田園都市 (企業)
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田園都市株式会社(でんえんとしかぶしきがいしゃ)はかつて洗足田園都市にあった住宅地開発会社。宅地開発のみならず鉄道事業をふくむ諸般の設備整備も展開した。田園調布を開発したことでも名高い[1]。現在の東京急行電鉄の母体企業である。
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概要
田園都市株式会社は理想的な住宅地「田園都市」開発を目的に1918年に実業家渋沢栄一らによって立ち上げられた会社で、現在の東京急行電鉄・東急不動産の始祖に当たる。1922年に目黒区、品川区にまたがる洗足田園都市、 翌年大田区の多摩川台地区(現在の田園調布)の分譲を開始し、またその地の足の便の確保のため鉄道事業を営んだ。1928年、子会社であった目黒蒲田電鉄に吸収合併された。その開発手法は後に東京急行電鉄による多摩田園都市開発に応用されることになる。
沿革
大正4年2月、畑弥右衛門が尾崎行雄の紹介で渋沢栄一を訪問して荏原郡開発を提案し、渋沢は中野武営に相談する。渋沢も中野も、欧米の都市を念頭に置いて田園郊外住宅地開発とそれにともなう鉄道など諸般設備の整備を構想する。大正5年11月、田園都市株式会社創立委員会が開催され、渋沢が委員長となる。1918(大正7)年1月には、田園都市株式会社設立趣意書を発表。
1918年(大正7年)9月2日 田園都市株式会社が設立される。資本金50万円。 発起人には渋沢栄一のほか、中野武営(発起人代表)、星野錫、服部金太郎、柿沼谷雄らが名を連ね、社長に中野武営 、専務取締役に竹田政智が選出された[3][4]。ただし中野は翌10月に急逝。社長の席は空席のまま、竹田が代表取締役となり会社の運営にあたった[5]。
1918年(大正7年)、田園都市株式会社が事業用地の買収を開始する。この時買収の対象としたのは洗足、大岡山、多摩川台(現在の田園調布)の各地区である。1919年(大正8年)8月22日 渋沢の四男渋沢秀雄が田園都市視察のため欧米11カ国訪問に出発する。
渋沢は、第一次大戦後の不況時にもかかわらず関西で鉄道敷設と一体となった沿線開発に成功していた箕面有馬電気軌道(現在の阪急電鉄)社長 小林一三に田園都市株式会社の経営を依頼している。小林は名前を出さず、報酬も受け取らす、日曜日のみ、という約束で経営を引き受け、玉川、調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたという[6][7]。
1920年(大正9年)3月6日、田園都市株式会社傘下の荏原電気鉄道に大井町 - 調布村間の地方鉄道敷設免許がおりる。同年5月18日 田園都市株式会社は、荏原電気鉄道から鉄道敷設免許を無償で譲り受ける。
1921年(大正10年)2月15日 田園都市株式会社に大崎町 - 碑衾村間の地方鉄道敷設免許がおりる。同年5月26日 田園都市株式会社は洗足地区に田園都市耕地整理組合設立し、11月には洗足地区の事業用地、総面積159万9000m²買収を完了する。別途大岡山地区の30万m²も買収。
1922年(大正11年)3月24日 田園都市株式会社の目黒線大崎町(目黒) - 調布村(多摩川)間の工事施行認可がおり、3月30日 目黒線着工。
1922年(大正11年)6月 洗足地区(現在の目黒区洗足二丁目、品川区小山七丁目)にて洗足田園都市の土地分譲を開始する。
1922年(大正11年)、鉄道部門を分離独立させることとなり、7月22日 目黒蒲田電鉄株式会社発起人総会(代表竹田政智)が開催される。この総会における決議事項は以下の通り:
9月2日、目黒蒲田電鉄株式会社(資本金350万円)創立総会が開催され、武蔵電気鉄道株式会社の経営に携わっていた五島慶太が専務取締役となり、以後の経営にあたる。
1922年(大正11年)8月2日、田園都市株式会社に電灯電力供給事業認可がおり、12月から洗足田園都市に送電を開始。
1923年(大正12年)8月には、多摩川台地区(現在の田園調布)で土地分譲を開始。
1924年(大正13年)1月8日、田園都市株式会社は、大岡山所在の社有地と蔵前所在の東京高等工業学校(現・東京工業大学)敷地と交換する。2月1日、洗足地区の田園都市耕地整理事業を完了。同年5月1日 多摩川園設立(資本金15万円)し、翌1925年(大正14年)12月23日 多摩川園が開園。1926年(大正15年)5月22日、(旧)東京横浜電鉄との共同経営地新丸子地区の土地分譲を開始する。
