牟田悌三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
むた ていぞう
牟田 悌三
本名 同じ
生年月日 (1928-10-03) 1928年10月3日
没年月日 (2009-01-08) 2009年1月8日(満80歳没)
出生地 日本の旗 日本 東京都
民族 日本人
ジャンル 俳優
活動期間 1950年代 - 2008年
主な作品
テレビドラマ
ケンちゃんシリーズ
3年B組金八先生
大地の子

牟田 悌三むた ていぞう1928年10月3日 - 2009年1月8日)は、日本俳優社会福祉活動家である。東京都出身。麻布高校北海道大学農学部卒業。村上事務所所属。劇団テアトル・エコーの創設メンバー。

来歴・人物[編集]

テレビ放送の黎明期から、主としてホームドラマを中心に活躍。北海道大学農学部在学中にNHK札幌放送劇団に入団。

1970年代の『ケンちゃんシリーズ』での父親役が当たり役となり、温厚な人柄が全国の視聴者の人気を集めた。

一方、『3年B組金八先生』第1シリーズでの杉田かおる演じる浅井雪乃の父・正太役では鬼父を演じ、話題になった。

70年代から80年代にかけての刑事ドラマでは鬼気迫る犯人役を演じることも少なくなかった。

以降はTBSラジオ番組『牟田悌三のあなたのための税金相談』のパーソナリティーを努めたり世田谷区ボランティア協会で活動を行い、子ども向け電話相談のチャイルドラインの普及に尽力した。2000年度の吉川英治文化賞受賞の実績を持っている。5・4制推進論者でもある。また、ボランティア協会での活動については自らの著書『大事なことはボランティアで教わった』でも紹介されている。ナレーション業も行っていた。

プライベートでも子だくさんのよき父親として知られ、家族でテレビに出演したこともある。

2009年1月8日、世田谷区深沢の自邸で入浴中に倒れて病院に緊急搬送され応急措置が執られたが23時33分、虚血性心不全で死去した[1]。80歳没。『ケンちゃんシリーズ』で親子役で共演した宮脇健は「実の父親が逝ったようだった」と牟田を偲んだ。牟田の告別式に参列した宮脇は「(棺の中の顔は)ドラマで共演している時と同じ笑顔でした。これからも見守ってください」と泣き崩れていた。

晩年は教育基本法改正反対の立場から、同趣旨の集会に参加している。またエフエム世田谷の顔的存在でもあった。

主な出演[編集]

映画[編集]

  • 坊ちゃん(1966年、松竹) - 教頭
  • フォークで行こう 銀嶺は恋してる(1966年、松竹)
  • 若社長大奮戦(1967年、松竹)
  • 日本一の男の中の男(1967年、東宝) - 春山人事部長
  • 日本一の裏切り男(1968年、東宝) - TV司会者
  • ザ・タイガース 華やかなる招待(1968年、東宝) - 山本社長
  • 極道社員遊侠伝(1968年、松竹) - 深見末男
  • 恋の季節(1969年、松竹) - 守屋武夫
  • いそぎんちゃく(1969年、大映) - 岡崎
  • 花の不死鳥(1970年、松竹)
  • 罠にはまった男(1972年、松竹)
  • 男じゃないか 闘志満々(1973年、松竹) - 高野真平
  • ともだち(1974年、日活) - 新太の父
  • 襟裳岬(1975年、日活) - ラーメン屋の主人
  • 喜劇 百点満点(1976年、東宝) - 戸成
  • 星空のマリオネット(1978年、ATG) - 留造
  • 東京からきた女の子(1978年、共同映画) - マサルの父
  • 四季・奈津子(1980年、東映) - 奈津子の父
  • ヒポクラテスたち(1980年、ATG) - 中原虎一
  • 裸の大将放浪記 山下清物語 (1981年、現代ぷろだくしょん) - 加藤清五郎
  • ユッコの贈りもの コスモスのように(1982年、共同映画) - 土屋裕
  • 君のふるさとに太陽がのぼった(1984年、全国農村映画協会)
  • 千利休 本覺坊遺文(1989年、東宝) - 大徳屋
  • 恋人はスナイパー 劇場版(2004年、東映) - 三神徳太郎
  • 石井のおとうさんありがとう(2004年、現代ぷろだくしょん)

スパルタの海 - 目の不自由な父親役

テレビドラマ[編集]

声の出演[編集]

バラエティ[編集]

CM[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 名脇役の牟田悌三さん死去 喜劇的な演技が持ち味 - 47NEWS、2009年1月9日2013年9月29日閲覧。