およげ!たいやきくん
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「およげ!たいやきくん」 | |||||||||||
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子門真人 の シングル | |||||||||||
初出アルバム『およげ!たいやきくん』 | |||||||||||
B面 |
いっぽんでもニンジン (8cmCD以外、歌・なぎらけんいち) またね (8cmCD、歌・橘いずみ) | ||||||||||
リリース | |||||||||||
録音 | 1975年11月26日[1] | ||||||||||
ジャンル | 童謡 | ||||||||||
時間 | |||||||||||
レーベル |
キャニオン・レコード (オリジナル盤) アナログコーポレーション(シェイプレコード) ポニーキャニオン (上記以外) | ||||||||||
作詞・作曲 | 高田ひろお、佐瀬寿一 | ||||||||||
ゴールドディスク | |||||||||||
チャート最高順位 | |||||||||||
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子門真人 シングル 年表 | |||||||||||
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『およげ!たいやきくん』 | ||||
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ひらけ!ポンキッキ の コンピレーション・アルバム | ||||
リリース | ||||
ジャンル | 童謡 | |||
レーベル | キャニオン・レコード | |||
プロデュース | - | |||
チャート最高順位 | ||||
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ひらけ!ポンキッキ アルバム 年表 | ||||
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『およげ!たいやきくん』は、1975年にフジテレビの子供向けの番組『ひらけ!ポンキッキ』のオリジナルナンバーとして発表、リリースされた童謡。
作詞は高田ひろお、作曲・編曲は佐瀬寿一、ディレクターは小島豊美。子門真人が歌ったバージョンは、2018年5月現在、日本でレコード売り上げ枚数が最も多いシングル盤(フィジカル・シングル)とされている。本項では、この曲も収録された同名のLPも扱う。
なお『ひらけ!ポンキッキ』番組内で放送された同曲のアニメ映像内でのタイトル表記では「!(感嘆符)」がついていない。
内容[編集]
歌詞の内容は、「たい焼きがたい焼き屋[注釈 1]から逃げ出し、海へ逃亡する」というものである。
オリジナル盤シングルジャケットのキャラクターデザイナーは「バボちゃん」などを手がけた田島司。アニメキャラクターの「たいやきおじさん」のモデルは売り上げ世界一を誇るたい焼き店「浪花家総本店」会長の神戸守一(2010年5月5日、満86歳で死去[3])といわれる[4]。歌詞のモデルも浪花家総本店と主張されることがあるが、作詞者の高田ひろおは、練馬駅近くで見かけた[注釈 2]たいやきから歌詞を思いついたと証言している[5]。
オリジナル盤シングルのB面(LPのB面1曲目)は、なぎら健壱(なぎらけんいち名義)の「いっぽんでもニンジン」(作詞:前田利博、作曲・編曲:佐瀬寿一)であった。数え歌で、無理問答の連鎖のような歌詞。オリジナル盤シングルは両面ジャケットのため、両A面という見方もできる。本シングルの発売以前に、1975年にキングレコードから発売されたLP『ひらけ!ポンキッキ』(SKM(H)2229)で三浦けんいちの歌で収録されている(曲名は「いっぽんでもにんじん」)。こちらでも作曲者の佐瀬寿一が編曲したことになっているが、佐瀬寿一は自身のインタビューで、SKM(H)2229収録の音源は自分の編曲したものではないと否定している[6]。
発売までの経緯[編集]
1975年10月5日[7](10月21日とも[8][9])に『ひらけ!ポンキッキ』で初めて流され、その後リクエストカードやフジテレビへのレコード発売の問い合わせが殺到した[9]。
