関川浩一

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関川 浩一
Sekikawa koichi hanshin.jpg
阪神コーチ時代
(2012年8月17日、明治神宮野球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都調布市
生年月日 (1969-04-01) 1969年4月1日(48歳)
身長
体重
178 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手捕手
プロ入り 1990年 ドラフト2位
初出場 1991年7月31日
最終出場 2007年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

関川 浩一(せきかわ こういち、1969年4月1日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手外野手捕手、右投左打)、コーチ

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校時代は調布リトル、中学時代は同シニアに所属し、中学3年の夏には全日本選手権にて優勝を果たす。その後桐蔭学園高校に進学。入学早々の1年時の夏、後に慶應義塾大学のエースとして活躍した志村亮投手らと共に第66回全国高等学校野球選手権大会に出場。6番右翼手としてスタメン出場で活躍。その後は、強肩強打の捕手として活躍した。卒業後は駒澤大学に進学。東都大学リーグ通算50試合出場、161打数42安打、打率.261、3本塁打、13打点。捕手として大学リーグベストナインに2回輝く。また日米大学野球選手権大会にも出場した。

1990年のドラフト会議阪神タイガースから2位指名を受け入団。

阪神時代[編集]

1993年に出場機会を増やし89試合に出場し、プロ初本塁打を放った。1994年は103試合に出場し、規定打席不足だったが打率.269と好成績を残したが、守備面ではリーグワースト記録となる盗塁阻止率.125[要出典]であった。

1995年に初の規定打席到達を果たし、また外野手としての出場も増えた。

1997年オフに久慈照嘉と共に大豊泰昭矢野輝弘との2対2の交換トレード中日ドラゴンズへ移籍。

中日時代[編集]

広いナゴヤドームに適応できる野手として外野手専任となり、前年内野手として不本意なシーズンを送った立浪和義、投手として伸び悩んでいた井上一樹と共に外野守備コーチの二宮至の特訓を受けた。当時監督の星野仙一から重用され、移籍1年目からレギュラーとなり、1998年は125試合に出場し、3割は逃したが、3年ぶりに規定打席に到達し、打率.285の成績を残した。

1999年は自身最高の成績となる打率.330・4本塁打・60打点・20盗塁を記録し、リーグ優勝の牽引役を果たした。主に1番打者として出場した他、勝負強さを買われて3番で起用されることも多かった。しかし日本シリーズ第1戦、ダイエーの先発工藤公康に狙い球を待つ時の癖を見破られ、そこを徹底的に突かれたことにより、パニックに陥り思い切りバットを振れなくなってしまう[1]。結果、日本シリーズ第5戦まで19打席0安打と1安打も放てず、ダイエーに1勝4敗で敗れた。

2000年、さらに2001年と、出場試合数も、打率も下降し続けた。監督が山田久志に代わった2002年福留孝介の外野手転向や英智の台頭もあり出番が減り、73試合の出場に留まった。打率.212と低迷した。2002年に当時テレビ東京アナウンサーの家森幸子と結婚。2003年は、107試合に出場し、規定打席に届かないものの3割を超えた。

2004年は新監督に落合博満が就任し、リーグ優勝を果たすものの自身は移籍後最少の12試合出場に留まり、プロ入り後初のノーヒットに終わった。外野陣は福留・アレックス・英智の3人で埋められており、出番が回ってくることはほとんどなかった。同年オフ、無償トレード小山伸一郎と共に新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。

楽天時代[編集]

2005年3月26日ロッテとの開幕戦千葉)に1番左翼手で先発出場。新球団1人目の打者となった(初回表先頭打者として相手先発清水直行の初球を左飛)。4月6日の日本ハム戦で通算1000本安打を達成。同時にこの1000本目の安打は球団史上初の猛打賞、及び球団史上初の三塁打となった。

2006年9月5日オリックス戦(仙台)に2番で先発出場し、1試合犠牲バント4個の日本プロ野球タイ記録(過去6人)を達成した。またこの年の後半戦から、監督の野村克也が「藤井彰人カツノリが負傷した際に捕手を守らせる」という意向で、捕手守備の練習にも取り組んだが、実際に守備に就くことはなかった。故障の影響で81試合の出場に終わった。

