遠藤一彦

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遠藤 一彦
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福島県西白河郡西郷村
生年月日 (1955-04-19) 1955年4月19日(62歳)
身長
体重
184 cm
72 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1977年 ドラフト3位
初出場 1978年8月15日
最終出場 1992年10月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 横浜ベイスターズ (1997 - 2003)

遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手投手)・コーチ解説者

元プロ野球選手の遠藤政隆とは従弟にあたる。

経歴[編集]

学法石川高校では1972年、2年生時に中堅手、控え投手として夏の甲子園予選東北大会決勝に進出。東北高と対戦し6回からリリーフに立つが3-6で敗退。翌1973年にはエース、四番打者として県予選決勝に進むが双葉高に1-2で惜敗、甲子園には届かなかった。

卒業後は東海大学に進学。原辰徳は東海大の後輩にあたり、在学中は共にプレーしている。首都大学野球リーグでは5回優勝。1976年全日本大学野球選手権大会では、吉田恭之投手(松下電器)との二本柱で勝ち進み、決勝で斉藤明雄投手を擁する大商大を2-1で降し優勝を飾った。翌1977年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で駒大に延長10回の熱戦の末に敗れ、準優勝に終わる。リーグ通算47試合登板、28勝5敗、防御率1.11、200奪三振。最高殊勲選手1回、最優秀投手2回、ベストナイン1回受賞。大学同期に石井昭男外野手、林良孝投手(本田技研鈴鹿)がいる。1977年のドラフト会議横浜大洋ホエールズから3位指名を受け入団。なお大学時代は建築学を学んでおり、設計士になるのが夢だったという。そのためドラフト指名された当初は社会人野球に内定していたこともあり固くプロ入りを拒否していた。しかし地元福島へ帰る電車の中でスカウトが粘り強く説得した結果、入団にこぎつけた。

プロ一年目の1978年シーズン終盤に一軍に昇格しプロ初勝利を挙げるが、監督の別当薫の育成方針によりほとんど二軍生活だった。別当からは春先に下手投げへの変更命令が出ていたが[1]、二軍投手コーチだった堀本律雄から上で投げるようにと進言され[1]、本格派投手としての一歩を踏み出す。1979年前半戦は先発、後半戦は抑えとして12勝12敗8Sの成績を挙げるも、新人王はリーグ勝率1位の藤沢公也が受賞した。1980年はほぼシーズンを通してリリーフに専念。翌1981年に1年先輩の斉藤明雄と入れ替わる形で先発投手に復帰。以後、弱小時代のホエールズのエースとして活躍する。

1982年から6年連続二桁勝利をあげる。1983年には18勝9敗3S、186奪三振、防御率2.87の成績[2]ベストナイン最多勝最多奪三振、最多完投沢村賞を獲得。1984年も17勝17敗、208奪三振の成績で2年連続の最多勝、最多奪三振を記録[3]するものの打線の援護に恵まれず敗戦もリーグワーストを記録した。勝率がジャスト5割での最多勝獲得はセ・リーグではこの年の遠藤のみである[4]。17勝目を挙げた10月13日の対ヤクルト戦では9回2アウトまで抑えた所でこの年限りでの現役引退を表明していた平松政次にマウンドを譲り、右翼手の守備に就いた。1986年にも最多奪三振を記録。

1987年10月3日の対巨人戦(後楽園球場)の5回表に三塁への走塁中に右足アキレス腱を断裂[5]。翌1988年に手術・リハビリを経て一軍復帰するが、5勝12敗で防御率4.76と復調せず、連続二桁勝利が途切れた。1990年に10年ぶりにクローザーへ転向し、6勝6敗21Sの成績を挙げ、カムバック賞受賞。1992年限りで現役を引退。引退試合は消化試合での巨人戦であったが、最後の勇姿を見ようと詰め掛けたファンで横浜スタジアムは満員となった。2回を無失点、140km/hを超えるストレートとフォークで有終の美を飾った。引退セレモニーではチームのほとんどの選手が涙で引退を惜しみ、ホエールズを長きにわたり一緒に支え続けた斉藤明夫(明雄より改名)とは、共に号泣して抱き合った。なおこの試合は「横浜大洋ホエールズ」としての最後の試合でもあった[6][7]

その後は1993年から1996年までTBSテレビTBSラジオ解説者を経て、1997年から1999年まで横浜二軍投手コーチ、2000年から2003年まで一軍投手コーチを務めた。2004年からはTBSラジオ(2005年まで)・TBSニュースバードテレビ神奈川の解説者を務めている。

2009年6月1日付で神奈川県鎌倉市観光協会専務理事に就任[8]。2015年5月31日付けで解任。また、ジャパンアスレチックアカデミー(横浜スタジアム室内練習場で開催)で小中学生への野球指導を行っている。

選手としての特徴[編集]