オリジナルのシングル盤はキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)レーベルから市販された『ひらけ!ポンキッキ』のレコードの第2弾である。第1弾として発売されたシングル盤「たべちゃうぞ」が売れず、当初はリリースする予定もなかったことからレコード発売の企画はなかなか通らなかったといい、社内からの期待値も低かったという[10]。
この曲は当初、生田敬太郎が『ひらけ!ポンキッキ』の番組内で歌っていた。だが、上述の通りレコード発売予定がなかったことから生田がテイチクと専属契約を結んでしまい、キャニオン・レコードからの発売ができなくなった[11]ため、生田の歌での放送は11月27日を最後に終了、12月9日から子門真人へ交代して放送を再開した[12]。
当初1976年1月に発売予定だったが前倒しされて[1]、1975年12月25日にオリジナルのシングル盤(キャニオン CX-102)がキャニオン・レコードから子門の歌唱で発売された。
ヒット[編集]
シングル盤は、発売前の予約だけで30万枚[12](35万枚[8]とも)に達した。発売当日に10万枚が完売し[8]、12月31日までの1週間で30万枚が完売[8]、翌年1月6日には店頭出荷枚数が100万枚を突破し[13]、1月7日に東洋化成の福島工場で150万枚目のレコードをプレスし、その現場に子門真人が立ち会った[13]。1月10日時点で出荷枚数150万枚・予約待ち50万枚[7]。2月16日には、キャニオン・レコードが『およげ!たいやきくん』の370万枚達成[注釈 3]を発表する記者会見を行った[15]。
オリコン史上初のシングルチャート初登場1位・11週連続1位を記録し、現在までにオリコン調べで450万枚以上(オリコンにカウントされない売り上げを含めると、実際は500万枚以上[16]ともいわれる)のレコード・CDを売り上げている。オリコン調べにおいて、日本におけるシングル盤の売上記録としては未だに破られていない(2016年12月現在)[17][18]。『不二家歌謡ベストテン』では1976年1月18日から13週連続1位となり、この記録は番組終了まで破られなかった。
1976年の第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞。
同名のLP(キャニオン E-1025)も1976年2月10日に発売され、オリコンチャート6週連続1位、売上50万枚を記録し、「THE BEST OF DETECTIVE CONAN 〜名探偵コナン テーマ曲集〜」に抜かれるまでは、アニメ・子供番組のコンピレーションアルバム売上記録歴代1位であった。
再発[編集]
1992年7月1日にシングルCD化(ポニーキャニオン PCDG-00041)された[注釈 4](当時のプレス枚数は5000枚[19])。
1999年3月25日には「だんご3兄弟」[注釈 5]のヒットに追随して5万枚が追加出荷され[19]、23年ぶりにオリコンシングルランキングの100位圏内にチャートインした。
2005年にはこの曲の主人公である「たいやきくん」をかたどった変形アナログレコード(シェイプレコード)として再発された(アナログコーポレーション ACSV-001)[20]。これはオリジナル盤シングル同様「いっぽんでもニンジン」をB面としている。
2007年末、クレーンゲームの景品として「たいやきくん」のぬいぐるみが投入される[21]と、2008年3月までに約30万個が獲得されるヒットとなり[22]、ポニーキャニオンにCD発売の問い合わせが殺到した[21]。
2008年、「日本で最も売れたシングル曲」(当時[注釈 6])として『ギネス世界記録2009』への掲載が決定する[24]。既にCD発売の問い合わせが殺到していたこともあり[21]、2008年3月5日に『ギネス世界記録』掲載記念としてオリジナル盤シングル同様「いっぽんでもニンジン」をB面にしたマキシシングル(ポニーキャニオン PCCG-00888)を発売した[24]。同CDには『ひらけ!ポンキッキ』で放送された同曲のアニメ映像を収めたDVDが付属する[24]。2008年版のDVD付きCDは約5万枚[22]、携帯電話・パソコンの音楽配信では約5万ダウンロード[25]を売り上げた。
2017年11月15日、『およげ!たいやきくん』40周年記念として、CDアルバム『およげ!たいやきくん アニバーサリーベスト』(ポニーキャニオン PCCG-01634)を発売。
ヒットの影響[編集]
考察[編集]
ヒットの要因としては情緒に訴えかけるメロディや[26]、シングル付属の塗り絵を求めて買われたという意見[12]がある。また明確に裏付ける資料はないが、成人層にアピールした以下のような理由がヒット当時から逸話として語られることがある[7]。
