鹿児島県立甲南高等学校
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| 鹿児島県立甲南高等学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 | 鹿児島県立中学造士館 鹿児島県立第二鹿児島中学校 鹿児島県立第二高等女学校 鹿児島県立鹿児島高等学校第四部 鹿児島県立鹿児島高等学校第二部 鹿児島県甲南高等学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 鹿児島県 |
| 学区 | 鹿児島学区 |
| 併合学校 | 鹿児島県立鹿児島高等学校第四部 鹿児島県立鹿児島高等学校第二部 |
| 創立記念日 | 5月25日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 46102E |
| 所在地 | 〒890-0052 |
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鹿児島県鹿児島市上之園町23番地1
北緯31度34分46秒東経130度32分46.4秒 |
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| 外部リンク | 公式サイト |
鹿児島県立甲南高等学校(かごしまけんりつこうなんこうとうがっこう 英語: Kōnan High School)は、鹿児島県鹿児島市上之園町にある同県立の高等学校。
目次 |
概要
- 前身
- 鹿児島県立中学造士館(通称・造士館、1884年設立)
- 鹿児島県立第二鹿児島中学校(通称・二中、1906年設立)
- 鹿児島県立第二高等女学校(通称・二高女、1910年設立)
- 校訓
- 「剛・明・直」
- 「気高く・優しく・健やかに」
- それぞれ、二中と二高女の校訓を受け継いでいる。
- 校風を表す言葉
- バンカラ
- 質実剛健
- 尚武
- 甲南民族 - 同窓生の連帯意識の強さを表す言葉。
- 校章
- 二中の「鹿の角」と二高女の「桜撫子」を組み合わせて図案化したもので、当時の美術部員が考案した[1]。
- 校名の由来
- 本校所在地である甲突川の南に、大久保甲東(大久保利通)の生誕地と西郷南洲(西郷隆盛)の居住地跡があり、両先人の名に通ずる[2]。
- 「甲」の文字には、“きのえ”といわれるように、十干の最初の文字で「第一位」という意味がある[3]。
- 校名候補として他に「鹿児島」「荒田」「麑城(げいじょう)」があった(関連は後述)[4]。
- スクールカラー
- 校内のシンボル
- クス(楠,樟)
- 創立100周年を記念し校木に制定された。校庭の本館東校舎そばにある。
- 蔦
- 本館北校舎中2階(文学部が使用している部屋)の外壁に生い茂っている。同窓会誌名『蔦のある窓』はこれに由来する。また、当校文学部は、深海魚族の別冊として『つた』という名称の冊子を、年誌『甲南』各号で確認できただけでも過去3回発行している。
- ドーム
- 本館正面玄関の真上にある。このドームの外壁に国旗、県旗、校旗の掲揚ポールがあり、校庭には掲揚台がない。校庭で行われる体育祭開閉会式の国旗、県旗、校旗掲揚降納もこのドーム脇の掲揚ポールで行われる。
歴史
- 藩校造士館を源流とする公立高等学校[5]。
- 甲南高校の歴史は、1906年(明治39年)4月、県立鹿児島中学校分校が県立第二鹿児島中学校と改称されたときに始まると一般的には認識されている[6]が、鹿児島県黎明館史料編纂委員で鹿児島県立図書館史料刊行委員や西郷南洲顕彰会副委員長を兼務している山田尚二や元尚古集成館館長の芳即正をはじめとした郷土史研究家や県教育史編集委員らは、前身二中の歴史について、1878年設立の県立鹿児島中学と1881年設立の公立鹿児島学校まで遡ることができるとしている[7]。また、鹿児島大学法文学部教授の原口泉は、二中は1884年(明治17年)設立の鹿児島県立中学造士館の流れを汲むと述べている[8]。詳細は後述)。
- 旧制中学校を前身とする高等学校の記念誌や学校案内パンフレット、入学式や記念式典での祝辞等において、設立当初時の「ナンバースクール[9]」のナンバー等を基に、「鹿児島県で何番目に設立された学校である」との表現が用いられることがある。
- なお、本校の歴史及び本県中等教育の歴史は、旧制高等学校教育課程(旧制七高)と重複する部分があり、すっきりしたものではない[10]。
沿革
前史
藩校造士館
- 1773年 - 藩校聖堂設立。
- 1786年 - 造士館と改称。
- 1864年 - 開成所設立。
- 1868年 - 上記2校を統合し、本学校設立(造士館跡、現・県文化センター前)。
- 1875年 - 組織改編し、変則中学校設立。
