皇太后

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皇太后(こうたいごう、: Empress Dowager)は、先代の天皇皇帝皇后だった者、およびその称号[1]。ただし必ずしもこの定義にあてはまらない事例もある。

日本における皇太后[編集]

皇太后旗

日本においては、太皇太后、皇后とならび三后(三宮)のひとつで、太后とも略される。長楽宮を別称とする。日本では以下のものが皇太后と称された。

  1. 天皇の母で皇后であった者
  2. 天皇の生母(皇后を経ていない)
  3. 中宮から皇太后(他の皇后立后のため)
  4. 天皇の生母への追贈(死別)
  5. 先代の嫡妻
  6. 先代の皇后

神話上は神武天皇の皇后であった媛蹈韃五十鈴媛命が、息子綏靖天皇即位と同日に皇太后となったのが初とされ、律令では天皇の母で皇后であった者に与えられるとされた。しかし、文武天皇生母の藤原宮子を太皇太后、光仁天皇生母の紀橡姫贈皇太后とするなど、皇后を経ていない国母が皇太后・太皇太后と宣下されるようにもなり、後冷泉天皇中宮章子内親王藤原歓子皇后立后により皇太后となる等、実態は複雑化した。皇太后には世話をする部署として皇太后宮職が置かれた。

また天皇が即位前に生母が死別していた場合、即位の際に皇太后を追贈する事もあった。例として白河天皇の母藤原茂子は、父後三条天皇の皇太子時代は御息所に留まって早世するが、白河天皇は即位すると亡き母に皇太后を追贈した。そして白河天皇の寵妃の中宮藤原賢子も息子の即位前に早世するが、子の堀河天皇が即位した際に皇太后を追贈された。

江戸時代初期以降は先代の嫡妻をもって皇太后とするのが慣例になり、また中期以降、太皇太后の尊称であった「大宮」を別称とするようになり、皇太后の御所を大宮御所と称した。

明治維新以後は、皇太后は先帝の皇后または天皇の母の称号となり、皇室典範昭和22年1月16日法律第3号)により皇族に含まれ(第5条)、敬称は「陛下」と定められた(第23条)。また、大宝律令以来三后の班位(身位)は太皇太后、皇太后、皇后の順と定められていたが、1910年明治43年)制定の皇族身位令(明治43年3月3日皇室令第2号)第1条により、皇后、太皇太后、皇太后の順と定められ、皇后を上位と改めた。

近代以前に皇太后が追号として用いられたことはなかったが、明治以降は孝明天皇女御准三宮)で明治天皇嫡母の英照皇太后明治天皇皇后であった昭憲皇太后に贈られている。英照皇太后は、明治天皇即位に伴い、皇后を経ずして皇太后に冊立された。昭憲皇太后については、本来皇后が追号であるべきとして、明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮1920年大正9年)に宮内省に、1963年(昭和38年)・1967年(昭和42年)には宮内庁に追号を「昭憲皇后」に変更するよう申し入れたが、認められなかった(昭憲皇太后#追号についても参照)。次代の大正天皇の后貞明皇后以降は、「皇太后」として崩御しても生前の最高位である「皇后」の位で追号されている。

日本の皇太后一覧[編集]

