譲位

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譲位(じょうい)は、君主が、その地位を生きているうちに後継者へ譲り渡す行為である。通常は、世襲を原則とした地位の継承について言う。

また、東アジア漢字文化圏においては、地位を譲り受けることを、受禅(じゅぜん)という。

概説[編集]

君主を含む権力者が、世襲その他のあらかじめ決められている地位継承の規定や慣例によらず、有能であるなどの理由で、その地位にふさわしいと考える者に自分の地位を譲ることは、譲位ではなく、禅譲と言う。また、前任者の意思によらずにその地位についた場合の継承は、譲位とは言わない。譲位は、君主の意思の表現、とみなすことができる場合がある。

譲位は後継者を明確にし、教育管理できるシステムであり、このシステムは「隠居」という形で日本社会全体に定着した。[1]

2016年7月13日の今上天皇の意向を示す主要各紙や放送各局の報道では『生前退位』の表現が多く用いられた。そもそも「退位」という言葉自体に「生前」の意味は含まれている(そもそも没後には退位できないため)が、天皇が存命中に位を譲ることは明治以降の歴史では例がないことから、意味をより分かりやすくするために「生前」を付したとされている[2][3]。その後の報道では『譲位』・『退位』とする報道もみられるようになった[4]。また、皇室関係者の間では「譲位」という言い方が一般的だと言われている[3]

天皇の譲位[編集]

日本で最初に譲位を行った天皇皇極天皇とされている。ただし、これは乙巳の変を受けた非常事態下の譲位であり、また譲位後には皇祖母尊(すめみおやのみこと)という特別な尊号が定められている(後に斉明天皇として重祚)。平時における譲位または譲位した天皇に太上天皇上皇)の尊号を授けられたものとしての最初の事例は次の持統天皇の例となる。

譲位は皇位継承の争いを封じ込めるだけではなく、仏教伝来以降、死を汚れとする考え方が強まり、天皇が在位中に崩御することはタブー視されるようになったためでもある。[1]

60代の皇位継承が生前であり、うち3代は皇位剥奪によるものなので、57代の皇位継承が譲位によって行われている。[1]

江戸時代後水尾天皇は、紫衣事件など、天皇の権威を失墜させる江戸幕府の行いに耐えかね、幼少の興子内親王(後の明正天皇)へ譲位を行った。この譲位は、幕府に対する天皇の抗議、という意味でとらえられている。通常、譲位した天皇は太上天皇上皇)の尊号を受けた。上皇となった天皇が再即位(重祚)した例もある。

ただし、譲位がたとえ君主の意思表示であったとしても、それだけでは不可能である。譲位の儀式および退位後の上皇の御所造営には莫大な費用がかかり、朝廷がそれを負担できなければ譲位は行えなかった。実際、室町幕府の支援で儀式を行った後花園天皇豊臣政権の支援で儀式を行った正親町天皇の間の戦国時代に在位した3代の天皇(後土御門後柏原後奈良天皇)は全て在位したまま崩御した[5]

明治制定の大日本帝国憲法では、天皇の譲位は認めないことを明文化した[6][7][8][9][10]1889年明治22年)に制定された旧皇室典範では、第10条で「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と規定し、天皇の崩御によって皇位の継承が行われることが規定されていた。また、旧皇室典範には、皇位継承の順序が明確に規定されていた。これによりそれまで譲位が認められていた日本での天皇の譲位(生前退位)が完全に認められなくなった。

日本国憲法下でも、天皇の譲位は認められていない[11][12][13][10]1947年昭和22年)に施行された現行の皇室典範は、その第4条で「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」と規定されており、この点は旧皇室典範と同様に、皇位の継承は天皇の崩御によってのみ行われることを定めている。また、現行の皇室典範でも、第2条で皇位継承の順序を、第3条でその順序の変更について規定しており、天皇は自らの意思によって継承者を指名することはできない。これらの法律について今上天皇(明仁)は2016年(平成28年)8月8日に「おことば」として意向を表明した[14]

譲位した天皇の一覧[編集]

