ出町 - 桜木町 - 8系統(循環運転)
  • 7系統 中央市場 - 八幡橋
  • 8系統 6系統 - 桜木町 - 日本大通 - 杉田(循環運転)
  • 9系統 六角橋 - 浦舟町
  • 10系統 桜木町 - 弘明寺
  • 11系統 六角橋 - 葦名橋
  • 12系統 六角橋→尾上町→弘明寺→保土ヶ谷→六角橋(循環運転)
  • 13系統 桜木町 - 阪東橋 - 杉田

その他

  • 16系統 屏風ヶ浦 - 葦名橋 - 日ノ出町 - 桜木町 - 18系統(6系統の子系統、平日朝夕)
  • 18系統 16系統 - 桜木町 - 日本大通 - 葦名橋 - 屏風ヶ浦(8系統の子系統、平日朝夕)
  • 23系統 26系統 - 桜木町 - 阪東橋 - 葦名橋(13系統の子系統、日曜祝日)
  • 26系統 葦名橋 - 日ノ出町 - 桜木町 - 23系統(6系統の子系統、日曜祝日)
  • 鶴見線 生麦 - 鶴見
  • 補充車 車庫の出入りや臨時(系統板に「補」と書かれていた)
    • 補充車の表示には、系統番号の代わりに「補」1文字を書いたものが主に使われたが、系統番号の下に「補」の文字の入ったものも使われた。また、麦田車庫廃止後は、山元町から滝頭車庫へ戻す3系統専用車の1300型に、「補」ではなく、「滝頭行き」と書かれた系統板が使用されていた。反対に滝頭から3系統に入る車両には「長者町1丁目行き」の系統板が使われていた。

車両[編集]

戦後に在籍していた車両

  • 200型 200-228 24両 市電のオープンデッキ車両で唯一戦後まで在籍していた。210-214は昭和7-12年に局工場で改造され224-228となった。そのため車番は228号まであるが24両しかない。この電車はオープンデッキなので納涼電車にも使われた。空襲では奇跡的に一つも被害を出さなかった。晩年は201号が魚運搬や職用車として使われ、その他3両が花電車として使用された。1947年(昭和22年)に改造名義で廃車[7]
  • 300型 300-380号 81両 1924年(大正13年)から81両が作られた。製造の翌年20両が400型(後述)に改造され61両になったが、その後500型(後述)と共に戦前の主力車両として活躍した。364号までが木造・365号から半鋼製の、珍しい車両だった。1952年(昭和27年)全車廃車。[7]
  • 400型 400- 431号 32両 ダブルルーフ屋根が特徴的な車両。420号からは地元の横浜船渠製。戦災で6両焼失。残った車両の番号を詰めて401-426号とした。残りは貨車に改造された。1966年(昭和41年)形式消滅。
  • 500型 500-559号 60両 横浜市電を代表する大型単車。1928年(昭和3年)に、東京瓦斯電気・蒲田車両・雨宮製作所で20両ずつ作られた。高馬力なため、1300型と一緒に3系統で運用されることが多かった。現在523号が市電保存館で静態保存されている。
  • 600型 戦時中の空襲で焼失した500型を復旧した車両。窓の形状が二段式となっているのが特徴。生麦線で運用されることが多かった。[7]
  • 700型 戦前に200型と貨車を改造して作られた。昭和26・27年に400型の台車を付けてエアブレーキになった。1967年(昭和42年)廃車。[7]
  • 800型 戦後の混乱期に200型、300型、成田鉄道の改造名義で作られた市電最後の単車。シートはベンチシートでつり革は代用品などの粗末な作りだった。[7]
  • 1000型 1928年(昭和3年)に市電初のボギー車として登場した車両。この車両は馬力が小さいため、主に10系統や6、8系統などの平坦な路線を中心に運用された。中央扉は1枚戸の時と2枚戸の時があった。1970年(昭和45年)廃車。[7]
  • 1100型 戦前はクロスシートが設置されていたため、「ロマンスカー」の愛称があった。(配置は片側クロスで片側ロング)しかし戦時中に撤去され座席数が半減した。1936年(昭和11年)製。全廃まで使用。[7]
  • 1200型 1940年(昭和15年)の紀元2600年を記念して登場した3扉ボギー車。登場時は2600型と名乗っていたが、戦後に1200型に改称された。末期に一部が更新工事を受けた際、中扉の窓がやや細くなり、窓枠には黒ゴムが入っていた。
  • 1300型 車掌が乗務していた最後の車両。登場時は3000型と名乗っていた。最大30両が在籍し、行き先表示が大きいものと小さいもの。運転手側のドアが自動ドアのものと手動のものなど微妙に仕様の違うものが存在した。ほぼ全路線で使用されていたが、500型と同様高馬力なため、坂道の多い3系統、7系統で使用されることが多く、特に本牧線廃止以降は1300型は3系統専用車両となったため、全廃の1年前3系統の廃止に伴い廃車となった。このため、3系統廃止時には、通常1500型で製作されていた装飾電車が1300型(1301号・1303号)で製作された。
  • 1400型 戦後から初めて製造されたボギー車。ヘッダーとシルのない流線型の車体が特徴。横浜市電のボギー車の中で唯一、保存されたことがない形式。
  • 1150型 外観は1500型に類似。ただし性能は旧型車と同一。1952 - 59年製。東武日光軌道線100形にも似ている。全廃まで使用。
  • 1500型 戦後各都市で製造されたPCCカーの一種だが、駆動装置は吊り掛け駆動方式である。1951年(昭和26年)製。制御器は間接制御器を使用していたが、モータリゼーションの進行と1967年(昭和42年)のワンマン化に伴い、直接制御器へ取り替えるなどして逆に1150型と同一の性能となった。全廃時まで使用。
  • 1600型 戦後の混乱期に製造された800型単車を置き換えるために、交通局滝頭工場で6両製造された最後の新車。1957年(昭和32年)製。外観は大阪市電3001形の車体に、京都市電700形の4枚折戸を取り付けたような車体となっていて、軽快で近代的な印象を受ける。ただ横浜市電では前中式の乗降扉配置が車掌に嫌われたのか、ワンマン改造はされないまま1970年(昭和45年)の本牧線廃止を機に全車廃車された。
  • 無蓋貨車10 全廃時の花電車に使用された10号貨車は、現在市電保存館に保存されている車両の中で唯一、エアーブレーキでなく、ハンドブレーキを搭載している。関東大震災前は山手のキリンビール工場(生麦ではない)のビール輸送に使われていた。全盛期には何両か在籍し、みなと祭りなどの行事の際には花電車に使用されていた。保線作業の際などに使用されていた写真も残っている。また、有蓋貨車も在籍し、市場線からの荷物の輸送などに使われていたということで、写真も残っている。