- 歌詞の内容が、会社勤めを辞めて広い世界へ飛び出したいサラリーマンの気持ちを代弁していた。
- 国鉄の労働組合(国労・動労)が起こした「スト権スト」で出勤の足を奪われて自宅にいることを余儀なくされた会社員が、子どもと『ポンキッキ』を視聴したため、耳に入る機会が増えた。
なお、子ども調査研究所が「およげ!たいやきくん」のブームについて調査した結果によると、幼児・小学校低学年の子供とその(若い)父親からブームの火がついたとされ、レコードを購入した父親の意見は「子供が欲しがったし、親も興味があった」「子供が喜びそうなので」といったものが大半を占めたという[27]。
印税[編集]
シングルの印税は子門・なぎら共に買い取り契約だったため、売上げに応じた歌唱印税は支払われず、子門は5万円[28]、なぎらは3万円[29]の吹込料の支払いにとどまった。吹き込み当時、アルバイトで曲を吹き込んだ子門はこの曲がメガヒットになるとは思わなかった[30]。子門には後にヒット記念としてレコード会社から100万円と白いギターが1本贈られたとされる[31]。
また、品川税務署でレコード発売の5日前に区分として童謡の指導を受けており物品税(1989年4月1日に廃止)を申告していなかったが、「成人層に脱サラの歌として売れた」ことにより物品税法上、課税対象の歌謡曲扱いか、非課税の童謡扱いかで騒動になった。しかし、1976年2月23日に国税局により童謡であるとの正式判断が出されたため物品税は免除された[32]。
このため、著作権印税を除いた売上(卸価格)の多くはキャニオン・レコード(発売元)、フジポニー(原盤制作)、フジ音楽出版(現・フジパシフィックミュージック)(音楽出版社)の3社の利益となり[33]、キャニオン・レコードが「およげ!たいやきくん」のヒット後に建てた新社屋(後にニッポン放送グループだった一口坂スタジオが2012年3月の会社清算まで使用していた)は「たいやきビル」の異名を取っている。これに関してもなぎらは「あの玄関は俺(に本来回ってくるはず)の印税で建てた」とネタにしている。
社会的ブーム[編集]
「およげ!たいやきくん」がヒットした1976年には児童向け楽曲のヒットが連発し、「パタパタママ」[注釈 7]、「山口さんちのツトム君」[注釈 8]、「志村けんの東村山音頭」[注釈 9]などが次々とオリコンチャートの上位にランクインした[34]。
当時の子供向けレコード市場は日本コロムビアのシェアが圧倒的だったが、キャニオンが「およげ!たいやきくん」をヒットさせたことで市場規模自体が拡大し、日本コロムビアの売上も伸びたという[35]。
他には、たい焼き屋に行列ができる、たい焼き用の鉄板が売れるなどの社会的影響があった。また、各種キャラクター商品も発売された。中にスポンジが入ったたいやきくんの塩ビ(ソフビ)人形は大ヒットし、子供だけではなく大人にも売れた[36]。1976年2月20日、サンケイ新聞出版局は絵本『およげ!たいやきくん』を刊行し、初版5万部、累計では公称30万部以上を発行した[37]。一部の地域では曲にちなみ学校給食にたい焼きを出すところも現れた(但し歌詞のように鉄板で焼いたものではなく揚げ物や冷凍食品であったりもした)[38][39]。
木村拓哉は、『およげ!たいやきくん』のブームでたい焼きの売り上げが伸びているという記事が「サンケイ新聞」夕刊に掲載された際に、駄菓子屋の前でたい焼きを受け取る少年としてその写真が紙面に載ったエピソードがある[40]。
千葉県の銚子電気鉄道では、この曲のヒットにあやかって1976年2月10日から観音駅で、たい焼きの販売を始めたところ大ヒットとなり[39]、人気商品になっている。観音駅のたい焼き屋は施設の老朽化などにより2017年3月末をもって閉店し[41]、同年6月24日に犬吠駅で販売を再開した[42][43]。
1976年、現ピーター・ブルック・カンパニー土取利行と当時東京芸大大学院生だった坂本龍一は、竹田賢一のプロデュースの元、限定500枚のレコードを制作するが「およげ!たいやきくん」のヒットによりプレス工場(東洋化成)の生産が追いつかず、リリースが半年遅れた。坂本龍一の幻の1stレコーディング作として後に発掘され『ディスアポイントメント - ハテルマ』というタイトルで2005年にCD化されている。