- 1875年 - 組織改編し、准中学校と英語学校に分離。
- 1877年 - 准中学校と英語学校、西南戦争のため廃校。
- 1878年 - 県立鹿児島中学設立(名山堀付近)。
- 1881年 - 公立鹿児島学校設立(在京県出身者有志の寄金による。鹿児島城跡)。
中学造士館
詳細は「中学造士館」を参照
(県立鹿児島中学と公立鹿児島学校を統合)
- 1884年12月 - 鹿児島県立中学造士館設立(鹿児島城跡、名称は「公立」だが実質的な運営は島津家)。
- 1888年4月 - 官立鹿児島高等中学造士館と改称。
- 1896年9月 - 鹿児島高等中学造士館を廃止。
- 1896年12月 - 鹿児島県立尋常中学造士館を新たに設置。
- 1899年4月 - 鹿児島県中学造士館と改称。
正史
鹿児島県立第二鹿児島中学校
(「造士館」の名称、校舎、敷地を新規設立の第七高等学校に移譲し、県中学造士館の生徒第三学年以下を収容)
- 1901年5月1日 - 鹿児島県第一中学校分校として山下町(中央公園敷地)の仮校舎に設立。
- 1901年9月1日 - 鹿児島県立鹿児島中学校分校と改称。上荒田町(現在地番整理で上之園町の一部)に移転。
- 1906年4月1日 - 鹿児島県立第二鹿児島中学校と改称。
- 1906年5月13日 - 創立記念式典挙行。二中創立記念日と定める。
- 1930年5月 - 現在の本校舎本館内部工事完了、新校舎へ移転。野球部甲子園大会出場。
- 1932年12月 - 創立25周年記念式典挙行。
- 1941年1月 - 忠魂碑竣工式挙行(現「追思の碑」)。
- 1948年4月1日 - 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第四部となる。
鹿児島県立第二高等女学校
- 1910年4月16日 - 師範学校男女に分離し、山下町の女子師範学校内に鹿児島県立第二高等女学校設立。
- 1940年4月 - 創立30周年記念式挙行。
- 1943年 - 官立昇格した女子師範学校から分離独立する。
- 1948年4月1日 - 学制改革により鹿児島県鹿児島高等学校第二部となる。
鹿児島県立甲南高等学校
- 1949年4月20日 - 鹿児島県鹿児島高等学校第二部(旧二高女)と第四部(旧二中)を統合して、鹿児島県甲南高等学校が発足する。
- 1949年5月25日 - 開校記念式典挙行(甲南高校創立記念日)。
- 1953年8月 - 野球部甲子園大会出場。
- 1956年4月1日 - 鹿児島県立甲南高等学校と改称。
- 1956年11月11日 - 創立50周年記念式典挙行。
- 1966年10月11日 - 創立60周年記念式典。体育館落成式挙行。
- 1971年7月15日 - 第1回甲南・鶴丸スポーツ交歓会(甲鶴戦)実施。
- 1976年5月30日 - 創立70周年記念式典挙行(「追思の碑」の上にブロンズ像建立)。
- 1982年10月9日 - 第1回薩摩半島縦走(枕崎市火の神公園-松ヵ浦-平川間、47キロメートル)実施。
- 1986年5月24日 - 創立80周年記念式典挙行。
- 1991年6月1日 - 創立85周年記念式典挙行。
- 1992年8月17日 - 彫刻家安藤照(二中卒)製作「古賀毅校長(現校舎建築に尽力)胸像」の寄贈を受ける。
- 1993年7月 - 本館3年生教室に冷房設置(同窓会寄贈)。
- 1994年4月 - 二人教頭制に移行。
- 1995年2月 - 推薦入学者選抜(面接・作文)実施。
- 1995年11月 - 図書室の改修完成。
- 1996年3月 - 本館の外壁舗装工事完成。
- 1996年5月 - 創立90周年記念式典挙行。
- 1996年7月 - 第1回国外体験学習(2年生、オーストラリア)。新屋内運動場改築工事着工。
- 1996年8月 - 1、2年生教室冷房設置(同窓会寄贈)。
- 1996年9月 - 記念庭園「追思の森」完成。
- 1996年11月 - タイムカプセル(新屋内運動場玄関下)埋設。
- 2000年4月21日 - 甲鶴戦第30回記念大会実施。
- 2001年4月 - KIプロジェクト導入開始。学校評議員制度モデル校に選定。
- 2006年11月 - 創立100周年記念式典挙行。
- 2007年7月 - 本館が国の登録有形文化財に登録される。
- 2007年10月 - 「二甲記念館」(百周年記念会館)が竣工。
「造士館」とのつながりについて
- 藩校造士館廃止
- 県立中学造士館設立まで
- 西南戦争後の1878年(明治11年)、県立鹿児島中学(監事は黒木才蔵。当初は本科4年、予科1年の編制。2年後に高等科2年、初等科3年の編制。後の県立鹿児島中学校や第一鹿児島中学校、私立鹿児島中学校とは無関係)が設立、1881年(明治14年)には、旧藩士や地元名士の出資により公立鹿児島学校(校長は椎原国幹。本科3年、予科1年の編制)が設立される。この二校並立は、当時の就学率からみても、適切なものではなかった[12]。
