あるばとろす

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あるばとろす
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 オーシャンフェリー(1972-1976)
オーシャン東九フェリー(1976-1991)
ミノアンライン英語版(1991)
Dane Sea Lines(1991-2006)
ブルースターフェリー(2006)
運用者 オーシャンフェリー(1972-1976)
オーシャン東九フェリー(1976-1991)
Dane Sea Lines(1992-1997,1999-2004)
建造所 波止浜造船
姉妹船 かしおぺあ
IMO番号 7225142
改名 あるばとろす(1972-1976)
第十一伊豆(1976-1991)
ARETHOUSA(1991)
PATMOS(1991-2006)
PAT(2006)
経歴
起工 1971年
進水 1971年
竣工 1972年
就航 1972年2月
運航終了 1991年9月
最後 2006年インドで解体
要目
総トン数 7,454 トン
全長 137.8 m
型幅 23.4 m
喫水 5.61 m
機関方式 ディーゼル
主機関 Pielstick 18C2V 2基
推進器 2軸
速力 21ノット
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あるばとろすは、オーシャンフェリーが運航していたフェリー

概要[編集]

オーシャンフェリーの第二船として波止浜造船で建造され、かしおぺあとともに1972年2月に就航した。1976年2月、オーシャンフェリーと東九フェリーが合併してオーシャン東九フェリーが発足、第十一伊豆と改名されて、東京 - 徳島 - 小倉航路に就航した。1991年9月、おーしゃんうえすとの就航により引退した。

1991年ギリシャミノアンライン英語版に売却され、ARETHOUSAとなったが、すぐにDane Sea Linesに売却されPATMOSに改名した。1992年、ペラマで改造を受けた後、就航した。 1997年、Dane Sea Linesの破綻により、僚船のRODOS(元あるごう)と共に係船された。2年近く係船された後の1999年に航路に復帰したが、2004年、Dane Sea Linesが再び倒産したため係船された。2006年ブルースターフェリーに売却された後、PATと改称してスクラップとしてインドに回航され、解体された。

航路[編集]

オーシャンフェリー

就航当初は千葉港を発着していたが、後に東京港まで延長され千葉港は下り便のみ寄港となった。

オーシャン東九フェリー

  • 東京港 - 徳島港 - 小倉港(日明埠頭)

Dane Sea Lines (1992-1997)

Dane Sea Lines (1999-2004)

設計[編集]

船内[編集]

船室[編集]

船室タイプの一覧
クラス 部屋数 定員 設備
特別室 2名×2室 4名
特等和室 2名×3室  6名
特等洋室 2名×5室 10名
一等和室 4名×10室
2名×20室
80名
一等洋室 4名×20室 80名
特二等 14名×5室
13名×8室
5名×3室
189名
二等室 790名

設備[編集]

パブリックスペース

  • 案内所
  • エントランスホール
  • 展望室

供食設備

  • レストラン
  • 喫茶バー

入浴設備

  • 大浴場

娯楽設備

  • ダンスホール

事故・インシデント[編集]

漁船との衝突[編集]

1989年6月19日、1時43分ごろ、新門司港から徳島港へ向かっていた本船は、足摺岬の沖合を航行中、足摺岬灯台の西南西8.5海里の地点でさば一本釣り漁船漁勝丸と衝突した。 本船の左舷船首部に漁勝丸が前方から約80度の角度で衝突し、本船は左舷船首部に擦過傷を生じ、漁勝丸は船首部が大破し、操舵室の右舷側2箇所に凹損を生じた。漁勝丸船長が全身打撲の重傷を負った。事故原因は、漁勝丸が見張り不十分で、前路を左方に横切る本船の進路を避けなかったことで発生したが、本船が警告信号を吹鳴せず、衝突回避の協力動作が不十分だったことも一因とされた[1]

脚注[編集]

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  1. ^ 神戸地方海難審判庁 (1990-12-14) (PDF). 平成元年神審第133号 旅客船第十一伊豆漁船漁勝丸衝突事件 (Report). 海難審判・船舶事故調査協会. http://www.maia.or.jp/pdf/01kb133.pdf 2016年3月20日閲覧。.