SNK

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

移動先: 案内検索
株式会社エス・エヌ・ケイ
SNK CORPORATION
SNK.png
SNKロゴ(1982年—1988年)
種類 株式会社
本社所在地 564-0053
大阪府吹田市江の木町1番6号
設立 1978年7月22日
事業内容 家庭用・業務用ゲーム機およびソフトの製造・販売、
アミューズメント施設の運営等
代表者 北野一成(代表取締役社長)
資本金 67億196万円
売上高 316億7400万円(2001年3月期)
従業員数 229名(2001年7月1日現在)
決算期 3月末日
テンプレートを表示

株式会社エス・エヌ・ケイSNK CORPORATION)は、かつて1973年から2001年にかけて、ゲーム機ゲームソフトの企画・開発・販売、及びアミューズメント施設の経営などの事業を行っていた日本ゲームメーカー

ループレバーや、業務用筐体と家庭用ゲーム機に共通フォーマットを採用し、自社の業務用ゲームをそのまま家庭でも遊技出来るゲームシステム「ネオジオ」の発売元として知られる。

経営破綻後、同社の知的財産権は2001年に株式会社プレイモアへ移動した[1]。プレイモアは2003年に「株式会社SNKプレイモア」へ、2016年に「株式会社SNK」へ改称した。

歴史と概要[編集]

新日本企画 時代(1973年 - 1986年)[編集]

大阪で喫茶店と土木建設業を経営していた川崎英吉(かわさき えいきち 1944年 - )が、神戸にあった電機会社について資金提供の相談を受けたことをきっかけにこれを買収し、1973年新日本企画として創業。1978年7月22日に株式会社に改組。同社にアクションゲーム対戦格闘ゲームが多いのは、元プロボクサーであった創業者の影響だと言われている。

創業当時の、アーケードゲーム史に残る有名なゲームは、主に以下の通り。ブロック崩しのコピーゲームでデビューし、 その後『スペースインベーダー』のライセンス生産をきっかけにタイトーとの関係を構築し、これを基盤にアーケード業界で活動をしていた。

  • 『センカンヤマト』(1978年):ブロックくずしのコピーゲームで、同社のデビュー作。
  • スペースインベーダー』:タイトーからのライセンス生産で、以後同社のゲームは暫く、タイトーそっくりの作風が続いた。
  • オズマウォーズ』(1980年):同社初のオリジナルゲーム(ただし実際の開発はロジテック)で、基板は『スペースインベーダー』の流用。
  • サスケvsコマンダー』(1980年):多彩なボス戦や、ザコ敵の死体が撃ち返し弾扱いになるなど、当時としては画期的なアイデアが盛り込まれた。
  • ヴァンガード』(1981年) :多才なスクロールで先に進んでゆくシューティングゲーム。上下左右に発射されるレーザーが特徴的。無敵状態になるとフラッシュ・ゴードン戦いのテーマ(QUEEN作曲)が流れる。
  • ASO』(1985年):ゼビウス型の対地/対空撃ち分けシューティングゲーム。
  • T・A・N・K』(1985年):ループレバーを採用した独自の操作方式が特徴。同様のシステムを用いた続編として、『怒 -IKARI-』(1986年)、『怒号層圏』(1986年)、『怒III』(1988年)が作られ、4部作となった。
  • アテナ』(1986年):ヒロインのキャラクターをアピールした作品であり、ギャルゲーのルーツとも言える。続編に、ヒロインの子孫が主人公である『サイコソルジャー』(1987年)がある。

1980年頃から同社の愛称として「新日本企画」のローマ字読み(Shin Nihon Kikaku)から頭文字を取って「SNK(エス・エヌ・ケイ)」とした。英字のコピーライト表記も「SNK CORP.」となっていた。

エス・エヌ・ケイ 時代(1986年 - 2001年)[編集]

1986年に愛称である「SNK」に社名変更することになったが、登記上は「エス・エヌ・ケイ」とせざるを得なかった。これは当時の法務省アルファベットによる商号登録を認めなかったためである。そのため正式社名は「株式会社エス・エヌ・ケイ」となる。ちなみに、このような同じ経緯を辿ったゲーム会社にはエーディーケイ(旧社名:アルファ電子)やNMK(旧社名:日本マイコン開発)など、違う業種の会社にはTDK(旧名:東京電気化学工業)やRKB毎日放送(旧社名:アール・ケー・ビー毎日放送)、ケイディディ(旧社名:国際電信電話、現社名:KDDI)などがある。