- 1884年(明治17年)、旧藩主・島津忠義が造士館の復興を県令に提案したところ、この二校を統合し、県立中学造士館(館長・島津珍彦)が設置されることになった[13]。
- 「県立」と冠してはいるが、設立経費、運営費一切は島津家が出資し県費の支出は全く無かったため、実質的には「私立」であった[14]。
- 県立中学造士館の官立移管
- 1886年(明治19年)中学校令が公布される。この年、藩校造士館出身の森有礼が文部大臣になり、統一的な日本の学校制度を作ろうとしていた。小・中・大学校、師範学校、専門学校という種別の学校を設置するというもので、中学校については、官立の高等中学校2年間、各県立の尋常中学校5年間とするシステムだった。島津家は政府に、経費は島津家で負担するから県立中学造士館を高等中学校にしたいと請願し、1888年(明治21年)官立鹿児島高等中学造士館と改称・組織改編し、本科、予科、補充科が設置された[15]。
- 高等学校令と尋常中学校設立
- 1894年(明治27年)、高等学校令が公布された。これは、森有礼文部大臣が制定した教育令の中学校と大学校の間に高等学校を作るというものだった。官立鹿児島高等中学造士館を高等学校に横滑りさせたいという島津家の考えもあったが、県の方針と折り合わず、まとまらなかった[16]。
- 一方この年、県立尋常中学校が創設された。これは県費つまり地方税によって設立された名実ともに鹿児島県立の中学校で、後の県立第一鹿児島中学校(一中、現在の鶴丸高校)となる[17]。
- 再び県立移管
- 1896年(明治29年)、官立鹿児島高等中学造士館は廃止されることになり、在籍生徒のうち上級生は第五高等学校などに転入、下級生は同時に設けられた県立尋常中学造士館に移った(1899年(明治32年)、中学校令の改正により「尋常」の名が無くなり、鹿児島県中学造士館と改称)[18]。
- 七高造士館設立
- そんななか、政府は高等学校を増設することになり島津家は政府に働きかけ、県中学造士館の上級生を母体とした高等学校を鹿児島に設立したいという運動を展開し、1901年(明治34年)「第七高等学校造士館」が鹿児島に誕生した[19]。
- 二中の設立
- 七高設立に伴い、それまでの県中学造士館と名称が重複するため、高等学校に「造士館」の館号を譲り、校舎や備品は寄付し、県中学造士館は形式上廃止された。しかしながら3年生以下の下級生が残っているため、同年5月、県第一中学校分校を設置し3年生以下を収容した[20]。
- 5年後の1906年(明治39年)、鹿児島県立第二鹿児島中学校(二中)と改称[21]。
- 二中の開校式は同年5月13日に執り行われたが、その式辞にて、校長事務取扱の事務官は「この学校は明治29年12月25日に新設され県立中学造士館と称したものが、明治34年4月30日に廃され、その5月1日に県立第一中学校分校として開校し、それが同年9月2日鹿児島県立鹿児島中学校分校と改称し35年5月29日にこの地に校舎新たになり」と述べ、中学造士館からの歴史を説き起こしている[22]。しかしながら、開校式が執り行われたこの日を創立記念日と定めたために、1884年(明治17年)に再興された中学造士館からの22年間は算入されなくなった[23]。
- 二中は中学造士館の流れを汲みながら、途中の変遷により分校と称した時期があるため、1901年(明治34年)から1905年(明治38年)までの卒業生は一中の卒業生名簿に掲載されている[24]。
戦後の学校統合問題と校名制定の経緯
- 新制「県立鹿児島高等学校」の設置
- 学制改革に伴って1948年(昭和23年)より新制高等学校開設の運びとなったが、鹿児島市では各旧制中学校を高等学校へそのまま切り換えようとする独立論と、県立の全中等学校の合同論とが対立した。結局は後者の論に落着したのであるが、部名については当初、一中を一部として順次、一高女、二中、二高女、工業、夜間と数字を付ける予定であった。しかし、「鹿児島の封建思想打破を主目的とする立場上、それは良くない」という県政当局からの勧告があり、それでは逆にしたらということで、工業から一部を始めたところ無事案が通った。しかしながら、教員の交流や人件費・教材の節減などから考慮された「県立鹿児島高等学校」も、職員200余名、生徒5,000余名では動きがままならず、校長を引き受ける人もなく欠員のまま1949年(昭和24年)に突入した[25]。
- 統合問題
- そのころ、実業系高等学校の振興が叫ばれ、それと共に「県立鹿児島高等学校」の存廃論が起こったため各部の連絡協議会でも屡議題となり、別に統合に関する委員会を組織した。工業の独立については問題なかったが、他の部をどうするかが世論を賑わし、一中と二中、一高女と二高女の統合案、一中と二高女、二中と一高女の統合案もあったがいずれも成立せず、結局、人員の適正や校舎の問題(二中と一高女は新しい鉄筋校舎であった)から一中と一高女、二中と二高女の統合に落ち着いた。すると次は、校名問題が期せずして起こった[26]。