和暦 西暦 太皇
太后
媛蹈鞴五十鈴媛命 綏靖元年1月8日 前581
五十鈴依媛命 安寧元年10月11日 前549
渟名底仲媛命 懿徳元年9月 前510
天豊津媛命 孝昭元年4月5日 前475
世襲足媛 孝安元年8月1日 前392
押媛命 孝霊元年1月12日 前290
細媛命 孝元元年1月14日 前214/2/21
欝色謎命 開化元年1月4日 前157
伊香色謎命 崇神元年1月13日 前97/2/17
御間城姫命 垂仁元年11月2日 前29
八坂入媛命 成務2年11月10日 132
息長足姫尊 神功元年10月2日 200
仲姫命 仁徳元年1月3日 313/2/14
忍坂大中姫命 允恭42年12月14日 454/1/28
手白香皇女 宣化4年12月5日 539/12/30
石姫皇女 敏達元年4月3日 572/4/30
藤原安宿媛 天平勝宝元年8月1日 749/8/19
高野新笠 延暦9年1月14日以降 贈 790/2/2- 贈
藤原乙牟漏 大同元年5月19日 贈 806/6/9 贈
藤原旅子 弘仁14年5月1日 贈 823/6/12 贈
橘嘉智子 弘仁14年4月23日 823/6/5
正子内親王 天長10年3月2日 833/3/26
藤原順子 仁寿4年4月26日 854/5/26
藤原明子 貞観6年1月7日 864/2/17
藤原高子 元慶6年1月7日 882/1/29
藤原沢子 元慶8年 贈 884 贈
藤原胤子 寛平9年7月19日 贈 897/8/20 贈
班子女王 寛平9年7月26日 897/8/27
藤原穏子 承平元年11月28日 932/1/8
藤原安子 康保4年11月29日 贈 968/1/1 贈
昌子内親王 天禄4年7月1日 973/11/8
藤原懐子 永観2年12月17日 贈 985/1/10 贈
藤原詮子 寛和2年7月5日 986/8/12
藤原遵子 長保2年2月25日 1000/4/2
藤原超子 寛弘8年12月27日 贈 1012/1/23 贈
藤原彰子 寛弘9年2月14日 1012/3/9
藤原妍子 寛仁2年10月16日 1018/11/26
藤原嬉子 寛徳2年8月11日 贈 1045/11/27 贈
禎子内親王 永承6年2月13日 1051/3/27
章子内親王 治暦4年4月17日 1068/5/20
藤原寛子 延久元年7月3日 1069/7/23
藤原歓子 延久6年6月20日 1074/7/16
藤原賢子 応徳3年? 1087 贈?
藤原聖子 治元年12月27日 1141/1/25
藤原多子 保元元年10月27日 1156/12/11
源懿子 保元3年12月29日 贈 1159/1/20 贈
平滋子 仁安3年3月20日 1168/4/29
藤原忻子 承安2年2月10日 1172/3/6
源通子 仁治3年7月11日 贈 1242/8/8 贈
藤原禧子 元弘3年7月11日 1333/8/21
阿野廉子 延元4年(暦応2年)8月15日以降 1339/9/18-
源朝子 明応9年10月25日以降 贈 1500/11/16- 贈
藤原栄子 弘治3年10月27日以降 贈 1557/11/17- 贈
近衛尚子 享保20年3月21日以降 贈 1735/4/13- 贈
二条舎子 延享4年5月27日 1747/7/4
藤原富子 明和8年5月9日 1771/6/21
近衛維子 安永10年3月15日 1781/4/8
欣子内親王 文政3年3月14日 1820/4/26
鷹司祺子 弘化4年3月14日 1847/4/28
英照皇太后 慶応4年3月18日 1868/4/10
昭憲皇太后 大正元年7月30日 1912
貞明皇后 昭和元年12月25日 1926
香淳皇后 昭和64年1月7日 1989

三后表[編集]

