甘露寺受長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
甘露寺 受長
甘露寺家伯爵
Osanaga Kanroji.jpg
甘露寺受長
続柄 甘露寺義長の長男
出生 (1880-10-05) 1880年10月5日
日本の旗 日本東京府
死去 (1977-06-20) 1977年6月20日(満96歳没)
日本の旗 日本東京都
配偶者 満子(北白川宮能久親王の第一王女)
子女 親房、績子(男爵 島津忠彦 → 近藤荒樹
父親 甘露寺義長
母親 立子(父:子爵 勘解由小路資生
役職 東宮侍従
侍従次長
明治神宮宮司
テンプレートを表示

甘露寺 受長(かんろじ おさなが、1880年明治23年)10月5日 - 1977年昭和52年)6月20日)は日本華族伯爵)。東宮侍従侍従次長明治神宮宮司学習院初等科学習院中等科学習院高等科を経て東京帝国大学法科卒業。法学博士

略歴[編集]

1880年明治23年)に甘露寺義長の子として生まれる。学習院初等科在学中より、大正天皇の御学友として、宮中出仕した。1910年(明治33年)、東宮侍従となる。結婚前の美智子妃にお后教育のひとつである宮中祭祀の講義を担当した。明仁親王との結婚の儀では宮中三殿に仕える掌典長として神酒を注ぐ大役をつとめた。晩年は明治神宮宮司となった。

著書に『背広の天皇』(東西文明社 1957年)、『天皇さま』(日輪閣、1965年/講談社、1975年)がある。

家族・親族[編集]

甘露寺家藤原北家の支流・勧修寺流の流れを汲む公家で、明治維新以降は伯爵に列せられた。

妻は北白川宮能久親王の第一王女・満子女王[1]。長女の績子は、男爵・島津忠彦と結婚したものの後に離婚し、近藤荒樹と再婚した。近藤荒樹と先妻の子・荒一郎(受長と血縁関係は無い)は池田勇人の長女・直子と結婚している。長男の親房はエスビー食品の参与を務めた[1]

受長の弟は東洋カーボン(現・東海カーボン)の監査役を務めた甘露寺方房であり[1][2]、方房の妻は三菱財閥の3代目総帥・岩崎久弥の次女・澄子(澤田美喜の妹)である[1][3][4]

故に甘露寺家は三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係にあり[1][5]、池田勇人は甘露寺受長の遠戚にあたるといえる。

また、受長の従弟に作家武者小路実篤がいる[1]

栄典[編集]

脚注・出典[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 『日本の上流社会と閨閥』 56-57頁。
  2. ^ 『門閥』 273頁。
  3. ^ 『門閥』 262-263頁、273頁。
  4. ^ 『閨閥』 403頁。
  5. ^ 『門閥』 262-263頁。
  6. ^ 『官報』第3533号「叙任及辞令」1924年6月4日。
  7. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

日本の爵位
先代:
甘露寺義長
伯爵
甘露寺家第2代
1917年 - 1947年
次代:
(華族制度廃止)