- 校名問題
- 各部の連絡協議会では、新設される各校とも「県立鹿児島高等学校」の襲名を希望した。そのため、いずれにその名を残すかが大問題となり、これを襲名すると襲名校が将来、「県立鹿児島高等学校」の本統を嗣いだという誤解を与えるので、これはお互いに遠慮するようにという県当局の意向もあり、これを受けて各部ではそれぞれ委員を選出し、各自別案を研究することになった。二中と二高女の委員会においては、先の協議会での協定に従って案を練った結果、「荒田」「麑城(げいじょう)」「甲南」等の候補から「甲南」が選出され、これを県教委に届け出た[27]。
- 一方、一中と一高女の委員会でも校名問題で議論沸騰し、「中央」等の案が出たが、これは封建思想を代表するもので自校のみが県下の学校の中心を自任するものであるから民主主義の時代には不可であると認められず、ついには「鹿児島高等学校」の名を選出し県教委に届け出た。ところが、先に協定に従って「甲南」を届け出た二中と二高女の委員会はこれに憤慨、再協議し「鹿児島高等学校の名は我々も喉から手が出るほど欲しいが、これを敢えて我慢し“甲南”の名称を届け出たのは先の協定を守るためだった。一中と一高女の委員会でこれを反故にするなら、我々も独自の考えで行くべきだ」として、「甲南」の名称を破棄し改めて「鹿児島高等学校」の名を決議し県の各課と交渉した。県教委でも非常に困惑し、2校関係者で再協議するよう通達、最終的には再び「甲南」を採用した。一方、一中と一高女は鹿児島城の別名鶴丸城から「鶴丸」の名を採用した[28]。
- こうして「甲南」と名付けたのであるが、県内でもしばらくは、どこにある学校かとよく質問され、まして一歩県外に出ると、神戸の旧制甲南高校とよく間違われたという[29]。
教育方針・進路
- 教育方針
- 近代日本に多くのリーダーが輩出した鹿児島の地にある高校として、ボーダーレス化が進むグローバル社会をたくましく生き抜いていく「地球規模でものを考えるリーダーの育成」を新たな教育方針としている。この教育方針の達成のため、特徴的な教育活動のひとつとして、2001年から「KIプロジェクト(Konan Innovation Project) 」と呼ぶ課題探求型の独自の総合的な学習の時間に取り組んでいる[30]。
- 国際社会で活躍できる基本的資質として特に重要な、(1) 人間性 (humanity)、(2) 創造性 (creativity)、(3) 指導力 (leadership) の3つの資質を養成することを目標としている[31]。
- 進路
主な行事
- 甲南・鶴丸スポーツ交歓会(後述)
- 甲南塾(後述)
- 甲南タイム(通年)
- 体育祭(9月)
- 文化祭(9月)
- 薩摩半島縦走(10月)
- KIプロジェクト
- パワーアップセミナー(1年次、学習指導)
- 修学旅行(2年次、国内)
- 甲鶴戦(甲南・鶴丸スポーツ交歓会)
- 正式名称は「甲南・鶴丸スポーツ交歓会」。第9回大会で定められている[33]。
- スポーツの交歓を通して両校の親睦を図り、甲南生としての自覚と連帯感を高めることを目的として、1971年(昭和46年)から始まった。旧制中学校時代にも、一中と二中の間で柔道の定期戦があった[34]。
- 毎年4月に行われ、陸上競技、球技、武道、競泳の15競技17種目(2008年(平成20年)現在)で勝敗を競う。
- 甲南塾
- 社会の第一線で活躍している先輩の考え方や生き方に学ぶことを目的に、新しい教育方針の実現を図るための一環として2001年(平成13年)から始まった[35]。
- 年に5回程度卒業生を招いて講演会を行い、先輩との接触・交流を図ることにより、甲南生としての自覚とアイデンティティの確立を目指している[36]。
- すでに招待された講演者のなかには、学界人や経済界人などのほか、タレントの恵俊彰や指揮者の下野竜也などがいる。
登録有形文化財(本館)
- 2007年(平成19年)7月31日、本館が国の登録有形文化財に登録された。
- 登録番号
- 第46-0037号
- 登録基準(平成8年8月30日 文部省告示第152号、改正 平成17年3月28日 文部科学省告示第44号)
- (2)造形の規範となっているもの。
- 初期のRC造学校建築。正面上部のドーム形塔屋が特徴的。
- 建物概要
- 鉄筋コンクリート造(一部鉄骨)の3階構造。
- 建築面積705坪(延べ床面積2,029坪)。
- 工事費336,518円30銭(当時)。
- 1930年(昭和5年)7月10日竣工(校舎設計6ヶ月、工事2年)。
