死刑制度合憲判決事件

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最高裁判所判例
事件名 尊属殺、殺人、死体遺棄
事件番号 昭和22(れ)119
1948年(昭和23年)3月12日
判例集 刑集第2巻3号191頁
裁判要旨
  1. 死刑そのものは憲法第三六條にいわゆる「殘虐な刑罰」ではなく、したがつて刑法死刑の規定は憲法違反ではない。補充意見がある。
最高裁判所大法廷
裁判長 塚崎直義
陪席裁判官 長谷川太一郎島保ら10名
意見
多数意見 全員一致
意見 補充意見(島保、藤田八郎、岩松三郎、河村又介)、意見(井上登)
反対意見 なし
参照法条
憲法13・31・36条,刑法9・11条,刑事訴訟法360条2項
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死刑制度合憲判決事件(しけいせいどごうけんはんけつじけん)とは、日本において日本国憲法施行後に死刑制度の存在は憲法違反であるか否かが最高裁判所で争われた刑事裁判である。判決自体は死刑制度は合憲とされ上告棄却(死刑確定)になったが、この憲法解釈が現在も死刑制度存置の根拠とされている。

事件の概略[編集]

広島県在住の被告人(犯行時19歳の少年死刑囚)は、勤務先を解雇され無職であったため同居家族の母親(当時49歳)と妹(当時16歳)に日頃から邪魔者扱いされていた。

1946年(昭和21年)9月16日の晩、夕食に何も残してもらえなかったばかりか、床も敷いてもらえなかった。そのため空腹から眠れなかったために2人に殺意を抱き、頭をハンマーで殴打して殺害したうえに古井戸に遺体を遺棄した[1]。彼は刑法199条(殺人罪)および刑法200条(尊属殺人罪、平成7年改正で廃止)および死体遺棄罪起訴された。

下級審では、一審の広島地方裁判所では無期懲役であったが、広島高等裁判所で死刑判決を受けた。そのため最高裁に上告した弁護側が、その上告理由として「死刑は最も残虐な刑罰であるから、日本国憲法第36条によって禁じられている公務員による拷問や残虐刑の禁止に抵触している。そもそも『残虐な殺人』と『人道的な殺人』とが存在するというのであれば、かえって生命の尊厳を損ねる。時代に依存した相対的基準を導入して『残虐』を語るべきではない」と主張し、死刑の適用は違憲違法なものであるとした。そのため、死刑制度の憲法解釈が行われることになった。

最高裁判決[編集]

最高裁裁判官11人による大法廷は、1948年(昭和23年)3月12日に日本国憲法の主旨と死刑制度の存在は矛盾せず、合憲であると判決し上告を棄却して死刑判決が確定した(最(大)判昭和23年3月12日 刑集2巻3号191頁)

判決文では「生命は尊貴である。一人の生命は、全地球より重い。……憲法第十三条においては、すべて国民は個人として尊重せられ、生命に対する国民の権利については、立法その他の国政の上で最大の尊重必要とする旨を規定している。しかし、同時に……もし、公共の福祉という基本的原則に反する場合には、生命に対する国民の権利といえども立法上制限乃至剥奪されることを当然予想しているといわねばならぬ。そしてさらに憲法第三十一条によれば、国民個人の生命の尊貴といえども、法律の定める適理の手続によって、これを奪う刑罰を科せられることが、明らかに定められている。すなわち憲法は、現代多数の文化国家におけると同様に、刑罰として死刑の存置を想定し、これを是認したものと解すべきである。」として、「社会公共の福祉のために死刑制度の存続の必要性」は承認されているとした。

ついで残虐な刑罰との点については、「刑罰としての死刑そのものが、一般に直ちに同条にいわゆる残虐な刑罰に該当するとは考えられない。ただ死刑といえども、他の刑罰の場合におけると同様に、その執行の方法等がその時代と環境とにおいて人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、勿論これを残虐な刑罰といわねばならぬから、将来若し死刑について火あぶりはりつけさらし首釜ゆでの刑のごとき残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそは、まさに憲法第三十六条に違反するものというべきである。」としている。

これには島保ほか3名の裁判官の補充意見と、井上登裁判官の意見が付せられており、島裁判官らの補充意見は、「ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によつて定まる問題である。而して国民感情は、時代とともに変遷することを免かれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがつて、国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法第31条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることもあろう。しかし、今日はまだこのような時期に達したものとはいうことができない。」とする。

井上裁判官の意見は、島裁判官らの補充意見は「何と云つても死刑はいやなものに相違ない、一日も早くこんなものを必要としない時代が来ればいい」といったような思想ないし感情が基になっているのであろうと推察した上で、「この感情に於て私も決して人後に落ちるとは思はない、しかし憲法は絶対に死刑を許さぬ趣旨ではないと云う丈けで固より死刑の存置を命じて居るものでないことは勿論だから若し死刑を必要としない、若しくは国民全体の感情が死刑を忍び得ないと云う様な時が来れば国会は進んで死刑の条文を廃止するであろうし又条文は残つて居ても事実上裁判官が死刑を選択しないであろう、今でも誰れも好んで死刑を言渡すものはないのが実状だから。」とする。

いずれにしても、この最高裁判決が現在も死刑制度存置の根拠となっている。なお、この最高裁判決が出された後に11月12日に極東国際軍事裁判東條英機A級戦犯7名が死刑判決を受け、12月23日巣鴨プリズン絞首刑となっているため、当時日本を占領統治していたGHQがまさに日本の元戦争指導者達を死刑にしようとしていた手前、死刑制度を違憲とすることは出来なかったとの指摘もある[2]

脚注[編集]

  1. ^ 「明治・大正・昭和・平成 事件・犯罪大事典」、東京法経学院出版2002年、309頁
  2. ^ 団藤重光伊東乾『反骨のコツ』朝日新聞社 2007年

関連項目[編集]