表示        年月日 中宮 皇后 皇太后 太皇太后
用明天皇元年1月1日586年1月26日 穴穂部間人皇女
舒明天皇2年1月12日630年3月1日 宝皇女
皇極天皇元年1月15日642年2月19日
大化元年7月2日645年7月30日 間人皇女
天智天皇4年2月25日665年3月16日
天智天皇7年2月23日668年4月10日 倭姫王
天武天皇2年2月27日673年3月20日 鸕野讃良皇女
持統天皇4年1月1日690年2月14日
天平元年8月10日729年9月7日 藤原安宿媛
天平勝宝元年7月以降(749年 藤原宮子
天平勝宝6年7月19日754年8月11日
天平宝字2年(758年 藤原安宿媛
天平宝字4年6月7日760年7月27日
宝亀元年11月6日770年11月27日 井上内親王
宝亀3年3月2日772年4月9日
延暦2年4月18日783年5月23日 藤原乙牟漏
延暦9年閏3月10日790年4月28日
弘仁6年7月13日815年8月21日 橘嘉智子
弘仁14年4月23日823年6月5日 橘嘉智子
天長4年2月26日827年3月26日 正子内親王
天長10年3月2日833年3月26日 正子内親王 橘嘉智子
嘉祥3年5月4日850年6月17日
仁寿4年4月26日854年5月30日 藤原順子 正子内親王
貞観6年1月7日864年2月21日 藤原明子 藤原順子
貞観13年9月28日871年11月14日
元慶6年1月7日882年2月2日 藤原高子 藤原明子
寛平8年9月22日896年11月5日
寛平9年7月26日897年8月31日 班子女王
昌泰3年4月1日900年5月2日
昌泰3年5月23日900年6月22日
延喜23年4月26日923年5月14日 藤原穏子
承平元年11月28日932年1月8日 藤原穏子
天慶9年4月26日946年6月3日 藤原穏子
天暦8年1月4日954年2月9日
天徳2年10月27日958年12月10日 藤原安子
応和4年4月29日964年6月11日
康保4年9月4日967年10月9日 昌子内親王
天禄4年7月1日973年8月1日 藤原媓子 昌子内親王
天元2年6月3日979年6月29日
天元5年3月11日982年4月7日 藤原遵子
寛和2年7月5日986年8月17日 藤原詮子 昌子内親王
永祚2年10月5日990年10月26日 藤原定子 藤原遵子
正暦2年9月16日991年10月30日
長保元年12月1日1000年1月10日
長保2年2月25日1000年4月2日 藤原彰子 藤原定子 藤原遵子
長保2年12月16日1001年1月13日
寛弘9年2月14日1012年3月9日 藤原妍子 藤原彰子 藤原遵子
寛弘9年4月27日(1012年5月20日 藤原娍子
寛仁元年6月1日1017年6月27日
寛仁2年1月7日1018年2月1日 藤原彰子
寛仁2年10月16日(1018年11月26日 藤原威子 藤原妍子
万寿2年3月25日1025年4月25日
万寿3年1月19日1026年2月15日
万寿4年9月14日1027年10月16日
長元9年9月6日1036年9月28日
長元10年2月13日1037年3月2日 禎子内親王
長元10年3月1日(1037年3月20日 藤原嫄子 禎子内親王
長暦3年8月28日1039年9月19日
永承元年7月10日1046年8月14日 章子内親王
永承6年2月13日1051年3月27日 藤原寛子 禎子内親王
治暦4年4月17日1068年5月20日 藤原寛子 藤原歓子 章子内親王 禎子内親王
治暦5年2月17日1069年3月18日
延久元年7月3日1069年7月23日 馨子内親王 藤原寛子 章子内親王
延久6年6月16日1074年7月12日
延久6年6月20日1074年7月16日 藤原賢子 馨子内親王 藤原歓子 藤原寛子
応徳元年9月22日1084年10月24日
寛治5年1月22日1091年2月13日 媞子内親王
寛治7年1月19日(1093年2月17日
寛治7年2月22日(1093年3月21日 篤子内親王
寛治7年9月4日1093年9月26日
康和4年8月17日(1102年9月30日)
嘉承2年12月1日1108年1月15日 令子内親王
永久2年10月1日1114年10月30日
永久6年1月26日1118年2月18日 藤原璋子
天治元年11月24日1124年12月31日
大治2年8月14日1127年9月30日
大治5年2月21日1130年4月1日 藤原聖子
長承3年3月19日1134年4月15日 藤原泰子 令子内親王
保延5年7月28日1139年8月24日
永治元年12月27日1142年1月25日 藤原得子 藤原聖子
天養元年4月21日1144年5月25日
久安5年8月3日1149年9月6日
久安6年2月27日1150年4月3日
久安6年3月14日1150年4月13日 藤原多子
久安6年6月22日(1150年7月18日 藤原呈子
保元元年10月27日1156年12月11日 藤原忻子 藤原呈子 藤原多子
保元3年2月3日1158年3月5日 統子内親王 藤原呈子 藤原多子
保元4年2月13日1159年3月4日
保元4年2月21日(1159年3月12日 姝子内親王 藤原忻子
応保2年2月5日1162年2月20日
応保2年2月19日(1162年3月6日 藤原育子
仁安3年3月14日1168年4月30日
仁安3年3月20日1168年5月6日 平滋子
仁安4年4月12日1169年5月17日
承安2年2月10日1172年3月6日 平徳子 藤原育子 藤原忻子
承安3年8月15日1173年9月23日
養和元年11月25日1182年1月1日
寿永元年8月14日1182年9月13日 亮子内親王
文治3年6月28日1187年8月4日
建久元年4月26日1190年5月31日 藤原任子
建久9年3月3日1198年4月10日 範子内親王
正治2年6月28日1200年8月9日
建仁元年12月24日1202年1月19日
元久2年7月11日1205年7月28日 藤原麗子
建永元年9月2日1206年10月5日
承元2年8月8日1208年9月19日 昇子内親王
承元3年4月25日1209年5月30日
承元3年8月12日1209年9月12日
承元4年3月19日1210年4月14日
承元5年1月22日1211年2月7日 藤原立子
承久3年12月1日1222年1月14日 邦子内親王
承久4年3月25日1222年5月7日
貞応2年2月25日1223年3月28日 藤原有子
貞応3年8月4日1224年9月18日
嘉禄2年7月29日1226年8月23日 藤原長子 藤原有子
嘉禄3年2月20日1227年3月9日
寛喜元年4月18日1229年5月12日
寛喜2年2月16日1230年3月31日 藤原竴子
貞永2年4月3日1233年5月13日
天福元年6月20日1233年7月28日 利子内親王
延応元年11月12日1239年12月8日
仁治3年8月9日1242年9月5日 藤原姞子
宝治2年6月18日1248年7月10日
宝治2年8月8日1248年8月27日 曦子内親王
建長3年3月27日1251年4月19日
康元2年1月29日1257年2月14日 藤原公子
正元元年12月19日1260年2月1日
文応2年2月8日1261年3月10日 藤原佶子
弘長元年8月20日1261年9月16日 藤原嬉子 藤原佶子
文永5年12月6日1269年1月9日
文永9年8月9日1272年9月2日
弘安8年8月19日1285年9月19日 姈子内親王
正応元年8月20日1288年9月17日 藤原鏱子
正応4年8月12日1291年9月6日
永仁6年8月21日1298年9月27日
嘉元元年9月24日1303年11月4日 藤原忻子
延慶3年12月19日1311年1月9日
文保3年3月27日1319年4月18日 奨子内親王
元応元年8月7日1319年9月21日 藤原禧子
元応元年11月15日1319年12月27日
正慶元年5月20日1332年6月13日
元弘3年6月5日1333年7月17日 藤原禧子
元弘3年7月11日(1333年8月21日 藤原禧子
元弘3年10月12日(1333年11月19日
元弘3年12月7日1334年1月13日 珣子内親王
建武4年1月16日1337年2月17日
暦応2年(1339年)10月以降? 藤原廉子
建徳2年9月末以降(1371年11月以降) 藤原氏
寛永元年11月28日1625年1月7日 源和子
寛永6年11月9日1629年12月23日
天和3年2月14日1683年3月12日 藤原房子
貞享4年3月25日1687年5月6日
宝永5年2月27日1708年4月17日 幸子女王
宝永7年3月21日1710年4月19日
延享4年5月27日1747年7月4日 二条舎子
寛延3年6月26日1750年7月29日
明和8年5月9日1771年6月21日 一条富子
明和8年7月9日1771年8月19日
安永10年3月15日1781年4月8日 近衛維子
天明3年10月12日1783年11月6日
寛政6年3月7日1794年4月6日 欣子内親王
文政3年3月14日1820年4月26日 欣子内親王
天保12年閏1月22日1841年3月14日
弘化4年3月14日1847年4月28日 鷹司祺子
弘化4年10月13日(1841年11月20日
慶應4年3月18日1868年4月10日 九条夙子
明治元年12月28日1869年2月9日 一条美子
明治30年(1897年1月11日
明治45年(1912年7月30日 九条節子 一条美子
大正3年(1914年4月9日
大正15年(1926年12月25日 良子女王 九条節子
昭和26年(1951年5月17日
昭和64年(1989年1月7日 正田美智子 良子女王
平成12年(2000年6月16日 - 現在