特徴のあった区間[編集]

麦田町車庫跡の記念碑
  • 山手隧道 元町 - 麦田町間。全長276m。現在は本牧通りの南行自動車専用トンネル。このトンネルが市電専用トンネルになっていたため、前後の部分をあわせ、わずかではあるが、横浜市電唯一の専用軌道区間だった。
  • 鶴見線 第一京浜国道上に敷設。1944年8月10日軍部の命で建設され、1945年10月30日進駐軍の命で埋設された短命路線。その後道路幅等の問題で運転が再開されることはなかった。なお、鶴見終点の位置は実際は駅前でなく、現在の鶴見警察署前。
  • 山元町終点 市電廃止後も、代替バス103系統の山元町バス停(横浜駅方面)にその名残を残す。石川町方面から坂を上りきると、右折して終点。廃止時には3系統専用車両になっていた1300型なら2両が余裕を持って止められるスペースが確保されていた。また、発車する市電のために、黄色の矢印が点灯する専用信号機も設置されていた。定期券発売所兼乗務員休息所と、売店があり、屋根付のベンチ(待合所)には、石川町5丁目をでると接近表示がつくようになっており、独特の雰囲気を持っていた。

車庫[編集]

  • 生麦車庫 生麦電停前。生麦事件現場に近く、京浜急行電鉄生麦駅からは離れている。第一京浜国道(国道15号)沿い。
    1928年6月1日開設。1966年8月1日廃止。現在は横浜市営バス鶴見営業所
  • 浅間町車庫 浅間町車庫前電停前。環状1号線沿い。
    1927年12月20日開設。1969年に市電車庫としての使用は取りやめ。現在は横浜市営バス浅間町営業所
  • 麦田車庫 麦田町電停前。本牧通り・柏葉通り麦田交差点脇。
    1911年留置線完成。1928年3月3日車庫完成。1970年7月1日廃止。現在は老人福祉センターとテニスコート。
  • 滝頭車庫 滝頭電停前。国道16号沿い。車両工場を併設。交通局庁舎が設置されていたこともある市電の要所。
    1912年4月13日開設。1972年3月30日市電全廃と運命を共にしたが、残る市電を活用して横浜市電保存館が設けられた。現在は市電保存館および横浜市営バス滝頭営業所

脚注[編集]

  1. ^ 久良岐公園の横浜市電 4月19日に公開 - カナロコ 神奈川新聞、2015年3月23日
  2. ^ http://www.facebook.com/photo.php?fbid=331513630218122&set=a.317627621606723.72269.278693525500133&type=1
  3. ^ 紀あさ (2017年6月18日). “横浜市電が海に沈んだ?車両の魚礁か計画があったって本当!?”. はまれぽ.com. http://hamarepo.com/story_comment_list.php?page_no=0&story_id=6154 2017年6月24日閲覧。 
  4. ^ a b 紀あさ (2017年6月24日). “絶版の絵本に導かれ、横浜市電引退後の第二の人生に迫る!”. はまれぽ.com. http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=6170&from= 2017年6月24日閲覧。 
  5. ^ 出崎宏「横浜へ自力で走行していった京王1形 」『鉄道ピクトリアル』No.734
  6. ^ THE・再開発 1997年環境新聞社 ISBN 4905622336
  7. ^ a b c d e f g 『横浜市電が走った街 今昔 ハマの路面電車定点対比』 ISBN 4-533-03980-4

関連項目[編集]