- 九州の旧制中等学校では初の鉄筋校舎にして県内最古の高等学校校舎。
- 県内の中等教育機関(新制中学校・高等学校を指す)では唯一、奉安庫が校長室に残っている[37]。
- 建物配置
- 敷地の有効活用を念頭に3階建てとし、敷地端に両翼を配置、正面入口は両翼が接した角にある。この角は鈍角で接合している。西日の強い光線を教室から遠ざけるため、廊下は東側の棟では西側(校庭側)、北側の棟では北側(校庭の反対側)に配置されている[38]。
- 設計者
- 三上昇(鹿児島県技師)[39]
- 日本近代建築総覧に「岩下松雄」と記されているが、鹿児島大学工学部名誉教授で鹿児島県文化財保護審議会委員の土田充義が、甲南高校校舎の設計について岩下に尋ねた際、設計を否定している。また、三上の息子は、鹿児島大学大学院理工学研究科の研究生の取材に対し、「父が設計したと伺っている」と答えている。なお、九州建築ガイドブックには「稲田実」とあるが、これについては不詳[40]。
その他特色
- 男子白線帽
- 制帽の白線3条は、戦後の学制改革の移行期である1948年から1949年の1年間だけ存在した(県立)鹿児島県鹿児島高等学校(六部制。第一部:旧工業学校、第二部:旧二高女、第三部:旧一高女、第四部:旧二中、第五部:旧一中、第六部:旧履正中(夜間課程))の制帽に付けられていた3条の白線を受け継いだものだが、前身二中の制帽にも白線1条があった[41]。
- 小説『海軍』・映画『海軍』
- 二中の卒業生で、軍神と言われた横山正治海軍少佐をモデルにした岩田豊雄(獅子文六)の小説『海軍』が、1942年(昭和17年)の7月から12月まで朝日新聞に連載された。
- この作品は、戦中の1943年(昭和18年、松竹、主演・山内明)と戦後の1963年(昭和38年、東映東京、主演・北大路欣也)の2度、同タイトルにて映画化(海軍 (映画)を参照)。2度とも本校でロケが行われ、映画には当時の鹿児島市内や本校の風景が映し出されている。在校生や教職員もエキストラとして出演した[42]。
- 二中通り
- 本校校門を出てすぐにある高麗本通りから、「交通局前」電停までの約300メートルの道を「二中通り」と呼び、そこに位置する店舗は「二中通り商店街」を形成している。
- 「交通局前」電停は、戦時中までは「二中通」電停という名称だった。
- この「二中通り」の「二中」とは、本校の前身「鹿児島県立第二鹿児島中学校」のこと。
- 甲南通り
- 鹿児島中央駅前から、本校校門前にある高麗本通り「甲南高校前交差点」まで約500メートルの道を「甲南通り」と呼ぶ。戦後、二中が甲南高校に改称してから名付けられたもの。
過去の主な部活動の成績
- 野球部
- 夏の甲子園に、二中時代を含めて2回出場した(1930年(昭和5年)全国中等学校野球選手権大会、1953年(昭和28年)全国高等学校野球選手権大会)[44]。
- ラグビー部
- 放送部(略称: KBC - Konan Broadcasting Club)
- 2007年(平成19年)、第54回NHK杯全国高校放送コンテスト創作テレビドラマ部門で優勝。作品名『画家と筆』。
- 2011年(平成23年)、第58回NHK杯全国高校放送コンテスト朗読部門で優勝。
- 文学部 (文芸部ではない)
- 1951年(昭和26年)に創部し、翌1952年(昭和27年)秋に機関誌『深海魚族』創刊[46]。この機関誌は2011年度現在も発行されている。
- 昭和30年前後の頃に南日本新聞紙上で新進詩人として若干の部員が紹介される。また、『深海魚族』掲載作品が県内某高校の国語の教材として使用される[47]。
- 2011年(平成23年)、第11回鹿児島県高校生文芸コンクールにおいて文芸部誌部門最優秀賞、詩部門優秀賞(2位)、散文部門優良賞。これにより、2012年(平成24年)の第36回全国高等学校総合文化祭文芸部門に文芸部誌と詩の2分野での出場が決定した[48]。
- 出身者に作家の宮内勝典(芥川賞候補)や相星雅子、ドイツ文学者の谷川道子(東京外国語大学名誉教授)らがいる[49][50]。
この他、書道部や水泳部等多数の部活動が全国大会・全国コンクールを含む場で活躍している。
出身者・関係者
源流である藩校造士館や中学造士館等の出身者は各校のページを参照。
- 政治・行政
- 四元義隆(二中18回) - 政界指南役、フィクサー、血盟団メンバー、元三幸建設工業社長
- 宮崎茂一(二中30回) - 元衆議院議員、元科学技術庁長官、元運輸省港湾局長
- 坂元貞一郎(二中31回) - 元厚生事務次官、元中外製薬副社長
- 鎌田要人(二中32回) - 元参議院議員、元鹿児島県知事、元自治事務次官
- 系光家(二中33回) - 元国税庁調査査察部長(ロッキード事件)、現弁護士
- 今村武俊(二中33回) - 元文部省初等中等教育局長、元鹿屋体育大学学長
