浅香光代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
あさか みつよ
浅香 光代
本名 北岡 昭子
生年月日 (1928-02-20) 1928年2月20日(88歳)
出生地 日本の旗 日本, 東京都千代田区神田
民族 日本人
血液型 B型
ジャンル 女優
活動期間 1937年 -
配偶者 世志凡太(事実婚)

浅香 光代あさか みつよ、本名;北岡 昭子<きたおか しょうこ>、1928年2月20日[1] - )は、日本の剣劇女優東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)出身。身長163.5cm、体重55kg。血液型B型。愛称は「ミッチー」。内縁の夫は世志凡太(未入籍)。

来歴・人物[編集]

東京府東京市神田区(現:東京都千代田区神田)出身。身長163.5cm、体重55kg。愛称は「ミッチー」。内縁のは、コメディアン世志凡太だが「入籍」はしていないことを公表している。

女剣劇界の中心人物とされ、戦前の剣劇芝居では不二洋子大江美智子らが看板役を務め演出する「女剣劇」は1936年(昭和11年)頃からブーム化するほど人気を博し、劇中、太ももなどの素肌をちらりと見せ色気を醸し出すシーンを作り、後年に「チラリズム」と称される概念を生み出した。戦後舞台演劇や演芸が以前の勢いを取り戻すなか女剣劇人気も復活し、若手の一人だった浅香はやがて新らたな女剣劇スターとして大人気となった。若くして座長として独立し演出方法や演技指導を周囲の協力で身に付け、浅香の一座は浅草新宿などの芝居小屋で専属など長期興行を張る中堅へ成長し一座にはのちてんぷくトリオで有名になる戸塚睦夫三波伸介などが在籍[2]、その幕間には玉川良一らが繋いだ。

自身の殺陣に絶対の自信を持ち、番組企画等でお笑いタレント等に殺陣や演技指導するという企画に参加することがある。

野村沙知代に剣劇を教え舞台で共演したものの、TBSラジオ大沢悠里のゆうゆうワイド』の降板前最後の回(1999年3月31日)において、沙知代を批判をしたことがきっかけとなり、沙知代の逮捕2001年12月)まで続くサッチー騒動へと発展。ただ連日に渡り「ミッチーVSサッチー」と民放各局のワイドショーで取り上げられたことにより、浅香のこれまでの高年齢者にシフトしていた知名度が若い世代でも認知されるようになったが、2004年、沙知代に対する名誉毀損で110万円の支払い命令を受けている。

プロ野球読売ジャイアンツの大ファンである。また、沙知代の夫である野村克也の現役・監督時代の宿敵だった長嶋茂雄と同じ誕生日である。長嶋とは親交が深い間柄でもある。

松村邦洋のものまねレパートリーの1人(喋り出しは必ず「あたしゃね!!」と江戸弁を言うのが特徴)。

2010年5月3日、プロレス団体「MAP」の旗揚げ戦に参戦し、高山善廣と対戦した[3]

2014年、雑誌(『婦人公論』2014年2月7日号)にて20代で出産した2人の隠し子がいることを公表した。子の父親は既婚者の政治家(故人)であり、子に対しても名を明かしていないという。

経歴[編集]

CD[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオ[編集]

バラエティ[編集]

ほか多数

CM[編集]

丸美屋食品工業

著書[編集]

  • 『女剣劇』学風書院 1958
  • 『太りすぎよ、さようなら! 浅香式耳飾美容痩身法のすべて』ジェーアンドエー出版 1978
  • 『手さぐりの幸せ』海竜社 1983
  • 『斬って恋して五十年』東京新聞出版局 1991 日本図書センター 人間の記録 2000
  • 『浅香光代の代謝復活ダイエット』泉書房 2008

脚注[編集]

  1. ^ プロフィールでは1931年2月20日
  2. ^ 笑伝・三波伸介―びっくりしたなあ、もう (西条昇著・風塵社・2000年1月) ISBN 4938733765
  3. ^ 浅香光代、魔性のスリーパー魅せた!/リング/デイリースポーツonline

関連項目[編集]

補足事項[編集]

大沢悠里のゆうゆうワイド』の水曜レギュラーを務めていた時代はオープニングに舞台での決め台詞がジングルコールとしてかけられていて降板後も不定期で使用されている。「大沢〜悠里ノォ〜ゆうゆう〜ワイド。 『御用だ!御用だ!!御用だ!!!』 お控えなすってぇ〜」