藤田伸二

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藤田伸二
Shinji-Fujita20110501.jpg
2011年天皇賞(春)表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 北海道新冠郡新冠町
生年月日 (1972-02-27) 1972年2月27日(45歳)[1]
身長 158.0cm[2][3][4]
体重 50.0kg
血液型 O型[1]
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 栗東・境直行(1991.3 - 1997.3)
栗東・フリー(1997.3 - 2015.9.6)
初免許年 1991年
免許区分 平地
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藤田 伸二(ふじた しんじ、1972年2月27日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元騎手

姪(妻の兄妹の娘)はスターダストプロモーションに所属のタレントである小川千尋[5]

人物[編集]

北海道出身[6][1]。新冠町のメイタイ牧場内で生まれる[7]

1991年に騎手免許取得[1]。初騎乗は1991年3月2日中京競馬第1競走のハイビスカスマミー(13頭立ての7着)、同年3月9日、中京競馬第1競走マキバスクリーンで初勝利を挙げる[1]。同年ノーザンコンダクトでラジオたんぱ杯3歳ステークスを制し重賞初勝利[1]

2004年に特別模範騎手賞を史上最年少で受賞[8]し、2010年には2度目の特別模範騎手賞を受賞した[8]。1996年より2008年まで12年間、レースでの騎乗停止がなかった[9]

2006年12月21日、栗東市内の飲食店で従業員に対し暴行を働く[10]。これに対し、日本中央競馬会(JRA)では翌日より藤田を騎乗停止とすることを決め、最終的に翌2007年1月7日に「3ヶ月の騎乗停止」が発表された[11]。なお、2006年度のフェアプレー賞の受賞も内定していたが、この騎乗停止により「30日を超える騎乗停止以上の制裁を受けた者、審判部長の指定により再教育を受けた者は除く」という内規に抵触したため除外されている[11]

2015年9月6日、現役を引退することを表明した[12][13]。9月6日の第2回札幌競馬第7競走(3歳以上500万以下、芝1200m)でイキオイ(杉浦宏昭厩舎)に騎乗し10着となり、これが藤田の現役最終騎乗となった。藤田は引退に際してJRAへ騎手免許の取消願を提出し[14]、翌7日付でJRAから正式に引退が発表されている[15]

引退直後の同年9月8日には、札幌すすきのにバー「favori」をオープン(経営は株式会社CNG)。自らも店に出て接客するという[12]

その後、2017年3月14日サンケイスポーツの記事で、ホッカイドウ競馬での騎手復帰を目指す意向であることが明らかになった[16]。藤田の移籍が実現すれば、史上4人目となるJRA騎手のNARへの移籍となる[17]

エピソード[編集]

  • オリビエ・ペリエは自身の著書「野望あります」において、「2007年秋・天皇賞当日の朝、ロッカーを開けるとフランス国旗を持ったナイスボディの人形に「がんばれ!」と書いた紙が貼ってあるシンジからのプレゼントが置いてあった」というエピソードを明かしている。
  • 2010年4月3日から、デイリースポーツ および馬三郎紙面でコラム「よろしいやん(現在のコラム名は「藤田伸二の男のコラム」)」(毎週土・日曜日掲載)を執筆している。
  • 喫煙者。現在嗜好している銘柄はクール・ブースト(8mg)。煙草は中学2年のときから競馬学校時代を含めて一日も切らしたことがないと著書で述べている[18]
  • 酒類のことをやんちゃ水と称することもある。好物の飲料はアサヒスーパードライ。飲食店では、まず同ビールの有無を確認してからでないと飲食しないと徹底している。嫌いな飲料はキリン一番搾り生ビールサプリメントが大好きで、薬局で大量買いしている[19]
  • コンピュータが大の苦手。「パソコンはようやらんわ」と自身の著書『競馬番長のぶっちゃけ話』で綴っている。
  • 自身のデビュー20周年を記念して発売された『騎手・藤田伸二 20年の「男道」』内の企画「フリー百科事典ウィキペディア』本人チェック」において、自身の項目の2010年2月16日18時の時点における記載についてチェックを行った。その結果、身長や出身中学校、交流G1勝利数などについて間違いを指摘し「でもまぁ、いくつか致命的なのはあったけど、全体的にはほとんど間違いないやん」「そんで、間違ってたとこは直してくれんの?」「どこのどなたかは知らんけど、修正の方を、よろしく頼んますね~」とコメントしている。
  • 2011年のドバイミーティングに参加した際、レース前に日本で発生した東日本大震災を受け、日本国外の騎手に呼びかけて、日本に向けたメッセージを集めた[20]