- 土屋佳照(二中36回) - 元鹿児島県知事、元自治事務次官
- 南野知惠子(甲南5期) - 参議院議員(比例代表)、元法務大臣
- 小斉平敏文(甲南19期) - 前参議院議員(宮崎県選挙区)、前農林水産省大臣政務官
- 軍人
- 山本祐二(二中13回) - 旧海軍少将、戦艦大和乗務、長官・伊藤整一中将と戦死
- 入佐俊家(二中14回) - 旧海軍少将、「陸攻の神様」「海軍の至宝」と称された
- 横山正治(二中30回) - 旧海軍少佐、真珠湾攻撃における「九軍神」の1人
- 千早猛彦(二中) - 旧海軍大佐、メジュロ環礁偵察飛行
- 経済界
- 山下長(中学造士館) - オリンパス創業者
- 国生義夫(二中5回) - 元明治乳業社長
- 岩男秀彦(甲南1期) - マリックスライン会長
- 浜田広(甲南3期) - リコー最高顧問、元リコー社長、元日経連副会長
- 古川洽次(甲南8期) - 郵便局会社CEO兼会長 、前ゆうちょ銀行CEO兼会長、元三菱商事副社長
- 有村正意(甲南14期) - 元NTTドコモ関西社長、元郵政省通信政策局長
- 川畑安弘(甲南15期) - 世界銀行ビジネスインフォメーション・アドバイザー
- 前村哲路(甲南19期) - ユニー社長
- 金丸恭文(甲南23期) - フューチャーアーキテクトCEO兼会長、経済同友会幹事
- 岩男直哉(甲南33期) - マリックスライン社長
- 西牟田敏明(甲南34期) - ニシムタ社長
- 浅野恭右(甲南 期) - 流通システム開発センター常務理事
- 下竹原弘志(甲南 期) - 白水館代表
- 学界
- 鰺坂二夫(二中19回) - 教育学者、元甲南女子大学学長・名誉理事、元京都大学教育学部長・名誉教授
- 河口貞徳(二中21回) - 考古学者、鹿児島県考古学会会長
- 赤崎勇(二中40回) - 工学者、名城大学特任教授、名古屋大学特別教授、青色発光ダイオード開発者
- 徳永皓一(二中41回) - 心臓外科医、元国立病院機構九州医療センター院長
- 櫻井英樹(甲南1期) - 化学者、東北大学名誉教授、「細見・櫻井反応」発見者
- 山口定(甲南3期) - 政治学者、大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授、元日本政治学会理事長
- 米盛学(甲南3期) - 整形外科医、鹿児島県医師会会長
- 瀬地山敏(甲南6期) - 経済学者、鹿児島国際大学学長、元京都大学経済学部長
- 納光弘(甲南11期) - 内科医、元鹿児島大学附属病院長
- 愛甲孝(甲南14期) - 消化器外科医、元鹿児島大学附属病院長
- 紙屋敦之(甲南16期) - 日本近世史研究者、早稲田大学文学学術院教授、早稲田中学校・高等学校校長
- 谷川道子(甲南16期) - ドイツ文学・現代演劇研究者、東京外国語大学総合国際学研究院教授・前学長特別補佐
- 原口泉(甲南17期) - 日本近世史研究者、鹿児島大学法文学部教授、NHK大河ドラマ時代考証
- 外須美夫(甲南22期) - 麻酔科学研究者、九州大学大学院医学研究院教授、日本循環制御医学会理事長
- 荒殿誠(甲南22期) - 物理化学研究者、九州大学大学院理学研究院院長・理学部長
- 船津公人(甲南25期) - 化学システム工学研究者、東京大学大学院工学系研究科教授、ストラスブール大学招聘教授
- 報道・マスコミ
- 本田親男(二中20回) - 元毎日新聞社社長、元日本新聞協会会長
- 日高旺(二中40回) - 元南日本新聞社社長、元鹿児島テレビ放送(KTS)社長
- 迫田太(甲南1期) - 元毎日新聞社副社長大阪本社代表
- 玉川孝道(甲南10期) - 前西日本新聞社副社長、西日本新聞会館社長
- 水溜栄一(甲南12期) - 前南日本新聞社社長
- 山下頼充(甲南12期) - 元NHK厚生文化事業団理事長、元NHK政治部記者、日本最初の五つ子の親
- 保ゆかり(甲南22期) - 前NHK経営委員会経営委員、オフィスピュア代表
- 馬越崇史(甲南35期) - テレビ朝日ディレクター・プロデューサー、国際エミー賞受賞
- 佐藤里佳(甲南36期) - フジテレビアナウンサー、アナウンス室副部長
- 住吉大輔(甲南38期) - 南日本放送(MBC) ウェザーキャスター、MBCラジオパーソナリティー・ディレクター
- 井口奈保(甲南48期) - 元エフエム鹿児島アナウンサー
- 福山喬子(甲南48期) - 前『MBCニューズナウ』キャスター(現・MBC報道部記者)
- 鈴木亜希子(甲南50期) - 北海道文化放送アナウンサー
- 文学・評論
- 大河内昭爾(二中41回) - 文芸評論家、武蔵野大学名誉教授
- 大小田八尋(甲南1期) - 軍事評論家、安全保障アナリスト、ノンフィクション作家、八尋総研代表
- 椨泰幸(甲南4期) - 音楽評論家
- 相星雅子(甲南7期) - 郷土作家
