津軽鉄道

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津軽鉄道株式会社
TSUGARU RAILWAY Co.,Ltd.
140914 Tsugaru Railway Goshogawara Aomori pref Japan01bs3.jpg
津軽鉄道本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
略称 津鉄
本社所在地 日本の旗 日本
037-0063
青森県五所川原市字大町39番地
設立 1928年(昭和3年)2月24日
業種 陸運業
事業内容 鉄道事業
代表者 代表取締役社長 澤田長二郎
資本金 7,338万7千円(2011年3月期)
売上高 1億2,884万7千円(2016年3月期)
純資産 3,587万5千円(2016年3月期)
総資産 2億1,007万4千円(2011年3月期)
決算期 3月31日
外部リンク http://tsutetsu.com/
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津軽鉄道株式会社(つがるてつどう)は、青森県津軽地方に鉄道路線を持つ鉄道事業者である。津鉄(つてつ)とも呼ばれる。本社所在地は五所川原市字大町39(津軽五所川原駅前)。地元農協や沿線住民が株主となっている。

営業キロ20.7kmの津軽鉄道線を経営する。また、増収策副業として弁当どら焼きポテトチップスなどの加工食品を販売している。1934年から1955年まではバス事業も営んでいた。五所川原市のタクシー会社「津鉄観光」は、津軽鉄道の子会社であったが、のちに資本関係を解消した。津鉄観光の本社は津軽鉄道本社社屋内にあったが、2007年12月に市内の同業他社である「相互タクシー」と統合し、新会社の五所川原交通に営業譲渡されている[1]

歴史[編集]

JR五能線の前身である川部駅 - 五所川原駅間の鉄道を運営していた陸奥鉄道が国に買収されたのち、買収によって陸奥鉄道設立時の出資額の倍の支払いを受けた株主たちが津軽における次なる鉄道として五所川原 - 中里間の鉄道を計画し、これを建設・運営するため設立された。1930年7月五所川原 - 中里間が開通したが昭和金融恐慌の影響もあり成績はおもわしくなかった。そのため乗合自動車業に進出することとして1934年金木自動車合資会社の路線を買収したのをはじめとして近隣の乗合自動車会社の路線の買収に乗り出し路線拡大につとめた[2]。やがて戦時体制がすすむと交通業の合同化が推進されることになり西北津軽郡の乗合自動車路線のほとんどを手にいれることになり、1943年度の収入の4割を乗合自動車の運賃収入が占めるようになった[3]

  • 1928年(昭和3年)2月24日 - 設立[4]
  • 1930年(昭和5年)7月15日 - 五所川原(現在の津軽五所川原) - 金木間が開業。
  • 1930年(昭和5年)11月13日 - 五所川原 - 中里(現在の津軽中里)間が全通。
  • 1934年(昭和9年)10月6日 - 金木自動車合資会社[5]保有の路線(金木-中里間)を買収し乗合自動車業を開始。
  • 1936年(昭和11年)4月 - 渋谷文男経営陸奥自動車商会[6]を買収[7]
  • 1955年(昭和30年) - バス事業を弘南バスに譲渡。

イベント列車[編集]

  • ストーブ列車 期間12月1日 - 3月31日
    • 2007年12月1日より、ストーブ列車維持を目的として「ストーブ列車料金」を新設。以後ストーブ車両に乗車するには運賃に加えてストーブ列車料金400円[8]が必要となる。一般利用者のために、ストーブ列車料金不要のディーゼル車両が津軽五所川原寄りに連結されるようになった。
    • 1999年から毎年8月の五所川原立佞武多の時期には「真夏のストーブ列車」も運行されている。
  • 芦野公園さくらまつり 期間4月29日 - 5月5日
  • 風鈴列車 期間7月1日 - 8月31日
  • 鈴虫列車 期間9月1日 - 10月中旬
  • これ以外でも、期間限定のイベント列車が運行される場合がある。

