BaBe

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BaBe
出身地 日本の旗 日本東京都
ジャンル J-POP
活動期間 1987年 - 1990年
メンバー 近藤智子
二階堂ゆかり

BaBe(ベイブ)は、1980年代後半に活動した日本の女性デュオタレントである。所属事務所はエスワンカンパニー[1][2]

1987年に、当時流行だったユーロビートのカバー曲「Give Me Up」でデビュー。ダンスを踊りながら歌うスタイルで、洋楽のカバーを多数リリースしてヒットしたことでも知られたが、1990年に解散した。表記は "BaBe" が正しく、"Babe"、"BABE" は誤り。

メンバー[編集]

略歴[編集]

二人は高校生時代ジャズダンス教室で出会い、これがきっかけとなって結成。最初アマチュアとしてライブ活動を行った後事務所に所属して正式デビュー[7][8](ジャズダンス教室に入ったのは二階堂の方が先だった[9])。

デビュー時はいわゆるアイドルとして活動し、数々の歌番組・バラエティ番組へのテレビ出演は無論のこと、その年の新人賞レースにも参戦していた。しかし、翌年からアーティスト指向に方向転換し、活動のフィールドをラジオ番組やライブハウス出演などに比重を移す。後半のアルバム『Brand-new』(1989年)や『CONTRAST』(1990年)では作詞やソロにも挑戦している。

1987年、「I Don't Know!」で、第29回日本レコード大賞新人賞、第14回FNS歌謡祭最優秀新人賞、銀座音楽祭最優秀新人賞、全日本歌謡音楽祭新人奨励賞、輝け! 第18回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を獲得。

1990年、二階堂の妊娠・結婚により解散(同時に二階堂は芸能活動から引退)[10]。ゲストとして度々出演したニッポン放送のラジオ番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』では、BaBe解散後の近藤の身の振り方についてリスナーが投稿する『どうするどうなる BaBeの近藤』コーナーが設けられた。以後、近藤はしばらくソロで活動、斉藤満喜子のプロデュースやラジオ出演などの活動を行っていた。その後、近藤も結婚を機に芸能活動を引退した。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

アルバム[編集]

  • Bravo!(1987年6月21日)
  • Nice!(1987年12月5日)
  • Good!(1988年1月5日)
  • Fight!(1988年6月21日)
  • Brand-new(1989年4月21日)
  • CONTRAST(1990年2月22日)
「さよならのScene」は、近藤が作詞を手がけ、岡崎律子が作曲している。
「I Miss You」は、二階堂が作詞を手がけ、山口美央子が作曲している。
  • The Best of BaBe(1990年5月21日)
  • My これ!クションBaBe BEST(2002年3月20日)※このベスト盤に収録されている「I Don't Know」の間奏部分が一部カットされている。
  • BaBe SINGLESコンプリート(2007年8月17日)※このアルバムでも「I Don't Know」の間奏部分が一部カットされている。
  • ザ・プレミアムベストBaBe(2012年11月21日)

NHK みんなのうた[編集]

CM[編集]

ビデオ[編集]

  • Bravo!(1987年8月21日)
  • Thank You - 解散後

CDV[編集]

  • CDV GOLD(1987年)

書籍[編集]

  • 写真集『BaBeのおもしろ絵本 Oh! SUSUME』(1988年)

出演テレビ番組[編集]

など

出演ラジオ番組[編集]

その他[編集]