- 宮内勝典(甲南14期) - 作家
- 山崎行太郎(甲南16期) - 文芸評論家
- 甲斐谷忍(甲南37期) - 漫画家、代表作『ソムリエ』、『ONE OUTS』の番外編では登場人物「児島弘道」の母校として甲南高校が登場
- 芸術
- 安藤照(二中8回) - 彫刻家、西郷隆盛銅像(鹿児島市)・初代忠犬ハチ公銅像(渋谷駅前)制作
- 八島太郎(二中20回) - 絵本作家・画家、本名・岩松淳、『からすたろう/Crow Boy』米コールデコット賞受賞
- 番匠義彰(二中33回) - 映画監督(『見上げてごらん夜の星を』『ウナ・セラ・ディ東京』『青い山脈』『白い滑走路』『ここに幸あり』)
- 沈寿官(二中38回) - 14代薩摩焼宗家、韓国名誉総領事、司馬遼太郎『故郷忘じがたく候』モデル
- 文田哲雄(甲南6期) - 洋画家、鹿児島市立美術館館長、二科会評議員、鹿児島県立短期大学名誉教授
- 尾前喜八郎(甲南8期) - 陶芸家、鹿児島県美術協会会長
- 木下貴雄(甲南12期) - 洋画家、「孤高の画家」「アトリエ行者」と言われた
- 鶴田睦夫(甲南26期) - 作曲家
- 藤浩志(甲南30期) - 現代美術家
- 浜本正機(甲南32期) - 映画監督
- 吉嶺史晴(甲南32期) - リコーダー奏者
- 藤川毅(甲南35期) - 音楽評論家、ジャマイカ音楽研究家
- 下野竜也(甲南39期) - 読売日本交響楽団正指揮者、2001年ブザンソン国際指揮者コンクール優勝
- スポーツ
- 徳三宝(二中) - 柔道家(九段)・講道館師範、三船十段との名勝負で知られる、3年時に二中から錦城中学校へ転校
- 有村家斉(二中26回) - 元プロ野球選手(大洋ホエールズ投手・コーチ)
- 西郷準(二中28回) - 西郷隆盛の孫、元立教大学硬式野球部エース・3割打者、東京六大学野球で活躍
- 佐藤重雄(甲南3期) - 元プロ野球選手(南海ホークス内野手)
- 川畑憲昭(甲南44期) - 前プロレスリングElDorado代表
- 宮下純一(甲南53期) - 2008年北京五輪400メートルメドレーリレー銅メダル(背泳ぎ)、2006年ドーハアジア大会100メートル背泳ぎ金メダル、ホリプロ所属
- 芸能
- 家弓家正(甲南3期) - 声優・俳優・ナレーター、81プロデュース
- 和田周(甲南8期) - 俳優
- 西田聖志郎(甲南25期) - 俳優、NHK大河ドラマ方言指導、本名・西田静志郎
- 西園悟(甲南32期) - シナリオライター
- 恵俊彰(甲南34期) - タレント(ホンジャマカ)
- Sammy (歌手)(甲南39期) - 歌手
- その他
- 著名な教職員
アクセス
- 鉄道・軌道
- 路線バス
参考文献・資料
- 1.『軍神横山少佐』(1942年) - 鹿児島県教育会
- 2.『鹿児島県史 第四巻』(1943年) - 鹿児島県
- 3.『創立五十周年記念誌 甲南』(1956年) - 鹿児島県立甲南高等学校
- 4.『甲南 第5号』(1956年) - 甲南編集委員会
- 5.『鹿児島県教育史 下巻』(1961年) - 鹿児島県教育委員会
- 6.『戦後初の交歓試合 “伝統意識”より親善強調』(1971年7月16日朝刊) - 南日本新聞
- 7.『創立七十周年記念誌 甲南』(1976年) - 鹿児島県立甲南高等学校
- 8.『鹿児島県の中等教育の変遷 -中学造士館を中心に-』(1979年) - 山田尚二
- 9.『甲南 第35号 創立八十周年記念特集号』(1987年) - 鹿児島県立甲南高等学校
- 10.『創立百年』(1994年) - 鹿児島県立鶴丸高等学校百年誌編集委員会
- 11.『蔦のある窓』(1996年) - 鹿児島県立甲南高等学校同窓会
- 12.『創立百周年記念誌 龍門』(1997年) - 鹿児島県立加治木高等学校百年誌編集企画委員会
- 13.『中学造士館の研究 史料の紹介と考察』(1997年) - 山下玄洋
- 14.『維新の藩校和の剣道』(1998年8月2日付朝刊) - 山口新聞
- 15.『薩摩・長州・会津の3高校剣士 おん念超え交流試合』(1998年8月2日付朝刊) - 南日本新聞
- 16.『萩ネットワーク 第23号』(1998年9月) - 萩市役所広報課内萩ネットワーク協会
- 17.『日本の名門高校ベスト100(公立高校編)』(2002年) - 日本の名門高校ベスト100(公立高校編)編集委員会
- 18.『樟風遙か 甲南高校創立百周年 同窓会記念誌』(2006年) - 甲南高校創立百周年記念事業同窓会実行委員会
- 19.『創立百周年記念誌 甲南』(2007年) - 鹿児島県立甲南高等学校
- 20.『別冊宝島1510 ニッポンの名門高校102』(2008年) - 宝島社
- 21.『鹿児島県立鶴丸高等学校 創立百周年記念誌』(2005年) - 鶴丸高等学校創立百周年記念誌編集委員会