路線[編集]

詳細は以下の項目を参照。

車両[編集]

津軽21形などが在籍している。

現有車両[編集]

気動車[編集]

津軽21形
津軽21形気動車(21-101 〜 21-105)
1996年11月に津軽鉄道全通66周年の際、新潟鐵工所で21-101・102の2両が新造された。新潟鐵工所が製作したNDCの軽快気動車シリーズの18m級気動車。エンジンはDMF13HZ(330PS/2000rpm)を1基搭載している。愛称は「走れメロス号」(沿線出身の作家である太宰治の作品から)。その後、2000年2月に103 - 105の3両を増備し、現在は全部で5両在籍している。

機関車[編集]

ストーブ列車を牽引するDD35型機関車
DD35型(DD351・DD352)
1957年および1959年にそれぞれ新潟鉄工にて製造された。日本のディーゼル機関車としては初期の部類の車両。軸配置B-B。貴重なロッド駆動式機関車である。DD351号機は機械故障のため現在休車中である。

客車[編集]

オハフ33 1
オハフ33系(33 1)
1948年に新潟鉄工で製造された元国鉄オハフ33 520(末期は電気暖房装備で2520に改番)で津軽鉄道には1983年に譲渡されている。機関車に暖房用蒸気供給設備がないためダルマストーブを設置している。
オハ46系(46 2・46 3)
1954年および1955年にそれそれ製造された。オハ46 2が元オハ46 2612、オハ46 3が元オハ46 2662で津軽鉄道には1983年に譲渡されている。ダルマストーブを設置しているのはオハフ33と同様である。
ナハフ1203
ナハフ1200形(1202、1203)
1928年に川崎造船所で製造された元西武鉄道151系である。1965年7月に譲渡された1157・1155・1158の3両を、運転台撤去の上でロングシートのまま客車化している。暖房はダルマストーブではなくウェバスト式暖房装置を設置している。主に気動車に牽引されていたが、輸送量の減少で使用頻度が減り、1995年に1201が廃車され、以降、津軽五所川原駅で倉庫として使用されている。2016年現在は1202・1203が保留車となっている。

貨車[編集]

タム501
キ101
タム500形(501)
元国鉄タム2848で、1956年に製造された。国鉄時代では日本石油輸送(JOT)私有であり、沼垂駅常備からはじまり後年は中島埠頭駅常備であった。津軽五所川原駅構内にある車庫付近の道路が整備されていなかったため、それまでは使用する燃料を国鉄より貨車輸送していたが、五能線の貨物輸送が廃止されたことから津軽飯詰駅より社線内輸送するために1984年に購入している。現在は道路も整備されたために稼動していないが、2010年8月に全般検査を受け、塗装も塗りなおされて状態は良い。
キ100形(101)
元国鉄キ120で、1933年に鉄道省大宮工場で製造、1967年に譲渡された。現存する数少ない戦前製の雪かき車。2000年代には本線上の運転が不可能となり[9]、しばらく車籍の無いモーターカーで除雪をおこなっていたが、現在(詳細年次不明)は本線復帰しイベント用として運用されているほか、機関車や津軽21形の推進により本来の除雪用にも使っている。

過去の車両[編集]

機関車[編集]

DC20形(DC201・DC202)
1952年に新潟鐵工所にて新造されたディーゼル機関車。車体は箱型でDMH17形エンジンを1基備えるロッド駆動方式。DC202は1961年に、DC201は1964年に東野鉄道に譲渡された。

気動車[編集]