日本以外の皇太后[編集]

中国における皇后[編集]

中国ではの時代からの時代にまで、在位中の皇帝の生母と先代の皇后を並び尊崇して「皇太后」と呼ぶ。

朝鮮[編集]

朝鮮の君主は、天皇や皇帝ではなく国王だったため、皇太后ではなく大妃という。

ヨーロッパにおける「皇太后」「王太后」[編集]

詳細はen:Queen Dowagerも参照

訳語として、皇帝未亡人(英語:Empress dowager)に「皇太后」、先代の王の王妃だった者(英語:Queen dowager)に「王太后」を用いることがある。また、王国の元首をすべて皇帝と称してきたかつての儀典上の慣例から、王太后に対して「皇太后」の語が用いられる場合も少なくない。ただし、現在「皇后」の地位が存在するのは日本のみであるため、厳密には1947年までインド皇后であったエリザベス・ボーズ=ライアンイギリス国王ジョージ6世妃、同女王エリザベス2世生母)がヨーロッパにおける最後の「皇太后」である(2002年崩御)。

なお、国王・女王の生母に対してはクイーンマザー(英語:Queen mother)という呼称がある。

脚注[編集]

  1. ^ 新村出広辞苑 第六版』(岩波書店2011年)936頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂2006年)858頁参照。

参照文献[編集]

文献資料[編集]

  • 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)ISBN 400080121X
  • 松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)ISBN 4385139059

外部リンク[編集]

関連項目[編集]