譲位時
の年齢
35 皇極天皇 51[15]
41 持統天皇 52
43 元明天皇 54
44 元正天皇 44
45 聖武天皇 48
46 孝謙天皇 40[16]
47 淳仁天皇 31
49 光仁天皇 71
51 平城天皇 35
52 嵯峨天皇 38
53 淳和天皇 47
54 仁明天皇 40
56 清和天皇 27
57 陽成天皇 15
59 宇多天皇 30
60 醍醐天皇 46
61 朱雀天皇 23
63 冷泉天皇 19
64 円融天皇 25
65 花山天皇 18
66 一条天皇 31
67 三条天皇 40
69 後朱雀天皇 35
71 後三条天皇 38
72 白河天皇 33
74 鳥羽天皇 20
75 崇徳天皇 22
77 後白河天皇 31
78 二条天皇 23
79 六条天皇 3
80 高倉天皇 18
年齢
82 後鳥羽天皇 18
83 土御門天皇 15
84 順徳天皇 24
85 仲恭天皇 3
86 後堀河天皇 21
88 後嵯峨天皇 26
89 後深草天皇 17
90 亀山天皇 25
91 後宇多天皇 20
92 伏見天皇 33
93 後伏見天皇 13
95 花園天皇 21
96 後醍醐天皇 51
98 長慶天皇 40
99 後亀山天皇 42
100 後小松天皇 35
102 後花園天皇 45
106 正親町天皇 69
107 後陽成天皇 39
108 後水尾天皇 33
109 明正天皇 20
111 後西天皇 25
112 霊元天皇 33
113 東山天皇 34
114 中御門天皇 33
115 桜町天皇 27
117 後桜町天皇 30
119 光格天皇 46

天皇の譲位についての議論 (平成)[編集]

大日本帝国憲法で譲位が認められなって以降から、現在の皇室典範に至るまで、譲位(生前退位)は事実上できなくなっていることから、それについては想定されていない。この件に対し、今上天皇(明仁)は2016年(平成28年)8月8日に「おことば」として意向を表明[17]。2016年(平成28年)10月17日より「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を開催している。[18][19]

2017年(平成29年)1月中に衆議院参議院両議長各会派代表者が今後の段取りについて協議、有識者会議が論点整理を発表、両院の正副議長が政府から論点整理の内容についての説明を受け、大型連休前後に政府が退位の特例法案を国家に提出。夏前に特例法成立させ、2018年(平成30年)12月31日-2019年(新元号元年)1月1日の譲位を目指す予定。憲法1条が天皇の地位は「国民の総意に基づく」と定めていることから、両院正副議長は全会一致を目指す考えだ。またあくまで国会主導で同意を模索することを強調した。安倍晋三首相は「政争の具にしてはいけない」と与野党合意を求めるメッセージを発信している。[20]

容認[編集]

  • 天皇本人の意志を尊重すべき。
  • 皇位継承を天皇の崩御に限るのは天皇の自由を拘束しすぎる。
  • 天皇の人権を考慮すべき。
  • 天皇の自由意志を認めることが憲法における人間天皇のあり方に相応しい。
  • 一度その地位に就いたら一生離脱できないという制度は、あまりに過酷。
  • 歴史上見られた譲位による弊害は新憲法の下では生じ得ない。
  • 終身在位制は、広範囲にわたる公務の遂行とは両立しがたい。
  • 政治的・強制的退位の弊害は、政治的機能を全く認めない現行法のもとでは、問題ない。
  • 天皇自身に高齢を理由とした退位の意思があることを皇室会議で確認し「内閣の助言と承認」を要件とすれば良い。
  • 摂政の場合、天皇の病気などを説明する必要があり、国民も動揺する。
  • 摂政などの設置は長期化すると象徴が不明確になるおそれがある。
  • 摂政は天皇の形式化を招きかねず、「象徴」としての役割を果たせない。[21]
  • 天皇は皇居の奥に引き下がり、高齢化に伴う限界は摂政を置いて切り抜けようというのは、陛下が積み上げ、国民が支持する象徴像を否定することにつながりかねない。[21]
  • 摂政制度はあくまで緊急時に起動するシステムである。[21]
  • 摂政は天皇の政務を奪ったという自責の念を感じてしまう。[22]
  • 摂政を置くと、国民から見て、天皇とどちらが象徴かという危惧が起きる。[23]
  • 宇佐美毅宮内庁長官(当時)は、昭和39年の国会答弁で「摂政の場合は、天皇の意思能力がむしろほとんどおありにならないような場合を想定している」と説明している。[22]
  • 「象徴的行為」は、天皇に一身専属するもので、摂政には代行できない。[24]
  • 公的行為の範囲が法的に定義されておらず、委任という考え方になじまない。委任をうけた人に過重な負担がかかる恐れもある。
  • 摂政は他の皇族との間に溝ができる。