2007年は若手選手の台頭や自身の不調もあり、出場機会が激減、9月24日に同年限りで現役引退を表明。引退試合の10月4日の対ロッテ23回戦で、1番中堅手としてフル出場し4打数1安打。現役最後の打席は代名詞となったヘッドスライディングを見せるも一塁ゴロ。相手投手は清水直行で、奇しくも楽天初の公式戦で先頭打者として対戦したのと同じ相手だった。試合後の引退セレモニーでは、監督に試合に出してもらえるよう頼んだところ、上記のように1番中堅手で起用されたことに感謝の意を述べ涙した。プロ17年間の思い出について、「(1999年に)星野監督を胴上げすることができたこと。あの年は星野監督の笑顔を見たくて一生懸命やっていた」と話している。この年の出場数は17試合だった。11月30日に、自由契約選手としてNPBから公示。

現役引退後[編集]

楽天コーチ時代(2011年8月30日、こまちスタジアム

2007年秋季キャンプから楽天一軍打撃コーチ補佐に就任し、2009年10月26日に来季の契約を結ばない事を発表された[2]

2010年韓国プロ野球SKワイバーンズの一軍打撃コーチを務め、同年の公式戦優勝、韓国シリーズ優勝に貢献した。(韓国では、本人の意思で自宅から球場までMTBで通勤をしていた。)

2011年には、楽天の監督に星野が就任したことを受けて、二軍外野守備・走塁コーチとして同球団に復帰。5月15日に一軍外野守備・走塁コーチへ異動したが、10月30日に退団が発表された[3]

2012年からは、阪神の監督に就任した和田豊から招聘され[4]同球団の一軍外野守備・走塁コーチに就任[5]。、8月17日の対東京ヤクルトスワローズ戦ではマット・マートンの守備でのミスを巡って試合後にマートンと衝突した[6]2013年からは一軍打撃コーチとなった。

阪神の一軍打撃コーチ時代の公式戦では、NPBが定めたベンチ登録コーチ数の上限(最大7名)との兼ね合いから、ユニフォームを着用せず(登録コーチに数えられない)スコアラーとしてポロシャツ姿でベンチに入っていた。就任3年目の2015年に、チーム打率がセントラル・リーグ4位、総得点数・総安打数がリーグ5位と低迷[7]同月15日に球団からコーチ契約の解除を通告された[8]