ネオジオ発売[編集]

当初、エス・エヌ・ケイが発売するゲームについてはシューティングゲームロールプレイングゲーム、そして対戦格闘ゲームなどバリエーションがあったが、1990年に自社の新プラットフォームとしてネオジオを投入、1991年に発売した対戦型格闘ゲーム餓狼伝説』が大ヒット。これが同社の転機となり、同作はシリーズ化もされた。これを機に徐々に対戦格闘ゲーム偏重のラインナップとなり、対戦格闘の黄金期であった1990年代には『サムライスピリッツ』、『龍虎の拳』、『ザ・キング・オブ・ファイターズ』等の自社人気格闘ゲームを続々とシリーズ化し、同様に対戦格闘ゲームのヒットで規模を拡大した同じく大阪本拠の大手メーカーカプコンを凌ぐほどの成長を見せた。これに併せて、直営ゲームセンター「ネオジオランド」ほか直営アミューズメントパーク「ネオジオワールド」を展開するなど業種を拡大していく。エス・エヌ・ケイ全盛期の大阪市交通局地下鉄御堂筋線江坂駅大阪府吹田市)周辺は、本社屋、開発社屋や「ネオジオランド」や看板・広告類が立ち並ぶなど、エス・エヌ・ケイの本拠地としてちょっとした企業城下町的な雰囲気さえ漂う街並みと化したほどで、その様な江坂の町の雰囲気はゲーム作品中でもステージ背景のモチーフとして用いられていた。余談ではあるが、そのステージのBGMタイトルは「ESAKA」である。

メディアミックス成功とネオジオ拡大戦略[編集]

エス・エヌ・ケイの主戦力となった同社の対戦格闘ゲームであるが、各作品ともシリーズを経る毎に操作システムのマニアックで複雑な進化を遂げて行く一方で、美形と女性キャラクターなど一部の人気キャラのキャラクター性を全面に打ち出した販売戦略などが顕著になり、それぞれの作品のCDドラマやテレビアニメ制作でメディア展開も繰り広げられた。この対戦格闘ゲームのブームによる驚異的な売上によってもたらされた潤沢な資金はエス・エヌ・ケイをさらに強気にさせることになり、1994年には家庭用ネオジオのCD-ROM機バージョンであるネオジオCD1997年末にはMVS(業務用ネオジオ)後継のハイパーネオジオ64を発売、1998年には同社初の携帯型ゲーム機ネオジオポケットを、そのわずか5ヶ月後にはネオジオポケットカラーを発売した。1999年にも東京・お台場のパレットタウンに「ネオジオワールド東京ベイサイド」(のちの東京レジャーランドパレットタウン店)を開園、観覧車やジェットコースターなど当時の技術の粋を集めた最新アトラクションを完備しており、オープン時には同じく台場に本社を建設したフジテレビを擁するフジサンケイグループとの大規模なタイアップが組まれ、各種メディアでたびたび特集された。

一方で、1990年代も終盤に差し掛かるとエス・エヌ・ケイが得意とする2D対戦格闘ゲームのブームは終焉を迎えており、ネオジオCDやハイパーネオジオ64も、ヒットには至らなかった。併せて、当初は好調だったネオジオポケットが後発のゲームボーイカラーに対して劣勢になりはじめ、開園したばかりの「ネオジオワールド東京ベイサイド」が、同時期にリニューアルオープンした「よこはまコスモワールド」に話題を奪われるなど、事業拡大一辺倒であったエス・エヌ・ケイの経営に次第にかげりが見え始めた。結局のところ、この遊園地事業は莫大な赤字を出し、エス・エヌ・ケイの経営体力を浪費させただけであった。また、1999年には数多くのエス・エヌ・ケイ作品を紹介し攻略記事を掲載してきたアーケードゲーム専門雑誌ゲーメスト』が出版元である新声社倒産により廃刊となったのも痛手となった[2]

退潮から破綻へ[編集]