小島豊美によると、「およげ!たいやきくん」は莫大なプレスオーダーをかけたため、当時のキャニオン営業部長の津澤正次の尽力で、東洋化成だけではなく同業他社のCBS・ソニー大井川工場(現・ソニー・ミュージックソリューションズ 大井川プロダクションセンター)などにまで協力を仰いで追加プレスを依頼したという。関東(東日本)と関西(西日本)でブームのピーク時期がずれたおかげで、ほぼ完売することができたと語っている[44]。
関係者[編集]
子門の歌でレコードが大ヒットした後、一時期、生田は「およげ!たいやきくん」に関するインタビューには一切応じなくなったという[11]。生田はテイチクとの専属契約を解いた後の1978年に『ひらけ!ポンキッキ』で「おとなもなやみがあるんだな」[注釈 10]を歌っている[45]。さらに時を経た2011年2月14日には、生田による「およげ!たいやきくん」の再録音マキシシングルが発売された[46]。
LP『およげ!たいやきくん』[編集]
- A面
- B面
カバー・リメイク[編集]
カバーや編曲、歌詞を追加変更したリメイク、オマージュ的な関連曲などが数多く作られている。
公式リミックス・カバー[編集]
ポンキッキシリーズ後継番組にて発表されたもの。
- コンピレーションアルバム『P-kies 20th Century New Trax』(2000年7月1日発売)に、ピストン西沢リミックスによるレゲエバージョンを収録。
- およげ!たいやきくん〜パラパラ2001〜(パラパラP-kies、2001年3月1日発売)
- 『ポンキッキ・メドレー2007』(ガチャピン・ムックとアイドリング!!!、2007年9月26日発売)にメドレーの一部分として収録。
- ジェロが2012年12月28日にライブ『beポンキッキーズ40周年記念前夜祭』にて披露、『beポンキッキーズ』で2013年に放送。またアルバム『COVERS6』(2013年7月24日発売)に収録[47]。バック演奏は原曲と同一。
- きいやま商店が2015年4月29日にライブ『子どもの日スペシャル P-kies LIVE』にてギター・三線でカバー。
- 2017年4月2日より『ポンキッキーズ』で、バックドロップシンデレラによるロックアレンジを放送。レギュラー放送での完全新規カバーはシリーズ初となる[48]。
他の歌手によるカバー[編集]
- トッポジージョ(山崎唯)(1976年10月発売。カバーアルバム『トッポ ジージョ』に収録。シングルカットしてB面には「ビューティフル・サンデー」のカバーを収録)
- ザ・カミカゼ(1976年発売。シングル、ディスコバージョン。B面は「黒ネコのタンゴ」のディスコバージョン)
- ラニー・ラッカー(「Swim, Taiyaki-Kun」として英語詞でカバー。訳詞:リサ・ウィルソン、編曲:ハウス・ティー。1993年発売のアルバム『英語!ポ・ポンのポン!!〜なつかしアニメをペラペラ歌おう〜』収録)
- 田辺マモル(1997年2月発売シングル)
- スナッフ(2000年発売のアルバム『What's In The Pasties』収録)
- 島村秀行(2002年発売のアルバム『Campanella ぼくらのうた』収録)
- BEGIN(2003年発売のアルバム『ビギンの一五一会58ドライブ』収録)
- ムック(ロックバンド)(2004年発売のアルバム『葬ラ謳』収録)
- 松村邦洋(2006年発売のアルバム『まんぷくトランス』収録)
- キグルミ(2008年発売のアルバム『キグルミのこどものうた』収録)
- 辻希美(2010年発売のアルバム『みんなハッピー!ママのうた』収録)
- クレモンティーヌ(2011年3月9日発売のアルバム『続アニメンティーヌ』ボーナス・トラックとして収録。但し同年5月27日発売の再発盤では削除されている)
- AGC38 feat. 東京ブラススタイル(2012年4月18日発売のシングル)
- たいやきくんに、あんこちゃんというガールフレンドができた記念として発売。カップリングには新曲「およげ!たいやき ヤキヤキ音頭」を収録。
- 稲垣潤一(2015年発売のアルバム『男と女5』に収録)竹内美宥とのデュエット。
童謡集などでは、水木一郎(日本コロムビア)、宮内良、池田鴻(キングレコード)、杉江秀(サンリオ/日本コロムビア)なども歌っている。
また、レコーディングは行われなかったが、ザ・ベンチャーズが1976年の来日時にステージで披露している。当時はキーボードの他に女性ボーカリストが二人ツアーに同行しており、ヴォーカルナンバーとして披露されていた。
その他リメイク[編集]
- およげ!たいやきくんのマーチ(演奏:キャニオン・オーケストラ、シングル)
- 正調 およげ!たいやきくん音頭(福本恵美、2000年発売シングル)
- 音頭調に編曲。
- およげ! たいやきくん2015(藤井フミヤ)
