石門心学

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心学が教えた善玉悪玉の考えが広まり、踊りにも取り入れられた。葛飾北齋『踊獨稽古』に描かれた悪玉おどり。 (雙鶴堂鶴屋金助, 文化12 (1815))

石門心学(せきもんしんがく)は、日本江戸時代中期の思想家・石田梅岩1685年 - 1744年)を開祖とする倫理学の一派で、平民のための平易で実践的な道徳教のことである[1]。単に、心学ともいう。さまざまな宗教・思想の真理を材料にして、身近な例を使ってわかりやすく忠孝信義を説いた[1]。当初は都市部を中心に広まり、次第に農村部や武士まで普及するようになった。江戸時代後期に大流行し、全国的に広まった。しかし、明治期に衰退した。

概要[編集]

徳川吉宗の時代、町人に道徳意識を与えることが急務とされ、石門心学がその任務に当たった[2]。その思想は、神道儒教仏教の三教合一説を基盤としている。その実践道徳の根本は、天地の心に帰することによって、その心を獲得し、私心をなくして無心となり、を行うというものである。その最も尊重するところは、正直の徳であるとされる。

一般民衆への道話(どうわ)の講釈と心学者たちの修業(会輔)の場となったのが、心学講舎と呼ばれる施設である。明和2年(1765年)に手島堵庵が五楽舎を開いたのが最初である。最盛期には全国に180カ所以上の心学講舎があった。

名前の由来[編集]

石田梅岩門下の手島堵庵が大成したことから当初「手島学」と呼ばれていたが、松平定信が手島の弟子・中沢道二の道話を「心の学び」と言ったことから「心学」と呼ばれるようになった[1]。しかし、陽明学でも「心学」という用語を使うことから混同を避けるために「石門心学」と呼ばれたが、いつしか略されて「心学」が一般的呼称になった[1]

主な心学者[編集]

  • 石田梅岩(いしだばいがん)
  • 手島堵庵(てじまとあん)
  • 布施松翁(ふせしょうおう) - 手島の弟子
  • 中沢道二(なかざわどうに) - 手島の弟子
  • 中村習輔(なかむらしゅうすけ) - 手島の弟子
  • 上河淇水(うえかわきすい)
  • 柴田鳩翁(しばたきゅうおう) - 中沢の孫弟子

主な心学講舎[編集]

京都[編集]

  • 五楽舎
  • 修正舎
  • 時習舎
  • 明倫舎
  • 恭敬舎

大坂[編集]

  • 明誠舎

江戸[編集]

  • 参前舎

兵庫[編集]

  • 中立舎

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 石川謙 『石門心学史の研究』 岩波書店、1938年
  • 石川謙校注 『日本思想大系42 石門心学』岩波書店、1971年
  • 平田雅彦『企業倫理とは何か~石田梅岩に学ぶCSRの精神』PHP新書、2005年 ISBN 978-4-569-64214-7
  • 今井淳、山本眞功編『石門心学の思想』ぺりかん社、2006年 ISBN 978-4-831-51130-0
  • 森田健司 『石門心学と近代―思想史学からの近接―』八千代出版、2012年 ISBN 978-4-842-91576-0

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 心学『大思想エンサイクロペヂア』28巻 (春秋社, 1930) p105
  2. ^ 心学『大百科事典. 第13巻』平凡社、1935