2000年に入ると複雑化しすぎた対戦格闘ゲームは底の見えない低迷期となっていた。しかし、エス・エヌ・ケイ自体が全盛期の成功ノウハウに頼って対戦格闘ゲームに傾注し過ぎ、それに開発リソースの大半を特化させていたため急な方針転換がかなわず、加えて先述した多角化経営が災いし経営状態が悪化。特に、家庭用ゲーム機の失敗と、ネオジオワールドの不調が及ぼした影響は、取り返しのつかない状態になっていた。パチスロメーカーのアルゼ(現・ユニバーサルエンターテインメント)の子会社となり、資本注入を受けて一度は急場を凌いだものの、その後も経営環境の悪化に歯止めがかからず、アルゼ主導による経営再建もエス・エヌ・ケイとアルゼの足並みの不一致もあって、従業員が混乱に陥る状態になり、結果、不調のまま暗礁に乗り上げてしまう。同時期には、ネオジオ専門誌としてエス・エヌ・ケイの話題を専門的に取り上げる雑誌であった芸文社の『ネオジオフリーク』が2000年12月号をもって休刊した他、本社を東京都江東区有明へ移転し、従業員を約700名削減した。

2001年4月2日、エス・エヌ・ケイは大阪地裁民事再生法の適用を申請。申請は受理され、いったんは再生手続きが進められることになり、本社も大阪府吹田市へ戻ったものの、その後も大小様々なトラブルが表面化し、結局は再生計画を期限までに提出できず、同年10月30日に大阪地裁から破産宣告を受け倒産した。負債総額は約380億円。1990年代中期から2000年代初頭にかけての国内ゲームメーカーの大型倒産の例としては、エス・エヌ・ケイの他にも1998年コンパイル1999年データイースト[3]などが挙げられるが、エス・エヌ・ケイはその中でも桁外れに最大級の経営破綻で、単純な金額で見ても1998年のコンパイルの和議(75億円)と比較して約5倍、2003年のデジキューブの破産(95億円)と比較しても約4倍、2010年代以降の例と比較しても2014年インデックスの破産[4](民事再生法申請時点で246億200万円)をも凌ぐ規模であった。

倒産後、エス・エヌ・ケイ関係の権利は競売に掛けられ、かつての系列会社であったプレイモア社(のちのSNKプレイモア、現在はSNKに改称)が落札に成功し、現在も同社からエス・エヌ・ケイの一部作品の続編が発表されている[5]

なお、江坂駅近辺にあった「ネオジオランド」はエス・エヌ・ケイ倒産後も3店舗が営業を続けたが、SNKプレイモアの業務見直しに伴い2005年までに全て閉鎖された。跡地はほとんどが解体されて駐車場になっているが、江坂2号店の跡地(ビル)だけは残されており、テナント等が入店している。 SNKプレイモアは、本社機能を別の場所へ移動し業務を遂行している。

エピソード[編集]

  • SNK がウェブサイトを開設するにあたり、ドメイン名neogeo.co.jp としていた。これは、新日本空調という三井系の空調工事会社が先んじてsnk.co.jpドメインを取得していたためであった。二代目SNKのドメインはsnk-corp.co.jpとなっている。
  • SNKのロゴは1982年頃に使われ始め、1988年にマイナーチェンジされる。MC後のロゴは、SNKプレイモア→二代目SNKになった現在でも使われている。
  • SNKの格闘ゲームは結果を表示するときには、初代餓狼伝説を除き英語の過去形(WinのそれにあたるWonや、LoseのそれにあたるLost)で表記される。

*ネオジオとは、ラテン語で「新たなる大地」と言う意味だと、社内では説明されていた。

提供していた番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 企業情報”. SNK. 2016年12月1日閲覧。
  2. ^ 新声社もまた、『ゲーメスト』の極端な格闘ゲーム偏重の編集方針など、ゲーム業界の潮流を見誤ったことが倒産の一因とされている。
  3. ^ コンパイルとデータイーストは民事再生法の施行前であるため和議。なお、両社はその後の経営再建に失敗し共に2003年に破産宣告を受け消滅した。
  4. ^ 大型倒産速報 モバイルコンテンツ・ゲーム事業 続報 元・ジャスダック上場株式会社インデックス再生手続き廃止決定受ける帝国データバンク 2014年5月2日
  5. ^ 一時期は作品権利を取得していたアルゼと著作権その他の関係でトラブルとなり訴訟になったが、中間判決など3案件でほとんどSNKプレイモア側が全面勝訴している。現在アルゼ側が2案件について控訴中。

関連項目[編集]