- NHK BSプレミアムの子供番組『ワラッチャオ!』で放送[50]。原曲作詞の高田に依頼し、新たな歌詞を追加したもの。
関連曲[編集]
- 私の恋人、たいやきくん!(1976年、山本リンダ) - 子門真人と「夜のヒットスタジオ」(フジテレビ)で競演している。
- ガンバレ!たこやきちゃん(1976年、横山ノック)
- ごめんね たいやきくん(1976年、横山ノック)
- およげ!ジョーズくん(1976年、ザ・ジョーズ)
- 帰って来たたいやきくん(1976年、ザ・ジョーズ)
- 泳げカナヅチ君(1978年、大滝詠一。アルバム「NIAGARA CALENDAR '78」収録)
- たいやきやいた(1984年、爆風スランプ。シングル「週刊東京『少女A』」収録)
- MOTHER(1997年、PUFFY) - 歌い出しの歌詞が「およげ!たいやきくん」と類似[51]。
- めざせタイヤキIII/IV(1998年、所ジョージ。シングル「トンカチ」収録)
- 泳げたいやき屋のおじさん(1999年、所ジョージ。アルバム「洗濯脱水」収録)
- 登れ!今川焼きくん(2002年、突然段ボール。アルバム「この世に無い物質」収録[52])
- 踊れ!たいやきくん/チョイトでました たいやきくん(2002年、たいプリ) - 「およげ!たいやきくん」と同じく高田の作詞、佐瀬の作曲による。
- GET MONE¥(借)(2006年、サイプレス上野とロベルト吉野) - 「およげ!たいやきくん」をサンプリング。限定版7インチシングル発売。
- およげ!たいやき ヤキヤキ音頭(2012年、AGC38 feat. 東京ブラススタイル)
アルバム[編集]
- およげ!たいやきくん アニバーサリーベスト(2017年11月15日発売)
- 40周年記念CDアルバム。本曲および『いっぽんでもニンジン』のオリジナル盤とカバー・リメイク盤を全16曲収録。
- 収録曲
-
- およげ!たいやきくん(子門真人)
- いっぽんでもニンジン(なぎらけんいち)
- およげ!たいやきあんこちゃん(つりビット)
- およげ!たいやきくん(BEGIN)
- 私の恋人、たいやきくん!(山本リンダ)
- およげ!たいやきくん(ジェロ)
- 泳げたいやき屋のおじさん(所ジョージ)
- およげ!たいやきくん(AGC38 feat.東京ブラススタイル)
- いっぽんでもニンジン(ワタナベイビー)
- およげ!たいやきくん(スコット・マーフィー)
- およげ!たいやきくん(水木一郎)
- およげ!たいやき ヤキヤキ音頭(AGC38 feat.東京ブラススタイル)
- およげ!たいやきくん(ダイアモンド☆ユカイ)
- およげ!たいやきくん(バックドロップシンデレラ)
- およげ!たいやきくんのマーチ
- およげ!たいやきくん(オリジナル・カラオケ)
関連グッズなど[編集]
- 高田の作による絵本が出版された。
- 2000年発行の「20世紀デザイン切手第15集」で、切手の題材になった。
- 2003年、メディコム・トイから発売されたキューブリックシリーズの「ポンキッキーズ21 シリーズ2」には、「およげ!たいやきくん」関連として「たいやきくん」「たいやきおじさん」のフィギュアがある。
- 2005年、平和から本楽曲をモチーフとしたパチンコ機「CRおよげ!たいやきくん」がリリースされた。
その他[編集]
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- シングル盤はオリコンチャートで11週連続で週間売上10万枚(1万点)を達成している(1976年1月12日付〜1976年3月15日付)[53]。週間売上の最高は1976年2月16日付の72.3万枚。『オリコン・ウィーク The Ichiban』1999年3月29日号 p.17に1000枚単位でオリコン週間シングル売上の推移が記載された。
- 「8時だョ!全員集合」の学校コントコーナーで、“英語の歌詞に聞こえる曲”(逆空耳ソング)として使用された(歌詞が「My Way Rich, My Way Rich, Born Cry Were Death I Know」と聞こえるというネタ) 。
- 藤子・F・不二雄原作の漫画『ドラえもん』では、ジャイアンのリサイタルで、山口百恵の「横須賀ストーリー」と一緒にこの曲を歌うシーンがある[54]。