反対・慎重[編集]

  • 次代の即位拒否と短時間での退位を容認することになり、皇位の安定性を揺るがす。
  • 皇位継承は法的義務。一度即位したら随意に譲位すべきではない。
  • 摂政や国事行為の臨時代行制度を活用すべき。
  • 病気の際は摂政で対応すべき。
  • 退位は憲法上問題がある。
  • 退位後の言動が政治を左右しかねない。
  • 政治運動に身を投じる可能性がある。
  • 退位の条件を具体的に定めるのは困難。
  • 天皇が象徴の地位にある間は自由を制限されることは認めざるをえない。
  • 歴史上、皇位継承をめぐる争いなど弊害が見られた。
  • 論理的に退位を認めるならば相対的に不就位の自由も認めなければ首尾一貫しない。[25]
  • 天皇の発位での譲位は憲法一条の「国民の総意に基づく」と矛盾する。
  • 譲位は国家の制度の問題であり、天皇の意向に左右されるものではない。
  • 天皇と前天皇が併存すると象徴としての地位が曖昧になり国民統合の機能が低下する。
  • 憲法が定める国事行為ではない被災地訪問などの公的行為を担えないとして退位することは憲法上の懐疑がある。
  • 公的行為も象徴の務めになれば、それができない天皇は地位にとどまれないという能力主義が持ち込まれる。
  • 天皇の意向により政府が新しい退位の制度を作ることは、憲法4条が禁止する天皇の政治的行為を容認することになる。
  • 天皇に自分がやめたい時にやめるという権限を与えることや、天皇の意向と関係なく退位させる制度を作ることは憲法上問題がある。

制度[編集]

譲位を容認する場合の制度的な議論。また譲位を認めるには退位した天皇の称号、居所、生活費などの法整備をする必要がある。

皇室典範改正[編集]

  • 恒久的な制度にすべき。
  • 年齢制限を儲ける改正。
  • 特例法は憲法違反に近く、良くない先例となる。
  • 特別法(特例法)設置は皇室典範の権威を損なう。
  • 高齢を理由とした執務不能の自体は今後も十分に起こり得るためその都度特例を儲けるのは妥当ではない。
  • 憲法第2条は、皇位継承について「皇室典範」で定めよと指定している。[26]
  • 皇位継承が政治利用される危険を防ぐために、そのルールは一般法の形で明確に定めておくべきであり、特定の皇位継承にしか適用されない特別法の制定は好ましくない[26]
特例法(特別措置法[編集]
  • 退位を認める要件や恣意的な退位を防ぐ規定などを議論する必要があり、時間がかかる。
  • 現天皇の事を考え迅速な対応が必要。
  • 皇室典範改正を前提とした法律にする。
  • 皇室典範の一条項や附則として制定する。

徳川家の譲位[編集]

