牧紀子

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牧 紀子(まき のりこ、1940年3月28日 - 没年月日不詳)は、満州新京市(現在の長春市)出身の女優。本名:牧野紀子。東京女学館高校卒業。

来歴・人物[編集]

生まれは満州だが戦後東京に移住する。1957年、駒沢球場で行われた映画人野球大会を観戦中、松竹の宣伝マンにスカウトされる。その後、松竹音楽舞踊学校付属演劇者養成所に入る。

1959年、高校を卒業し、松竹に入社して本格的に女優活動を始め、皇太子御成婚慶祝映画『花嫁雲にのる』の端役でデビューする。2作目は津川雅彦共演の青春喜劇映画『どんと行こうぜ』で主演する。戦後、松竹で第2作目での主演は岸惠子以来で、松竹では非常に期待された女優だった。

その後も多くの松竹映画で主演もしくは準主演で出演し、1963年よりNHK連続ドラマ「東京の人」に主演し、テレビへ本格的に出演するが、1964年、結婚のため松竹を退社した。

1966年、女優として復帰し、「特別機動捜査隊」「キイハンター」などのテレビドラマに多数ゲスト出演し、映画でも小林旭主演の「女の警察シリーズ」などに出演する。

1973年で女優としての活動を引退、1976年に着物雑誌のモデルとして登場している。2009年10月29日読売新聞の記事で亡くなったと記載されていたが、詳しい没年月日は不詳[1]

エピソード[編集]

  • 高校時代は当時早稲田実業高校にいた王貞治とラブレターのやり取りをしていた。卒業時には段ボール箱1箱分になったという[2]
  • 1963年(昭和38年)、カンヌ国際映画祭に出席のためフランスを訪問している。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なフランス訪問となった。
  • 松竹で一緒だった津川雅彦とは仲が良く親切で、よく共演したが、時々彼女を「おい! のりまき。」と呼び、からかった。このあだ名に牧紀子は嫌がっていた。[3]このあだ名を松竹で後輩の岩下志麻が言うはずがなく、牧紀子の松竹の先輩である小山明子を「アコちゃん」と呼んでいた[4]ところを考えると、「紀ちゃん」というのが妥当である。

主な出演[編集]

映画[編集]

  • 『花嫁雲にのる』(1959年
  • 『どんと行こうぜ』(1959年)
  • 『愛に誓いし君なれば』(1959年)
  • 『ここに男なり』(1959年)
  • 『三羽鳥三代記』(1959年)
  • 『真夜中の処女』(1959年)
  • 『二度と来ないぞ青春は』(1960年
  • 『銀座のお兄ちゃん挑戦す』(1960年)
  • 『白い波濤』(1960年)
  • 恋の片道切符』(1960年)
  • 『白い牙』(1960年)
  • 『愛する』(1961年
  • 『はったり青春紳士』(1961年)
  • 図々しい奴』(1961年)
  • 『寛美の三等社員』(1961年)
  • 『大当たり三代記』(1961年)
  • 『川は流れる』(1962年
  • 『私たちの結婚』(1962年)
  • 秋刀魚の味』(1962年)
  • 『空と海の結婚』(1962年)
  • 『恋と出世に強くなれ!』(1963年
  • 『独立美人隊』(1963年)
  • 『女野次喜多 タッチ旅行』(1963年)
  • 『100万人の娘たち』(1963年)
  • 昭和残侠伝 血染めの唐獅子』(1967年
  • 『女の警察』(1969年
  • 『やくざの渡り鳥 悪党稼業』(1969年)
  • 『続女の警察』(1969年)
  • 『女の警察 国際線待合室』(1970年
  • 『女の警察 乱れ蝶』(1970年)
  • 『ネオン警察 女は夜の匂い』(1970年)
  • 『藤圭子 わが歌のある限り』(1971年

テレビドラマ[編集]

バラエティー番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞[あの日の王少年]早実高時代(3)「君と一緒だったら」2009年10月29日付け都民版朝刊33頁
  2. ^ あの日の王少年(早実高時代)「君と一緒だったら」 - 読売新聞 2009年10月29日
  3. ^ 平凡』1962年1月号
  4. ^ 明星』1961年2月号