- 藤子不二雄A著『新オヤジ坊太郎』の「およげタコヤキくんの巻」では、タイヤキブームの影響でタコヤキがサッパリ売れなくなったたこ焼き屋の少年の窮状を見かねた主人公の坊太郎が、そのタコヤキ屋を大繁盛させようと日本でも一流の宣伝マンを集めて企画を展開し、夜空にタコ型のアドバルーン気球に乗った子門真人が「およげタコヤキくん」を歌って「みなさ〜ん タイヤキくんもいいけど今度からタコヤキくんもおーえんしよーね!!」と伝える場面が描かれている。
- 1976年2月16日の『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)では子門真人と山本リンダが共演。子門は「およげ!たいやきくん」を、リンダは「私の恋人、たいやきくん!」を歌った。子門が生放送の音楽番組に出演していたことも珍しいが、双方の曲が共にフジテレビの関連会社であるキャニオンレコードから発売されていたことも共演の理由となった。
- この曲のヒットにより1976年の『第27回NHK紅白歌合戦』(NHK)では、子門真人が出場者の有力候補として多くのマスコミに取り上げられたが、(曲はヒットしても)歌手名のアンケートの支持が低かった[注釈 11]として落選した[55][56]。生田および子門はその後も『NHK紅白歌合戦』への出場歴はないが、1992年の『第43回NHK紅白歌合戦』にて嘉門達夫の「替え唄メドレー〜紅白バージョン〜」の一節として本曲(の一部分)が演奏された。
- バレーボールのレシーブの一つに、「およげ!たいやきくん」にちなんだ名前の「たい焼きレシーブ」というものがある。柔道の受け身を応用したもので、モントリオールオリンピックの全日本女子バレーボールチームが使った技として有名になった[57]。
- 2009年9月から放送されているアサヒビールのリキュール系ビール風新ジャンルアルコール飲料「アサヒ麦搾り」のテレビCM(木梨憲武、皆藤愛子出演)では木梨が酒屋に立ち寄る際に「およげ!たいやきくん」の替え歌を歌っている。
- コロッケが「ものまね王座」で子門真人のものまねをした時本曲を披露したが出だしの歌詞を失念しとっさにアドリブで「歌詞を忘れてすいません」と歌った。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 後述の英訳詞「Swim, Taiyaki-Kun」ではfish store(魚屋)になっている。
- ^ 要するに麻布十番にある浪花家総本店で見たのではないということ。
- ^ プレス枚数[14]または出荷枚数[15]。
- ^ ただし、B面は『ひらけ!ポンキッキ』の9代目お姉さん・橘いずみ(現・周栄良美)の「またね」(作詞:金子政路、作曲:勝誠二)に変更された。
- ^ NHK『おかあさんといっしょ』1999年発表曲。子供番組発祥の、菓子題材のヒット曲として『およげ!たいやきくん』と共通する。
- ^ 2017年時点では青山テルマ feat.SoulJaの「そばにいるね」がダウンロードを含め920万ユニットで「日本で最も売れたシングル」としてギネス世界記録に認定されている[23]。
- ^ 「およげ!たいやきくん」と同じ『ひらけ!ポンキッキ』発祥。歌:のこいのこ
- ^ NHK『みんなのうた』発祥。歌:川橋啓史、斎藤こず恵、その他
- ^ TBSの『8時だョ!全員集合』発祥。歌:志村けん
- ^ のこいのこ「まる・さんかく・しかく」(キャニオン CX-112)のカップリング
- ^ この年は、同じく出場者の有力候補と目された内藤やす子も同様の理由で落選したとされる。
出典[編集]
- ^ a b 小島豊美とアヴァンデザイン活字楽団『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』DU BOOKS、2015年、104頁。ISBN 978-4-907583-45-3
- ^ 「全国ディスクベスト10」『週刊朝日』1976年2月6日号、36頁。
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- ^ 「およげ!たいやきくん」の誤解、たいやき ともえ庵のブログ、2017年5月27日。
- ^ たいやき研究ノート 2、web M旅 2008年3月号(インターネットアーカイブのキャッシュ)
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- ^ 【オリコン】SMAPに“300万枚”の花束 「世界に一つだけの花」が騒動後40万枚増、ORICON STYLE、2016年12月13日 04:00。
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- ^ 『読売新聞』2008年6月7日付大阪夕刊、1頁。