君主ではないが、徳川将軍家の場合、将軍が死去まで在任せず[27]、存命中のうちに後任者に将軍の役職を譲ることがよく行われていた。中でも、退任後も政治的影響力を持っていた前任の徳川将軍は、大御所とも呼ばれた。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c 『週刊ダイアモンド 2016 9/17 36号』 ダイヤモンド社
  2. ^ 「生前退位」は「歴史の書物にない表現」 皇后さま、違和感表明 NHKの反応は…
  3. ^ a b 「退位」と「譲位」の使い分けは? 天皇陛下めぐる報道
  4. ^ 産経「譲位」に用語変更 朝日も「生前退位」不使用 他社は表記の混乱も
  5. ^ ただし、この時代には天皇の在位中の崩御は禁忌とされていたため、新天皇への譲位・践祚の儀式が終わった後に、旧主(上皇)としての葬儀が行われている(井原今朝男『中世の国家と天皇・儀礼』校倉書房、2012年、p.168)。
  6. ^ 伊藤博文 著 『皇室典範義解』 第十条
  7. ^ 坂本一登 著 『伊藤博文と明治国家形成―「宮中」の制度化と立憲制の導入』:180頁(文庫版:248頁) 「しかし、伊藤井上毅の意見を無視し、君位を君主の個人的な意思に委ねないという見地から、天皇の譲位それ自体を明白に否定したのである。」 (大久保啓次郎. “明治国家形成期における井上毅の事績~福澤諭吉の時代から井上毅の時代へ~ (PDF)”. 2014年7月16日閲覧。
  8. ^ 「高輪会議」における『皇室典範再稿(柳原前光内案)』逐条審議、伊藤決裁[第十二条(譲位)、第十五条(太上天皇)] : 皇室典範、皇族令、草案談話要録 (秘書官伊東巳代治、明治20年3月20日) は、小林宏島善高編著『明治皇室典範〔明治22年〕上 : 日本立法資料全集本巻 16』(1996年5月26日発行、信山社出版)、梧印文庫研究会編著『梧陰文庫影印−明治皇室典範制定本史-』(1986年8月1日発行、國學院大學)、国立国会図書館憲政資料室所蔵「憲政史編纂会収集文書」に所収。
  9. ^ 島善高 「五味均平旧蔵「日本帝国皇室典範」について〔含 翻刻〕」、 『早稲田社會科學研究』(早稲田大学社会科学部学会) (合併号 早稲田人文自然科学研究40号)、 1991年10月 pp.383-405 。 NAID 120000792979早稲田大学リポジトリ内) 2016年(平成28年)7月16日閲覧
  10. ^ a b 自発的退位(譲位)の問題については、 [ 兵藤守男 「皇位の継承」 (2.3. 継承の放棄)、 『法政理論』(新潟大学法学会) (第40巻第2号)、 2007年12月25日 pp.142-148 。 NAID 110009004834新潟大学学術リポジトリ内) 2016年(平成28年)7月18日閲覧 ] が詳しい。日本国憲法下において、自発的退位(譲位)を認めるべきであるという意見は、皇室典範制定当初から現在に至るまで、様々な観点や理由から出されている。制定審議の代表例としては、第91回帝国議会貴族院本会議(昭和21年12月16日)での南原繁による質問演説(2016年7月18日閲覧)が挙げられる。
  11. ^ 幣原復員庁総裁・国務大臣答弁[貴族院]、金森国務大臣(憲法担当)答弁[衆議院貴族院]、田中文部大臣答弁[貴族院]。皇室典範案会議録一覧 - 国立国会図書館、日本法令索引。
  12. ^ 皇室典範に規定する事項に関する試案(金森国務大臣) - 国立公文書館 デジタルアーカイブ
  13. ^ 林(修) 法制局長官答弁 「これは一言で申しまして、天皇には私なく、すべて公事であるという考え方も一部にあるわけであります。やはり公けの御地位でございますので、それを自発的な御意思でどうこうするということは、やはり非常に考うべきことである。そういうような結論から、皇室典範のときに、退位制は認めなかったのであるということを、当時の金森国務大臣(註.第91回帝国議会衆議院本会議/昭和21年12月5日)はるるとして述べておられます。この問題は、実は皇室典範の審議されたときの帝国議会においては、皇室典範の論議の半分ぐらいを占めております。」 衆議院会議録情報 第31回国会 内閣委員会 第5号 昭和34年2月6日”. 国立国会図書館「国会会議録検索システム」. 2016年7月16日閲覧。
  14. ^ 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
  15. ^ 重祚して斉明天皇として再即位した際は崩御まで在位した。
  16. ^ 重祚して称徳天皇として再即位した際は崩御まで在位した。
  17. ^ 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
  18. ^ 天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議
  19. ^ 読売新聞 2016年12月1日
  20. ^ 讀賣新聞 2017年1月17日東京本社版
  21. ^ a b c 「天皇」有識者会議 摂政論には無理がある 毎日新聞2016年11月21日 東京朝刊
  22. ^ a b 陛下はなぜ「摂政」を望まれないのか 過去64例、設置理由「幼少」が最多
  23. ^ 天皇陛下退位ヒアリング 2回目の議事録公表
  24. ^ 石川健治「人間七十年」『法学教室』2016年10月号巻頭言参照
  25. ^ 天皇の生前退位 反対論者に共通するのは政治混乱への危惧
  26. ^ a b 皇室典範どこまで変えるべきか - 木村草太(首都大学東京教授)
  27. ^ 徳川将軍の中で亡くなるまで終身将軍に在職していたのは3代家光、4代家綱、5代綱吉、6代家宣、7代家継、10代家治、12代家慶、13代家定、14代家持の9名。他の将軍就任者は存命中に将軍職を退任している。

関連項目[編集]