評価[編集]

作家の亀和田武によると、藤田は自身がフェアプレー賞を複数回受賞した誇りから安全な騎乗に関し他の騎手に苦言を呈することがあり、時としてそれはレース後の検量室で若い騎手を「シメる」行為に表れることがある[21]。この点については藤田自身、著書『騎手の一分』において若い騎手が「『藤田さんに怒鳴られた』と萎縮することになるかもしれない」と認めた上で、「あくまでもお互いの安全を重視してのこと」と述べている[22]

中央競馬の元騎手で競馬評論家安田康彦は、「あの人の競馬知ってる!?ホンマうるさいで?」と前置きした上で藤田の騎乗の特徴を語り、レース中に自身が騎乗する競走馬の進路を開けるように藤田は大声で騒いだ上、従わない騎手に対しレース後に食ってかかる傾向があり、競馬学校の同期(第7期)にあたる安田でさえ「ホンマはやったらアカンこと」と認識しつつ「うるさく言われるのが嫌で」藤田の言いなりになっていたと告白している。安田は藤田を「あの人は客観的に物事を考えられない」と評している[23]

年度別成績[編集]

年度 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 表彰
1991年[24] 39 27 28 376 .104 .176 .250 '91JRA賞(最多勝利新人騎手)[8]
最多勝利新人騎手賞[8]
関西放送記者クラブ賞(新人騎手賞)[8]
1992年[24] 49 47 35 441 .111 .218 .297 フェアプレー賞(関西)[8]
1993年[24] 60 44 26 483 .124 .215 .269 フェアプレー賞(関西)[8]
1994年[24] 60 44 37 488 .123 .213 .289 フェアプレー賞(関西)[8]
1995年[24] 55 51 51 520 .106 .204 .302 フェアプレー賞(関西)[8]
1996年[24] 77 66 64 601 .128 .238 .344 優秀騎手賞(賞金獲得部門)[8]
1997年[24] 83 52 69 581 .143 .232 .351 フェアプレー賞(関西)[8]
1998年[24] 68 57 55 591 .115 .212 .305 フェアプレー賞(関西)[8]
1999年[24] 88 68 58 634 .139 .246 .338 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝率部門)[8]
2000年[24] 78 81 69 671 .116 .237 .340 フェアプレー賞(関西)[8]
2001年[24] 95 81 81 798 .119 .221 .322 フェアプレー賞(関西)[8]
2002年[24] 111 89 78 773 .144 .259 .360 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)[8]
2003年[24] 103 93 80 812 .127 .241 .340 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝利度数部門)[8]
2004年[24] 121 76 83 805 .150 .245 .348 フェアプレー賞(関西)[8]
特別模範騎手賞
優秀騎手賞(勝利度数部門)[8]
2005年[24] 115 88 104 813 .141 .250 .378 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝利度数部門・勝率部門・賞金獲得部門)[8]
2006年[24] 127 127 88 902 .141 .282 .379
2007年[24] 104 82 60 649 .160 .287 .379 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝率部門4位)[8]
2008年[24] 94 92 70 753 .125 .247 .340
2009年[24] 108 92 69 758 .142 .264 .355 優秀騎手賞(勝利度数部門4位・勝率部門5位・賞金獲得部門5位)[8]
2010年[24] 92 68 75 632 .146 .253 .372 フェアプレー賞(関西)[8]
特別模範騎手賞
優秀騎手賞(勝率部門5位)[8]
2011年[24] 59 35 35 422 .140 .223 .306 フェアプレー賞(関西)[8]
優秀騎手賞(勝率部門5位)[8]
2012年[24] 31 43 65 460 .067 .161 .302 フェアプレー賞(関西)[8][8]
2013年[24] 50 41 32 465 .108 .196 .265 フェアプレー賞(関西)[8]
ベストフェアプレー賞[8]
2014年[24] 33 38 44 529 .062 .134 .217
2015年[25] 18 08 20 314 .057 .083 .146