オーバースロー[1]からのストレートの球速は、本人によれば大学時代で135~6km/h程度で、プロ入り後も140km/h台前半だったという[9]。持ち球も入団直後はカーブしかなかったが[10]、入団2年目に最大の武器となるフォークを習得した[10]。フォークは2種類あり、シュート気味に落ちるフォーク、スライダー気味に曲がりながら落ちるフォーク(今で言うところのフォッシュ[10]。そのほかチェンジアップも持ち球とした[10]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1978 大洋 11 2 1 0 1 1 0 0 -- 1.000 96 23.2 20 2 6 1 1 18 0 0 13 12 4.50 1.10
1979 47 24 8 1 0 12 12 8 -- .500 840 203.1 198 29 54 3 1 165 2 0 89 86 3.81 1.24
1980 54 2 0 0 0 5 5 16 -- .500 435 105.0 92 15 31 8 0 108 0 1 41 37 3.17 1.17
1981 35 17 5 0 1 8 11 2 -- .421 586 135.1 144 15 51 5 2 96 3 0 62 59 3.93 1.44
1982 38 34 12 4 1 14 17 1 -- .452 1018 243.2 229 27 71 7 2 177 3 0 98 83 3.06 1.23
1983 36 28 16 3 1 18 9 3 -- .667 959 238.1 219 31 42 7 5 186 2 2 81 76 2.87 1.10
1984 38 37 18 2 3 17 17 0 -- .500 1138 276.2 255 39 60 3 2 208 1 1 132 113 3.68 1.14
1985 28 28 16 2 3 14 7 0 -- .667 869 214.1 188 25 51 1 1 154 2 0 82 75 3.15 1.12
1986 31 31 16 1 7 13 13 0 -- .500 967 233.0 242 29 31 4 1 185 4 0 92 78 3.01 1.17
1987 23 23 15 1 6 14 7 0 -- .667 729 181.1 172 21 25 5 2 107 0 0 62 58 2.88 1.09
1988 23 21 1 0 0 5 12 0 -- .294 465 109.2 123 17 22 1 1 67 0 0 63 58 4.76 1.32
1989 19 16 1 0 0 2 8 0 -- .200 384 89.0 113 22 14 1 2 69 2 0 61 61 6.17 1.43
1990 45 0 0 0 0 6 6 21 -- .500 281 70.2 51 7 18 7 1 55 0 0 21 17 2.17 0.98
1991 19 0 0 0 0 2 2 7 -- .500 108 25.0 26 5 9 3 0 18 2 0 16 16 5.76 1.40
1992 13 13 0 0 0 3 2 0 -- .600 253 59.1 65 7 13 0 0 41 1 0 28 27 4.10 1.31
通算:15年 460 276 109 14 23 134 128 58 -- .511 9128 2208.1 2137 291 498 56 21 1654 22 4 941 856 3.49 1.19
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

  • 最多勝:2回 (1983年、1984年)
  • 最多奪三振(当時連盟表彰なし):3回 (1983年、1984年、1986年) ※セントラル・リーグでは、1991年より表彰

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 1000投球回数:1984年5月6日、対中日ドラゴンズ6回戦(横浜スタジアム)、7回表3死目に達成
  • 1000奪三振:1985年5月16日、対阪神タイガース4回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に真弓明信から ※史上70人目
  • 1500投球回数:1986年5月22日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回表2死目に達成
  • 100勝:1986年8月30日、対ヤクルトスワローズ19回戦(鳥屋野運動公園野球場)、9回1失点完投勝利(自責点0) ※史上93人目
  • 1500奪三振:1989年8月20日、対中日ドラゴンズ21回戦(草薙球場)、1回表に川又米利から ※史上30人目
  • 2000投球回数:同上、1回表3死目に達成 

背番号[編集]

  • 38 (1978年)
  • 24 (1979年 - 1992年)
  • 83 (1997年 - 2003年)

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 『江川は小次郎、俺が武蔵だ!』(ロングセラーズ:1986年3月)

[編集]

ドラマ出演[編集]

CM出演[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 週刊ベースボール2014年11月10日号 P82
  2. ^ 年度別成績 1983年 セントラル・リーグ
  3. ^ 年度別成績 1984年 セントラル・リーグ
  4. ^ パ・リーグでは2001年の松坂大輔の例がある。
  5. ^ 3度目の最多勝が…孤高のエース・遠藤、アキレス腱断裂
  6. ^ 大洋ラストゲーム 遠藤一彦引退、三浦大輔初登板
  7. ^ この試合で三浦大輔がプロ初登板を果たしている。
  8. ^ 鎌倉の“宣伝マン”に元大洋投手・遠藤一彦さん 神奈川新聞 2009年7月9日
  9. ^ 週刊ベースボール2014年11月10日号 P80
  10. ^ a b c d 週刊ベースボール2014年11月10日号 P81

関連項目[編集]