- 22.『深海魚族 2011年度号』(2011年) - 鹿児島県立甲南高等学校文学部
- 23.『惑星の思考 〈9・11〉以後を生きる』 - 宮内勝典、岩波書店
脚注
- ^ 文献:12. pp182 – 184
- ^ 文献:7. p62、17. p600
- ^ 文献:4. p28
- ^ 文献:3. p210
- ^ 文献:14. 、15. 、16. p10、18. p20 - 21、20. p136・p143
- ^ 文献:9. p248
- ^ 文献:8. 全編、12. pp53 - 63、18. pp19 - 20・pp22 - 24
- ^ 文献:9. pp248 - 249
- ^ 1900年当時、鹿児島県には中学造士館の他に、鹿児島県第一中学校(一中・1894年・鶴丸)、鹿児島県第二中学校(二中・1897年・川内)、鹿児島県第三中学校(三中・1897年・加治木)、鹿児島県第四中学校(四中・1900年・川辺)の4校の「ナンバースクール」があった(括弧内は1900年当時の略称・設立年・現校名を表示)。翌1901年にこれら4校は、それぞれ所在地名を冠した校名に改称されナンバー制は廃止された。1906年、中学造士館の後身校、鹿児島中学校分校が鹿児島県立第二鹿児島中学校(二中)と改称され、鹿児島中学校は鹿児島県立第一鹿児島中学校(一中)と改称された。このため、1900年当時の「ナンバースクール」と1906年以降の「ナンバースクール」とは基本的に異なる。
- ^ 文献:5. 中等教育編
- ^ 文献:8. p1、12. p53、18. p19
- ^ 文献:8. pp2 - 3、12. pp53 - 57、18. pp22 - 23
- ^ 文献:8. p3、10. pp22、12. 57 - 58、18. pp23 - 24
- ^ 文献:8. pp3 - 4、10. p22、12. p58、18. p19
- ^ 高等中学造士館となってからは、貧困による退学者が多かった。官立でありながら、国庫の支出が皆無であり、造士館の授業料が高かったためでもある。文献:8. pp4 - 6、10. p24、12. p59、18. p19
- ^ 文献:8. p8、10. p26、12. pp61 - 62、18. p19
- ^ 文献:8. p6、10. p23、12. pp61 - 62、18. p19
- ^ 文献:8. p8、10. p25、12. p61、18. p19
- ^ 文献:8. pp8 - 10、10. p26、12. pp61 - 62、18. p19
- ^ なお、4・5年生は第一中学校(本校)へ編入。文献:8. p10、10. pp26 - 27、12. pp62 - 63、18. p20
- ^ 現在、この年をもって創立の起算年としている。文献:8. p11、10. p27・p97、12. p63、18. p20
- ^ 文献:10. p97
- ^ 文献:8. p11 - 12、18. p20
- ^ 文献:8. p12、10. p97
- ^ 文献:3. p210
- ^ 文献:3. p210
- ^ 文献:3. p210
- ^ 文献:3. p211
- ^ 文献:3. p211
- ^ 文献:19. p276
- ^ 文献:19. p62・p276
- ^ 1986年(昭和59年)から1990年(平成2年)まで国立大学合格者数が現役・現浪計ともに、1994年(平成6年)には国公立大学現役合格者数が全国1位となっている(福武書店調べ、文献:17. p22・pp601 - 602)。
- ^ 名称については、「何もかも鶴丸から先でなくていいではないか、カッコウ戦はカッコー悪い」という意見があった。文献:21.pp108 - 109
- ^ 文献:6. 、7. p86、19. pp135 - 136
- ^ 文献:19. p293
- ^ 文献:19. p293
- ^ 文献:3. pp50 - 53、19. p6・pp186 - 190
- ^ 文献:19. pp186 - 190
- ^ かごしまデジタルミュージアム(鹿児島市公式ウェブサイト内)
- ^ 文献:3. pp50 - 53、19. pp186 - 190
- ^ 文献:3. p26
- ^ 文献:3. pp71 - 72、9. p92
- ^ 文献:3. pp35 - 36
- ^ 文献:3. pp49 - 50・p208
- ^ 文献:18. p155 - 161
- ^ 文献:3.p( )
- ^ 文献:3.p( )
- ^ 文献:22.p101
- ^ 文献:18.p( )
- ^ 文献:23.p( )
関連項目
外部リンク
- 鹿児島県立甲南高等学校
- 鹿児島県立甲南高等学校同窓会
- 関東鹿児島二甲会
- 鹿児島県立甲南高等学校本館 - 文化庁国指定文化財等データベース