1928年(昭和3年)5月5日、田園都市株式会社は、多摩川台地区などの分譲を終了したため、子会社であった目黒蒲田電鉄に吸収合併され、田園都市事業は目黒蒲田電鉄田園都市部が継承することとなった。
年表
- 1918年(大正7年)1月 田園都市株式会社設立趣意書発表。
- 1918年(大正7年)9月2日 田園都市株式会社(資本金50万円)設立。 社長に中野武営 、相談役に渋沢栄一就任[8]。
- 1918年(大正7年) 田園都市(株)、事業用地買収開始(対象地:洗足、大岡山、多摩川台の各地区)。
- 1920年(大正9)年3月6日 田園都市(株)傘下の荏原電気鉄道に大井町 - 調布村間地方鉄道敷設免許。
- 1920年(大正9年)5月18日 田園都市(株)、荏原電気鉄道の鉄道敷設免許を無償で譲り受ける。
- 1921年(大正10年)2月15日 田園都市(株)に大崎町 - 碑衾村間地方鉄道敷設免許。
- 1921年(大正10年)5月26日 田園都市(株)、洗足地区に田園都市耕地整理組合設立。
- 1921年(大正10年)11月 田園都市(株)、洗足地区の事業用地買収完了(総面積159万9000m²、別途大岡山地区に30万m²買収)。
- 1922年(大正11年)3月24日 田園都市(株)の目黒線大崎町(目黒) - 調布村(多摩川)間工事施行認可。
- 1922年(大正11年)3月30日 田園都市(株)、目黒線着工。
- 1922年(大正11年)6月 田園都市(株)、洗足地区(現在の目黒区洗足二丁目、品川区小山七丁目)にて洗足田園都市の土地分譲を開始。。
- 1922年(大正11年)7月22日 目黒蒲田電鉄株式会社発起人総会開催(代表竹田政智)。
- 1922年(大正11年)8月2日 田園都市(株)に電灯電力供給事業認可。
- 1922年(大正11年)9月2日 目黒蒲田電鉄(株)(資本金350万円)創立総会開催。
- 1922年(大正11年)12月 田園都市(株)、洗足田園都市に送電開始。
- 1923年(大正12年)5月 田園都市(株)、洗足田園都市内(洗足駅前)に本社を移転。
- 1923年(大正12年)8月 田園都市(株)、多摩川台地区で土地分譲開始(後に高級住宅地の代名詞ともなる田園調布[9]地域)。
- 1923年(大正12年)9月 関東大震災。
- 1923年(大正12年)11月1日 目黒蒲田電鉄、蒲田線目黒 - 蒲田間 (13.2km) 全通、目蒲線と呼称。
- 1924年(大正13年)1月8日 田園都市(株)、大岡山所在の社有地と蔵前所在の東京高等工業学校(現・東京工業大学)敷地と交換。
- 1924年(大正13年)2月1日 田園都市(株)、洗足田園都市の田園都市耕地整理事業を完了。
- 1924年(大正13年)5月1日 多摩川園設立(資本金15万円)。
- 1925年(大正14年)12月23日 多摩川園開園。
- 1926年(大正15年)5月22日 田園都市(株)、(旧)東京横浜電鉄との共同経営地新丸子地区の土地分譲開始。
- 1928年(昭和3年)5月5日 田園都市(株)は目黒蒲田電鉄に吸収合併され、田園都市事業は目黒蒲田電鉄田園都市部が継承した。。
- 1931年(昭和6年)11月1日 渋沢栄一死去(92歳)。
参考文献
- 東京急行電鉄株式会社 田園都市事業部編『多摩田園都市 開発35年の記録』1988年10月
- 石井 裕晶『中野武営と商業会議所 ―もうひとつの近代日本政治経済史』ミュージアム図書 2004年 ISBN-10: 4944113552
脚注
- ^ 『高級住宅街の真実 セオリー2008 vol.2』講談社 2008年3月25日
- ^ 洗足時代の田園都市株式会社本社
- ^ 『渋沢栄一伝記資料』第53巻 目次詳細 第13節 土木・築港・土地会社 第3款 田園都市株式会社
- ^ 『中野武営と商業会議所』1016頁。
- ^ 『東京急行電鉄50年史』1972年、51頁
- ^ 『中野武営と商業会議所』1017頁
- ^ 大阪府池田市にある小林一三記念館パネル展示(2011年9月閲覧)
- ^ 東京急行電鉄株式会社, ed. (1943), 東京横浜電鉄沿革史, 東京急行電鉄
- ^ 日本の高級住宅街、住むならどこがベスト/日本一のブランド力を誇る「田園調布」





