謝富治

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謝 富治
生誕 1909年
清の旗 湖北省 黄安(現紅安)県
死没 1972年3月26日
中華人民共和国の旗 中華人民共和国北京
所属組織 中国人民解放軍陸軍
軍歴 1931 - 1972
最終階級 上将
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謝富治
職業: 軍人・政治家
各種表記
繁体字 謝富治
簡体字 谢富治
和名表記: しゃ ふじ
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謝 富治(しゃ ふじ、1909年 - 1972年3月26日)は、中華人民共和国軍人、政治家。中国人民武装警察部隊司令員兼政治委員、公安部部長、国務院副総理等を歴任。中国共産党中央政治局委員。文化大革命中、林彪江青等に加担し、死後、党から除籍された。最終階級は上将。

経歴[編集]

手工業者の家庭に生まれる。1926年、故郷の農民協会に参加。1930年、中国工農紅軍に参加し、翌年、中国共産党に入党した。紅4方面軍の排(小隊)長、副連(中隊)長、宣伝隊隊長、連政治指導員を務め、鄂予皖蘇区の反「囲剿」に参加した。1932年10月から団(連隊)政治処主任、紅9軍第26師政治部主任、紅4方面軍総政治部組織部部長、中共川陝省委員会組織部部長を歴任し、川陝蘇区の反「三路囲攻」と反「六路囲攻」に参加した。長征中、紅9軍政治部主任となり、陝北到達後、抗日紅軍大学に入校した。

日中戦争時は、八路軍第129師第772団政治処主任、政治委員、第385旅政治委員、太岳軍区副司令員、縦隊政治委員として、太岳区の対掃討作戦を指導した。

対日戦勝後、晋冀魯予軍区第4縦隊政治委員、太岳兵団(謝兵団)政治委員。1947年、司令員陳賡と共に黄河を強行渡河し、予西に進軍し、晋冀魯野戦軍主力の大別山挺進を助力した。1949年2月、第2野戦軍第3兵団政治委員となり、渡江、西南進軍等の戦役に参加した。

中華人民共和国建国後、中共川東区委員会書記、川東軍区政治委員、中共雲南省委員会第一書記、西南軍区副政治委員、雲南軍区、昆明軍区、中国人民武装警察部隊司令員兼政治委員、等を歴任。

1956年9月、中国共産党第8回党大会において党中央委員会委員に選出[1]。1959年9月17、第2期全人代常務委員会第9回会議の決定により公安部部長に任命された[2][3]。1965年1月4日、第3期全人代第1回会議の決定により、国務院副総理兼公安部部長に任命[4]。同日、第3期国防委員会委員に任命された[5]。1966年8月12日、第8期11中全会において党政治局候補委員および書記処書記に補選される[6]

1969年4月、第9回党大会において党中央委員会委員に再選し[7]、同年4月28日の第9期1中全会において党中央政治局委員に選出された[8]文化大革命中は、中共中央書記処書記、中国共産党中央軍事委員会委員、北京市委員会第一書記、北京軍区第一政治委員、中央専案審査小組成員を務め、林彪江青等の活動に参与し、劉少奇等の革命元老を迫害した。1972年3月26日、北京で病死。

1980年10月16日、中共中央は、謝富治の党からの除籍を決定した[9]。1981年1月23日、中華人民共和国最高人民法院特別法廷は、謝富治が林彪、江青反革命集団事件の主犯であると確定した[10]

脚注[編集]

  1. ^ 中国共产党第八届中央委员会委员和候补委员名单 (中国語)
  2. ^ 第二届全国人民代表大会常务委员会第九次会议简况 (中国語)
  3. ^ 中华人民共和国主席令(二届第5号) (中国語)
  4. ^ 中华人民共和国主席令(三届第2号) (中国語)
  5. ^ 中华人民共和国主席令(三届第3号) (中国語)
  6. ^ 中国共产党八届十一中全会简介 (中国語)
  7. ^ 中国共产党第九届中央委员会委员和候补委员名单 (中国語)
  8. ^ 中国共产党第九届中央委员会第一次全体会议公报(一九六九年四月二十八日) (中国語)
  9. ^ 1980年10月16日 中共中央决定开除康生、谢富治党籍
  10. ^ 中华人民共和国最高人民法院特别法庭判决书:特法字第一号(一九八一年一月二十三日) (中国語)

関連項目[編集]

中華人民共和国の旗中華人民共和国
先代:
羅瑞卿
公安部長
1959年 - 1970年
次代:
李震
 People's Liberation Army Flag of the People's Republic of China.svg 中国人民解放軍
先代:
李雪峰
北京軍区政治委員
1971年1月 - 1972年3月
次代:
紀登奎