初騎乗・初勝利[編集]

  • 初騎乗[6]:1991年3月2日、中京競馬場(ハイビスカスマミー、7着)
  • 初勝利[6]:1991年3月9日、中京競馬場(マキバスクリーン)

著書[編集]

  • 『直線一気』(1999年 マガジン・マガジン)
  • 『特別模範男』(2006年 東邦出版)
  • 『競馬番長のぶっちゃけ話』(2009年 宝島社)
  • 『騎手・藤田伸二 20年の「男道」』(2010年 宝島社)
  • 『藤田伸二の男ラム』競馬王新書(2010年 白夜書房)
  • 『番長の話』(2010年 宝島社)
  • 『藤田伸二の「男・語録」』(2012年 宝島社)
  • 『騎手の一分』(2013年 講談社現代新書)

参考文献[編集]

  • 藤田伸二 『騎手の一分 競馬界の真実』 講談社〈講談社現代新書2210〉、2013年。ISBN 978-4-06-288210-1。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 藤田伸二オフィシャルサイト プロフィール”. 2015年11月20日閲覧。
  2. ^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」「フリー百科事典『ウィキペディア』本人チェック」
  3. ^ JRA「KEIBA CATALOG」28号 pp.75
  4. ^ JRA公式ホームページ(データファイル→騎手名鑑→は行→藤田伸二)
  5. ^ 公式ブログ内における小川と藤田の写真入りの記事より。
  6. ^ a b c 騎手情報(藤田伸二) - 日本中央競馬会、2014年12月23日閲覧[リンク切れ]
  7. ^ 自著「特別模範男」第一章より。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 表彰歴・記録(藤田伸二) - 日本中央競馬会、2014年12月23日閲覧[リンク切れ]
  9. ^ 「藤田伸二の男ラム」(白夜書房)。騎乗停止は新人の1991年、1996年、2008年、2009年にそれぞれ1回ずつの合計4回のみ。
  10. ^ 藤田伸二騎手が暴力行為で騎乗停止 - netkeiba.com、2006年12月22日
  11. ^ a b ニュースぷらざ・2007年1月15日号 - 競馬道Online
  12. ^ a b 藤田伸二騎手引退メッセージ”. Umajin-net. 2015年9月6日閲覧。
  13. ^ 藤田が引退発表 2000勝目前、フサイチコンコルドでダービー制覇”. スポーツニッポン (2015年9月6日). 2015年9月6日閲覧。
  14. ^ 藤田伸二騎手が引退 JRAに騎手免許の取消願を提出”. netkeiba.com (2015年9月6日). 2015年9月6日閲覧。
  15. ^ 藤田 伸二騎手が引退”. JRAニュース. 日本中央競馬会 (2015年9月7日). 2015年9月8日閲覧。
  16. ^ 超異例!藤田伸二氏、ホッカイドウ競馬で騎手復帰へ (2/3ページ) - 予想王TV@SANSPO.COM 2017年3月14日
  17. ^ 藤田伸二氏、ホッカイドウ競馬で騎手復帰目指す - スポーツ報知
  18. ^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」55ページ(宝島社
  19. ^ 別冊宝島 騎手・藤田伸二 20年の「男道」55、57ページ(宝島社)
  20. ^ 世界の騎手から日本へのメッセージが届きました” (日本語). 日本中央競馬会 (2011年4月2日). 2012年1月29日閲覧。
  21. ^ 藤田伸二騎手「武豊を潰したのは社台とアドマイヤ」(2) フェアプレーができない騎手に苦言” (日本語) (2013年6月18日). 2013年8月1日閲覧。
  22. ^ 藤田 2013, p. 40.
  23. ^ 高橋章夫(取材・構成)「素行不良の元ジョッキー安田康彦がバラす!! 騎手の言い分」、『競馬最強の法則』2013年8月号、KKベストセラーズ2013年、 22頁。
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 過去成績(藤田伸二) - 日本中央競馬会、2014年12月23日閲覧[リンク切れ]
  25. ^ JRA HP→「データファイル」→「騎手・調教師データ」→「引退騎手一覧」→「(2015年度)藤田伸二」参照。

関連項目[編集]