2015年11月19日に、福岡ソフトバンクホークスの一軍野手総合巡回コーチに就任した[9]デイリースポーツによるとこのポストでは、基本として一軍で活動しながら、監督・工藤公康からの指名で二軍・三軍の野手に関する情報収集や指導も担当し[10]、就任会見で「工藤監督の手足となって動けるようにしたい。選手が一番いい状態でいられるよう手助けするのが役割」と抱負を述べたものの[11]、試合中の作戦面やまた選手の昇降格などで試行錯誤を繰り返す事が多く[12]、最大11.5差をつけたものの失速し、三連覇を逃し、一年で解任され、野手総合巡回コーチという役職も一年で廃止され、2017年1月30日、作戦・戦略アドバイザーに就任した[13][14]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1991 阪神 10 30 28 3 8 2 0 0 10 0 0 0 0 0 2 0 0 11 0 .286 .333 .357 .690
1992 31 46 43 1 5 1 0 0 6 2 0 0 0 0 3 0 0 13 1 .116 .174 .140 .313
1993 89 262 233 22 65 4 1 1 74 19 2 5 2 0 26 1 1 61 3 .279 .354 .318 .671
1994 103 320 283 27 76 8 1 2 92 27 2 4 9 2 26 2 0 37 5 .269 .328 .325 .653
1995 124 471 417 62 123 17 5 2 156 30 12 8 7 2 44 1 1 74 2 .295 .362 .374 .736
1996 113 382 344 32 108 21 2 2 139 28 5 6 2 4 32 7 0 60 2 .314 .368 .404 .772
1997 95 285 245 28 75 12 2 5 106 26 3 4 2 2 34 8 2 39 4 .306 .392 .433 .825
1998 中日 125 449 382 62 109 13 2 1 129 36 15 3 13 3 47 2 4 57 5 .285 .367 .338 .705
1999 135 591 522 74 172 28 6 4 224 60 20 11 11 8 48 2 2 73 6 .330 .383 .429 .812
2000 127 485 419 50 109 19 2 3 141 29 8 6 13 4 46 2 3 72 3 .260 .335 .337 .671
2001 65 212 180 20 40 4 0 1 47 8 3 3 7 0 24 2 1 34 0 .222 .317 .261 .578
2002 73 137 118 13 25 7 1 0 34 13 4 2 9 2 8 1 0 24 1 .212 .258 .288 .546
2003 107 282 247 35 78 11 1 2 97 23 3 4 4 2 28 1 1 39 2 .316 .385 .393 .778
2004 12 11 11 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
2005 楽天 101 294 258 30 74 16 2 0 94 12 7 6 6 2 26 0 2 53 1 .287 .354 .364 .719
2006 81 233 199 26 57 8 0 1 68 9 7 3 16 0 16 0 2 45 5 .286 .346 .342 .687
2007 17 25 24 4 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 0 0 1 5 0 .208 .240 .292 .532
通算:17年 1408 4515 3953 490 1129 173 25 24 1424 324 91 65 101 31 410 29 20 702 36 .286 .353 .360 .713
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


捕手 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1991 10 7 7 0 .000
1992 20 4 3 1 .250
1993 86 43 30 13 .302
1994 99 48 42 6 .125
1995 94 82 57 25 .305
1996 33 21 16 5 .238
1997 60 53 36 17 .321
1998 - 120 237 6 2 1 .992
1999 - 135 252 5 3 1 .988
2000 - 123 209 9 2 0 .991
2001 -
2002 -
2003 -
2004 -
2005 - 95 162 3 3 1 .982
2006 - 68 98 3 2 1 .981
2007 - 5 7 0 0 0 1.000
通算 402 258 191 67 .260

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 21 (1991年 - 1996年)
  • 22 (1997年)
  • 23 (1998年 - 2007年)
  • 81 (2008年 - 2009年)
  • 88 (2010年)
  • 75 (2011年)
  • 78 (2012年 - 2014年)
  • 77 (2015年)
  • 72 (2016年)

脚注[編集]

  1. ^ 報道ステーション 2012年10月26日放送「日本シリーズ必勝の鉄則“キーマンをつぶせ!”」より[出典無効]
  2. ^ 来季のコーチ契約について楽天球団公式サイト2009年10月26日配信
  3. ^ 来季のコーチ契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス (2011年10月30日). 2011年10月31日閲覧。
  4. ^ 【緊急連載4】監督とコーチの仲たがいデイリースポーツ2015年10月1日
  5. ^ 関川浩一氏のコーチ就任について”. 阪神タイガース (2011年10月31日). 2011年10月31日閲覧。
  6. ^ 拙守のマートン 関川コーチに逆ギレ 登録抹消へ スポーツニッポン、2012年8月18日
  7. ^ 2015年 セントラル・リーグNPB
  8. ^ 来季のコーチ契約について阪神タイガース公式サイト2015年10月15日
  9. ^ 新入団コーチのお知らせ福岡ソフトバンクホークス公式サイト2015年11月9日
  10. ^ ソフトバンク三軍野手情デイリースポーツ2015年11月12日
  11. ^ 関川コーチ、高村コーチが宮崎で入団会見球団公式サイト2015年11月12日
  12. ^ 工藤体制新ポスト 達川氏ヘッドコーチ 西日本新聞、2016年10月17日
  13. ^ コーチの退任について 球団公式サイト2016年10月28日
  14. ^ 2017/01/30 プレスリリース 球団人事について”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2017年1月30日). 2017年5月13日閲覧。

関連項目[編集]