  • 二階堂はデビュー前、すかいらーく武蔵野西久保店(現:J's GARDEN武蔵野西久保店)でアルバイトをしていた[11]。武蔵野西久保店は、(株)すかいらーくの本部横に所在していたこともあり、人事部の目に留まり店舗ビデオマニュアル「welcomeすかいらーく」に出演している。二階堂が起用されたビデオマニュアルは1992年頃まで全国の店舗で使用された。一方、近藤は玉川高島屋[11]元禄寿司東急ストア、レストランなど様々な所でアルバイトをしていた[5]
  • 映画『シャコタン☆ブギ』に、近藤のソロ曲「愛するままに」(作曲は朝倉紀行)が挿入歌として使用されている。この曲は映画のサントラ盤に収録(現在は廃盤)されたものの、シングル化はされなかった。
  • 「いじわる天気」は1987年8月1日 - 9月30日にかけて『みんなのうた』で放送された曲。この曲はCD、レコードでは未発売。
  • 1987年10月31日の北九州大学での学園祭では近藤が体調不良のため、二階堂単独でコンサートを行った。最初は盛り上がらず「もっとのってください。」の発言もあったが、最後は全員総立ちになり、こらえきれず泣きながら歌っていた。
  • シングル「WAKE UP!」や、アルバムでもアレンジを担当していたムーンライダーズのギタリスト・白井良明の初ソロアルバム「City of Love」(1988年)のレコーディングにバックコーラスで参加していた。
  • 斉藤由貴の最大のヒット曲となった「夢の中へ」(井上陽水カバー・シングル曲、1989年4月21日発売)には、二人がバックコーラスとしてレコーディングに参加していた。
  • 今では著名なダンサー兼振り付け師として知られる香瑠鼓(当時:五十嵐薫子)が最初に振り付けをしたのがBaBeである。BaBeに本格的なダンスを教えるために、ジャズダンスのトレーニングを施した後に「Give Me Up」の振り付けを教えた。しかし、そもそも二階堂と近藤はデビュー前にジャズダンススクールで出会っていて、ミュージカルにも出演した程度の基礎はあった(近藤は痩せたくて、ジャズダンススクールに通っていたと語っている)。香瑠鼓はその後Wink鈴木早智子相田翔子)の振り付けも担当しているが、BaBeと比べて教えるのに苦労したそうである[12]
  • 日本テレビ系スーパージョッキー』にゲスト出演時、視聴者からの質問の葉書で「どちらが『ベイ』で、どちらが『ブ』ですか?」「二階堂さんはクロマティに似てませんか?」「ベイブ佐竹(正しくはバーブ佐竹)さんとは、どんな関係なんですか?」など、本業以外でからかわれることもあった。なお、近藤は「酒井法子さんに似ているのはどちらですか?」との問いに対して、即座に「私です。(見ていて)気付きません?」と、答えている。
  • その風貌から、近藤は「富田靖子のNG」、二階堂は「クロマティに似ている」と言われたことがあった[13]
  • TVのクイズ番組にて早見優が本人たちを目の前にして「バベ」と読み、直接訂正されるも頑なに連呼していた。
  • とんねるずのみなさんのおかげでした』番組内の「博士と助手 〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」、『明石家さんちゃんねる』でいとうあさこが二階堂のモノマネ(振りマネ)をしている。
  • 満月あいり(女優、「新・チロリン」(ガールズバンド)」メンバー)は二階堂の実娘。

脚注[編集]

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  1. ^ 週刊明星 1987年2月5日号 p.20 など
  2. ^ 作曲家の都倉俊一が経営していた芸能事務所で、当時は南野陽子などが在籍していた。
  3. ^ a b c d e 月刊明星 1987年5月号 p.228
  4. ^ a b c d 月刊ラジオパラダイス 1988年1月号 p.4 - 5 など
  5. ^ a b c 『Oh! SUSUME』p.69
  6. ^ a b 近代映画(近代映画社)1988年9月号 p.134 - 135
  7. ^ 週刊明星 1987年11月5日号 p.67
  8. ^ 週刊明星 1987年4月23日号 p.67
  9. ^ 『Oh! SUSUME』p.115
  10. ^ 週刊明星 1990年3月8日号 p,25 - 28 など
  11. ^ a b 月刊平凡 1987年11月号 p.76 - 77
  12. ^ 以上は香瑠鼓が自らの著書(自伝エッセイ『ふぅ〜はっ!』)の中で語っている。
  13. ^ NIPPONアイドル探偵団'89(宝島社・JICC出版局)p.62、p.71