キハ2400形(2402・2403)
1950年10月に新潟鐵工所にて新造された半鋼製ボギー車。全長は16.2m、長さは3.75m、幅は2.74mであり、エンジンは、日野DA55A(115PS)を1基搭載し、台車はTR26である。当初は主力車として運用されたが、キハ24000形を導入した際、客車代用となり、2402は1971年に廃車、2403も1975年11月に廃車となり、形式消滅した。
なお、山鹿温泉鉄道がほぼ同時期に同メーカーで類似車両2両を製造しており、同線廃止後の1965年に新潟鐵工所経由で津軽鉄道が譲受する計画があった。新潟鐵工所大山工場で改造工事も進んでいたが、山鹿では長期にわたって放置されており、老朽化が進行していたせいか途中で工事放棄され、24000形の増備で代替されることになった模様である。
キハ24000形(24021 - 24024)
1962年 - 1967年にかけて新潟鐵工所にて新造された。国鉄キハ20形・21形に原設計の多くを負った類似系列であるが、一段上昇窓を備えることが特徴。津軽鉄道初の総括制御可能な液体式気動車である。全長は20.0m、エンジンはDMH17C(180PS)を1基搭載し、台車はDT22である。変速機は新潟コンバータDF115であったが、23、24の変速機は、振動を抑制するフライホイール追加型のDBF-115であった。1992年4月にワンマン運転が開始されると、朝夕のラッシュ時のみの運行となっていたが、津軽21形の新造にともない、24021・24024が1997年2月20日に、24022・24023が2000年3月31日をもって廃車となり、形式消滅した。
キハ24000形(24025・24026)
  • キハ11 31・32 → キハ24000 24025・24026
1975年に国鉄千葉気動車区より2両払い下げを受けた車両。寒冷地向けや、トイレ撤去などを新潟鐵工所で改造後、入線。主に2両固定で運用されていたが、キハ22形の入線にともない、1990年1月31日をもって廃車となり、形式消滅した。
キハ22027
キハ22形(22027・22028・22029)
1989年12月に東日本旅客鉄道(JR東日本)より譲受された車両。1992年4月に新潟鐵工所の出張工事でワンマン改造され、デッキ付近をロングシートとした。また、JR東日本から譲受された際、以下のとおり改番を受けている。
  • キハ22 156 → キハ22 22027
この車両は秋田内陸縦貫鉄道の開業時に同社に貸し出され、その後津軽鉄道に移籍してきた。すでに廃車となって、津軽五所川原駅に留置されている。
  • キハ22 169 → キハ22 22028
1997年にテレビ番組『SMAP×SMAP』の特別企画で、男性アイドルグループ・SMAP(スマップ)の香取慎吾と地元小学生が塗装したイラスト車両になった。その後、貫通ドアの塗装剥離や社紋の追記などの手直しがおこなわれたものの、ほぼそのままの塗装で「キャンバス号」として運行されていたが、津軽21形の導入にともない、2000年3月31日をもって廃車となった。金木駅に留置されたのち、現在は嘉瀬駅に留置されている。
  • キハ22 228 → キハ22 22029
この車両は、1999年夏まで車体腰板部分にイラストを描き「アート・トレイン」のヘッドマークをつけて運行されていた。2007年に廃車され、五所川原駅側線に留置された後、2009年7月に車体を2分割に解体の上搬出され、解体業者の所有地に保管されている。

客車[編集]

オハ31 3(1983年)

1929年に武蔵野鉄道より木製2軸客車を購入した。

ハ1形
  • ハ1-4 1914年大日本軌道製
  • ハ5-8 1900年天野工場製
  • ハ9-11 1897年新潟工場製
ハフ1形
  • ハフ1-4 1-3は1914年大日本軌道製4は1915年天野工場製

1954年に国鉄と弘前電気鉄道より木製ボギー客車(鉄道院基本形客車)を譲り受ける。

ホハ12000形(12001・12002)
元国鉄ホハ12068(1910年大宮工場製)・12074(1911年大宮工場製)
ナハフ14100形(14101)
元国鉄ナハフ14355(1911年汽車東京製)
ナハフ14100形(14102)
弘前電気鉄道サハフ301。その前が国鉄ナハフ14101(1910年大宮工場製 )
オハ31系
元国鉄オハ31で、1960年に津軽鉄道に3両が入線。オハ46が入線する1983年までストーブ列車で使用されていた。同年に廃車後、元国鉄オハ31 26のオハ31 1が青森県金木町芦野公園で保存されていたが、2007年10月から埼玉県さいたま市鉄道博物館で国鉄時代の姿に復元整備され展示されている。

