田坂都

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たさか みやこ
田坂 都
生年月日 (1952-06-13) 1952年6月13日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 山口県萩市
死没地 不明
職業 女優
活動期間 1965年 - 1998年
所属劇団 劇団日本児童(1965年 - )
事務所 コスモプロジェクト( - 1998年)
主な作品
『私の中の娼婦』

田坂 都(たさか みやこ、1952年6月13日 - 2012年前後[1])は、日本女優である[2]。本名は同じ。

人物・来歴[編集]

現役時代[編集]

1952年(昭和27年)6月13日、山口県萩市に生まれる。

日本橋女学館中学校1年次在学中の1965年(昭和40年)、劇団日本児童に入団する。翌1966年(昭和41年)、映画『三匹の牝猫』でデビュー、主演の野川由美子の少女時代の役に抜擢された。以降はテレビドラマを中心に活動する。1971年(昭和46年)3月、日本橋女学館高等学校を卒業する。

1960年代後半から1970年代にかけて、日本テレビ放送網系列で放映された数々の学園ドラマにレギュラー出演、刑事ドラマ時代劇へのメインゲストとしての出演も数多かった。

1980年代以降は2時間ドラマなどに単発出演していたが、その後、1990年代末に女優業を引退した。1998年(平成10年)初頭に発行された『映画年鑑 1998』には、田坂の連絡先の記載がある[2]。このころ田坂は満45歳であった。当時の所属事務所はコスモプロジェクト(東京都新宿区荒木町)であった[2]インターネットアーカイブにある2001年(平成13年)7月18日時点での同社公式ウェブサイトには、すでに田坂の名は記載されていない[3]

引退後[編集]

2012年(平成24年)1月、映像の二次使用のための著作権処理をする一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構が不明者リストに記載し、本人・親族等を探し始めた[4]。該当作品は『松本清張シリーズ 遠い接近』(1975年10月18日放映)および『人形劇 三国志』(1982年10月2日 - 1984年3月24日放映)である[4]

2013年(平成25年)6月16日、女優の坂本三佳が自らの公式ブログに、同月11日に某女優との会食中に、田坂がすでに亡くなっていることを所属事務所の青柳肇社長とともに知り、同月15日には田坂の墓参を行なった旨の記述を含むエントリを行なった[1]。坂本によれば、社長の青柳は2011年(平成23年)ころから田坂と連絡がつかなくなったという[1]。2015年(平成27年)6月現在、田坂の正確な没年月日等の報道はなく、映像コンテンツ権利処理機構は現在も不明者リストに記載したままである[4]。坂本によれば、神奈川県小田原市本町にある日蓮宗の妙泉寺[5]が田坂の墓所であるという[1]。したがって没年齢は満60歳かそれ以前である。

主な出演[編集]

映画[編集]

  • 三匹の牝猫(1966年、日活
  • 頑張れ! 日本男児(1970年、東宝
  • 喜劇 頑張らなくっちゃ! (1971年、松竹
  • 怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス(1972年、東宝) - 募金をする女
  • ヘアピン・サーカス(1972年、東宝)
  • グアム島珍道中(1973年、東宝)
  • 新幹線大爆破(1975年、東映) - 平尾和子
  • 瀬戸はよいとこ 花嫁観光船(1976年、松竹) - 平山ナオミ
  • 私の中の娼婦(1984年、にっかつ) - 桂子

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 都はるみ特別公演 「江戸ッ子嬢はん」
  • 森進一特別公演 「石松売出す!! 恋風道中」

バラエティほか[編集]

CM[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 都さんを偲んで坂本三佳オフィシャルサイト、2013年6月16日付、2014年2月10日閲覧。
  2. ^ a b c 年鑑[1998], p.387.
  3. ^ 俳優紹介、コスモプロジェクト、インターネットアーカイブ、2001年7月18日付、2015年6月20日閲覧。
  4. ^ a b c 不明権利者一覧一般社団法人映像コンテンツ権利処理機構、2015年6月20日閲覧。
  5. ^ 小田原市日蓮宗、2015年6月20日閲覧。

参考文献[編集]

  • 『映画年鑑 1998』、時事映画通信社、1998年発行

関連項目[編集]