いちごのお家
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いちごのお家(いちごのおうち)は、東京都大田区田園調布二丁目にあった、サンリオの直轄運営によるソーシャルコミュニケーション型店舗の名称。 サンリオのキャラクターボタンノーズが住むいちごのお家を再現した外観。
概要[編集]
1970年代の後半から1980年代の初頭にかけてサンリオは次世代の新規事業とソーシャル・コミュニケーション事業を模索する中で「広く開かれたソーシャルコミュニケーションのあり方」を考え、サンリオ創業者である辻信太郎自身がサンリオファンの集いの場とモデル店舗・ショールームを兼ねた場所として店舗を提供したいと言った構想が結実したのが「いちごのお家」だった。この建物はアメリカのサンリオファンの声を受けて企画検討されたものでもあった[1]。高額な建設費用や丸い形の建物は古くから店舗には向かないという反対意見もあったが、創業者による上述した建物の必要性の説得や強い熱意により反対していた人も賛成に同意し「いちごのお家」が建設されることとなった[1]。建物外観(イメージパース)はボタンノーズの作者の広瀬氏がデザインし、施工は竹中工務店が行なった[1]。外壁はイタリア製の総タイル張りで、ドーム型の建築物は当時として珍しかった[1]。オープン当初のコンセプトは「ナウなヤングにも人気のいちごのお家、誕生」で、ハイターゲットを主眼とした店舗開設で、同店舗から約50メートル離れた場所にはいちごのお家と同日にオープン[1]したローターゲット向け店舗「つみきのお家」も開設されていた。
いちごのお家は1983年12月1日に開店[1][2]。1986年3月「いちごのお家記念カード」(1枚100円)が発行された[1]。1986年5月24日フィリピン元大統領のコラソン・アキノの娘のクリス・アキノが来日した際に同店を訪問、「世界一かわいいお家」と絶賛した[1]。間もなく店が取り壊される予定であることを知ると「今度日本に来る時に無くなっていたらとても寂しい」と憂いていた。途中の歴史経緯の中で閉店を計画したが[注釈 1]ファンからの要望に応える形で存続。建物の老朽化により[1]2011年12月25日に閉店した[4]。2012年2月に解体工事が開始され、同年4月に同施設・店舗は撤去され更地になり、跡地は一般のマンション用地となった。
施設[編集]
- 1階:サンリオショップ(※当時のサンリオキャラクターグッズ、手作りのクッキーなどを取り扱った。田園調布ギフトゲート。)
- 手作りクッキーの店舗(ブランド名「ディッコリー・ドッキー」)は当時のサンリオ新戦略の一つだった。インテリアコーナー、ハイドロカルチャーのコーナーも併設。1階のきのこ屋根部分に入居。
- 2階(中2階):ストロベリーパーラー(テナント - いちごパフェなどの洋菓子を販売)
- キャンディショップ(キャンディーのお花畑)も併設。洋菓子の販売と飲食可能のコーナーを26席設置。
- 3階(2階):レストラン(レストランゴトー) → いちごのお部屋(テナント - いちご新聞主催の「いちごメイトパーティー」で使用した専用ルーム)
- 開設当初はテナントによるレストラン店舗だったが、改装された後は商店会の会合やサンリオファンの交流の場として無料貸し出しを行った。
- 4階(3階):多目的ホール → いちごのお部屋(※後の時代に改装)
- 開設当初はレストランホール(20席)だったが、後に「いちごのお部屋」に改装された。
※ 以上、出典は『商店界』1984年2月号、および『'70s&'80s サンリオのデザイン』 174-176頁。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
- 編集部「こりゃ楽しいお家だね!サンリオの「いちごのお家」「つみきのお家」」『商店界 1984年2月号(通巻800号)』第65巻第2号、誠文堂新光社、1984年2月、 146-147頁。
- 『'70s&'80s サンリオのデザイン』グラフィック社、2019年4月25日。ISBN 978-4-7661-3189-5。
関連項目[編集]
- サンリオギャラリー - 当店舗同様、サンリオピューロランド建設の足掛かりとなった物件のひとつ。
- サンリオファンタージェン - 同上。
外部リンク[編集]
- サンリオのひみつ - サンリオショップアルバム(2015年8月15日付けのインターネットアーカイブキャッシュ)
座標: 北緯35度35分48.5秒 東経139度40分10秒
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