貨車[編集]

ワム3(1977年)
トム1(1977年)
ワム1形
1929年、日本車輌製造製の木造有蓋車で、開業用として6両(ワム1 - 6)が製造された。車体は国鉄ワム1形に準じている。2012年現在、ワム5が現存している。
トム1形
1929年、日本車輌製造支店製の国鉄トム1形の同形車で、開業用として12両(トム1 - 12)が製造された。国鉄直通貨車としても使用され、番号に二重下線が引かれている。2011年4月現在も、3両が車籍を有している。
ユキ15形雪かき車(キ1)
1930年の開業時に製造されたラッセル式雪かき車日本車輌製造製の雪かき車としては唯一の存在。1968年に廃車。

サポーターズクラブ[編集]

2006年1月、津軽鉄道の存続を願う市民の気運を盛り上げる目的で、「津軽鉄道サポーターズクラブ」が発足した。イベント列車の紹介や企画の検討などを行い、全国の鉄道愛好者と連携して乗客増を図る。

その他[編集]

  • 津軽鉄道本社1階の旧津鉄観光車庫跡に2009年4月18日、コミュニティーカフェ「でる・そーれ」が開業した。なお、本社内にはNPO法人「津軽半島観光アテンダント推進協議会」が入っている。
  • 2009年4月27日、車掌とは別に車内で沿線の観光案内などを行うガイドの募集を開始し、採用者は、同年6月から「奥津軽トレインアテンダント」として乗務を開始した[10]。なお、雇用期間は2012年3月31日で終了し[11]、4月から彼女らは「津軽半島観光アテンダント」として引き続き乗務している[12][13]
  • 自社線内を発着する一日乗車券や特別企画乗車券については、「コロプラ☆乗り放題1日フリーきっぷ」(発売・利用とも2014年4月1日 - 2016年3月31日)[14]といった期間限定のものを発売したり、開業記念の企画で発行したり[15]することがある。ただし、通年発売の乗車券は無い。また、JR東日本で発売している「津軽フリーパス」は、津軽鉄道線津軽五所川原 - 金木間がフリーエリアに含まれている。

関連項目[編集]

  • 鉄道むすめ - 当鉄道に「芦野かな」というキャラクターが設定されている。なお、彼女の役職は『アテンダント』だが、実在する先述の「津軽半島観光アテンダント」とは関連は無い。

脚注[編集]

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  1. ^ 五所川原のタクシー2社 12月統合(東奥日報 2007年8月31日付け記事)
  2. ^ 1935年で路線16km4台保有『全国乗合自動車業者名簿 昭和10年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 『五所川原市史』第3巻、498-499頁
  4. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『五能鉄道沿線案内』昭和11年(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 2014年12月1日改定前は300円
  9. ^ 鉄道ファン2008年3月号より。
  10. ^ アテンダントがお出迎え/津鉄」東奥日報、2009年6月14日。
  11. ^ 奥津軽トレインアテンダント設置事業」青森県
  12. ^ 観光アテンダントに委嘱状交付」東奥日報、2012年4月3日。
  13. ^ 津軽鉄道「奥津軽トレインアテンダント」が衣替え」読売新聞、2012年3月20日。
  14. ^ 津軽鉄道株式会社 - コロプラ、2016年1月2日閲覧
  15. ^ 記念日には「マイ津鉄」事業(沿線以外の方へ) - 津軽鉄道、2015年12月15日

参考文献[編集]

  • 金沢二郎「津軽鉄道」『私鉄車両めぐり特輯 1』鉄道図書刊行会、1977年
  • 『五所川原市史』第3巻、1998年