- ^ 『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』100頁。
- ^ 「鈍感・音感・情感 たいやき君はなぜモテた?」『読売新聞』1976年11月10日付朝刊、12頁。
- ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』258頁。
- ^ なぎら健壱『日本フォーク私的大全』324頁。
- ^ 『子どもの文化』(子どもの文化研究所)1987年1月号、12頁。
- ^ 「メロディーとともに (4) およげ!たいやきくん」『神戸新聞』1999年5月14日付夕刊、3面。
- ^ 長田暁二『昭和の童謡アラカルト―戦後編』ぎょうせい、1985年、246-247頁。ISBN 4-324-00124-3
- ^ 長田暁二『昭和の童謡アラカルト―戦後編』247頁。
- ^ 『コンフィデンス年鑑』1977年版、17頁。
- ^ 『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』107頁。
- ^ 『毎日新聞』1976年2月11日付東京朝刊、19頁。
- ^ 『野田経済』1976年5月5日号、33頁。
- ^ 『毎日新聞』1976年3月3日付東京朝刊、19頁。
- ^ a b 『読売新聞』1976年12月22日付夕刊、2頁。
- ^ 1976年2月13日サンケイ新聞(夕刊)。2012年4月23日放送『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』
- ^ 銚子電鉄:観音駅の「たい焼き」店閉店へ 愛され40年、毎日新聞2017年2月19日 12時55分(最終更新 2月19日 12時55分)
- ^ 名物「たい焼き」犬吠駅で復活 銚子電鉄 サイズや食感一新 千葉、産経新聞、2017年6月30日 07:06更新。
- ^ 犬吠駅「たい焼き売店」が6月24日にオープンしました、銚子電気鉄道。
- ^ 『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』105-106頁。
- ^ 『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』155頁。
- ^ “およげ! たいやきくん”をオリジナル歌手の生田敬太郎がセルフ・カヴァー Archived 2014年8月11日, at the Wayback Machine.、TOWER RECORDS ONLINE、2010年12月15日 17時45分。
- ^ ジェロ、「およげ!たいやきくん」を歌う、BARKS音楽ニュース、2013年7月16日 15:04:00。
- ^ “バックドロップシンデレラ、「およげたいやきくん」カバーMVをBSフジ"ポンキッキーズ"に提供。明日4/2よりオンエア”. skream! (2017年4月1日). 2017年4月5日閲覧。
- ^ 『昭和のテレビ童謡クロニクル 『ひらけ! ポンキッキ』から『ピッカピカ音楽館』まで』108頁。
- ^ “藤井フミヤ、「およげ!たいやきくん」リメイク曲歌う”. ORICON STYLE (2015年10月18日). 2015年10月20日閲覧。
- ^ PUFFY誕生前後を追跡するいったい、このチカラの抜けたキャラクターはどのようにして形成されたのか。、『日経エンタテインメント!』1998年3月号より。(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ EATER CD - 2019年10月11日閲覧。
- ^ 『オリコン・ウィークリー』・「データ私書箱」
- ^ てんとう虫コミックス第14巻「念録マイク」(初出は『小学三年生』1977年2月号)
- ^ 『朝日新聞』1976年11月26日付東京朝刊、24頁。
- ^ 『読売新聞』1976年12月12日付朝刊、27頁。
- ^ 読売新聞 よみうり寸評 2017年6月15日
参考文献[編集]
- 「ヒット商品の秘密 キャニオン・レコード およげ!たいやきくん 500万枚売れた背景」『野田経済』1976年5月5日号、30-33頁。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
ウィキニュースに関連記事があります。「およげ!たいやきくん」がギネス認定―CDで再販も
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